hilbert  

Notebook1
―1冊目のノート

Wir müssen wissen. Wir werden wissen.

 

Notebook1


1冊目のノートは計133ページから成り、 下のように区切り線で仕切られた短いメモが書き連ねられています。他の2冊のノートにもあてはまることですが、表題や日付は書かれていません(このページの格言についている表題はすべて寺澤・西尾・橋本が独自につけたものです)。

ノートブックの最初のページには、「1885/86年冬、ライプチヒで購入」としたためられています。 クセのある書体で書かれているため、慣れていないとネイティブでもなかなか読めません。しかしながら、一部はヒルベルトの妻ケーテ(Käthe)によって清書された、流麗で読みやすい書体です。

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↑ヒルベルトの筆跡。

100年前のノートですので、細かいスペルなど現在のドイツ語とは異なっている部分がところどころありますが、こうした単語は括弧でくくって現在のスペルを後ろに加えてあります。その他、判読が困難であったり、なんとか判読できてもはっきりとは断定はできない単語、意味不明な箇所、ヒルベルト自身のスペルミスもあり、こういった箇所には括弧つきの疑問符がついています。また、ドイツ語文の改行箇所はノート本体に合わせました。

 

鉱山労働者(p.40)


Viele Mathematiker gleichen den Bergleuten, welche im tiefen
den Schacht graben, obwohl der Weg zu ihnen schon ver-
schüttet ist, so dass keine frische Luft und
keine neue Lebenskraft an die Arbeitsstelle
gaschaft[geschaf
ft] werden kann: sie leisten für die Ge-
samtheit der Wissenschaft nichts und ver-
kümmern schliesslich elend.

多くの数学者は、ある種の鉱山労働者に似ている。彼らは立坑を深く掘り進める、坑道はすでに埋め立てられ、そのため新鮮な空気や新たな活気を作業場に吹き込むことはできないというのに。彼らは、学問全体に対して何ら貢献することなく、最後は惨めにも枯死することとなる。

 

扉(p.48)


In der Mathematik forschen besteht in einem steten Auf-
geben von erlernten, oder unwillkürlich und unbewusst
angenomen[nommen] Vorurteilen: Man will gewöhnlich mit
dem Kopf durch die Wand, bis man erkent[erkennt], dass das
gar nicht nöthig[nötig] ist, sonder dass eine ganz
bequeme Thüre[Tür] da ist.

数学において研究することは、習得した、あるいは無意識のうち意図しないうちに受け入れてきた偏見をたえず打ち棄てることにある。人はふつう、自分のやっていることが全く不要で、そこに簡単に開けられる扉があるということに気づくまで、(頭を壁に通そうとでもするように)困難を無視して意図を達しようとするものである。

※コメント
ドイツ語原文、下から2行目のsonderという語はsondernと同じ意味で使われているようです。正式な用法ではありませんが、sonderをsondernの意味で使う用例はWeb上でも数多く見受けられます。

 

 

Fの2乗(p.51)


Unter 100 Gedanken, die zunächst an sich gleich
gut sind, hat vielleicht einer durchschlagenden Er-
folg. Man hat letzteres aber nicht von vorne
herein in der Gewalt. ---Man muss eine Sache
so lange durchdenken, bis man sich genau
Rechenschaft ablegen kann, warum man nicht
weiter komt[kommt], d.h. welche vorläufig zu complicirten[komplizierten]
aber durchführbaren Vorarbeiten geleistet werden
mussen[müssen], um die gestellte Aufgabe zu lösen d.h. man
muss wenigstens die nächste Oberfrage B=F^2 lösen.

一見、それ自体では等しく有望な100個のアイデアのうち、 ひょっとしたらそのうちのひとつが決定的な結果をもたらすかも知れない。だが、人間はそのひとつのアイデアをはじめから思いのままにすることはできない。―――数学者は物事を考えに考え抜いて、何故これ以上は考えが先に進まないかを自分できちんと納得できるようにならなければならない。つまり、与えられた問題を解くためになされるべき下準備とは、どのようなものであるのかを説明できなければならない。その下準備は、当座のところ大変複雑であったとしても、それが実行可能である以上は成し遂げねばならないものである。それはつまり、少なくともその問題の上位にある問題(Oberfrage)B=F^2を解決せねばならないということである。

※コメント
最後にB=F^2という数式がありますが、これはヒルベルトが比喩的な意味を持たせて使ったもので数学的な意味はないようです。この格言の内容や、そのすぐ後のページで、「Frage F」、「die nächste Oberfrage F^2」という句が見られること等から、恐らくFという文字が「疑問、問題」(Frage)を指し、「その問題Fを解くために必要な、Fのすぐ上位にある問題」(die nächste Oberfrage)をF^2が表していると考えられます。Bという文字は他の箇所では見つかっていません。Oberfrage(上位の問題)という文字の頭文字をとると、通常数式の文字としては使われないO(オー)になってしまうので、代わりに次の文字のBを使いOberfrage F^2を表すために等号で結んで用いた、とも考えられますが確証はありません。今後のノートの解析次第で解釈が変わる可能性があります。

 

 

数学の問題(p.55)


Die Probleme müssen schwierig und einfach ---nicht
leicht und complicirt[kompliziert] sein, so dass man zunächst
rathlos[ratlos] vor ihnen steht ---nicht so, dass man
schon dass[das?] Gedächtniss[Gedächtnis?] anstrengen muss, um bloss
alle Voraussetzungen und Bedingungen zu behalten.

(数学の)問題は、難しく、かつ単純でなければならない―――問題を前にして、最初のうちどうしたらいかわからなくなってしまうほど、簡単であったり複雑であってはらない―――すなわち、単に仮定や条件を覚えておくために記憶力を振り絞らなければならないようであってはならない。

※コメント
これとよく似た言葉を、ヒルベルトが有名な「23の問題」(の一部)を発表したパリの第2回国際数学者会議における講演でも述べています。また、この格言はThieleの論文「Hilbert's Twenty-Fourth Problem」においても、数学の問題の定式化に対するヒルベルトの考え方を示す史料として、その一部が(英訳して)引用されています。

 

十字の印(p.68)


Alles, was man je gelernt hat, muss man als
Vorurtheil[Vorurteil] betrachten[betrachten?] und in Zweifel ziehen. Erst
nachdem man's [=man es] selbst genau durchgedacht hat, ist
es verlässlich[.] Vorher imer[immer] mit einem Kreuz (= Kritik!)
versehen[?]; dies Kreuz bedeutet Vorsicht!, oder Vorbehalt!

これまでに習った全てのことは、偏見とみなし、疑わねばならない。あることについて自分自身で精確に考え抜いたあとで、初めてそれは信頼の置けるものとなる。それをしていないうちは、常にひとつ十字の印(=「批判的にあれ!」)をつけておくように。その十字印の意味するところは、「慎重であれ!」あるいは、「留保せよ!」である。

 

 

天才(p.68)


Die Redensart vom Genie (Das ist ...[判読不能] auch ein Genie etc)
ist nichts[?] anderes als eine Verlegensheitphrase,
mittelst welches sich die Trägheit weiss brennen will.
Wie Göthe, Lessing, Gauss fleissig waren, davon haben wir gar
keine Ahnung, aus nichts, ohne Anstrengung
wird nichts erreicht. Genie, Talent ist eine Eigenschaft
des Charakters, des Willens, der Energie.

天才に関する成句(…[判読不能] だって天才なんだから、など)は、間に合わせの空疎な言葉に他ならない。「天才」というその言葉によって、怠惰を正当化しようというものである。ゲーテやレッシングやガウスがどのように勤勉であったか、ということについて、我々は全く何も知らない。何もないところから、何の努力もなしに、何かが達成されるということはない。天才、天賦の才とは、気骨、意志、活力の持つひとつの特性なのである。

※コメント
1行目の括弧内の単語がひとつ判読困難で、そのため日本語訳も一部欠落しています。なお、レッシング(1729〜1781)は、ドイツ啓蒙主義時代の劇作家・批評家です。美術論「ラオコオン」が有名。


 

 


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