フランセーンの本:文系の書き方・理系?の書き方

日々の記録

ひとつ前の投稿6月16日の投稿で、トルケル・フランセーンがホーキングの講演を誤解しているらしいと書いたが、どこかで詳しくどう誤解しているか書いておいた方がよいだろうと思い。フランセーンの本のKindle版を購入。

で、該当箇所を読んでみて驚いた。何も間違えていない。ただ、ホーキングがおかしな議論をしているように「見せかける」ような書き方になっている。

フランセーンがホーキングの意図を誤解して読んで、そのためにホーキングが誤解しているとフランセーンが信じ込んでしまい、しかしながら、ホーキングが誤解していることを証明する決定的証拠が見つけられなかったために、嘘を書かないように慎重に曖昧に書いて、それでホーキングがおかしな議論をしたと読める文章を書いてしまったのかもしれない。あるいは、これは誤解よりよほど不名誉なことであろうが、正確に呼んだ上で、自分に都合の良い事実だけを書いて、あたかもホーキングがおかしな主張をしたかのように見せかけたか、この二つのどちらかだろう。

前者であると信じたいところだが、その場合には、書き方が酷いとしかいえない。京大文学部・文学研究科で教えていたときに、時々、そういう風に書く学生や院生がいて、わからないときには、そういう書き方をしてはならないと、厳しく指導したものだが、そういう説教をしたくなるような文章だった。

以下、詳しく説明。

フランセーンの本の該当のセクション4.4で、フリーマン・ダイソンとホーキングが「万物の理論は不可能だ」という自分たちの見方をサポートするために不完全性定理を使ったと書いている。該当部分の文は”The incompleteness theorem has been invoked in support of the view that there is no such theory of everything to be had, for example, by eminent physicists Freeman Dyson and Stephen Hawking.”

ダイソンの文章はフランセーンの引用部分しか読んでないので、全体の主張はわからないが、引用部分で、確かに、物理学は数学で記述されているので、物理学にも不完全性定理が適用されると主張している。実際、そういうダイソン風の議論は可能だ。

ZFの無矛盾性と、それに自然数解がないことを主張する命題が同値なディオファントス方程式p(x1,…,xn)=0が存在するので、n個の自然数をキーで入力するとp(x1,…,xn)の値が0ならば赤いランプがともり、1以上ならば青いランプがともるような機械はできる。この装置で常に赤いランプがともるということは、一応物理現象だから、ある物理現象を決してZFで記述された数学を用いる物理学の理論では証明できないとは言える。

ただし、こういうのは物理学の理論の不完全性とは言えない。コンピュータ・サイエンスにはホーア論理の完全性定理というのがあって、これはホーア論理という形式系で、Turing complete な単純なプログラミング言語の挙動はすべて証明できるという定理だが、このホーア論理の形式系には、プログラムを含まない純粋の数学的命題は真なものは公理としてすべて含める。つまり、ゲーデルの不完全性定理が対象とする狭い意味の形式的体系ではない。物理の理論の完全性を議論するとしたら、このホーア論理の完全性と同じようにやるべきだろうから、ダイソンの議論は変なものなのである。

フランセーンもそういう説明をしていて、それは良いのだが、ホーキングは、こういうダイソン風の主張をしていないのである。ただ、エンターテイメント性を持たせるためにだろうが、ゴールドバッハの問題を木のブロックについての問題に翻訳してみせて、それと同じように上に書いたような不完全性定理を適用できる「物理現象」があることを指摘している。

ただ、その次のパラグラフの冒頭で、”Although this is incompleteness of sort, it is not the kind of unpredictability I mean. Given a specific number of blocks, one can determine with a finite number of trials, whether they can be divided into two primes.”と書いている。つまり、「これは不完全性の一種だが、私が言う予測不可能性ではない。決まった数のブロックに対してならば、有限回試してみれば、ブロックが二つの素数個の山に分けられるかどうか決定できる」と言っている。

この主張を、上のZFに対する方程式p(x1,…,xn)=0に対応する機械の話で説明すれば、物理学的装置は有限だから、本当は、この方程式に対応する機械を作るのは無理で、x1,…,xn が数m以下の場合にpと同じに働く機械M(m)ならば理屈上はできるので、そういう機械を無限個考えて、漸く不完全性定理を適用できる。でも、それぞれのM(m)に対しては、m以下の数で全部やってみれば良いので実験で分かってしまう、となる。

つまり、ホーキングが言っている予測不可能性(不完全性)とは、物理現象の無限の集まりについての話ではなくて、個別の物理現象についての予測不可能性のことで、それのために「決まった数のブロックでは実験でわかる」と言っているのだろうと思われる。

この部分をフランセーンは、”But Hawking also touches on another subject, the relevance of arithmetic to predictions about the outcome of physical experiments.” と、「そういうことに触れた」と書いて、その後は、上に書いた多項式機械の様な話をして、でも、それは物理の不完全性とは関係ないとして話を終えてしまう。つまり、フランセーンは嘘は書いていない。

しかし、”Although this is incompleteness of sort, it is not the kind of unpredictability I mean. Given a specific number of blocks, one can determine with a finite number of trials, whether they can be divided into two primes.”の部分が、完全に隠れてしまっている。

確かに、ホーキングは触れてはいる。しかし、その後で、それは自分の言っている不完全性ではない、と明瞭に言っているわけである。その次の”Given a specific number of blocks, one can determine with a finite number of trials, whether they can be divided into two primes”の意図が明瞭に示されているわけではないので、自分の意図するものではない、の意図がフランセーンには理解できなかったのかもしれないが、そういう時には、「ホーキングは、こういう議論に触れている。しかし、ホーキングは、自分が意図する予測不可能性ではないとも主張している」という風に自分の理解と矛盾したものがあったら、それも書かないといけない。ヒルベルトのカント哲学ノートの “als als” に複数の読み方が可能だという、僕の説明は、これの一種。(ただ、もっと良いのは、理解できないホーキングについては言及しないこと。ダイソンだけで十分だ。)

こういう但し書きというか留保の様な書き方、文系の論文や専門書ではいくらでもあって、まあ、そういうものが全く無い研究とかは、逆に疑惑のまなざしを受けることになりかねない、というのは、文学研究科の教授会で数多くの学位論文の報告を聞いて理解したこと。数学と違い、文系の学問では完全無欠などというものは逆にうさん臭いのである。

まあ物理学などでも、矛盾は当たり前だろうが(実際、ホーキングが言っているように、今の所、物理の理論は不完全で矛盾しているわけだし)、数学で、「私の理論には、こういう矛盾があるが」などと書くことは、現代ではできない。ただし、無限小解析には矛盾はいくらでもあったので、18世紀以前とかの数学ではあったことだろうが。(そういうのの、一番最後の有名な例といえば、ラッセルの The Principles of Mathematics だろう。これにはラッセル・パラドックスを説明する、The Contradiction という第10章がある。)

フランセーンの業績を見ると数理系のコンピュータ・サイエンスの人だったらしいので、そういう風に考えたり書いたりに慣れてなかったのかも…

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