タルスキの先行権
タルスキの真理理論(タルスキ意味論)のポーランド語での公表は1929年。
しかし、それには意味論や、そのための形式系の「算術化」はあったが、真理定義不可能性定理はなかった。
これはゲーデルの論文を読んだ後、その方法を使って証明し、追加したと、タルスキ自身が注意している。
タルスキ意味論は、Zeitgeist への反旗という点ではゲーデルより革命的でさえあった。(ゲーデルの回想)
タルスキは完全性定理、不完全性定理の間に、ウィーンを訪問。ゲーデルとタルスキが一緒になって超数学の必要性をカルナップに納得させている。(カルナップの日記)