ヒルベルト数学ノート論文公表へ

hilbert paper ゲーデルと数学の近代

もう10数年前頃に行った研究をまとめてそのままになっていたヒルベルトの数学ノートについての論文を、Academina.edu に未完成のままで出すことにした。これには原史料の画像なども入るので、ゲッチンゲン大学図書館に許可をもらった。和訳の許可も出たので、このサイトで公開する予定。

この論文、研究手法の半分位が古典学的で手間がかかり、また、その説明を書くのも大変で時間がかかっている内に、SMART-GSの宣伝のために数年だけと思って始めた京都学派研究が、それを通してのドイツ思想史理解につながって、結局、もともと理解したかったことがヒルベルトを超えて分かり始め、そちらの方が面白いものだから、いつか興味をなくしていた。

Hilbert edition でも数学ノートの古い部分をやることにしたと Sieg さんに聞いたこともあり、誰かが同じようなことをやるだろう。まあ、いいかと放っておいたものだが、不完全性定理入門 数学編:数式をなるべく使わない説明 初級編を書いていて、この研究を示さないと自分の史観を説明できないことに気が付いて公開することにした。

西田・田辺記念講演の準備をしていて気が付いたのだが、京大文学研究科の14年間に行った研究の一番のメインの部分は、同僚や他の研究者からは、結果的に隠していたことになっていた。自分にとっては当たり前のことだったので、他の人も当然分かっていると思ってやっていた様だ。

僕は「学際」という専門が嫌いで、何かやるときはその分野に飛び込み、その分野の観点だけからで評価されるような研究をすることを心掛けてきたのだが、それが悪い方に作用して、もともとの研究の動機を見せない様にしていたため、外からはメインの研究が見えてなかったようだ。

2018年の応用哲学会のシンポジウムで、How was Mathematics modernized?という報告をしているが、今、見てみると、もうひとりの報告者のGrayさんの話を意識して、これも自分の動機の十分な説明になっていない。それで変な次第なのだが、ゲーデルの1961年の哲学論文「哲学に照らして見た数学の近代的基礎」から始まった研究の経緯と成果を最初に本格的に話すのが、西田・田辺記念講演になってしまった。(このゲーデルの論文の和訳と本サイトでの掲載の許可もプリンストン高級研究所からもらっているので、その内、出します。)

神戸大工学部時代に本格的な歴史研究を始めるきっかけとなったのが、田辺がらみで、そのころ主催していたBBSを通して知り合い、ゲーデルの哲学論文の事を最初に話した(e-mailで書いた)のが、西田・田辺記念講演会で、僕と同様に田辺パートの講演を2回しておられる上智の田中先生で、数理思想史でやりたかったことが判ったきっかけも田辺研究で、保存活動をした西田の旧宅に住んでいた家族が建てた家を偶然にも買って、そこに住んでいて、と今回の講演を含めて何やら因縁話めいている。

岳父八杉龍一の博士論文の主査が下村で、大変親しかったのはわかっていたのだが、最近妻が岳父の書いた古いものを読み始めて、谷川や戸坂ともコンタクトがあったことが判った。それと最近教えてもらったのだが、田辺が北軽井沢大学村でカントの様に定時に散歩をする。どうも、その後を子供たちが面白がって付いて歩いていたらしい。で、その中に義理の弟と妹(ふたりとも僕より年長)がいたのだとか。

妻は興味が無かったらしく、僕が研究を始めるまで田辺も知らなかったらしいが、最近、大学村の集会所(組合事務所?)で子供が「カラスが鳴くから、田辺先生の具合が悪いのかな」と言っていたの聞いたことを思い出したと言っていた。おそらく、その「田辺先生」が田辺元で、群馬大病院に入院していたころの話だろう。

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