情報歴史社会学入門メモ 2016.05.25 (6)
バベッジとアダム・スミスを繋ぐもの
On the Economy of Machinery and Manufactures, 1832 (機械と製造業の経済について 1832年刊)
- Google Books で無料で読めるのは1846年の4版。
- バベッジのこの本についてのおそらく唯一の日本語の本での詳しい言及:「コンピューター200年史―情報マシーン開発物語, マーチン キャンベル‐ケリー , ウィリアム アスプレイ」
- 現代的には生産工学(テイラリズム、トヨタ生産方式)、経営学のような感じ。目次。
- Chap I :バベッジの時代、イギリスを特別な国家としていた産業革命について
- Chap
XX: 知的労働の分業について (Chap XX とは、chapter 20 のこと)
Chap XX. 「知的労働の分業について」の内容目次
- フランスの大対数表 (§241-246)
- 機械による算術計算の実行 (§247)
- 数学的原理の説明: 階差による2乗の表 (§248)
- .三つの時計による説明 (§249)
- .鉱山における労働力の配分 (§252)
フランスの大対数表 (§241-246)
- この部分が、アダム・スミスとバベッジが人間コンピュータによって歴史的につながっていることを示す史料なのだが、その話の前に、その後の部分を見て置く。
- この後の部分は、バベッジの分業論が、現代のコンピュータの先駆である、彼の蒸気コンピュータとともに構想されていたことを示す史料。
つまり、バベッジの本の歴史資料としてのポイントは二つ
- 格差の原理であるバベッジの原理は、コンピュータの構想とともに生まれた。(これから話すこと)
- バベッジのコンピュータの構想やバベッジの原理は、あるフランスの数学プロジェクトを介して、アダム・スミスの国富論に繋がっていた。(後で話すこと)
このことは、現代的な資本主義思想とコンピュータが手を携えるようにして登場したことを示しているが、さらなる議論にはマルクスの「資本論」の話が必要なので、これの説明は、さらに後!
では、ここから、まず、バベッジの著書の、彼の分業論が彼の蒸気コンピュータとともに構想されていたことを示す部分を見ていく。
階差原理の説明と蒸気計算機計画
- 機械による計算という,当時としては当たり前とは言えない考え方を読者に説明する。(247)
- その原理は「階差計算」。の例、つまり、
「x の2乗」の数表。(248) ちなみに数表とは。
- これは全く数学的なので、それを機械で実行できることを説明するために、として、三つの「時計」A,B,Cの説明を表を使い行う。
- そして、これにより限定された場合だが、(248)の階差計算が「時計」の紐(string)を繰り返し引くという操作で、行えることを説明する。そして、the first model of the calculating-engine (蒸気計算機の最初のモデル)が、このように作られつつあるという。(249)
階差機関と解析機関
階差機関:The differential Engine
- 階差機関の原理 階差計算
- バベッジ の著書より.F(x)=x2
- 階差とは並んだ数の右の数から左の数を引くこと。(引き算だけ!)
- x 1 2 3 4 5 6... から
- F(x) 1 4 9 16 25 36... を作る
- 階差 3 5 7 9 11...
- 階差 2 2 2 2...
- これを下から,上に作れば,足し算だけで F(x)=x2を計算できる.足し算だけ。誰にでもできます!
階差計算の能力 advancedな話題
- 数学の理論により,殆どの(連続)関数は,多項式 F(X) で近似できることが知られている.
- マクローリン展開、テイラー展開など。さらには、こちらの定理。
- 易しい解説:高校生のためのマクローリン展開
- 1回の階差計算は,1回微分することにあたる.したがって,
- n次の多項式は,n回階差計算すれば,定数になる.
- 実際に、F(x)=x2 を2回階差計算したら,定数 2, 2, 2, … になった.
- よって,近似の誤差を処理すれば,ほとんどすべての関数の計算,したがって,実質,どんな関数でも,その計算が可能.
- 計算するために必要なのは,数列を記憶しておくこと.そして,数列の項に対して足し算を行うこと.
- バベッジ は,これを機械にやらせようとした.
注. 階差計算を機械に実行させるというアイデアは,バベッジ 以前にもあった
階差機関はなぜ生まれたか
- 先ほどのYouTubeの動画の説明で、数表と、それを印刷する為の「鉛版」 (stereotype plate)を作る為の石膏の母型(flong)が見えた。
- 該当箇所:http://www.youtube.com/watch?v=0anIyVGeWOI#t=58s URLをブラウザに直接入力してください。
- 石膏母型の箇所:http://www.youtube.com/watch?v=0anIyVGeWOI#t=58s
- 数表の箇所:http://www.youtube.com/watch?v=0anIyVGeWOI#t=1m15s
- この印刷の仕組について、YouTube の動画の解説の人は次の様に言っている:
- The purpose of all that was to eliminate the risk of human error.
- 該当箇所:http://www.youtube.com/watch?v=0anIyVGeWOI#t=1m11s
- 人間が入るとエラーが起きる!人間(性)は邪魔だ!
- Amazon FC の1フットルールや、Quiet Logistics の人間禁止エリアと同じ思想。
なぜそうまでして数表のエラーを避けねばならなかったか?
- 答えは英国の国力ため。軍事と航海において計算が重要だった。
- それは今も重要。現代軍事力の中心にはコンピュータがある。
- 現代の軍事超大国であるアメリカの兵器の多くがコンピュータにより運用され、戦闘における多くの計算や決定、兵器のコントロールがコンピュータにより行われている。
- 例えば、この Goalkeeper 動画
- Goalkeeper がミサイルを撃ち落とすには、銃身をどれだけの角度に傾ければミサイルにあたるかを計算する、いわゆる弾道計算が重要。
- ミサイルは高速で動く、船も動いている。海上は強風が吹いている。そういうことをすべて計算に入れてミサイルを撃ち落とす。
- 間違えればミサイルは自分の艦にあたる。
- バベッジの時代には弾道計算は主に大砲の場合で、Goalkeeper のような動く標的の弾道計算はできなかった。
- それでも重力や風で弾道が曲がるので、たとえ標的がとまっていても弾道計算は大変だった。
- また、航海において、星の位置などから船の位置を計算するために計算は大変重要だった。
- その他、産業、軍事、運輸の様々な場面で、英国をはじめとする西欧列強にとって、数学の計算は「国家の力」だった。
- コンピュータがない、19世紀の弾道計算は、数表を用いて行われていた。
- これは第二次世界大戦でも同じで、現代のコンピュータの先祖ENIACは米陸軍の弾道計算のために生まれた。
- つまり、数表に誤りがあれば、戦闘に支障がでるかもしれない。航海における位置の確認にも支障がでる。商取引の計算にも…
- 計算力は国力!!
- ところが、その数表に実際には多くの間違いがあった。
- 人は誤るものだ、だったら機械に全部やらせよう! → 階差機関、解析機関
解析機関: The Analytic Engine
- バベッジ は,英国政府から多大の研究費を得て,階差機関を作ろうとしたが,当時の機械技術では,難しかった.
- そのため,ヨーロッパ各地の工場を使える技術を求めて視察し,その結果が On the Economy of Machinery and Manufactures の執筆となったとも言う.
- しかし,バベッジ の計画は,遅々として進まず,英国政府からも信用されなくなり,資金も続かなくなる.
- さらにまずいことにバベッジ は,階差機関を完成させずに,解析機関という,さらに進んだ機械の設計に没頭するようになる.
- この機械は,一戸建ての家くらいの大きさで,6台の蒸気機関で動かす設計になっていた.
解析機関の能力は現代のコンピュータと同等 advanced
- 階差計算の出力を,再び,階差計算の入力にできるように,出力を入力に結びつけていた. これは現代的用語で「ループ」という.
- 足し算,数列の記録,ループ,条件分岐(つまり、条件を判定して、次の仕事を2つの候補の中から選ぶこと)の四つがあると,現代のコンピュータと,同じ計算ができることが知られている.
- 解析機関は、この4条件を備えており,さらには計算手従,つまり,「プログラム」を,ジャガード織機のために使われていたパンチカードで指定することができた.つまり、原理上はであるが,現代のコンピュータと「同じ能力」を持っていた。
- このパンチカードによるプログラミングの部分は、最初のデジタルコンピュータの一つとも言われるENIACより進んでいるとさえ言える。ENIACにおけるプログラミングはケーブルによる配線で行っていた。
- もし,バベッジが成功していたら,世界はどんな風だったろうか、と空想したいのは人情!それを夢想したスチームパンク小説がある。
分業と計算機 (250)
- これにより、分業 (division of labour)の効果が機械的(mechanical)な作業(operation)でも、知的(mental)な作業でも見られ、それにより「非熟練労働者の雇用を避けることができる」という(250)
- we avoid employing any part of the time of a man who can get eight or ten shillings a day by his skill in tempering needles, in turning a wheel, which can be done for six pence a day;
- つまらない計算のために数学者を雇わなくても済むということも言っている: and we equally avoid the loss arising from the employment of an accomplished mathematician in performing the lowest processes of arithmetic.
分業と資本 (251)
- 分業の効果は大量生産のデマンドを前提とする。そして、それは、大資本を必要とする。この前提がない限り、分業は成功しない:
- The division of labour cannot be successfully practiced unless there exists a great demand for its produce; and it requires a large capital to be employed in those arts in which it is used.
- この分業の方法は、時計の生産では成功するだろう.、と予測している。
- この一言で、まだ、大量生産が生まれていない時代の思索であることがわかる。
- つまり、バベッジは未来を正確に予測した。
- そして、現実の歴史は、彼の想像をはるかに凌駕するものだった。
バベッジの分業論は、単に分業論としてアダム・スミスにつながっていただけでなく、バベッジのコンピュータの構想も、フランスの数学者ド・プロニーの数表作成プロジェクトを介して、アダム・スミスの分業論につながっていた。
おそらく、最初は、数表作成が目的で、そのためのスチーム・コンピュータの原理を考えるなかで、バベッジの分業論も生まれたものと思われる。
つまり、コンピュータ研究が、現代資本主義を生んだ!
アダム・スミスとバベッジを繋ぐフランスの大対数表作成プロジェクト
バベッジの階差機関のオリジンは、彼の自伝 Passages of the life of a philosopher のChapterVに書かれている。
- ただし、完全に信じるのは危険。
- バベッジ自身の記憶・判断なので wishfull thinking が入っている可能性がある。人間は無意識にも自分に都合よく記憶を変えてしまうもの。
- 不完全な身としては、それは非難できることではない。だから歴史家は研究対象の本人が言う事を鵜呑みにしてはいけない。
- しかし、バベッジの記述の調子からして、この部分は、相当に歴史的事実に近いと思われる。そこで、ここでは、その記述を信じて説明する。
- ただし、歴史学的にさらに踏み込んだ調査が必要。バベッジが何時頃 de Prony の仕事を知ったか、それがパベッジの原理や蒸気コンピュータの着想とどういう影響関係にあるのかは、まだ、完全には解明されていない。
- 自伝でのバベッジの原理の扱いは、非常に軽い。pp.436-7 おそらく本人は、それほど重要だと思っていなかったのだろう。
- そういうこともあり、この関係の解明は難しい。(手がかかりが少ないので)。
バベッジが、機械による数表の作成という計画を構想し始めたのが1812年か13年頃(p.42,上記グーグル・ブックスの書籍のページ数)。
図を引き始めたのが1820-1822。政府への提案が1823。(p.47)
On the Economy of Machinery and Manufactures の出版が1832。
バベッジは友人ハーシェルなどと、何度もフランスやヨーロッパ諸国を訪問しているらしいが、彼の自伝には面白いエピソードは詳しく書かれているが、それが何年のことか書かれていない。
しかし、On the Economy of Machinery and Manufactures の知的労働の分業で階差機関の話が書かれる前にフランスの大対数表作成プロジェクトのことが詳述され、それが知的労働でも分業が有効なことを示していると書かれ、また、その説明を受けて機械による計算が説明されていることから、
- 機械で計算を行うことを着想
- フランスの大対数表作成プロジェクトの詳細を知る。おそらくは並行して階差機関を設計
- この2の経験からバベッジの原理を発見
という経緯だと考えられる。
こう考えられる根拠となる部分が、
Chap XX. 「知的労働の分業について」
- フランスの大対数表 (§241-246)
- 機械による算術計算の実行 (§247)
- 数学的原理の説明: 階差による2乗の表 (§248)
- .三つの時計による説明 (§249)
- .鉱山における労働力の配分 (§252)
の「フランスの大対数表 (§241-246)」の部分。
背景:ド・プロニーの計算プロジェクト
- フランス革命直後1790年,フランスの数学者 ド・プロニー (de Prony 1755-1839)が大数表作成のプロジェクトを始めた
- 計算機がない時代の新国家建設のための大事業
- アンシャン・レジームの象徴だった貴族のヘアドレッサーとその使用人たちが革命で失業。参考リンク。その失業対策を兼ねヘアドレッサーの使用人を「コンピュータ」として雇用。
- もちろん、本来の目的は「正しい数表」を作ること。
- これについては比較的易しい論文がある: Work for the Hairdressers: The Production of de Prony’s Logarithmic and Trigonometric Tables, 1990, vol. 12, I, Grattan-Guinness,IEEE Annals of the History of Computing 参考
- この数表作成プロジェクトで使われたのが計算の分業体制
- ヘアドレッサーの使用人は掛算,割り算が正確にできないので,足し算,引き算に,すべての計算を分割・分業化した。
- つまり、階差計算を使った。
- 大量の計算をすることを厭わなければ、この世の計算の多くは、足し算・引き算の繰り返しだけでできる。 ヘアドレッサーの使用人でもできる。
以上のことを説明したのがバベッジの本の「フランスの大対数表 (§241-246)」。その内容は…
フランスの大対数表 (§241-243)
- 知的労働の分業が機械的操作(労働)の場合と同様に可能であり,それはどちらも時間の節約,時間の経済,に結びつく. (241)
- 歴史上最大規模に行われたフランスのド・プロニーの計算プロジェクトが,この考え方の現実性を説明している (242)
- その考え方の元はアダム・スミスの国富論にあることをド・プロニー自身が語っている。(243)
- ド・プロニーが考えた組織構造は三層構造による「知の分業」だった(244)
- 上級層 First section: 数学者。数式を考える。
- 中級層 Second section: 数学者が考えた式を具体的計算に書き換える(コンパイル)。7,8名の人からなる。また、計算の検証(検算)もする。
- 下級層 Third section:実際に計算をする人たち(60-80名)。【これが足し算、引き算しかできないヘアドレッサーの棟梁の下働きだったらしい】
- 最下層の労働の量は大きいが、労働の価格は安くてすむ。
- 最上層の仕事は大変だが(extertions)、一度やれば済む。
- しかし、計算機(a calculating-engine) が作られて最下層を置き換える時には、数学的見直しが必要かもしれない。(245)
- The exertions of the first class are not likely to require, upon another occasion, so much skill and labour as they did uponthe first attempt to introduce such a method; but when the completion of a calculating-engine shall have produced a substitute for the whole of the third section of computers, the attention of analysts will naturally be directed to simplifying its application, by a new discussion of themethods of converting analytical formulas into numbers.
5はバベッジの原理の視線を連想させる。
3は、アダム・スミスの分業が知的労働に応用可能であることをド・プロニーを通して知ったことを示唆する。ただし、自伝に de Prony の名前がないことから、de Prony は知的分業の有効性の説明のためにだけ使ったという可能性はある。(アカデミックな学問では、こういう reservation を常に持たなくてはいけない!)
7は、バベッジが既に低賃金の機械的仕事をする労働者を、本当に機械で置き換えることを考えていたことを明瞭に示している。
人間の仕事が、知的仕事であっても機械に奪われる可能性があるという、このところ良く聞かれる意見の源は、この様に、すでに1810-30年代のイギリスまで遡れる。つまり、およそ2世紀前。
そして、バベッジの On the Economy of Machinery and Manufactures の四半世紀後、バベッジが住んだ同じロンドンの大英図書館で、バベッジの分業論などを手がかりにしつつ、この「機械的仕事をする部品の様に使われる労働者」の問題を、労働者側から見て、新しい経済学理論を綴っていたひとりの亡命ドイツ人(プロイセンのユダヤ人)がいた。
それがカール・マルクス。そして、彼が書いていた経済学理論こそが「資本論」。
続く…