このサイトについて ver.2021.04.19

サイトの作者の八杉晋です。文章を書いたり講演・講義をしたりする時は旧姓を使い林晋と名乗っていますが、戸籍上の名前は八杉晋です(プロフィールは こちら )。このページでは、このサイトの目的や成り立ちの説明をします。

このサイトの目的

このサイトの目的は「ゲーデルの不完全性定理と数学の近代化の関係」についての私の研究を公表・解説することです。ゲーデルの不完全性定理は一般には「人知の限界を示す数学の定理」として知られていますが、数学の専門家のほとんどは不完全性定理をこの様には解釈しません。数学者、特に不完全性定理が、その分野に属する数学の分野である数理論理学の専門家のほとんどは、この定理が「数学の一分野である数理論理学の歴史的に重要な定理」ということ以外の意義を持つとは考えません。つまり、あくまで数学の中だけで意味がある定理と理解するのです。元数理論理学者の私も昔はそう考えていました。

しかし、このサイトで解説する私の現在の解釈では、このふたつの解釈のどちらでもなく、この定理を「古代ギリシャ以来の数学と哲学の深い関係を断ち切り、数学を真に近代化した定理」と考えます。数学そのものと哲学の関係を変えたと考えるのですから、数学の一分野の数理論理学という分野の内部の話ではなく、数学者、特に数理論理学の専門家の解釈とは違うことになります。しかし「人知の限界を示す数学の定理」という解釈とは全く異なります。

このサイトでは、私のこの解釈を説明するわけですが、それには多くの背景知識の説明が必要です。それらは、良く知られたことから、私以外の研究者による専門家以外には知られていない研究成果や、私自身の研究成果でまだ公表していないものが混じっています。また、背景知識の分野も数学史、論理学史、情報史、思想史、社会学までと多岐にわたります。

また、それらを私独自の方法で関連づけて使います。たとえば、 マックス・ヴェーバー社会学の形式合理性と近代化の理論とモリス・バーマン以後の再魔術化論に、京都学派の哲学者西谷啓治のニヒリズム論とオブジェクト指向概念の成立史におけるアリストテレス論理学の影響をスパイスとしてふりかけて、一見近代化への反動にも見える「再魔術化」を「魔術さえも形式合理性に化する超近代化」と理解し、この理解の上で、集合論の誕生にアリストテレス論理学が果たした役割を重視するホセ・フェレイロスの数学史の説をベースにして、不完全性定理の発見者クルト・ゲーデルの「数学はイデアの学であり、集合論も反近代化である」と解釈できる1961年の主張を「現代の数学者集団の社会的基礎である公理的集合論は最初から再魔術化された形而上学であった。その意味においてのみ近代化された現代の数学はイデアの学である」と読み替える、ということを行います。

この文の意味わかりませんよね。で、それがわかるように、ヴェーバー社会学、再魔術化の考え方、フェレイロスの集合論史、アイリストテレス論理学史(オブジェクト指向の技術史含む)、西谷哲学、ゲーデルの歴史観、の解説を行い、それに基づいて、上の文の意味を説明することになります。

ちなみに、この文が理解できれば、サイトの最終的主張である「不完全性定理は、古代ギリシャ以来の数学と哲学の深い関係を断ち切り、数学を真に近代化した定理である」を説明するのに必要な残りの材料は、数理論理学の解説を別にすれば、19から20世紀の大数学者たちの数学の基礎と不完全性定理に対する態度とその変遷を示す歴史資料位になります。それは私が長年にわたってすこしずつ集めた、数学者たち、具体的には、デーデキント、クロネッカ、ヒルベルトなどの19世紀の数学者たちと、ヘルマン・ワイル、小平邦彦、ジャック・エルブラン、ジョン・フォン・ノイマン、クルト・ゲーデル、二コラ・ブルバキ(特にアンドレ・ヴェイユとクロード・シュバレー)という20世紀を代表するような数学者たちの数学の基礎に関連する発言です。

このサイトの成り立ち

ここで、どうしてWEBサイトで研究成果を公表しようと思い立ったかを説明します。私の研究のオリジナルな部分の概要は、応用哲学会という学会のシンポジウムで講演していますが、( PDF版のPPT資料 )その詳しい内容は公表していません。ただ、岩波新書に書く予定があるのですが、それの序章を書き終えて集合論の成立の話の第1章を書き始めたところで「これは一冊の本としては書けない」と気が付き、執筆を(少なくとも一時)断念し、かわりにこのサイトを作ることにしたのです。

どうして一冊の本にするのは無理だと思ったか。その主な理由は上に書いたように、あまりに多くの異なった種類の背景知識を説明せねばならないからです。私の研究を本の形にするとしたら、何冊かの本を書いて、しかも、それらを互いに参照しながら読んでもらうようにするしかないでしょう。しかし、その様な経済的・知的苦労を読者に強いることには無理がありますし、書籍を出版するということには非常に労力がかかります。何より互いの引用が容易ではなく、また、一度出版すると変更が難しいという大きなデメリットがあります。

それらを考慮すれが、フリーのWEBサイトに多種類多様な文章を掲載してリンクで結ぶ、そしてドンドン更新して改良していく。私の研究の内容を誰かに理解してもらうには、これ位しか方法がないと気が付いたのです。私は既に定年退職した学者なので、もう業績の心配をする必要もありません。誰かが私の研究を理解してくれて、それをさらに進めてくれるならば、それ以上の事は無い。それならば論文や書籍の出版にこだわる必要はなくフリーアクセスできるWEBサイトで良い。そう思って、このサイトを作ることにしたわけです。

そんな具合なので、このサイトでは色々な分野の話を、色々なトーンで説明することになります。私のオリジナルな部分ではちょっと学術的なトーンになりますが、他の部分、例えば「集合論はゲオルグ・カントルの独創であった」という従来の説を覆し「集合論の祖はカントルというより、それより少し前のリーマンとデーデキントである」とするホセ・フェレイロスの集合論の成立史の解説では、自分の説でないだけに、また、是非広く知って欲しい話だけに、より広い読者を想定して、ちょっと伝記小説めいた感じにして書く予定です。実際、岩波新書の原稿で、それを「リーマンとデーデキント…ゲッティンゲンの友人たち」という小見出しで伝記小説風に書き始めたところ、その文体がそれまで書いた文章の文体と違っていることに気付いたことが、これは一冊の本としては書けないと考えるようなった切っ掛けだったのです。

講義録と「その他」

このサイトで紹介する研究は、私が京大文学研究科教授であった14年間の間に行ったもので、実は、上に書いた背景知識の多くは、その間の講義の内容です。京大文学部・文学研究科では「特殊講義」という、教員がその時に自分で研究している内容を講義するという科目があります。すべての特殊講義がそうであるわけではないのですが、私はそういう原則で特殊講義を行っていました。特殊講義は、学生さんたち、特に先々で大学の教員などになる学生さんたちの教育には大変重要なのですが、同時に、これは講義する教員にとっては研究を進めるための大変強い後押しです。次に講義する内容をその講義の日までに何としてでも創り出さないといけないわけですから。大変なプレッシャーであり、それにより研究が進むわけです。もちろん、これは大変な労力が必要となるもので、現役時代の私は全生活の時間の大半をこの特殊講義準備のために費やしていました。また、私の場合は低学年用の毎年同じことを教えることが基本である入門用の講義も毎年すこしずつ変更しながら特殊講義に準じた方法で講義をしていました。14年間の京大文学研究科時代の私の時間の大半は特殊講義とこの入門用の講義の準備に費やされていたのです。

これらの講義、特殊講義の際に、私は講義資料として書籍並みに詳しい文章をHTMLテキストとして作成してWEBに掲示していました。つまり、これらの講義資料が、このサイトで公開していく文章の下書き原稿の様になっているわけです。講義として話すために書いたものですから、文章だけで理解してもらうことを目的として書く、このサイトの文章とは違いますが参考にはなるはずなので、これらの講義資料もこのサイトで公開する予定です。

この様な講義ができたのは私の研究室だった情報・史料学専修が「独り専修」と呼ばれるものだったからです。「専修」は英語では Department、つまり学科と呼ばれる組織で、心理学や社会学などの専修は教員数も多く、確かに小さな学科という感じなのですが、私の専修は教員一人だけの組織だったのです。ですから、カリキュラムなどを全部ひとりで決めてよい、というより決めなくてはいけなかったのです。また、情報・史料学専修は「社会の情報化について考察する。また、同時に歴史学への情報技術の応用を考察する」ということを目的とすると決まっていいるものの(私が応募した教授職の公募に掲げられていた目的です)、採用される際に「伝統的な学問分野でないために何を教えるかは自分で決めてください」といわれました。そのために自由にやれたのです。

この研究室(専修)の目的は本サイトの内容と違うように見えるかもしれませんが、実は深く関係しています。私は14年間の間に「ゲーデルと数学の近代化」についての歴史観の研究と同時に「資本主義とITの関係の歴史社会学」の研究を行い、その成果を「情報歴史社会学」と名付けて論理学史と共に入門講義の柱にしていました。実は、これがヴェーバー社会学と階差機関・解析機関で知られるチャールズ・バベッジを通して、このサイトの話に深く関連しているのです。この講義は学生さんたちに好評で、講義が終わり採点も終わった時点で、講義資料をもう一度見たいという相談を受けるということがよくありました。これは他の講義ではまず経験したことがないことです。

そこで、本サイトの目的である数学関連の思想史と直截には関係しない、この講義の資料や、そのまとめもこのサイトで公開する予定です。それやら、それに関連するAIの社会影響の話などは、「その他」という項目に掲載する予定です。これらの他にも色々と手を出していて、たとえば私のポジションの公募で「おまけ」的に書かれていた「歴史学への情報技術の応用」もやっていました。公募ではこれは「そういうことができる人だとなおよい」と書かれていたのですが、自分の歴史研究のためにそういうものが必要となりSMART-GSというアプリを作ったのですが、それが好評で結局研究室の教育・研究の一つの柱にまでなりました。こういうのも「その他」で紹介する予定です。

おわりに

このサイトで公表していく、各分野の一つ一つの研究は、私の古い個人サイト www.shayashi.jp で、年度ごとに掲示していた特殊講義や入門講義の講義資料を書き直したものになります。それらはそれぞれの研究分野単独でも意味があり、また、それらのそれぞれは各分野の自然なテーマで、それぞれの分野で研究が進むと私と同じようなことを言う人が当然出て来そうな話ばかりです。ということは、それらの多くの異なる分野の知識を総合して初めて説明可能となる私の最終的結論も、時間さえたてば自然に火を見るより明らかになるはずなのです。自分ひとりでそういう「理論の部品」の全部を発表するのはしんど過ぎるし、私の最終的結論は多分に私の個人的問題への解答であって、多くの人が興味を持つような話でもないので、必要な労力のことを考えれば、発表しなくてもいいや、と思って、一時はここで紹介する様な研究成果の公表を止めることにしました。

しかし、上にも少し書いたような、色々なことからWEBサイトにして自由な形式でならば、現役時代の特殊講義のために作った資料をWEBに掲示して配布していたのと同じようなものなので、現役時代のサイトにはなかったそれらの間の関係の説明を追加すれば、それほど困難なく公表できて、また、それを作ることは楽しそうだと気が付いたのです。それで、この様なWEBサイトを作っている次第です。

現役時代には、私がやっていることはバラバラに見えたようですが、その一つの理由は前年までの特殊講義の記録をWEBサイトから削除していっていたこともあるようです。本サイトでは、それらを読みやすい形にして一度に掲示し、さらにそれに相互関係の関係の説明をつけますので、バラバラに見えたそれらが実は統一された一つのものだということが判るはずです。

まだ、数学史を主にやっていた私が来年度の特殊講義は京都学派の思想史だと宣言した際には、日本数学史(和算史)を研究していた院生のS君が後ろに30センチほど(もっと?)のけぞったのを憶えています。S君からは「先生が何をやっているのか見えない」と言われたこともありました。彼が在籍していたころは研究の初期でしたし、私自身もまさか京都学派の思想史に導かれてミッシングリンクだった新カント派の時代の思想状況にたどりつけるとは思わなかったので、S君のおどろきや戸惑いも当然だったでしょう。では、なぜ京都学派研究に手を出したかは、こちらをお読みください。実は私の本来の歴史研究とは全然関係なく、上に書いた歴史研究用ツールSMART-GSの開発プロジェクトの一環だったのです。

このサイトの完成までどれ位かかるかわかりませんが、それが完成するころにはS君も私が何を(結果として)やりたかったのかやっていたのかを理解してくれるのではないかと希望しつつこのサイトの構築を行っています。