久しぶりに「林晋」でエゴサーチをやったら、Wikipedia に自分の記事ができているのを発見。ありがたいことなのだが、情報学者、数学者、であることになっていて、文系転向後、つまり、京大文学研究科時代の仕事が岩波文庫の翻訳しか書かれていない。
Wikipedia では自分のことは自分からは書かないのが原則なので、修正するわけにもいかず、どうしたものかと調べてみたら、堀江貴文さんが、自分の記事の間違いをブログで指摘して修正してもらうということがあったそうだ。
しかし、この方式でやるには、編集者が僕に関心を持っていてブログとか見ていてくれることが必要だ。それで編集履歴をしらべたら、5月に書かれていて、書いてくれた人は、僕のものを含めて立教出身の大学教員の記事を幾つか同じ時に書いている。おそらく立教大学の関係者で、僕自身に関心を持っているとは思えない。それに書いたのが一カ月以上前なので、今、堀江さんと同じことをやっても、効果はないだろう。
これは困った、どうしたものかと思って、色々と考えてみたが、こんなになったのは自分が悪いということに気が付いた。記事を書いてくれた人が参考にした vita (履歴書)のWebページを文系転向後の十数年、ほとんどメンテしておらず、ある意味で理系時代のままで凍結していたのである。
自分についてのWebサイト shayashi.jp は閉鎖してしまったし、まだ未発表になっている文系時代の中心的研究を紹介する、このサイト shayashiyasugi.com には僕の経歴情報が、shayashi.jp の保存庫に入っている「凍結された vita (履歴書)」以外にない!新しいのを書きかけてはいるが「作成中」とだけ書いて、すっかり忘れてしまっている。(^^;)
その「十数年ほぼ凍結されたままの経歴のページ」へは、Wikipedia の記事からリンクが張られているので、そこを書き直すことにする。誰かこれを読んでいてくれる方で、ご親切な方がありましたら、修正後に Wikipedia の記事に反映して下さると大変に幸いです。m(_ _)m
という風なことを考えていたら、自分の学者人生は実に幸せなものだったのだなと、今更ながらに気が付いて、幸運を噛みしめている。
そのことは、shayashiyasugi.com を作り始めたときや、二回目の田辺記念講演をした時にもボンヤリとは思っていたのだが、「凍結された経歴のページ」を見て、ハッキリと認識できるようになった。
僕の京大文学部時代の研究は、数学者、情報学者としての経験なしでは、とても実行できなかったものだ。そして、研究をしていて一番楽しかったのは、京大文で行った研究だった。数学、情報学の時代は、常に、どこか無理をしているという感覚があり、息苦しかったものだが、文学部の時代は、研究も教育も全部楽しかった。だから、数学や情報学の期間は、京大文時代の研究・教育のための準備期間・助走期間だった、と今では思っている。(その助走しか、外からは見えないわけだから、誤解されて当然(^^;))
理系のころは、特に海外で仕事をするときに「vita を送れ」という依頼を良く受けたし、行った研究で良い評価を受けたかったので、vita を常にメンテしていたのだが、文系に移って、研究の仕方が、がらりと変わり、研究は、自部の好奇心、探求心にのみしたがって行うものになった。それだけでは申し訳ないので、NISTEPなどでの研究や SMART-GS や京都学派アーカイブなどの様に、「世のため人のため」の研究も行うようにしていたが、中心は、あくまで、「これが知りたい」と思うことの研究だった。
そういう「自己満足のための研究」で、ちゃんと教育もできて、また、文系でもそれなりの評価をもらえたのだから、こんなありがたいことはない。しかし、そういうことが実際に起きたのだから、実に幸運な学者人生だったのだなと、自らの幸運を噛みしめているわけなのだが、その研究の公開のためのサイト構築が、この数カ月停止したままだ。(^^;)
再開せねば。