「情報技術の現代史」メモ 2018.05.14
5月15,16日に書き間違いや文章が変だったところを訂正。特に、1810年代、1820年代と書くべきところが、1910年代、1920年になっていました。(^_^;)
前々回の資料から
分業と自動化
アマゾンのピッカーが象徴としているのが、アダム・スミスに始まるとされることが多い近代資本主義の生産様式の象徴ともいえる「分業」の概念。(参考「世界史の窓」*、「池上彰のやさしい経済学」)
そのアダム・スミス(国富論、1776年出版)の、およそ60年後、同じ大英帝国のチャールズ・バベッジが、さらなるスミスの分業論を進化させたと主張した新たな分業論を、その著
で発表。
この著書で、「機械部品」としての労働者の概念が明確となる。
バベッジは、工場の全自動化を目指していた。
バベッジは、彼の新分業論「バベッジの原理」を、彼が作ろうとしていた蒸気コンピュータと対比して説明している。
そして、この「労働者にとっての悪夢のシナリオ」は、バベッジの書を読んだ、ロンドンの亡命ドイツ人、
カール・マルクスの労働論に強い影響を与えたといわれている。
ここまで現代の話ばかりだったが、ここから歴史の話に入る。
まずは、情報技術史の有名な「エピソード」で、その昔、コンピューターは人間だったという話から始める:
これらは、「こんな大変なことが現代のコンピュータで簡単にできるようになりました、すごいですね!」とか、「現代のコンピューティングの技術は案外古い時代からのものを継承している」という「驚きのエピソード」として、情報史の教科書などで紹介されることが多い。
しかし、実は、その経緯をより古い時代に遡り、経済学史、社会学などの研究や理論を使うと、情報技術と現代社会の関係がまったく違って見えきて、これらのことが
Amazon FC に、そして、現在問題となっている「雇用の未来」の問題にも繋がっていることがわかる。
その「より古い時代」とは、大英帝国という「日が沈むことが無い帝国」が絶頂期にあった19世紀半ばのヴィクトリア朝のことであり(質問票への回答の資料の4のシティバンクの話と比較してみて下さい)、場所は、その大英帝国の首都ロンドンである。そして、主要登場人物は、英語圏ではスチーム・パンクのヒロインとして人気があるエイダ・ラブレス(Wikipedia)とともに、スチーム・パンクヒーローとして知られ、コミックにも登場するチャールズ・バベッジ。まず、日本では、無名に近い、このパベッジの話から。
参考(英語圏と日本語圏での認知度の違い)
チャールズ・バベッジ:スチーム・コンピュータと部品としての人間
後に学ぶウェーバー社会学やマクドナルド化理論では、近代の特長を形式合理性にみる。そして、形式合理的システム、あるいは、形式合理的な思考法とは、
- 人間、機械、事業所、社会などを一つのマシンのようにみなして、生産の拡大・効率化という目的の達成を価値として、マシンを改造しつつ操業・運営すること。
と言える。
形式合理的システムの非人間的側面を、ピッカーのような、通常、「労働者」と呼ばれている人たちの側から見たら、
のように見える。
また、それを、今は、もう流行らないマルクス主義の立場からみれば、
となる。
チャップリンが1950年代のアメリカの赤狩りの中で、アメリカ国外追放になったのは、この眼差しの類似性のためだった。
しかし、これを「労働者」を使う側、つまり、通常「経営者」とか「資本」と呼ばれている側から見たら、これから紹介する
- アダム・スミスの国富論。特にその分業論
- 19世紀英国の経済学者チャールス・バベッジの分業論
での議論のように見える。
アダム・スミスは有名。
しかし、チャールス・バベッジ Who?
19世紀イギリスの数学者
- 数学者としては、ジョン・ハーシェル、ジョージ・ピーコックとともに、ケンブリッジ解析学協会を組織的、イギリスにライプニッツ流の記号による解析学 d-ism を導入したことで知られる。ニュートン・ライプニッツの解析学ができたのが17世紀。イギリスではニュートンの伝統を重んじ、二世紀近くもライプニッツの d-ism は無視されていた。)
- ニュートンの内容を考えないといけない微積分記号法(流率計算)に比べて、内容がわかってなくてもカシャカシャと記号操作で計算できるライプニッツの微積分学 d-ism の方がよい(と考えたはず)。
- バベッジの数学者としの業績の歴史学的研究は、まだ少ない。
- イギリス社交界の花形(曲者?)
- コンピュータの父(祖父?)
- 暗号解読者
- 理論経済学・経営学の先駆者: On the Economy of Machinery and Manufactures
- 生前は、これで最も有名だったという歴史家がいる 1,2, 3
- 当時の言葉では経済学だが、今からみたら、経営学、生産工学という方が適当。
- ただし、現在の Economics 経済学、という用語は、バベッジの時代には、まだなかった。だから、本のタイトルが economy になっている。
- Economics という言葉は、この後に、ジェボンズという有名な経済学者により作られた言葉。
- バベッジが亡くなったとき、雑誌 Natureの1871年11月号 に追悼記事が出たが、これを書いたのがジェボンズだった。
- In early November 1871 an unsigned obituary of Charles Babbage was published
by the science journal Nature. It was a heart-felt piece of writing, the
tone set by an opening observation that “to the majority of people he was little known except as an irritable and
eccentric person, possessed by the strange idea of a calculating machine,
which he failed to carry to completion.” Any “deficiencies in his character,” however, “arose … from excess of
resolution … He sowed ideas, the fruit of which have been reaped by men
less able but of more thrifty habits.” It was thus the tragedy of Babbage
that only “those who have carefully studied a number of his writings can
adequately conceive the nobility of his nature and the depth of his genius.”
The work that placed Babbage “among the few greatest men who can create new methods or reform whole branches of knowledge” included early mathematical papers and the `calculating machine’ project, consisting of the Difference and Analytical engines. The latter was particularly remarkable in that it was projected “to be
little less than the mind of a mathematician embodied in metallic wheels
and laws .It was to be capable of any analytical operation, for instance solving
equations and tabulating the most complicated formulae.”No less important was Babbage’s work in political economy. The Economy
of Manufactures (1831) was “incomparably excellent” and “impossible to overpraise.” Noting Babbage’s
role in the formation of the London Statistical Society, it was also argued
that his analysis of the Clearing House (1856) “was probably the earliest
paper in which complicated statistical fluctuations were carefully analysed.”
If Babbage had “devoted his lofty powers to economic studies, the science
of Political Economy would have stood by this time in something very different
from its present pseudo-scientific form.”[1]
- 簡単な要約:多くの人には、バベッジは結局未完成に終わった計算機械を構想した奇人としてしか知られていないだろうが、実は、その計算機械である、階差機関、解析機関は、人間が行うと思われている計算という仕事を機械に行わせることができるということを解明したという事において、実に偉大な構想であった。そして、この業績に、勝るとも劣らない偉大な業績が、著書The Economy of Manufactures (1831)で行われ、彼の経済学研究である。
- バベッジがコンピュータの父ならば、ジェボンズは人工知能の父といえる。
- その他もろもろの業績:神学、郵便システム、牛よけ、科学政策、....
- あまりに色々やっていて、歴史家も、まだまだ全体像を掴みきれていない滅茶苦茶面白い人。
しかし、現在一番有名なのは「コンピュータの祖」としてのバベッジ。
「現代経済学の先駆者としてのバベッジ」と「コンピュータの祖としてのバベッジ」は深く関連していた。
- 彼はすくなくとも知的労働の分業の最終的形態は彼のスチーム・コンピュータでなされると思っていた。
- 後で示すように、このバベッジという人の思想の中に、Amazon FCで見た「人間もコンピュータの部品」という思想と同じものが見て取れる。
バベッジの先駆者アダム・スミス
しかし、実はルーツはさらに古い。
バベッジの思想は、資本主義思想から生まれたものであり、そのルーツはアダム・スミスの「国富論」であることが、歴史資料の検討から分かる。
これを以下では歴史の順番、つまり、アダム・スミスから時間の順番で説明する。
後代になると分業論の議論が段々複雑になるので、一番簡単なスミスの分業論から始めるのがわかりやすいために時間順で説明する。
分業論とその祖 アダム・スミス
経済学で「分業論」と呼ばれているものがある。その祖はアダム・スミス。
彼の分業論でアダム・スミス(そしてバベッジ)は、次の様なことを主張した。
熟練工が行なう仕事を分析して分解すると、その一つ一つは案外単純である。
その様に分解された仕事は、同じ仕事の繰り返し(単純労働)になり、熟練した職人が行なう必要はない。
だから素人でも仕事ができる。
だから技能のない人に仕事を提供できる。
また非熟練工は労賃が安い(取替えが効き、たくさんいるから)。
だから、雇用者側はより少ない出費で生産ができる(効率化)。
一人の労働者の仕事の種類は多数でなく一つに限定する方が労賃の観点からは経済的。
仕事が効率化するので余剰の時間ができて、高度の頭脳労働(研究・開発)を行なえる。
以下、これを詳しく説明する。
分業論の始まり:アダム・スミス「富国論」の分業論
アダム・スミス国富論 1776年刊
有名なピン製造所の分業論の要旨(ピンとはheadpinのことらしい。あるいは、こんなの?)
- 経験がないものが作ろうとすると1日1本作れるかどうかもあやしい。
- しかし、ピン製造現場では次のように分業により製造がなされている:
- 第1の職人は針金を引き延ばす。Wire drawing: 針金を決められた太さにすること。作業中の図 「定規」の役割をするプレート。これの穴に太い針金を通して細くする。
- 第2の職人はこれをまっすぐにし。
- 第3の職人はそれを適当な長さに切り分ける。
- 第4の職人は先を尖らし。
- 第5の職人は頭をつけるためにトップを磨く。(これがよく判らない。原文は grinds it at the top for receiving the head.)
- その取り付ける頭を作るには2,3の別の工程が必要。
- このほかピンを磨いたり包装したりという工程まで考慮にいれると約18工程が必要。
- 10名の労働者がいる工場の実例では、1日におよそ48000本のピンが作られていた。
- つまり、1名が1日で4800本のピンを作っていることになる。
- これらの労働者はピン作りの教育も受けていないものたちなので、それぞれが一人でピンを作るとしたら、1日に20本どころか1本も作れないかもしれない。
- つまり、アダム・スミスは分業で効率が240倍から4800倍は上がるはずだと主張している。
国富論・分業論における労働者(職人)への視線
- 分業=難しい仕事を、より簡単な仕事に分解すること→技能がない者、訓練されていないものにも職を与えることができる。
- つまり、ある人に職を与えようとしても、もし高い技能を必要とする職ならば、その技能を持たない人に与えることができない。
- もし、職を分解して、単純な部分を「切り出せ」れば、低い技能しかもたない人にも、職を与えることができる。
- 教育が行き届いてなかった、当時としては、実に現実的で有用なアイデア。
- 余剰時間を、訓練、学び、改善に使える。
そしてバベッジの分業論
以上のような、18世紀(1776年)スコットランドのアダム・スミスの分業論に対して、19世紀(1833年)のイングランドのバベッジは分業論をさらに展開した。そして、それはスミスのものと異なり、労働者の人間性を殆ど顧みないものだった。
熟練工が行なう仕事を分析して分解すると、その一つ一つは案外単純である。
その様に分解された仕事は、同じ仕事の繰り返し(単純労働)になり、熟練した職人が行なう必要はない。
だから素人でも仕事ができる。
だから技能のない人に仕事を提供できる。
また非熟練工は労賃が安い(取替えが効き、たくさんいるから)。
だから、雇用者側はより少ない出費で生産ができる(効率化)。
一人の労働者の仕事の種類は多数でなく一つに限定する方が労賃の観点からは経済的。
仕事が効率化するので余剰の時間ができて、高度の頭脳労働(研究・開発)を行なえる。
以下、これを詳しく説明する。
前回の資料
バベッジの分業論
18世紀(1776年)スコットランドのアダム・スミスの分業論に対して、19世紀(1833年)のイングランドのバベッジは分業論をさらに展開した。
[今回ここから始める]
バベッジは次のように考えた。
- 多種類の労働を独りの人が行うような労働形式では、分業に比べて労賃がムダに払われる場合がある。
- ひとつの仕事は一人の人に専門的にやらせるようにすると労賃が総額で減る。
- 例えばピンを尖らせる工程は週2ポンドの給与で十分な職人でもできる。
- しかし、ピンを鍛錬し焼入れする工程は週5、6ポンドの給与の職人でないと行うのは難しい。
- もし、独りの職人に両方の仕事をさせるとすると、その職人は後者の仕事をできないといけないから、6ポンドの週給を必要とする。
- しかし,その職人に週2ポンドの仕事もさせることになるので、その仕事の部分では4ポンド余分に払っていることになる。
- これはムダである。その労働の部分は「分割」して週休2ポンドのものにさせればよい。
この「あたり前の考え方」を経済学・経営学ではバベッジの原理という。まとめると…
- より高いスキルを必要とする労働者の労働時間は、労働の分割などにより、より少なくなるようにすれば、製造業者は、より高い利益をあげることができる。
このアイデアの背景には、次のような思想が見て取れる:
- 高い能力を必要として、その故に高い給与を必要とする労働者が、低い能力で十分な仕事をしているのは「能力の倉庫の隙間だ。無駄だ」。
- 無駄(な隙間)は見つけたら、隈なく潰せ。
- 人気のコミック本が、この数日で100冊売れてコミックの棚に大きな隙間ができた。
- 京都学派の哲学者西田幾多郎の文庫本20冊が入荷されたが哲学の棚が一杯。
- コミックの棚に十分なスペースはあるが尊敬する西田先生の本なのでそんなところにはおけない…
- などと考えるのではなく、使われない隙間は無駄だ、とにかく潰すことを考えて、哲学書をコミックの棚に置く。
- ………
- という風に考えるのならば、もともと、コミックの棚、哲学書の棚、などという考え自体がバカらしい。
- 書棚とは書籍という名前の「もの」を置く隙間・スペースの集まりに過ぎない。
- 知識の分類、内容の高尚さなどは無視して、置くことの効率のみを追求すればよい!
つまり、バベッジの原理は、先に説明した、「Amazon.com FC の棚の思想」と同じ種類のものだとわかる。
19世紀のバベッジの資本主義思想とAmazon FCの棚の思想は同じような印象を与える。
実は、この「あらゆるムダをなくせ」というモットーは、20世紀に後半、日本の製造業が世界のお手本だったころの、日本企業のモットー「ムリ・ムラ・ムダの撲滅」からとったもの。
その代表格が、トヨタのアイデアであるトヨタ生産方式(TPS)。
バベッジの原理は格差の原理
以上説明してきた、バベッジの原理は、格差の問題と深くかかわっている。
バベッジの原理は格差の存在を前提としている原理。つまり、格差を積極的に肯定すべき原理。
それを理解するために思考実験を行ってみよう。
日本の「庶民感情」にあわせて、人間の能力と賃金がすべて平等で同じだったら、と考えてみる。
そのとき、先ほどのバベッジの議論
- 例えばピンを尖らせる工程は週2ポンドの給与で十分な職人でもできる。
- しかし、ピンを鍛錬し焼入れする工程は週5、6ポンドの給与の職人でないと行うのは難しい。
- もし、独りの職人に両方の仕事をさせるとすると、その職人は後者の仕事をできないといけないから、6ポンドの週給を必要とする。
- しかし,その職人に週2ポンドの仕事もさせることになるので、その仕事の部分では4ポンド余分に払っていることになる。
- これはムダである。その労働の部分は「分割」して週休2ポンドのものにさせればよい。
が、こうなる、
- 例えばピンを尖らせる工程は週2ポンドの給与。
- しかし、ピンを鍛錬し焼入れする職人も週2ポンドの給与。
- もし、独りの職人に両方の仕事をさせるとすると、その職人は後者の仕事をできないといけないが、週給はどうせ2ポンド。
- 労働の種類に関わらず、労働能力にかかわらず、人にかかわらず、兎に角、週給は2ポンド。
- 雇い方を変えて儲けを出そうとしてもムダである。労働を分割して賃金の効率化を図ろうとしても無駄である。みんな完全平等なのだから。
つまり、格差がなければ、バベッジの原理は使えない。バベッジの原理を役立てるためには、格差の存在が必要。
「バベッジの原理」は「格差の原理」
バベッジの思考には、次のような前提が使われている:
- 格差はある。
- 安い賃金で働かせることができる能力の低い人間がたくさんいる。
- スキルのある職人から分割した労働をさせることができる低賃金労働者が十分いなければ分割ができない。
- 目指すべきは「生産における人件費の削減」である。
これに反し、国富論でアダム・スミスが言ったことは、
- 10人の労働者の場合、同じ人たちが働く2つの方法(分業ありと分業なし)で効率が数百から数千倍違う。
- 労賃の問題と関係なく分業で効率が上がるところだけを見ている。
- つまり、スミスの場合は、最初から、同じ10名を雇うという前提になっていて、だから、労賃も同じで、生産性の向上についてだけ語っている。
一方 、バベッジの原理は、同じだけの生産を行う際に、どのように雇い、どのように労賃を払うと効率的かという原理になっている。
バベッジの原理は、人間の格差の存在を前提とし、それを利用して「労賃あたりの生産性」を向上させるための原理といえる。
バベッジの原理は、水力発電が水位差のエネルギーを使って電力を生み出すように、格差という人間の水位差により利益を生み出す。
- 注意:グローバル化の時代である現代では、この人間の水位差の利用が国家間、地域間の格差により行われている。
この様な、格差を当然視する、現代的資本主義の元凶は、資本論のアダム・スミスだ、という議論が、「ハゲタカ」というNHKのドラマが放映され、「ハゲタカ・ファンド」、「ハゲタカ資本主義」などという言葉流行っていた2010年前後に多かった。
しかし、実は、それは間違い。もし、元凶というのならば、それはバベッジである。
これを理解するために、アダム・スミスの真の姿について見てみる。
ここから今回の資料
実は、アダム・スミスは、「国富論」の他に、「道徳感情論」という著書を著し、むしろそちらの方が自身の主著だと思っていたともいわれる、グラスゴー大学道徳哲学教授アダム・スミスには、バベッジ的な形式合理性に徹する態度は見られない。
これを当時の日本社会に指摘したのが、阪大の堂目卓生教授。
参考: アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書) [新書] 堂目 卓生 (著)
スミスとバベッジの相違点の検討
「国富論」における分業論の主張
- 分業は生産力の増強に三つの長所を持つ。
- 職人個々の技能増進
- 仕事から別の仕事に切り替えるための時間の節約
- 労働を促進し労働時間を短縮し、さらには生産性を高める機械の発明に寄与する
- 労働時間の短縮は余剰時間であり、それにより発明が導かれる。
- 専門化も社会レベルでの分業である
- 分業は国民の全ての層を豊かにする
- スキルがないものにも職が生まれる
- 生産物が増え、貧困層にも物品が行き渡る
バベッジ"On the Economy of Machinery and Manufactures"における分業論の主張
バベッジは、これ以外にも分業について考察しているが、この原理がバベッジの分業論の内、後世に影響を与えた最も重要なポイントだといわれている。
そして、その影響のひとつは、カール・マルクスの「資本論」への影響だった…
という、話をする前に、バベッジとスミスの歴史的な関連を、史料バベッジはを使って確認しておく。
連関のポイントは「コンピュータ(ただし、人間コンピュータ)」だった。
バベッジとアダム・スミスを繋ぐもの
- "On the Economy of Machinery and Manufactures"で、バベッジは、スミスの分業論を前提に議論しており、
- バベッジの原理も、スミスが見落としていて自分が考えたものとしている。
- しかし、スミスとバベッジは、直接つながっているわけではなく、その間に、フランス人数学 de Prony がいた。
- この三者の関係は、バベッジが、ちゃんと書き残したものがないので、厳密な歴史学の立場からすると実証ができないところがある。
- しかし、現在わかっている史料からすると、次のようなことだったと推測できる。
- 1810年代の終わり、バベッジは、多項式を機械で計算する方法である階差原理を考え付き(再発明)、1820年代最初に実験機を作り、さらに本格的機械を作るプロジェクトを開始。
- その背景には、バベッジの蒸気コンピュータ計画と数表作成から人間を一切排除する、という思想があった。
- その後、渡仏して、de Prony の仕事を知る。
- そして、それにより、スミスの分業論と自分の計算機の関係に気が付き、さらにバベッジの原理を発想。
- On the Economy of Machinery and Manufacturesを執筆出版。その中で、自分の計算機械と分業論を関係づけて議論。
上の1~4の説明の内、3が推測。他は史料で実証できる。
以下、この歴史過程を、バベッジの書籍の分析を中心にして説明していく。
On the Economy of Machinery and Manufactures, 1832 (機械と製造業の経済について 1832年刊)
- Google Books で無料で読めるのは1846年の4版。
- バベッジのこの本についてのおそらく唯一の日本語の本での詳しい言及:「コンピューター200年史―情報マシーン開発物語, マーチン キャンベル‐ケリー , ウィリアム アスプレイ」
- 現代的には生産工学(テイラリズム、トヨタ生産方式)、経営学のような感じ。目次。
- Chap I :バベッジの時代、イギリスを特別な国家としていた産業革命についての章。
- ChapXIX:On the division of labour 分業の章(Chap XIX とは、chapter 19 のこと)。ここでバベッジの原理が説明されている。
- Chap
XX: On the division of mental labour 知的労働の分業についての章(Chap XX とは、chapter 20
のこと)。前章の分業論(ピン作り)の話は、実は、数学の計算を行うというような、機械的な知的労働にも適用可能で、さらには、それが機械で代替できるという話。
- このChapXXが、以下で、詳しく検討する部分で、この講義のポイントである「現代資本主義とITの歴史的関連」の根拠。
Chap XX. 「知的労働の分業について」の内容目次
- フランスの大対数表 (§241-246)
- 機械による算術計算の実行 (§247)
- 数学的原理の説明: 階差による2乗の表 (§248)
- .三つの時計による説明 (§249)
- .鉱山における労働力の配分 (§252)
以下次回以後に続く…