「情報技術の現代史」メモ 2019.05.16

質問票への回答のための資料

  1. チューリング完全性、Turing Completeness: 説明 日本語英語
  2. Human-based Computation: 人間を部品のようにして使う計算のこと。その様な手法はクラウドソーシングという分野と関係が深く研究分野として定着している。
  3. 宮崎駿「天空の城ラピュタ」の「黒い石」は一種のコンピュータを表している:  

前回までの資料から

Amazon FC というマシンと人間の関係を分析する

ピッカーという人間部品

ピッカーの役割

Amazon FCは人間を「ヘッド」として使う巨大ハードディスク :ピッカーの自然な認識を封じ部品化するための1フィートルール

次に、この様な「人間を部品とするマシン」とする「分業」というアイデアが、アダム・スミスの「国富論」に現れ、それがコンピュータのパイオニアといわえる19世紀英国ビクトリア王朝時代の、万能学者チャールズ・バベッジにより、「格差を利用して設けるマシン」の原理に変えられ、かつ、バベッジが、それをコンピュータと関連付けて考えていたことを、歴史史料を使ってみる。

アマゾンは無人化を目指している?

アマゾンは、すでに一部の倉庫を大幅にロボット化しており、日本でも、川崎FCを始めとして茨木などにロボット化FCができたことは既に話した。この秋には、京都府初の京田辺FCが稼働を開始する予定だが、これもロボット化FCである。

アマゾンの理想は、無人化FCであるらしい。このアマゾンのロボット研究者へのインタビューでの

「どちらかというと「協働」を実現したいと思っています。今回の競技を見ていただいてもわかる通り、完全自動化までの道のりはまだまだ遠いのです。」

という発言に注意。これは完全自動化なのか、人間と機械の協働なのか、と問われての答。

「まだまだ遠い」ということは、その遠い目標を目指しているということ。

つまり、アマゾンの目標は、FCの完全自動化、完全無人化。

ちなみに、上のロボット研究者の発言は、2017年に日本で開催されたアマゾン・ロボティクス・チャレンジという無人化ピッキング技術のコンテストでのインタビューでのこと。

この競技会が、2018年にはキャンセルされている。おそらく、このことは今の段階では、完全自動化のための技術が十分育ってないとAmazonが判断していると思われる。

その一方で、茨木FCや京田辺FCの様に、大量のロボットを導入して、大幅にピッカーの数を減らしたFCが続々と建設されていることは、完全な無人化は無理でも、大幅な省人化のための自動化技術が実用化されていることを意味している。

分業と自動化

このアマゾンのピッカーが象徴としているのが、アダム・スミスに始まるとされることが多い近代資本主義の生産様式の象徴ともいえる「分業」の概念。(参考「世界史の窓*、「池上彰のやさしい経済学」)

そのアダム・スミス(国富論、1776年出版)の、およそ60年後、同じ大英帝国のチャールズ・バベッジが、さらなるスミスの分業論を進化させたと主張した新たな分業論を、その著

On the Economy of Machinery and Manufactures 1832

で発表。

この著書で、「機械部品」としての労働者の概念が明確となる。

バベッジは、工場の全自動化を目指していた。

バベッジは、彼の新分業論「バベッジの原理」を、彼が作ろうとしていた蒸気コンピュータと対比して説明している。

そして、この「労働者にとっての悪夢のシナリオ」は、バベッジの書を読んだ、ロンドンの亡命ドイツ人、

カール・マルクスの労働論に強い影響を与えたといわれている。

ここまで現代の話ばかりだったが、ここから歴史の話に入る。

まずは、情報技術史の有名な「エピソード」で、その昔、コンピューターは人間だったという話から始める:

これらは、「こんな大変なことが現代のコンピュータで簡単にできるようになりました、すごいですね!」とか、「現代のコンピューティングの技術は案外古い時代からのものを継承している」という「驚きのエピソード」として、情報史の教科書などで紹介されることが多い。

しかし、実は、その経緯をより古い時代に遡り、経済学史、社会学などの研究や理論を使うと、情報技術と現代社会の関係がまったく違って見えきて、これらのことが Amazon FC に、そして、現在問題となっている「雇用の未来」の問題にも繋がっていることがわかる。

その「より古い時代」とは、大英帝国という「日が沈むことが無い帝国」が絶頂期にあった19世紀半ばのヴィクトリア朝のことであり(質問票への回答の資料の4のシティバンクの話と比較してみて下さい)、場所は、その大英帝国の首都ロンドンである。そして、主要登場人物は、英語圏ではスチーム・パンクのヒロインとして人気があるエイダ・ラブレス(Wikipedia)とともに、スチーム・パンクヒーローとして知られ、コミックにも登場するチャールズ・バベッジ。まず、日本では、無名に近い、このパベッジの話から。

参考(英語圏と日本語圏での認知度の違い)

チャールズ・バベッジ:スチーム・コンピュータと部品としての人間

後に学ぶウェーバー社会学やマクドナルド化理論では、近代の特長を形式合理性にみる。そして、形式合理的システム、あるいは、形式合理的な思考法とは、

と言える。

形式合理的システムの非人間的側面を、ピッカーのような、通常、「労働者」と呼ばれている人たちの側から見たら、

のように見える。

また、それを、今は、もう流行らないマルクス主義の立場からみれば、

となる。

チャップリンが1950年代のアメリカの赤狩りの中で、アメリカ国外追放になったのは、この眼差しの類似性のためだった。

しかし、これを「労働者」を使う側、つまり、通常「経営者」とか「資本」と呼ばれている側から見たら、これから紹介する

での議論のように見える。

アダム・スミスは有名。

しかし、チャールス・バベッジ Who?

チャールズ・バベッジとは? 

19世紀イギリスの数学者

しかし、現在一番有名なのは「コンピュータの祖」としてのバベッジ

  「現代経済学の先駆者としてのバベッジ」と「コンピュータの祖としてのバベッジ」は深く関連していた。

 

バベッジの先駆者アダム・スミス

しかし、実はルーツはさらに古い。

バベッジの思想は、資本主義思想から生まれたものであり、そのルーツはアダム・スミスの「国富論」であることが、歴史資料の検討から分かる

これを以下では歴史の順番、つまり、アダム・スミスから時間の順番で説明する。

後代になると分業論の議論が段々複雑になるので、一番簡単なスミスの分業論から始めるのがわかりやすいために時間順で説明する。

分業論とその祖 アダム・スミス

経済学で「分業論」と呼ばれているものがある。その祖はアダム・スミス。

彼の分業論でアダム・スミス(そしてバベッジ)は、次の様なことを主張した。

熟練工が行なう仕事を分析して分解すると、その一つ一つは案外単純である。

その様に分解された仕事は、同じ仕事の繰り返し(単純労働)になり、熟練した職人が行なう必要はない。

だから素人でも仕事ができる。

だから技能のない人に仕事を提供できる。

また非熟練工は労賃が安い(取替えが効き、たくさんいるから)。

だから、雇用者側はより少ない出費で生産ができる(効率化)。

一人の労働者の仕事の種類は多数でなく一つに限定する方が労賃の観点からは経済的。

仕事が効率化するので余剰の時間ができて、高度の頭脳労働(研究・開発)を行なえる。

以下、これを詳しく説明する。

分業論の始まり:アダム・スミス「富国論」の分業論

アダム・スミス国富論 1776年刊

有名なピン製造所の分業論の要旨(ピンとはheadpinのことらしい。あるいは、こんなの?)

国富論・分業論における労働者(職人)への視線

そしてバベッジの分業論

以上のような、18世紀(1776年)スコットランドのアダム・スミスの分業論に対して、19世紀(1833年)のイングランドのバベッジは分業論をさらに展開した。そして、それはスミスのものと異なり、労働者の人間性を殆ど顧みないものだった

熟練工が行なう仕事を分析して分解すると、その一つ一つは案外単純である。

その様に分解された仕事は、同じ仕事の繰り返し(単純労働)になり、熟練した職人が行なう必要はない。

だから素人でも仕事ができる。

だから技能のない人に仕事を提供できる。

また非熟練工は労賃が安い(取替えが効き、たくさんいるから)。

だから、雇用者側はより少ない出費で生産ができる(効率化)。

一人の労働者の仕事の種類は多数でなく一つに限定する方が労賃の観点からは経済的。

仕事が効率化するので余剰の時間ができて、高度の頭脳労働(研究・開発)を行なえる。

以下、これを詳しく説明する。

ここから今回の資料

バベッジの分業論

18世紀(1776年)スコットランドのアダム・スミスの分業論に対して、19世紀(1833年)のイングランドのバベッジは分業論をさらに展開した。

バベッジは次のように考えた。

この「あたり前の考え方」を経済学・経営学ではバベッジの原理という。まとめると…

このアイデアの背景には、次のような思想が見て取れる:

  1. 高い能力を必要として、その故に高い給与を必要とする労働者が、低い能力で十分な仕事をしているのは「能力の倉庫の隙間だ。無駄だ」。
  2. 無駄(な隙間)は見つけたら、隈なく潰せ。

つまり、バベッジの原理は、先に説明した、「Amazon.com FC の棚の思想」と同じ種類のものだとわかる。

19世紀のバベッジの資本主義思想とAmazon FCの棚の思想は同じような印象を与える。

実は、この「あらゆるムダをなくせ」というモットーは、20世紀に後半、日本の製造業が世界のお手本だったころの、日本企業のモットー「ムリ・ムラ・ムダの撲滅」からとったもの。その代表格が、トヨタのアイデアであるトヨタ生産方式(TPS)だった。このモットーは製造業の世界では、世界標準といえる。

バベッジの原理は格差の原理

以上説明してきた、バベッジの原理は、格差の問題と深くかかわっている。

バベッジの原理は格差の存在を前提としている原理。つまり、格差を積極的に肯定すべき原理。

それを理解するために思考実験を行ってみよう。

日本の「庶民感情」にあわせて、人間の能力と賃金がすべて平等で同じだったら、と考えてみる。

そのとき、先ほどのバベッジの議論

  1. 例えばピンを尖らせる工程は週2ポンドの給与で十分な職人でもできる。
  2. しかし、ピンを鍛錬し焼入れする工程は週5、6ポンドの給与の職人でないと行うのは難しい。
  3. もし、独りの職人に両方の仕事をさせるとすると、その職人は後者の仕事をできないといけないから、6ポンドの週給を必要とする。
  4. しかし,その職人に週2ポンドの仕事もさせることになるので、その仕事の部分では4ポンド余分に払っていることになる。
  5. これはムダである。その労働の部分は「分割」して週休2ポンドのものにさせればよい。

が、こうなる、

  1. 例えばピンを尖らせる工程は週2ポンドの給与。
  2. しかし、ピンを鍛錬し焼入れする職人も週2ポンドの給与。
  3. もし、独りの職人に両方の仕事をさせるとすると、その職人は後者の仕事をできないといけないが、週給はどうせ2ポンド。
  4. 労働の種類に関わらず、労働能力にかかわらず、人にかかわらず、兎に角、週給は2ポンド。
  5. 雇い方を変えて儲けを出そうとしてもムダである。労働を分割して賃金の効率化を図ろうとしても無駄である。みんな完全平等なのだから。

つまり、格差がなければ、バベッジの原理は使えない。バベッジの原理を役立てるためには、格差の存在が必要。

「バベッジの原理」は「格差の原理」

バベッジの思考には、次のような前提が使われている:

  1. 格差はある。
  2. 安い賃金で働かせることができる能力の低い人間がたくさんいる。
  3. 目指すべきは「生産における人件費の削減」である。

これに反し、国富論でアダム・スミスが言ったことは、

一方 、バベッジの原理は、同じだけの生産を行う際に、どのように雇い、どのように労賃を払うと効率的かという原理になっている。

バベッジの原理は、人間の格差の存在を前提とし、それを利用して「労賃あたりの生産性」を向上させるための原理といえる。

バベッジの原理は、水力発電が水位差のエネルギーを使って電力を生み出すように、格差という人間の水位差により利益を生み出す

この様な、格差を当然視する、現代的資本主義の元凶は、資本論のアダム・スミスだ、という議論が、「ハゲタカ」というNHKのドラマが放映され、「ハゲタカ・ファンド」、「ハゲタカ資本主義」などという言葉流行っていた2010年前後に多かった。

しかし、実は、それは間違い。もし、元凶というのならば、それはバベッジである。

これを理解するために、アダム・スミスの真の姿について見てみる。

グラスゴー大学道徳哲学教授アダム・スミス

実は、アダム・スミスは、「国富論」の他に、「道徳感情論」という著書を著し、むしろそちらの方が自身の主著だと思っていたともいわれる、グラスゴー大学道徳哲学教授アダム・スミスには、バベッジ的な形式合理性に徹する態度は見られない。

これを当時の日本社会に指摘したのが、阪大の堂目卓生教授。

参考: アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書) [新書] 堂目 卓生 (著)

スミスとバベッジの相違点の検討

「国富論」における分業論の主張

バベッジ"On the Economy of Machinery and Manufactures"における分業論の主張

バベッジは、これ以外にも分業について考察しているが、この原理がバベッジの分業論の内、後世に影響を与えた最も重要なポイントだといわれている。

そして、その影響のひとつは、カール・マルクスの「資本論」への影響だった…

という、話をする前に、バベッジとスミスの歴史的な関連を、史料を使って確認しておく。これは、バベッジがスミスから影響を受けているということを歴史資料を使って確認すること。

バベッジとアダム・スミスを繋ぐもの

  1. 1810年代の終わり、バベッジは、多項式を機械で計算する方法である階差原理を考え付き(再発明)、1820年代最初に実験機を作り、さらに本格的機械を作るプロジェクトを開始。
  2. その後、渡仏して、de Prony の仕事を知る。
  3. そして、それにより、スミスの分業論と自分の計算機の関係に気が付き、さらにバベッジの原理を発想。
  4. On the Economy of Machinery and Manufacturesを執筆出版。その中で、自分の計算機械と分業論を関係づけて議論。

上の1~4の説明の内、3が推測。他は史料で実証できる。

以下、この歴史過程を、バベッジの書籍の分析を中心にして説明していく。

On the Economy of Machinery and Manufactures, 1832  (機械と製造業の経済について 1832年刊)

Chap XX. 「知的労働の分業について」の内容目次

バベッジの本の歴史資料としてのポイントは二つ

この二つが分かる歴史資料が、Chap XX。

そこで、Chap XX の内容目次に沿って、この章を詳細に見ていく。分かり易くするために、目次の項目に、次の様にアルファベットをふる:

まず、(A) から説明を始める。

(A) フランスの大対数表 (§241-246)

この部分が、アダム・スミスとバベッジが人間コンピュータによって歴史的につながっていることを示す史料。

バベッジは、次のように、この章(Chap. XX) を始めている:

We have already mentioned what may, perhaps, appear paradoxical to some of our readers, ---that the division of labour can be applied with equal success to mental as to mechanical operations, and that it ensures in both the same economy of time.

和訳: 一部の読者にはパラドキシカルに聞こえるかもしれないが、すでに述べた通り、分業による時間の節約は、既に説明した機械的な作業だけでなく知的な作業にも等しく適用できることなのである。

バベッジは、「時間の節約」と言っているが、これは、この前章、つまり、Chap XIX で説明された、ピン工場でのバベッジの原理に基づく分業によってもたらされる「労賃支払の節約」のことである。

この様な文で開始される、Chap. XX 第20章の冒頭部分§241-246は、凡そ、次の様な内容である:

  1. 知的労働の分業が機械的操作(労働)の場合と同様に可能であり,それはどちらも時間の節約,時間の経済,に結びつく. (241)
  2. 歴史上最大規模に行われたフランスのド・プロニーの計算プロジェクトが,この考え方の現実性を説明している (242)
  3. その考え方の元はアダム・スミスの国富論にあることをド・プロニー自身が語っている。(243)
  4. ド・プロニーが考えた組織構造は三層構造による「知の分業」だった(244)
  5. 最下層の労働の量は大きいが、労働の価格は安くてすむ。
  6. 最上層の仕事は大変だが(extertions)、一度やれば済む。
  7. しかし、計算機(a calculating-engine) が作られて最下層を置き換える時には、数学的見直しが必要かもしれない。(245)

5は、バベッジの原理と同じ発想である。そして、それは計算という作業を分割(分業)することにより達成されていた。

この(A)の部分により、フランスの大対数表プロジェクトを解説することにより、バベッジは、第19章で議論したピン工場でのバベッジの原理、つまりは、筋肉労働のバベッジの原理による分業と同様のことが知的労働(この場合では、数学の計算)においても可能であることを示そうとしていることが分かる。

そして、1832年刊行の、この著書が書かれるより、ずっと以前の、1810年代に、計算機械のプロトタイプが作られていたことからして、この知的労働の分業の方が、筋肉労働の分業より、先に構想されていたと思われる。

3は、アダム・スミスの分業が知的労働に応用可能であることを、ド・プロニーを通して知ったことを示唆している。ただし、絶対にそうだとは言い切れないことに注意。

7は、バベッジが既に低賃金の機械的仕事をする労働者を、本当に機械で置き換えることを考えていたことを明瞭に示している。こちらは確定。

以上は、格差を許容する、というより、期待する、ような現代資本主義思想とコンピュータが手を携えるようにして登場したことを示している。

(B-C) 機械による算術計算の実行、数学的原理の説明: 階差による2乗の表 (§247-248)

この部分で、現在では、当たり前の、機械による「数学の計算」のような知的な活動の自動化という、当時としては容易に理解できなかった可能性について、バベッジは実例を使って、分かり易く説明している。

それは、彼が、当時、遂行していた「蒸気コンピュータによる、全自動的な計算で、対数表を作る」というプロジェクトであった。

そして、これらの事を説明するために、バベッジは次の様に議論した。

(D) 三つの時計による説明 (§249): 階差機関と解析機関

(B-C)での数学的な話を受けて、次に、この数学的計算が、機械により実行可能であることが示される。そして、彼の階差機関への言及が行われる。

バベッジは、この節で、むしろ、それが彼の最大のプロジェクトであったはずの、機械による人間の知的労働の代替について議論しているのである。

しかし、ここで、今見ている史料だけでは、その全体像が理解できない。そこで、以下で、バベッジの蒸気コンピュータ計画について説明する。

階差機関:The difference Engine

階差計算の能力 advancedな話題

注. 階差計算を機械に実行させるというアイデアは,バベッジ 以前にもあった

階差機関はなぜ生まれたか

なぜそうまでして数表のエラーを避けねばならなかったか?

解析機関: The Analytic Engine

分業と計算機 (250)

分業と資本 (251)

(E) 鉱山における労働力の配分 (§252)

この部分は、バベッジの執筆の意図が、まだ、分かっていない。そのため、ここでは、これについてのコメントは差し控える。

バベッジの裏返しとしてのマルクス資本論における「分業論」

正確に言えば阻害論であって分業論ではないので「分業論」の様に括弧を付けた。

以上の分析で、最近、多く見られる「AIが知的仕事を奪う」という議論が、すでに1810-30年代のイギリスでバベッジの原理という、資本の論理と手を携えながら、登場していたことがわかる。つまり、労働者を機械部品とみなす現代資本主義と知的機械、ITやAIは、二卵性双生児だった。

そして、バベッジの On the Economy of Machinery and Manufactures の四半世紀後、バベッジが住んだ同じロンドンの大英図書館で、バベッジの分業論などを手がかりにしつつ、この「機械的仕事をする部品の様に使われる労働者」の問題を、バベッジと反対の側、つまり、労働者側から見て、後に20世紀の歴史を揺るがすことになる、一巻の経済学書を綴っていたひとりの亡命ドイツ人(プロイセンのユダヤ人)がいた。

それがカール・マルクス。そして、彼が書いていた経済学書こそが「資本論」。

実は、資本論の数か所でバベッジの On the Economy of Machinery and Manufactures が引用されているおり、それらを元にスタンフォード大学の経済史家 N. Rosenberg はバベッジの分業論がマルクスに影響を与えたと指摘した。以下、その話の解説。

以下次回以後に続く…