更新情報
2023.03.16: REKIHAKU への寄稿の公開許可が下りたので、その部分を修正。仮名漢字変換の間違いも修正:講話が講和になっていた。
2022.09.30: 全面的に書き変え
2022.07.25: 2.1. 2021年度西田田辺記念講演用PPTスライドショーの説明を追加
2021.12.25: 2.1. 2021年度西田田辺記念講演用PPTスライドショーへのリンクをトップページからこちらに移動

1. 旧林晋サイト保管庫

林晋のサイト www.shayahi.jp を、ほぼそのまま保管したものは こちら 。旧林晋ブログもHTMLに変換して保管してあります。

2. 京都学派アーカイブ

林が作成し現在も管理人を務めている京都学派アーカイブは こちら
現在は京大文学研究科日本哲学専修の運営です。

3. 史料分析用ツールSMART-GS

林を中心とするチームが開発した史料分析用ツールSMART-GSの開発ページは こちら 。現在、開発は止まっています。

4. 京大文学研究科時代以後の文系の講演・論文・エッセイ

以下は、林が京大文学研究科に転職して歴史学を研究・教育の中心においた2005年以後の文系の仕事の内、主なものを新しい順に並べ説明をつけたものです。ただし、リストの最後の2件は例外的に、それ以前のものです。ほとんどは旧林晋サイト www.shayashi.jp のトップページに置いていたものに説明をつけたものになっています。

また、多くは、論文の pdf 化や、講演で使った PowerPoint ファイルなどにより、その内容を読める様になっています。京大文学研究科時代は、研究と講義がほぼ連動していたいので、最も時間をかけて作成していたのは、実は講義資料、特に特殊講義の資料でした。それらは、ここには掲載せず別に掲載する予定です(講義「論理学の歴史」の資料のみ掲載済)。

PowerPointファイル(pptx)の閲覧・再生には PowerPoint か、無料の PowerPoint Mobile (PCにもインストール可能)を使ってください。

● エッセイ「第五世代コンピュータープロジェクト-1980年代の日本」

国立歴史民俗博物館総合誌「REKIHAKU」の2022年6月発行の6号「特集 人工知能の現代史」に寄稿したエッセイ。人工知能のプロジェクトと誤解されることが多い第五世代コンピュータプロジェクト(FGCS)の本当の姿を半ばインサイダーであった立場から書いたもの。1980年代の日本と現在の日本の変化に力点を置いて書いた。公開の許可を頂いているので、その内、少し手を加えて、HTML にして、ここで公開する予定。ただ、いつになるやら…

● 講演「歴史学から見た京都学派―ある数理思想史家の観点」

2021年度西田・田辺記念講演のPPT自動スライドショー(pptx)

2021年度の西田・田辺記念講演会の林による田辺講演で使用した PowerPoint ファイルに講演を再現して録音し自動スライドショーにしたものです。このサイト「ゲーデルと数学の近代」でその研究成果を公開しようとしている京大文学研究科時代の中心的研究対象であったゲーデルの歴史観の概要と、その研究と林の京都学派研究の関係を説明しています。

● エッセイ「情報学者の人文学研究 その1と2」

情報学者の人文学研究 その1と2(html)

京大文学研究科への着任時(2005年)と退職時(2019年)に同研究科・文学部の同窓会の会誌「以文」から依頼されて書いた二つのエッセイ。ただし、どちらも「以文」に掲載された文章そのものではなくて、「以文」編集部に渡した原稿に手を加えたもの。特に「その2」には、かなり手をいれてある。また、「その2」は、上の2021年の田辺講演とも関係している。2020年に作成。

● 2019年度秋の京大名誉教授懇親会での講話

歴史学から見た京都学派(pdf)

秋の京大名誉教授懇親会では、新しく名誉教授となったものから、文系1名、理系1名が講話を行うが、その文系の講話で使用したPowerPointスライドショーをpdf化したもの。

● 2019.02.01 歴博研究会での講演

西田幾多郎新資料翻刻プロジェクト と 京都学派アーカイブ について(pdf)

デジタル・ヒューマニティーズの研究者の歴博研究部の橋本さんからの依頼で行った講演で使用したPowerPointスライドショーをpdf化したもの。

● 講演「西田幾多郎 その人と思想 -京大時代を中心に―」

講演資料(pdf)     参考資料(pdf)     補足資料(html)

2019年1月30日に開催された(株)京大オリジナル主催の「京都アカデミアフォーラム」in丸の内での有料講演会で使用した資料。 提供元からWEB公開を控えるように依頼があった画像は墨消しにしてあります。

● 論文「西谷啓治と田辺元」

西谷啓治と田辺元(html&pdf)

前年の2017年に、京都哲学会に依頼されて話した講演を元に書いて、同会の会誌「哲学研究」に投稿した論文。西田との関係ばかりが強調される傾向にある西谷の田辺への深い関係を指摘したもの。田辺研究の中、西谷が頻繁に目につくことに気が付いて始めた研究。オンラインで読めるが、pdfファイルとしてダウンロードも可能。2018年に出版、2019年1月に Web公開。

● 講演「種の論理と数理哲学-田辺元昭和9年講義メモからの新発見」

種の論理と数理哲学-田辺元昭和9年講義メモからの新発見(pptx)

田辺演習中に見つかった昭和9年の田辺の討議資料中の意外な記述を竹花さんにお願いして、第6回田辺哲学シンポジウム(2018年12月8日、福岡大学)で急遽話させてもらったもの。

● 講演「人間 西田幾多郎」

人間 西田幾多郎(pptx)

2018年10月21日、京都大学時計台で行われた、西田哲学館主催「西田幾多郎生誕の地・ゆかりの地交流事業、京都大学の西田幾多郎」での講演。西田の遺品などの展示も同時に行われた。

● 講演「京大田辺文庫における二冊の Prinzip について」

京大田辺文庫における二冊の Prinzip について(pdf)

京都ユダヤ思想学会が、同志社大学今出川キャンパスで、2018年6月23日に開催した「ヘルマン・コーエン没後100年シンポジウム」での講演。西田新資料プロジェクトで研究員として活躍してくれていた同会の吉野斉志さんからの依頼での講演。吉野さんの仕事への、お礼のつもりで引き受けたものの、さすがに場違いの感が強かった。

● 講演 "How was Mathematics modernized?"

How was Mathematics modernized?(pdf)

2018年4月7-8日に名古屋大学で開催された応用哲学会第10回年次研究大会のシンポジウム Modernism and Modernisation of Mathematics での発表。登壇者は林と Jeremy Grayさん。当サイト「ゲーデルと数学の近代」で公開しようとしている研究の初めての公開。

● 論文「AI と社会の未来 ―労働・グローバライゼーションの観点から―」

AI と社会の未来 ―労働・グローバライゼーションの観点から― (pdf)

中馬宏之さんから依頼されて参加した独立行政法人経済産業研究所におけるプロジェクト「人工知能が社会に与えるインパクトの考察:文理連繋の視点から」の成果として書いた論文。RIETI Policy Discussion Paper Series 17-P-033, 2017.11.29. 適当な政策をとらず放置するとAIが格差を(持たざるものから見て)絶望的に拡大する可能性を指摘した論文。

● 講演「西谷啓治と田辺元…空と種」

西谷啓治と田辺元…空と種(pdf)

京都哲学会に依頼されて行った平成29年度京都哲學會公開講演会での講演。2017.11.03。これを論文にしたものが「西谷啓治と田辺元」

● 講演「失われた時のウェブを目指して」

失われた時のウェブを目指して(pdf)

平成29年度 京都大学図書館機構講演会講演, 2017.10.17。どういう経緯で、どなたからの依頼だったのか忘れたが、京大図書館機構が開催した講演会で依頼されて行った講演。IIIFがテーマの講演会だったが、そのころ興味をもっていたマルセル・プルースト小説「失われた時を求めて」に由来する無意志的記憶・無意識的記憶のアナロジーで無意識的記録という言葉を作って、歴史学での無意識的記録のサーチの重要性を林の研究での具体例などを使って説明したもの。IIIFがそれのサーチの助けになってほしいという風に話を持って行って講演会のテーマと整合性をつけた。

● 講演「AIブームは本物か? -米国の場合、日本の場合-」

AIブームは本物か? -米国の場合、日本の場合-(pdf)

京大主催の東京での講演会シリーズ「人工知能と人間社会」、東京で学ぶ 京大の知 シリーズ23の2016年11月6日の講演。翌2017年の論文「AI と社会の未来 ―労働・グローバライゼーションの観点から―」のもととなった調査に基づいて話した。

● エッセイ「あるソフトウェア工学者の失敗 -日本のITは何故弱いか-」

あるソフトウェア工学者の失敗 -日本のITは何故弱いか- (pdf)

山口栄一著編、イノベーション政策の科学、東京大学出版会、2015 の情報産業の章の元となった文章。2014年10月に書いたもので、Web公開したのは2015年。

● 講演「開かれた世界、開かれた心、開かれた社会」

開かれた世界、開かれた心、開かれた社会 (pdf)

社会情報学会(SSI)、 2014年学会大会の基調講演。西谷啓治の「回互的連関」がNFSと同じ構造を持つことなどを根拠に、ITは世界観や社会観を形而上学レベルで変えるものであることを指摘した。

● 論文「澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について -田辺哲学テキスト生成研究の試み(二)-

澤口昭聿・中沢新一の多様体哲学について -田辺哲学テキスト生成研究の試み(二)- (html&pdf)

田辺の種の論理を「多様体の哲学」と関連づけようとする二つの試みの問題点を指摘した論文。これを書いた理由は論文最後の「おわりに」に詳しく説明してあるが、要するに、理解できていない数学の言葉で、田辺哲学について変なことを言う言説が相当数見られたので、そういう言説を語り難くするために書いたもの。

そのために、そういう言説が哲学的にどのように間違えているのかや、数学をどの様に誤解しているのかを、できるだけ正確で分かり易く説明する必要があった。そのため、数学の説明も丁寧にしなくてはならず、アーノルドの力学系の教科書など数学を随分勉強することになった。それだけではなく、自分の興味から発したものではないこともあり、大きなストレスを感じた研究だった。しかし、10年たって「田辺の多様体哲学」のような議論は、ほぼ消えた様なので書いた意味はあったらしい。京大文日本哲学史専修紀要「日本哲学史研究」、2012年10月号に掲載。

● 講演「社会とソフトウェア:あるソフトウェア工学者の経験」

社会とソフトウェア:あるソフトウェア工学者の経験(pdf)

日本SPIコンソーシアムSPI Japan 2012 –ソフトウェアプロセス改善カンファレンス2012 –基調講演、2012.10.10。エッセイ「あるソフトウェア工学者の失敗」のもとになった講演。

● 論文「田辺元の『数理哲学』」

田辺元の『数理哲学』(html&pdf)

雑誌「思想」、2012年1月号、特集「田辺元の哲学 -没後50年を迎えて-」に寄稿した論文。京大、群馬大の二つの田辺文庫についての情報を提供する、次の短い文章も寄稿した: 「情報の宝庫 -二つの田辺文庫?」(html&pdf)

● 講演「種の論理再考」

「種の論理再考」(html&pdf)

2011年度の西田・田辺記念講演会(2011年6月4日開催)で配布したレジュメ。日本の哲学の伝統的スタイルの講演では、詳しいレジュメを作成・配布して、それを、そのまま読み上げる。この時は、私にとっての初めての哲学関係の講演だったので、哲学という分野に敬意を表すため、レジュメ作成は、その伝統に従った。ただし、講演はレジュメを読み上げるのではなく、自分のスタイルで行った。板書を利用した様に記憶しているが、もう10年以上も前のことで確かではない。ただ、この講演用の PowerPoint ファイルは残っていないので、少なくともプロジェクタは使用しなかったらしい。

● 論文「「数理哲学」としての種の論理」

「数理哲学」としての種の論理(html&pdf)

「日本哲学史研究」、第7号、2010年9月、に掲載の田辺の種の論理についての論文で、講演「種の論理再考」のもとになったもの。私にとっては、初めての哲学関係の論文。まさか、自分が哲学史の論文を書くとは思わなかったが、そうなった経緯は、講演「歴史学から見た京都学派―ある数理思想史家の観点」で話したように(この自動スライドショー(pptx)で講演の再現を聞けます)、ヒルベルト研究から始まった偶然の連続の帰結だった。

哲学者の哲学史との違いについて:ただ、この論文は、哲学史とは言っても、哲学者の哲学史とは異なり、徹底的に史料に基づく歴史の論文で、単に対象が哲学者とその哲学理論であるもの。だから哲学者の哲学史とは大きく違う。こういう風な研究を表す適当な日本語がないので、私は、普通は「思想史」と呼んでいるが、英語で Intelectual History, History of Ideas と呼ばれる分野の研究といえる(たとえば、この本が、こういう分野の好例)。

この論文で、どうしても史料によるエビデンスを付けることができず、そういう立場からは不満だったが、無いもの仕方ないのでスペキュレーションで書いたところが一か所だけある。私としては、大変に不満だったのだが、驚いたことに、複数の哲学者に、そこが面白いといわれた。これが、歴史学と哲学者の哲学史の手法の大きな違いを理解するきっかけとなった。その後も、長く哲学者と付き合って、今では歴史学者と哲学者の大きな違いを理解できるようになっている。その違いとは解釈・スペキュレーションに対する態度の違いである。

歴史学でも、スペキュレーションや解釈は必然的に入るが、「史料に語らせる」といって、それらが史料から自然に湧き上がるように努める。つまり、史料群を一定の方法で提示して(著作して)、その提示を見た(読んだ)ほとんどの人の心のうちに、ある解釈やスペキュレーションが自然と湧き上がるという風になるというのが歴史学者の仕事(著作)の理想形だと考える。しかも、この「湧き上がる解釈やスペキュレーション」が、先にあって、それに向けて史料を提示するのは最大の禁忌で、史料が先にあり、自分の結論(解釈やスペキュレーション)自体が、それから湧き上がってきたものでなくてはいけない。これが自らの主観を排する、客観主義に徹するということ。これに反し、哲学者は、どれだけ面白い、つまり、人が驚くようなスペキュレーションや解釈を提示できるかを目指すらしい。同じ対象を研究していても、その目標・理想は両極端に相反している。(もっとも、歴史学も時代・分野などで様々で、私の様な近現代史関係の研究者は史料重視の人が多いが、中世とかやっている人は解釈中心だそうだ。これは、近現代史では、どういう史料群を対象にして研究を行うかということが、まだ確定してなくて、新史料を見つけることが研究の重要な一部となる一方、中世などでは新史料が見つかる可能性が小さいからである。ちなみに、新史料は、出版物の中にあることもある。つまり、忘れられたり、気づかれないままになっている重要な文章・フレーズなども「新史料」である。)

このため、この後の私の日本哲学史研究では、史料の分析などは徹底して歴史学者の態度を貫きながら、その最後の結論は、なるべく哲学者が見ても面白いような、「常識」に反するスペキュレーションや解釈にするように努めた。田辺研究は幸い、それを始める切っ掛けが、偶然見つけた「種の論理は直観主義数学をモデルにして作られた」という驚天動地の史料だったので、徹底的に史料中心でやったが、面白い結論を出すことができたと思っている。そして、その上で 「田辺元の『数理哲学』」では、田辺元の哲学の世界哲学史における位置づけ、というもともと解釈でしかありえないものを提示している。こういう所では歴史学も当然解釈的・主観的になる(例えば、時代区分や時代区分の名称などを完全に客観的に行うのはもともと無理)。そして、西谷哲学と田辺哲学の関係性の新解釈を提示した「西谷啓治と田辺元」は、歴史学というより哲学者の哲学史に限りなく近いが、ただ、この関係性に気が付いたのは、両哲学の理論の比較を通してではなく、彼らの生身の人物としての非常に近い関係性を、別の仕事のために大量に読んだエッセイなどから知り、そこから生まれた西谷・田辺の関係性の従来の理解への違和感から出発し、「西谷の空の思想は、実は彼の論理学・形而上学ではないのか」という問を立てて、両者を比較して分かったので、そういう意味では、哲学者の人間関係についてのエッセイ群という史料から湧き上がる様にして生まれたという意味では、これも非常に歴史学的な研究といえる。

● エッセイ「情報技術の思想家 渕一博」

エッセイ「第五世代コンピュータープロジェクト」で解説した1980年代の日本を象徴する様な当時の通産省の第五世代コンピュータプロジェクトを率いた渕一博さんを記念する書籍「渕一博 その人とコンピュータサイエンス」(2010年3月31日刊)の第一部、第一章。渕さんの半生を、マルクスやパースの思想をもとにITを考えていた渕さんの思想家としての側面を強調しつつ書いてある。「渕一博記念コロキウム」の基調講演の文章版。

● レポート「日本の危機としてのIT人材問題」

日本の危機としてのIT人材問題 (pdf)

2008年7月刊。文部科学省科学技術政策研究所(現科学技術・学術政策研究所)が2015年まで発行していた刊行物「科学技術動向」(現 STI Horizon)に掲載されたテキスト。「科学技術動向」は、政治・行政にかかわる人たちに科学技術の最新の動向に対する情報を伝え政策立案などに役立ててもらうことを目的として発行していたものなので、 このテキストは狭義の「論文」ではない。と合わせて三部作になっていて、その三つの間の関係と、これら三つのレポートの意味は、「あるソフトウェア工学者の失敗」で詳しく説明してある。

● 講演「真のHilbert 像をもとめて-Hilbert 研究の現状-」

真のHilbert 像をもとめて-Hilbert 研究の現状- (pdf)

2007年10月27-28日開催の津田塾大学での数学史シンポジウムにての招待講演の報告集用の原稿(2010年3月18日訂正版アップ)。林のヒルベルト数学ノート研究を中心とするヒルベルト史料研究の報告。

● 講演「渕一博の思想 ーなぜ論理だったのか?ー」

渕一博の思想 ーなぜ論理だったのか?ー

渕一博記念コロキウム 『論理と推論技術:四半世紀の展開』 、基調講演、 2007年10月20日、慶応大学(三田)。これを文章にしたものが2010年のエッセイ「情報技術の思想家 渕一博」。 

● 記事「ヒルベルトの数学手帳」

ヒルベルトの数学手帳 (pdf)

数学セミナー2007年5月号掲載の記事。ヒルベルト数学ノート研究の一部を紹介。

● エッセイ「私は如何にして歴史家になったか」

私は如何にして歴史家になったか (html)

上の記事「ヒルベルトの数学手帳」を書いた際に付加的に書いた文章。神戸大工学部から京大文学研究科に転職した際、周囲の多くの人が私の転職に驚き、また、いぶかったらしいことを、Webやご本人たちとの直接の会話で知った。そのため、エッセイ「情報学者の人文学研究 その1」と合わせて、その実際の理由を説明し、合わせて、アカデミックなプロの研究者が書くものと、そうでない人たち、例えばサイエンス・ライターやマスコミを中心に活動する学者が書くものに対する誤解について論じた。

● 岩波文庫ゲーデル著「不完全性定理」、林・八杉訳解説

2006年9月15日刊。12刷では補遺などを追加。内容はヒルベルト計画を中心とした数学基礎論史。翻訳48頁、訳注10頁、歴史中心の解説が239頁という異形の岩波文庫。なぜ、その様なものが生まれたのかはエッセイ「私は如何にして歴史家になったか」で詳しく説明してある。正誤表

● レポート「情報通信技術と「思想」 -科学技術の能力としての「思想」-」

情報通信技術と「思想」 -科学技術の能力としての「思想」- (pdf)

2006年10月刊の「科学技術動向」掲載のレポート。「日本の危機としてのIT人材問題」二つの合理性と日本のソフトウェア工学と合わせて3部作のレポートになっている。これらのレポートや「科学技術動向」の性格については、「日本の危機としてのIT人材問題」の解説を参照。

● WEBサイト "David Hilbert's Mathematical Notebooks"

David Hilbert's Mathematical notebooks (html)

ヒルベルト数学ノート研究の初期の成果の一部を英語で書いて公開したもの。2006年6月公開開始。

● 二つの合理性と日本のソフトウェア工学

二つの合理性と日本のソフトウェア工学 (pdf)

2004年9月の「科学技術動向」掲載のレポート。「日本の危機としてのIT人材問題」情報通信技術と「思想」 -科学技術の能力としての「思想」-と合わせて3部作のレポートになっている。これらのレポートや「科学技術動向」の性格については、「日本の危機としてのIT人材問題」の解説を参照。これは強大文学研究科に転職する前の神戸大時代に書いたもの。

● WEBサイト「ゲーデルと数学基礎論の歴史」

ゲーデルと数学基礎論の歴史 (html)

開設時期は忘れたが、まだアマチュア歴史家だった神戸大工学時代に開設していたサイトを保存したもの。