論理学の歴史:アリストテレス論理学入門を兼ねて ver.2020.12.12

ver.2020.12.12の更新:文章を少し手直し

現代の日本で「論理学」と言えば、まず間違いなく記号論理学、数理論理学のことですが、私が学生だった1970年代には「論理学」は、まだ「アリストテレス論理学」「伝統的論理学」などと呼ばれるものでした。これが長い間「論理学」と呼ばれていたもので、哲学の一部ではありながら、それから独立し数学や古典語などとともに欧米的教養の基礎のひとつでした。そして、意外なことに米国の大学などでは、未だにこの「古い論理学」が教養的科目として教えられています。

米国では外国人のための英語教育のなかでアリストテレス論理学の講義で使われる教材とそっくりなものが使われることがあります。また、記号論理学よりアリストテレス論理学の方が自然だという意見も時々みかけます。これは名辞論理学 Term Logic とも呼ばれるアリストレス論理学における名辞 term を用いる思考方法が英語などの思考方法の基礎と連動しているからだと思われます。アリストレス論理学は実は我々日本人が苦手な英語の冠詞の用法とほぼ同じ構造をもっているのです。

この伝統的論理学・アリストテレス論理学の源流はアリストレスにありますが、現在の形に整備されたのは17世紀フランスのポール・ロワイヤル修道院でのことで、これを ポール・ロワイヤル論理学 と呼びます。このポール・ロワイヤル論理学は西洋的教養の基礎であるだけでなく近代西洋哲学に大きな影響を与えました。マルティン・ハイデッガーが1927年の代表作「存在と時間」で、それを白日のもとに晒し解体してみせるまで「哲学的思考の基礎は論理学である」が西洋哲学の暗黙の前提であり続けたのです。

その様な伝統的論理学は、あまりに基礎の基礎であり、教養ある人ならば誰でもが当たりまえに知っていること、たとえば算数の四則計算の様なものであったため、改めて説明されず、そのためアリストテレス論理学を知らない現代人、特に日本人にとっては、19世紀の数学者が語ることが全く意味不明になるということがあります。

その典型がベルンハルト・リーマンの「幾何学の基礎をなす仮説」で使われた Mannigfaltigkeit (多様体)という言葉です。Mannigfaltigkeit は普通のドイツ語として「多様性」を意味する言葉ですが、リーマンの師であるガウスなども曲面論や数論などで数学用語の様に使っています。数論での例では、リーマンが「幾何学の基礎をなす仮説」で自らの多様体のアイデアの先駆の一つとしてあげたガウスの1832年刊の論文「4次剰余の理論(第2篇)」のガウス平面があります。この論文でガウスはいわゆるガウス整数つまり実部も虚部も整数の複素数を使い4次剰余の理論を展開したのですが、そのために当時はまだ認めない人も多かった複素数が自然なものであることを示すために、第38節でガウス平面(複素平面)の概念を導入し、これにより複素数の存在についての形而上学的な問題にクリアな決着をつけることができると主張したのです。そしてその際に空間的直観により「2次元の多様体たち」の存在は明らかで、複素数はその様な多様体をなす量だと考えればよいとしたのです(ラテン語で varietates duarum dimensionum と書かれており、1889年の H. Maser による独訳では Mannigfaltigkeiten von zwei Dimensionen と訳されている)。おそらくはリーマンは、その辺りかあるいは彼が影響を受けた哲学者ヘルバルトがこの用語を多用したことなどから使ったのではないかと言われています。

リーマンは現代ならば「多様体の点」と言うところを、Begriff (概念)の Bestimmungsweise (限定の仕方)と言っていますが、これはリーマンが多様体をアリストテレス論理学の「クラス」「項」あるいは「概念」の一種として考えていたからと思われるのです。アリストテレス論理学はドイツ語では Begriffslogik 概念論理学、そして、英語の Term logic 項論理学という名称に対応する Termlogik という名でも呼ばれますが、この概念とか項というのが、動物、恒温動物、ほ乳類、霊長類、人類、などの普通名詞や、クルト・ゲーデル、ソクラテスの様な固有名詞が表すもので、単なる「言葉」ではなくて、その言葉が表しているものの集合とその集合を規定しているこれらの名詞がもつ「モノの条件」を合わせたものなのです。そして、項論理学、概念論理学では、項や概念は大きなものから小さなものつまりより少ない条件しかもたないものからより多くの条件をもつものに「限定」されていくと考えます。丁度、連立方程式の方程式が増えれば解が少なくなるのと同じ様な感じでものをとらえるわけです。

現代の数学用語としての「多様体」には「何かしら連続なもの」というニュアンスがありますが、リーマンは彼の言う多様体には「連続多様体」と「離散多様体」の二種類があり、前者の Bestimmungsweise は Punkt (点)と呼ばれ、後者の Bestimmungsweise は Element (要素)と呼ばれるとしました。つまりはリーマンの多様体は、現代の集合のようなものであり、その内でトポロジカルな構造をもつ「連続多様体」が「現代の多様体」となったのです。この様なことを指摘し、集合概念の誕生はリーマンの数学にまでさかのぼって考えるべきだ、また、その誕生には伝統的な論理学が関わったと考えるべきだ、と指摘したのはスペインの科学史家ホセ・フェレイロスで、フェレイロスの指摘により集合論の歴史はカントルから数十年前倒しとなり、1854年の「幾何学の基礎をなす仮説」から始まると考えられるようになったのです。フェレイロスの様にリーマンが行ったことを正しく理解するにはアリストテレス論理学の知識が欠かせないわけです。

アリストテレス論理学の理解は多様体論の歴史だけでなく、代数や数論、そして数学の基礎づけの歴史を理解するにも必要です。それは、リーマンの年少の友人でその数学思想に大きな影響を受け、自らも数論・代数の分野で集合を用いる数学を創始し、また実生活においてはリーマンを支えたリヒャルト・デデキントの「集合論」を理解するために不可欠なのです。デデキントはイデアル論の創始者ですが、普通イデアルは集合だと理解されています。しかし、それはカントルが集合論を展開する以前に開拓され、また発表さえされていたわけですから、デデキントのイデアルがカントルの意味での集合だったとするのには無理があります。では、それは何であったのか。

フェレイロスは、デデキントがリーマンを深く尊敬していたこと、また、その数学思想に強い影響を受けたことなどを様々な史料を元に立証し、デデキントが System システムと呼んだ彼の「集合」もアリストテレス論理学の項、クラスであったことを立証してます。しかし、私はこれを示す一番良い史料は、デデキントが「集合」を使って自然数論を展開してみせた著書「数とは何かそして何であるべきか」(1888)であると思います。この著書の前書きには「実数などは自然数に還元して定義できるが自然数はとどのつまりなのでもはや Logik に還元するしかない」という意味の文章があるのです。そして、この Logik がアリストテレス論理学をデデキント流にまとめたものなのです。

このことを理解しいないと、デデキントが、イプシロンεを180度回転させたような現代から見れば不思議な記号を使い、集合論の基礎である「∈」に対応する記号を使わなかった理由が理解できません。実はアリストテレス論理学では、「ゲーデルは数学者である」「数学者は人類である」という風な命題を繋辞 copula というものを使って同じ形式で表現します。繋辞は基本的には be 動詞と同じ役割をなすものなので be と書くとすると「ゲーデル be 数学者」「数学者 be 人類」となり、簡単に言えば「ゲーデル⊆数学者」「数学者⊆人類」と考えます(正確に言えば、これらの命題を「全称肯定命題」というものだと考えたときにこうなります)。

ゲーデルという人が集合として扱われていて変ですが、個を表す項は、たまたまそれが一つしか要素を持たないクラスであると考えるわけです。つまり「全てのゲーデルは数学者である」と考えるのです。これは流石に気持ちが悪くたとえば経済学者ケインズの父で論理学者だったジョン・ネヴィル・ケインズもその教科書で「すべてのソクラテスは人であるとなって変なのだが」という風に書いています。ただし、こうしますと、有名な三段論法「ソクラテスは人である。人は死ぬものである。よってソクラテスは死ぬものである」が、集合の部分関係の推移律「A⊆B, B⊆C ならば A⊆C」になり「A∈B, B⊆C ならば A∈C」と考えるより自然になります。

デデキントは、この「論理学」の方法を採用したために、彼の1888年の著書では、現代の集合論で使われる「∈」にあたる記号は使用せず、そのかわりに「⊆」にあたる記号のみが使われたのです。アリストテレス論理学を知らない現代の読者は、これに戸惑い「集合の考え方が当時はまだ斬新で、デデキントでさえ対象とそれのみが成す集合を区別できなかった」と考え勝ちですが、これは実は意図的なのです。それは、エルンスト・シュレーダーの数理論理学を「数とは何かそして何であるべきか」の第二版の前書きで引用し、第一版の際には、それに気が付かなかった、シュレーダーの記号法は良いものだが第二版は第一版と何も変えないことにしたと書いていることからも明らかです。シュレーダーはペアノたちが「∈」を使う論理学を開拓しているのは知っていましたが、意図的に伝統的な繋辞の方法を使って数理論理学を展開していたのです。それはシュレーダーが論理学と代数学を統一しようとしていためでしょう。シュレーダー流の論理学はリレーショナル・データベースの基礎でもある集合の代数と同じ考え方をするために「∈」が入ると代数になりにくいからです。

そして、ヒルベルトたちが数学の基礎を新論理学である数理論理学・記号論理学を使って開拓していたころに、哲学はハイデッガーの論理学解体を経験することになったのです。ハイデッガーの弟子でもある京都学派第三の哲学者西谷啓治は「空と即」という論文で、近代にいたり数理論理学をふくむ数多くの異なる論理学が開拓されたと指摘しています。おそらく西谷は、J.S.ミルやJ.デューイの論理学、新カント派の論理学、彼の二人の師西田幾多郎の「場所の論理」や田辺元の「種の論理」などをイメージしていたと思われますが、現在は哲学の世界でさえ数理論理学を除くすべての論理学が廃れてしまいました。しかし、これらの論理学が躍動していた19世紀から20世紀前半までの時代を理解しようとするならば、アリストテレス論理学を理解する必要があるのです。この「論理学の歴史」のページは、歴史理解のための、その様な予備知識を準備するためのものです。まずは、そういう目的が行っていた私の講義「論理学の歴史」の講義資料を公開し、段々とそれをブラウズしやすい形に編集する予定です。

また、講義の際には、言及できなかったこと、例えば、デデキントの1888年の「論理学」とは、それまでの論理学では本質的なものとされていた「内包」の概念を取り去り、あっさりとそれまでは副次的だった「外延」だけで考え、さらにそれに写像を追加したものだということなども解説します。このデーデキントのスタイルはネーターやファン・デア・ヴェルデンなどを経て20世紀数学のスタンダードとなったブルバキの数学スタイルの源流となっているわけですが、それだけではなく、アリストテレス論理学における「ソクラテス」のような「単称名辞(特称名辞)」singular term の考え方は、最近集合論の代わりに数学の記述言語として使われることが増えているカテゴリー論(圏論)の global element と同じ考え方であり、ある意味でカテゴリー論とは集合論を基礎とする抽象数学がアリストテレス論理学に先祖返りをしたようなものであることなども指摘する予定です。そう考えて、改めてデデキントの1888年の「論理学」をみると、それが現代抽象代数学の考え方に非常に近く、集合の要素を使わないカテゴリー論が台頭してきたのも歴史的必然と見えてきます。

これらの歴史的経緯を見えなくしてしまったのは、量化子 quantifier と、要素と集合の関係「∈」の導入の重要性・革新性を、実態より大袈裟に強調したラッセルと分析哲学系の哲学者や論理学者のプロパガンダにあると思います。それらの人たちはアリストテレス論理学では扱えない論理が第一階述語論理学で扱えるようになったかのように語るのですが、実はこれは間違いで、量化子を導入した最初の人のひとりであるパースなども行っているようにタプルを適当に使うとアリストテレス論理学の言語だけで第一階述語論理学と同じものが表現を行うことができます。そして、それは現代のデータベースの基本であるリレーショナル・データベースの論理的基礎であり通常は第一階述語論理学に基づくと考えれているエドガー・F・コッドの理論にむしろ馴染みやすいものなのです。この様なことも文章にして公開する予定です。

しかし、とりあえずは、2016年度の「論理学の歴史」の講義資料を公開します。

京大文学部2016年度講義「論理学の歴史」講義資料