ヒルベルトの数学ノートブック -初期の数学基礎論的考察-
ver.2021.06.23

更新情報
2021.06.23: コメント用括弧の扱いなど説明が欠けていたものを追加。文献学的注意のページへのリンクを追加。カント哲学ノートの翻刻など変更。

0. 本ページの成り立ちと内容の説明

このページは林晋が2000年頃に開始したDavid Hilbertの遺稿の研究の内、特にヒルベルトの数学ノートブック[注1]についての研究を公開するためにある。この研究は林と中戸川孝治氏(当時、北大)の共同研究として始まり、2000年に林、中戸川の短い共著論文を林が作成したが未完成かつ未発表だった。この後、林が2000年当時在籍していた神戸大学工学部から2005年になって京都大学文学研究科に転職し歴史学者としての研究生活を開始したことにより研究が本格化した。また、八杉滿利子と、当時、林の学生だった橋本雄太が研究に参加した。そして、この4名の連名の"Hilbert’s early philosophical thoughts and their influences to his studies of the foundations of mathematics"という論文を林が執筆したが、林の研究の中心が他に移ったために、これも未完かつ未刊のままだった。

しかし、林の最大の研究テーマであった、このサイト「ゲーデルと数学の近代」で紹介をしている「近現代数理思想史=数学はいかに近代化されたか」の理論が一応の完成を見て、その重要なエレメントとして、このヒルベルト研究、特に数学ノートブック研究の成果が必要となったため、上記の英文論文は八杉滿利子がAcademia.eduに投稿し、また、その内容を林が和訳して、このサイトで公開することとなった。ただし、和訳に際しては、ヒルベルトの手書きテキストの翻刻などは、元の英文論文のものをそのまま使うものの、その分析・解説や導入的議論や全般的分析の議論などは、本サイトの目的に即すように書き直している。

本ページは、この「本ページの成り立ちと内容の説明」、第1節「はじめに」、第2節「幾何学基礎論以前のヒルベルトの数学」、第3節「数学の基礎についての初期のノート」、第4節「数学の基礎についてのヒルベルトの初期考察」、第5節「おわりに」からなり、三つのページ、「A. 文献学的注意」、「B. 1888年のゴルダンからヒルベルトへの手紙」、「C. 有限基底定理のオリジナルの形」を附属的ページとして持つ。

本ページに翻刻、和訳し、また、一部は画像を掲載した史料は、ドイツ、ゲッチンゲン・ニーダーザクセン州立/大学図書館、Niedersaechsische Staats- und Universitätsbibliothek Göttingenが所有するダーヴィット・ヒルベルト遺稿集 Nachlaß David Hilbertに所蔵されている史料Cod.Ms.Hilbert 600:1-3などの一部である。これらの翻刻、翻訳、画像の公開を許可頂いた同図書館に深く感謝する。

1. はじめに

ドイツ、ゲッチンゲン大学図書館が所蔵するダーヴット・ヒルベルトの遺稿集には、3冊の数学ノートブックがある。これは「数学日記」と呼ばれることもある史料だが、その実態は、日付がない多くは短いノート(notes)の集積なので、我々はノートブックと呼んでいる。

この三冊のノートブックには、数学の基礎についてのヒルベルトの考えを記載したものが相当数あり、それらは彼の論文、講演、書籍などでははっきりとは語られなかった「数学基礎論研究の動機」についての情報を豊富に含んでいる。このページでは、それらの内、ヒルベルトが不変式論研究のころから、代数的整数論や幾何学の研究を行っていた1890年代初頭ころまでのノートについて翻刻、翻訳、分析、解説を行う。

ただし、このページで示すノートのすべてが直接的に基礎について語っているのではない。例えば、3.9で紹介するノートは、ベルリンの数学者たちへの強い憤りを綴ったもので、これは数学の基礎とは直接的には全く関係がない。しかし、このノートは、ヒルベルトが彼の有限基底定理を如何に誇らしく思っていたかを示唆しており、この様な強い感情がヒルベルトのその後の数学の基礎についての思索を左右した可能性が大きいことから、これを収録している。

また、このページで紹介するノートは、ヒルベルトの数学の基礎についての当該時期の重要なノートの全てではない。たとえば、これらの他には、後の計算量理論を彷彿とさせる理論の着想を記したものなどがある。今後の研究の進展、また、Hilbert Edition などによる日記の刊行が期待されるところである。

このページで紹介するノートの内、最も興味深いものは、我々が「可解性ノート」と名付けたものであろう。その詳細は3.8で示すが、その大雑把な内容は、数学のすべての命題が、ある特殊な形に変換可能で、また、その形の命題ならば、必ず真か偽か有限的に判定できるはずだということを予想し、それを証明することを目標として掲げたものである。もちろん、これは帰納関数論により容易に否定されるが、これは後のヒルベルト計画における数論の形式的理論の完全性証明の計画や、チューリングにより否定された述語論理の決定可能性の予想の萌芽であると考えられる。

そう考えれられる理由や、このノートについての詳しい議論は4.3で行うが、ここで簡単にその結論の一部を述べておきたい。我々の行った文献学的分析によれば、このノートは若きヒルベルトが時代を代表する数学者の地位への階段の最初のステップを踏み出した時、すなわち、有限基底定理によるゴルダン問題の非構成的解決から、同じ問題の零点定理による構成的解決の間に書かれたものと推測される。そして、ヒルベルトが示した「数学のすべての命題がそれに変換可能な命題のある特殊な形」は、ヒルベルトの有限基底定理を直接一般化した様な形であった。??で示すように、ヒルベルトは若き日の代数研究をモデルに数学の基礎を考えていたと考えられる史料的証拠が多く存在する。そして、これはその内の最も古いものの一つであり、1905年の夏学期の数学の論理学的基礎についての講義で語ったように、数学の問題の可解性こそがヒルベルトの基礎論研究の出発点であったと考えられるのである。ヒルベルト計画の動機としては、数学の無矛盾性証明の必要性や幾何学基礎論に求められることが多いが、それは間違いなのである。

ヒルベルトが、1900年のパリ講演「数学の問題」や、1930年のケーニヒスベルク講演「自然認識と論理」で、19世紀ドイツの自然科学を代表する科学者の一人であった生理学者エミル・デュ・ボア=レイモンイグノラビムス不可知論を強く否定し、数学の問題がすべて解けるという数学の可解性を、例えば1900年の講演では公理と呼んでいることは良く知られているところであろう。この数学の可解性の宣言は、数学者を奮い立たせるためのモットーと理解されることが少なくないが、我々が発見した史料的証拠からすると、これはヒルベルトが若き日から神剣に考えていた数学の研究目標だったのである。

しかしながら、数学の可解性をモットーでなく、本当に証明可能な数学の命題として理解した場合、それがすべての数学の問題の真偽を有限回の操作で決定できることを主張するだけに、数学がトリビアルになるのではないかという疑問が生じる。1900年のパリ講演で、ヒルベルトは数学の問題が解決されると次の問題が立ち現われ、数学の問題は尽きることがない、数学は永遠に進化を続けると主張しているが、これは数学者が永遠に計算を続けるという様な意味ではないはずである。その様な数学は、多くの数学者、もちろん、ヒルベルトに取って悪夢以外の何物でもない。

では、なぜヒルベルトは、数学のトリビアル化という最大の悪夢を避けつつ可解性を信じることができたのか、という問題が生じる。これについては4.4で詳しく論じるが、簡単に言えば「ヒルベルトが主張した有限回の操作による可解性」は、純粋に理論的な可能性であり、実際の数学の問題に現実的な時間と労力で適用できるような操作だとは考えられていなかったのである。つまり、現代的な言葉で言えば、ヒルベルトの数学の問題の真偽決定アルゴリズムは、その計算量が莫大で、実際には使えないものだと想定されていたのである。このことを、我々は、ヒルベルトのケーニヒスベルク時代の不変式論の講義草稿、ヒルベルト・アッカマンの著書「数理論理学の原理」の述語論理の決定問題についての議論、そして、1917年のヒルベルトの講演「公理的思考」における、ある代数幾何学の問題についての議論に見ることになる。

可解性ノートと、それに関連するノート以外で、最も重要な発見はヒルベルトの公理論の成立過程を示す諸ノートであろう。ヒルベルトの公理論と言えば幾何学基礎論をその端緒とするという理解が一般的であったが、2013年にイスラエルの歴史家レオ・コリーヒルベルトの物理学の公理化の研究についてのモノグラフを出版して、この解釈に一石を投じた。コリーはヒルベルトの公理論に対する、物理学者ハインリヒ・ヘルツの失敗に終わった古典力学の再編の試みの影響を指摘したのである。これはヒルベルト公理論の成立に物理学が関わっていることを強く示唆するものであった。

このコリーの主張を強く支持するノートが存在する。我々が発見したノートによれば、ヒルベルトは物理学の理論を公理化し、可能な公理化の内で最善のものが当時の古典物理学の諸理論であることを証明することを構想した。そして、この物理学の公理化の前に、試験的な意味で幾何学の公理化が行われたことを示すノート(3.14)が存在するのである。

これはライプニッツのオプティミズムを、思想としてでなく数学の定理・理論にしようということであり、また、数学の完全性に関連して既に言及したデュ・ボア=レイモンのイグノラビムス不可知論の一部であった「物理学は、この物理世界の法則が、何故現在のモノであるかを解明できない。なぜなら、解明に使われる物理学が、解明される物理学そのものであるから、そのオリジンを客観的に解明できないからである」という主張への数学からのアンチテーゼといえる。

この他、物理学の公理化のノートの前に、幾何学基礎論の開拓時の逸話として有名な「机、椅子、ビアマグの幾何学」に対応する、「デスクとテーブルの代数系」を議論するノート(3.12)などがあり、それらにより我々は4.5でヒルベルト公理論のアイデアの発展の時系列を考えることとなる。

この導入部の最後に、このページで紹介している我々の研究で使われたインデックス・システムとコメント用の記号などについて簡単に説明する。このページは、元々は歴史学の専門的な英文論文として書いたものを、和訳しつつ、弱冠一般向けに書き直したものである。WEB上で広く公開しているので、数学史・思想史の研究者以外の方たちが読むことが少なくないと思われる。その様な読者にとっては、厳密な文献学的手法による我々の研究の細部は興味の対象外であろうから、ここではその様な読者を想定して、ノートのインデックス付けの方法のみを簡単に説明し、一方で文献学的手法などの説明は、こちらの別ページにまとめたので、研究者の方たちはそれを参照願いたい。

ヒルベルトの数学ノートブックは、すでに説明した様に小さなものでは数行の大きなものでは見開き一つ分の日付やタイトルの無いノートの集積である。そして、各ノートは図1の三つのノートの様に横線で区切られている。このそれぞれには、我々の研究でつけたインデックスがついており、たとえば図1の一番下の"In allen"で始まるノートのインデックスは「ブック1、ページ28、リージョン6」である。三冊あるノートブックを、我々は古いものから順番にブック1、ブック2、ブック3と呼ぶ。そして、このノートのインデックスは、それが「ブック1の28ページの上から6番目のノート」であることを示している。従って、一つ上の"Begriff"で始まるノートのインデックスは「ブック1、ページ28、リージョン5」である。

以上のリージョンとノートは二つの例外を除き、記述の順番とノートブックの位置は連動していることを前提にしており、それを使っておおよその記述時期の推定を行っている。その手法は以下の具体例を見れば明らかだろうが、詳しくはこちらのページのA3を参照して欲しい。

ヒルベルトのノートは、個人の覚書であるから綴り間違いや文法的エラー、さらには不明瞭な綴りなどが多い。それらを内容などから推測して翻刻した場合は、その不確かさを示すために、Coeffi⟨⟨ ciente ⟩⟩の二重の山括弧で囲まれた⟨⟨ ciente ⟩⟩の様に示した。また、一般的なコメントを示すためには一重の山括弧を使うが、definiren ⟨definieren⟩のように単に単語がコメントとして示されているのは、この例のように現代標準ドイツ語の綴りを示す場合である。また、⟨,⟩のように文字が抜けていると推測される場合の補足にもこの括弧を使うが、 この様な場合には、翻刻の説明文において、コメントの意図を説明してある。

これで「はじめに」を終り、次の2節では、我々の研究の背景となるヒルベルトの数学研究の歴史の概観を行う。

2. 幾何学基礎論以前のヒルベルトの数学

準備中

2.1. 不変式論 1885-1892

準備中

2.2. 代数的整数論 1892-1897 と幾何学 1891-1899

準備中

3. 数学の基礎についての初期のノート

準備中

3.1. 第1ノートブック

準備中

3.2 ヒルベルトの第10問題

準備中

3.3 無理数の存在について

準備中

3.4 ゴルダン問題の解決?

準備中

3.5 定義の無謬性

準備中

3.6 カント哲学と数学についての三つのノート

下に、その画像、翻刻、和訳を示すように、ブック1、ページ28、リージョン4-6の三つのノートで、ヒルベルトはカント哲学についての思索を書いている。 我々は、これらを「カント哲学ノート」と呼ぶ。

カント哲学ノート
図1. カント哲学と数学についての考察

3.6.1. カント哲学ノート1: ブック1、ページ28、リージョン4

翻刻: Ueber ein fundamentales Axiom des menschlichen Verstandes. Vielleicht dass jedes Problem lösbar ist?

和訳: 人間悟性の基本公理について。おそらく、すべての問題が可解?

3.6.2. カント哲学ノート2: ブック1、ページ28、リージョン5

翻刻: Begriff der ganzen Zahl beruht nothwendig auf Zeit und Raum. Begriff der Stetigkeit einfacher als⟨⟨o⟩⟩ als der Begriff der ganzen Zahl. Kant hat Recht.

和訳: 整数の概念把握は必然的に時間と空間に基礎づけられている。連続性の概念把握はかくて整数の概念把握よりもより基本的。カントは正しい。

3.6.3. カント哲学ノート3: ブック1、ページ28、リージョン6

翻刻: In allen anderen Wissenschaften⟨,⟩ Material, von dem man nicht weiss, wo es herkommt, von dem man nur weiss, dass es da ist. Hier reines Denken, reine Philosophie. Kant hat das als der erste gefühlt, aber nicht bewiesen, er hat angefangen, aber nicht zu Ende geführt.

和訳: 他のすべての学問においては、その研究対象がどこから由来するのか知らない。そこにあることを知るのみである。ここに純粋思惟、純粋哲学。カントはそれを最初に観取した人だが、それを証明はしなかった。彼は始めたが最後まで進まなかった。

3.6.4. 三つのカント哲学ノートについての分析

カント哲学ノート1の2番目の文は、後に「すべての問題の可解性」として、ヒルベルトの生涯の目標となる問題を人間悟性の公理として主張できるのではないかというものである。ただし、この文は小さな文字で少し斜めに書かれており、後で追加された書き込みである可能性が高い。

ノート2の einfacher の後は、als als に見える。書き間違いの可能性もあるが、最初のalsの最後の部分であるsのペン運びの終わり方が他のsに比較して長いことから推測するに、これはsの後にoを綴るためにペンを動かしたがoを書き損じてしまったとみることもできる。alsoがある方が、最初の文と上手く繋がるので、おそらくは間違えて2度alsを書いたと考えるより、alsoのoが抜けたと考える方がより妥当すると思われるので、その様に翻刻した。いずれにせよ、意味は、どちらの場合も殆ど違わない。

また、最初の文のberuht(基礎づけられている)を受けて、einfachは「基本的」と訳した。意図としては整数(自然数)の概念は、時間や空間の連続性の把握の中で観取されるものだから、時間や空間の連続性は自然数概念把握の前提になっている、「よりアプリオリだ」という感じだろう。

これら三つのノートの記述時期は後の書き込みと推定される部分を除けば、1888年から1889年と推定される。より詳細な推定は「1888年3月から9月の間と推定できるゴルダン問題の解決の後で1890年2月15日以前」である。1890年2月15日は、ゴルダン問題の解決を含む革命的な不変式論を報告するヒルベルトの1890年の論文 "Ueber die Theorie der algebraische Formen", Mathematische Annalen 36, 473-531 の投稿日である。

この推定の根拠を述べる。未だ執筆していない3.4で詳しく説明するが、まだ和訳が出来ていないブック1、ページ14、リージョン3のノート、はゴルダン問題の一般化としてヒルベルトが1900年の有名なヒルベルトの23の問題第14問題として提出した予想が研究目標として書かれている。3.4で説明するように、これを書いた時期には、すでにヒルベルトはゴルダン問題を解決していたと推定される。そして、クラインへの手紙などから、ヒルベルトがこの問題を解決したのは、1888年の3月から9月と推定されるので、このノートより後に位置するカント哲学ノート1-3も、それ以後に記述されたと推定されるのである。

そして、ブック1、ページ33、リージョン3とブック1、ページ33、リージョン4からなるノートには、第14問題に関連する二つの部分群の例が書かれている。このノートには、その二つの部分群を記述する数式と、その二つの部分群に対してのゴルダン問題(第14問題)を証明するために必要な偏微分式が書かれているのであるが、それらの数式が変数名が異なるだけで全く同じ形で1890年の "Ueber die Theorie der algebraische Formen" に記載されている。これは、これらの式が、この1890年の論文の執筆中か、執筆を開始する以前に書かれたであろうと推測される。したがって、ブック1、ページ33、リージョン3とブック1、ページ33、リージョン4からなるノートは、1890年2月15日以前に書かれたと推定できる。そして、従って、そのノートより前に位置する三つのカント哲学ノートも、この日より以前、実際には、それよりかなり前に書かれたと推定できるのである。

さらに大胆に推測すれば、次の様にも考えられる。具体的な数式こそ記述されていないものの、ヒルベルトが1890年の論文の理論の概要を速報した三つのゲッチンゲン学士院紀要の第三報告で、同じ部分群が言及されているのである。そして、この報告は1889年6月30日に投稿されている。従って、この投稿の時点で、ブック1、ページ33、リージョン3とブック1、ページ33、リージョン4からなるノートは既に書かれていたとも考えられる。ただし、これには第三報告中の該当部分に具体的な数式がないことと、さらにはそれらだ校正時に追加されたという可能性もあるので、上の推定よりは根拠が弱い。ちなみに、1890年の不変式論文の該当する数式も投稿後に追加された可能性があるわけだが、これについては論文をハンドルしたエディターのクラインとヒルベルトの間の書簡に、その様な追加についての言及が無いため、その様な可能性はほぼない( Der Briefwechsel David Hilbert–Felix Klein (1886–1918). Hrsg. mit Anm. von Günther Frei. Vandenhoeck & Ruprecht, Göttingen 1985)。

いずれにせよ、これらのノートが、ヒルベルトがその大数学者への道を歩み出した彼の不変式論の研究の時代にカント哲学ノート1-3が書かれたことは確実と言って良い。

3.7 形式主義の芽生え

準備中

3.8 可解性:数学のすべての問題は解決可能である

準備中

3.9 ベルリンの数学者たちへの敵意

準備中

3.10 ノスセムス: 我々は知るであろう

準備中

3.11 ゴルダンと排中律?

準備中

3.12 デスクとテーブル:モノの理論としての数学

準備中

3.13 別の標準形:公理論の芽生え?

準備中

3.14 物理学の公理化

準備中

カント哲学ノート
図3. 物理学の公理化

3.15 存在とは無矛盾性である

準備中

4. 数学の基礎についてのヒルベルトの初期考察

準備中

4.1. クロネッカからの影響

準備中

4.2. カント哲学から可解性へ

準備中

4.3. ヒルベルトの基礎論研究のオリジンとしての可解性

準備中

4.4. なぜ可解性は許容可能だったか

準備中

4.5. 公理論についての初期の諸ノート

準備中

4.6. ヒルベルトの数学の基礎についての思索と代数学の関係

準備中

5. おわりに

準備中




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注1.日本語で「ノート」というと「帳面」、つまり、英語の notebook を意味するのが通常であるが、「ノート」の語源の英語 note は、日本語でいう「メモ」のことである。しかし、このページでは、notebook の一項目、つまり、ノートについてたびたび言及する必要があるが、時として notebook の見開き全部が一つの項目に費やされていることもあり、これを「メモ」と呼ぶのはその長さにおいても適切ではない。そのため、このページでは、英語に忠実に「ノート」「ノートブック」という言葉を使う。