「不完全性定理」K. ゲーデル著、林晋・八杉満利子訳と解説、岩波書店、岩波文庫正誤表
内容に誤りあるいは不適当で修正を行った場合、ここに掲示します。日本語の改善・修正等、文章の内容に関係が薄い修正は掲示しないこともあります。また、不完全性定理についての入門的解説を公開しました。こちらです。岩波文庫「不完全性定理」の解説と違い、不完全性定理の証明の概要なども説明してあり、また、文庫本の歴史解説を書いた後の歴史研究も反映させてありますのでご覧ください。
- 第2刷で行った修正: p.191上から14行目, p.276下から2行目 の「ベリー」は「リシャール」の間違い。(p.191上から1行目の「ベリー」は正しい。)リシャールに修正し、それに関連してpp.190-191の文章を修正。
- 第3刷で行った修正:p.233の脚注106。「後の講義録を読んだだけの可能性も高いようだ」を「後に講演の内容を知っただけの可能性もあるようだ」に修正。(出典は J. Dawson, Logical Dilemmas)
- 第4刷で行った修正:
- p.98
上から7行目:「Modultheorie」を「Modulsystem の理論」に訂正。Kronecker 自身はModulsystem という名で、Modul の理論の代数を呼び、Modultheorie という呼び名は使っていない。また、Modultheorie では現代のモジュール理論と混同してしまうことからも不適当。
- p.144下から6行目から5行目の「繰り返し使われていた」は「本質的に使われていた」に訂正。
- p.228上から4行目から5行目「児童の心理発達の数学理論で有名になるピアジェ」は「数学における発見法の著作で有名になるP\'olya」に訂正。
- p.89第2パラグラフ。コーシーが「連続ならば微分可能」という「定理」の証明を何度も試みては失敗したという記述は根拠がない。おそらく間違っている。19世紀解析学史研究者の中根美知代さんの御指摘です。
- p.120以後に「イグノラミブス」および "ignoramibus" というラテン語のカナ表記とラテン語が多数あるが、「イグノラビムス」 と "ignorabimus" の間違い。
- 福岡大学人文学部の上枝美典さん(中世哲学)に御指摘いただきました。脱稿直前に、ラテン語のスペルを間違えていた個所に引きづられ、正しい表記を間違えた表記に emacs のコマンドを使って一括で書き換えてしまった記憶があります。今まで見つかった内の最大のポカミスです。現在までにこの誤りが見つかっているページ: pp.120, 121, 139, 152, 156, 214, 246
- p.152の「ノスセムス」を「ノスケムス」に変更。ラテン語は発音の方式が何通りかあるが、現在のものは「イギリス系」。これを上枝美典さんに教えていただき、古典ラテン語の発音に統一することにした。上枝さんの御意見では、「ノスケームス」の方が良く、同様に、「イグノラービムス」の方がよい。しかし、「習慣」に従い「イグノラビムス」とし、それに合わせて「ノスケムス」とした。
- p.229の下から2行目からp.230の上から4行目「PRA に…この証明は正しかった.」を次のように変更「PRA の第2階算術版から帰納法を除いたものなどの、様々な形式系を考え、
それらの無矛盾性証明を実行し易い「小さい」システムから順番に実行すると
いう方針をとった. それらは数学的に言えば PRA とその様々な拡張の無矛盾性証明になっていた.
」; p.230上から5行目「という」を「などの」に変更。;p.230
上から12行目「ようやくその本質的問題点を理解したのである.」を「それが意図した有限の立場を超えていることを理解したのだろう.」に変更。
- 中部大学の渕野昌さんからp.230にある Ackermann の論文についての記述で私が PRA と書いているところが、実際の Ackermann の論文では第2階の算術になっていると指摘されました。この部分は文献[17]の Zach さんの論文を元に書いたところですが、確認しましたら Zach さんの論文を読み違えていました。上の3箇所の修正の内、第1,2の修正で Zach さんの論文の内容に合うようになります。第3の修正は文章の意味を明瞭にするための改善です。
- 第5刷で行った修正:
- p.228上から4行目の人名 Polya の表記が間違って数式のようになっています。Polya はハンガリー人で、正しい表記は、こちらのようになります。林、岩波文庫編集部、印刷会社の3者の意思疎通が、どこかで乱れてしまった。
- p.94上から9行目:1894年は1874年に訂正。
- p.243上から4行目から:「彼は, アッカーマンが第1階算術の無矛盾性を証明したというヒルベルトの主張を信じた. そして, それならば, 第2階算術の解釈を, 第1階算術を使って作れば十分」を、「彼は, アッカーマンやヒルベルトが主張したように第1階算術の無矛盾性を証明できるというのならば, 第2階算術の解釈を第1階算術を使って作れば十分」に変更。 これは Hao Wang のレポートによるが, それではゲーデルが第1階の無矛盾性証明ができたと信じていたという確実な証拠にはならない。
- p.246上から6行目:「フォン・ノイマンの示唆であるという説もある. つまり, ケーニヒスベルグの発言の時点でゲーデルが得ていたのは第2節の結果までだという説である.」を
「フォン・ノイマンの示唆であるという. つまり, ケーニヒスベルグの発言の時点でゲーデルが得ていたのは論文第2節までの結果だと思われる.」に変更。同10行目:「詳細は」を「詳細までは」に変更。
- p.141上から13行目:「四則演算だけで」を
「和と積の二演算だけで」に訂正。
- p.163 下から下から9行目「ヒルベルトの方法の信奉者に変わっていた.」を「ヒルベルトの方法を認めるようになっていた.」
- 第6刷で行った修正
- 最初にコメントです。今回は初めて訳文の方に修正がかなりでました。すべて野村光義さんの指摘です。丁寧にチェックしてもらったことを感謝します。表現の変更などはここでは掲示しない原則ですが、数式のコンマの区切り位置などの修正が内容の修正か文言の修正かは判断が分かれます。数学の場合は表現上の変更でも掲示した方が学生さんなどには良いだろうと思いますので、今回は原則を緩めてできるだけ沢山掲示しました。以下、殆どは野村さんからのメールから直接取っています。
- p.29の IVに2箇所、フォントの間違いがある。R(x,y) の2箇所のFraktur(独逸文字)の xはイタリック(変数)の小文字のxに訂正。
- p.30の脚注32:「定義から」→「αの定義から」
- p. 12, 一番下の行:
「ボールド体」→「スモール・キャピタル」
- p. 37の定義33:
「n番目の【型持ち上げ】」→「【n番目の型持ち上げ】」
- p. 44, 原注43,最後の行:
「置き換えて」→「【置き換えて】」
- p. 46, 10行目:
【n-項関係記号】→ n-項【関係記号】
- p. 47, 下から8行目:
【κ-証明可能】→κ-【証明可能】
- p. 55, 下から5行目:
「PM, I, 14」→「PM, I, *14」
- p. 56の1, 2, 3 の各1行目の限量記号内:
「(x2…xm)」→「(x2, …, xm)」と「(x1…xm)」→「(x1, …, xm)」
- p. 59, 下から4-5行目:
「第1節,p. 44」→「p. 44の1」
- p. 67など 訳注に数箇所:「Heijernoort」→「Heijenoort」
- p. 276 冒頭:「この章では…数学的・論理学的仕組みを説明し,また……論文の仕組
みを詳しく説明する」→「この章では…説明し,また次の第8章では……説明する」
- 第7刷修正無し(2010年8月発行)
- 第8刷修正(2011年4月発行)
- 第9刷修正無し(記録がない。記録漏れか?)
- 第10刷修正(2013年2月発行)
- 第11刷修正(2014年5月発行予定)
- p254、5行目:「無矛盾性証明の目的」を「無矛盾性証明の意義」に変更。
- その他に、7章の読みにくい文章を一か所改善。
- 2019年2月16日記:暫く、更新を怠っていました。14刷が送られてきたのを機会に、更新を再開します。
- 第12刷修正
- 2015年11月に岩波に修正を書き送っているので、おそらく2016年初めころに発行されたと思われる。
- 出版後の研究の進展を受けて、12刷でかなり大幅な変更しました。その内容の概要は、以下のとおりです:
- pp.15-16 の訳文を、ドイツ語 so weit (大体、英語の so far にあたる)の訳を、使われている文での意味「包括性」を直接的に使った訳に変更。
- p.103: クロネッカーのモズル理論の現代的位置づけの説明として、「代数幾何学におけるスキーム理論」としていたのを、「整数論と代数幾何学の融合のために生まれた後のスキーム理論」に変更。クロネッカーのモズル理論、あるいは、一般算術の理論の意図が、整数論と代数幾何学の統合だったというアンドレ・ヴェイユの主張を際立たせるための変更。これは名大名誉教授・椙山女学園大学教授の波川先生に教えていただいたことの反映。
- p.121: 脚注で、正しくは「ベルリン学士院」を「ドイツ学士院」と書いていたのを訂正。
- p.137: 可解性ノートの記述時期を「1887年から1894年6月、おそらくは、1888−89年初めごろ」としていたのを精度を上げて、「1888年3月から1894年6月、おそらくは、1889年初めごろ」に変更。p.150でも、同様の変更。出版後の研究の成果の反映。
- p.159: 可解性ノートの記述時期と、一般ゴルダン問題の解決の時期の関係は不明であるとしていたのを、前者が後者の直後だった、に変更。出版後の研究の成果の反映。
- p.214: ヒルベルトの講義録の「古い問題」を、可解性ノートの問題としていたのを、それらの背景にある哲学の問題に変更。哲学史の故小林道夫教授の指摘に基づいて再考した結果の変更。
- p.254: ゲーデルのヒルベルトからの引用の箇所を、より正確なものに変更。同じような引用が二カ所にあることを考慮して正確を期すための変更。
- あとがきの変更 1/2: Zielsel のための1938年の講義(講演?)の記録を元に、この時点では、彼が、ヒルベルトのオリジナルな意味での無矛盾性証明は、第二不完全性定理によって不可能であることが判明したという立場であったこと、また、それにも関わらず、無矛盾性証明を二つに分類することにより、この1938年の講義で始めて公開されたゲーデルの無矛盾性証明やゲンツェンの無矛盾性証明に一定の意義を見出していたことを、6.2節「二種類の無矛盾性証明」で示した。その節の内容と、ほぼ同じ内容の論文が、Martin
Davis 氏により、我々の解説より以前に、論文として出版されていたことが分かったので、文献リストに、Davisの論文を追加し、それと6.2節との関係について言及した。
- あとがきの変更 2/2: あとがきに最後に、ヘルムホルツが、彼の物理学・生理学を使って、カント哲学の妥当性を解明しようとしたことを指摘し、ヒルベルトの哲学への関与も、同じようなものだと考えれば、この時代としては、それほどの違和感があるものではなかったろうという意味の説明を追加した。最近の新カント派の研究、19世紀ドイツ思想史の研究の進展を受けての追加。
- 第13、14刷: 第13刷では小さな変更があったように思うが思い出せない。第14刷は、変更なし。