デジカメで気軽かつ廉価に高精度のカラー画像を撮影することができるようになり,史料集めの形が変わってきている.現在でも品質が高い史料画像を作りたければ,最善の方法は専門業者に委託することである.しかし,それにはお金がいる.特にカラーデジタル画像の作成費は高い.残念ながら,人文系に十分な研究費が配分されない我が国では,そうそう簡単に専門家に画像作成を依頼することはできない.そこで,多くの歴史研究者は,自分自身で工夫しながら,史料の画像を作成している.このページは,林が担当する現代文化学系「情報技術演習I」での教材にすることを第一の目的として,,史料収集に同じような苦労をしている同業者のための参考となることも期待しつつ作成した.
小野沢准教授は2009年夏に渡米して冷戦関係の史料をデジタルカメラで大量に撮影してきた.訪問先は,国立公文書館(National Archives:以下NARA).文書館,図書館での貴重文書の扱いは大きなところでは一致する点が多いが,標準のようなものはない.それぞれで事情が違う.NARAの場合は・・・
NARA ワシントンDCの連邦議会議事堂のほど近くに本館がありますが,私が史料収集してきたのは,National ArchivesUというメリーランド州の施設で,本館から無料シャトルバスで1時間弱のところにあります。HPはhttp://www.archives.gov/
史料を引き出すためには,引き出す史料を同定しなければなりませんが,これについて丁寧に書くと長くなるので,ごく簡略に説明します。最初に強調しておかねばならないのは,何の準備もなしにNARAに行っても,ほとんど仕事にならないであろうということです。先行研究などで,事前に史料の当たりを付けておき,閲覧室に備えられている史料のリスト(Finding Aid)で,必要な史料の呼び出
し番号を調べます。このとき,必要であれば閲覧室に常駐しているアーキヴィストに相談します。
史料の情報を記したリクエスト・カードに呼び出し番号など所定の情報が記載されているかアーキヴィストにチェックしてもらい,アーキヴィストを通じてそれを提出します。場合によりますが,だいたい1時間から1時間半で,リクエストした史料が閲覧室に運ばれてきます。引き出せる史料は,25ボックス入りのカート2台までで,翌日にも同じ史料を閲覧したい場合には,カート単位でキープしておくことができます。
NARAでは,史料閲覧者が自分でコピーをすることができます。コピー料金は1枚25セントですが,文書館にコピーを依頼すると1枚75セントになります。(これでも,英国よりはずいぶん割安です。英国の公文書館では,コピーはすべて文書館側に依頼しなければならず,しかも料金が割高です。)カメラでの撮影,および三脚の使用も許されています。ただし,フラッシュは使用禁止です。注意すべきは,コピーにせよ,カメラでの撮影にせよ,複写をする場合には,そのための許可を取らねばならないということです。サンプル写真の右下に見えるシールが,複写許可を示すものです。
これらの写真は,キャノンのPower Shot SX20ISで手持ち撮影したものです。コントラスト高めに設定した以外は,プログラム・モードそのままで,ファイルサイズは最大に設定しています。水平と垂直が出ていないので(林注.いわゆる歪形収差等.これがデジカメ撮影時の悩み),美しくはないのですが,文字情報はじゅうぶんに写り込んでいます。今回の最大の失敗は,一部の写真でピンボケが発生したことです。このクラスのカメラのオートフォーカスは,無地の被写体(何も書いていない紙や白壁など)ではピントを外しやすいので,フォーカス・ポイントを文字のある部分に持ってくることで,ピンボケの可能性は低減します。事前にカメラのクセをつかんでおくのも有効です。とはいえ,撮影した写真を1枚づつ拡大して確認しない限りは,完全に防ぐことは不可能でしょう。
デジカメで史料を撮影する方法のメリットは,@コストの安さ,A何度でもプリントアウトして使える利便性,B情報の多さです。
@研究資金,滞在時間は無限ではないので,コピーの場合,複写する史料の選択にけっこう時間を使います。デジカメの場合は,疑わしきは撮影しておいて,帰国後にゆっくり閲覧できるメリットがあります。私は,10日間で7千枚ほど撮影してきました。(でも,けっして「エコ」ではありません。)
Aコピーしてきた史料の場合と異なり,何の躊躇もなく蛍光ラインマーカーを使用できます。プレゼンなどで使用する可能性も拡がるかもしれません。
Bかすれたり,薄くなったりした文字も,モニター上で拡大することによって判読できるものが多くありました。また,コピーやマイクロフィルムは白黒の世界ですが,デジカメでは色情報も残せますので,これがけっこう助かります。もとの史料の紙の色,手描きされた文字の色など,史料の素性を物語る多くの文字以外の情報が残せることは,大きなメリットです。
とりあえず思いつくのはこれくらいでしょうか。
2013.05.16 林が追加:これは数年前のもの。現在は画像は数万枚にたっしている。
林が作成した文献学研究用ツール SMART-GSを使って二種類の資料の翻刻作業をおこなっている.
永井教授とそのグループは,世界最長の日記とも言われる枢密院議長倉富勇三郎の日記の全翻刻を目指し,プロジェクトを進めている.この日記は,戦前の皇室・政界などについて,多くの重要な情報を含んでいるという.その倉富日記について・・・
原本は国会図書館憲政資料室に所蔵されている.同室で日記すべてを写真撮影し,マイクロフィルムとして所蔵してる.同室で閲覧する場合は,マイクロフィルムから焼き付けたものをみる.原本は特に依頼しないかぎり閲覧できない.
国会図書館ではコピーサービスをおこなっている.また,マイクロフィルムの複製サービスもおこなっている. この倉富日記全部のマイクロフィルムのコピーを購入し,文学部図書館に収納した.
上記マイクロフィルムから業者に発注してTIFF画像を作成した.
なお,国会図書館憲政資料室には,日本近代政治家の私文書が多数所蔵されており,複写サービス(写真撮影もしくは紙焼きコピー)を受けることができる.
今年の3月に倉富家の遺族のお宅で,いままで知られていなかった日記の原本の続きを発見した.それを京都大学にもちかえり,業者に依頼して,画像化(写真撮影はぬきに)した.
野村吉三郎は日米開戦に重要な役割を果たした軍人出身の外交官.その文書は日米開戦の原因・経緯について重要な情報を含む.
この文書の原本は,現在国立国会図書館憲政資料室に所蔵されているが,数年前までは野村家に所蔵されていて,その存在は知られていなかった.それを世にだしたのは,現代史研究室の外国人特別研究員だったPeter Mauch(現在立命館大学)氏で,遺族から一時借り出して,文学部の現代史研究室にもちかえって研究した.その時に,全部をマイクロフィルムにとった.これも業者に依頼した.
上記のマイクロフィルムから一部の文書を画像化した.一部は業者に依頼し,一部はスキャナを使って画像化した.
昔は,自分で写真撮影をしたが,最近では史料館・図書館で複写サービスが進んでいるので,写真を使うことは少なくなった.ただ,デジカメでもメモがわりに撮影することはある.
林は以前は,19世紀から20世紀のドイツ数学史をやっていた.そのころ良く通った図書館(といっても計4回?)は,ドイツ,ゲッチンゲン大学の中央図書館と,数学研究所の図書室.この二つに数学者 D. Hilbert の遺稿集が保管されている.その詳細については,こちらの文書にまとめてある. 残念ながら,林が主に研究したヒルベルトの数学日記は,別のグループの出版計画があるために,WEB上ではあまり公開できないが,一部は,ここで公開している.
この研究で,必要に迫られて SMART-GS というツールを作り,さらにHCPというプロジェクトを始めることになった.
この数年は,京都学派の論理,特に田辺元の種の論理のテキスト生成研究を中心に田辺哲学の思想史研究を行っている.これは主に明治から戦後にかけての日本,ドイツの思想史研究となる.その研究における,デジタル画像利用は、おおよそ次の二つに分類できる:
まず、最初の使い方である。この研究は思想史であり,その大部分が哲学の理解に費やされる.林は哲学者ではないから,これはかなり大変な作業になる.特に田辺の思想を大掴みに理解するために,15巻もある田辺元全集の殆どを読まなくてはならない.これを哲学者がやるように,端から丁寧に読んでいたのでは時間がかかって仕方がない.それより何より,哲学の専門家でないので,そういう風に読んでも,なかなか専門家のレベルの細部に到るような理解はできない.この研究は19,20世紀の論理学史の一環と位置づけているので,史料を援用し,内容はむしろ大局的・概論的に理解しないと先に進めない.こういう状況で,15巻の全集をある程度,検索できるということは大変ありがたい.たとえば,「絶対媒介」という言葉が,どこに最初に現れるか,これが検索ができれば,大体わかる.検索はOCRによるコード化を使うが,昭和30年代の印刷物はかならずしもOCRでの認識がよくない.そのために,検索して見つからなくても,それが全集の文章に本当に無いとは言えないが,検索でヒットすれば、それが本当に正しい文字列かどうかは目視で確認すればよい.もし思っていた時期より前に「絶対媒介」という言葉あるのをコンピュータが見つけてくれるならば,それだけでも理解が大変に楽になる.
二番目の使い方は,コピー機を使うのが何らかの理由で困難な史料をデジカメなどで撮影して画像化し、後に演習で使うSMART-GSで読むということである.SMART-GSのつかいかたは、その時に学ぶので、ここでは画像の作り方を説明する。
コピー機で書籍を扱うと,(a)ガラス面に押し付ける,(b) ページを繰る,という二つの動作の際にかなり書籍に強い力がかかってしまう.このため,古い書籍や紙史料はコピー機で撮影すると痛みがちである.そのため,田辺の手書き史料(原稿用紙,手帳など)は,コピーせず、デジカメかマイクロフィルムカメラでの撮影を行う.この場合は資料は上向きにしたままで撮影ができるため,比較的書籍や紙資料に物理的力がかからないようである.また,この方がページを繰るのが速い,さらにはずっと廉価である,というメリットがある.
その撮影には歪形収差やフォーカスの問題,そして,酸性紙で崩壊しつつある書籍を如何に扱うか,など幾つかの面倒な問題がある.これらはそれぞれの歴史研究者が工夫をしているようだが,林の場合は,田辺の手書き資料の大半が群馬大学にあり,撮影機材を群馬大に持ち込む必要があるため,次のような工夫をしている.
実際の撮影機材は,次のようになる(これは少し古いもの):
センターポールにぶら下げてあるのはガムテープ.これはカメラの重さとバランスをとるための錘として使っている.
この撮影の対象は、完全に開くと割れそうな本だったので,奇数ページ,偶数ページを別々に撮影している.そのため,この動画(AVI)のようにページを繰っていく.また,これは最初の方での撮影だが,ページ数が進むと次の写真のようなページ押さえの工夫もする.板は書見台であり、テーブルにガムテープで固定してある.緑のページ押さえは,園芸用のビニールコートされた金属製支柱を折り曲げて作ってある.
また,EOSのリモート撮影は次の二つの動画のようになる.
デジカメによる史料撮影には、幾つかの困難な問題がある。以下、その幾つかを述べる。
これはもっとも頭の痛い問題で、林は未だに解決できないでいる。
小野沢准教授の場合のように、自分が史料を読めればよいという場合には、史料が少し位曲がって写っていても、何ら問題はない。しかし、林が主催している京都学派アーカイブなどの、多くの人たちに史料を提供するという意味での「公のアーカイブ」の場合には、画像の品質をある程度高いものにする必要がある。これは史料が失われた時のための保全の意味もあるし、それより、多くの場合ユーザが「公」のものには、それなりの品質が要求されると考えていて、それに適合しないものは、最初から自分が閲覧するものから除外することがある、という社会習慣的な問題でもある。
そうなると、OCRの実習で使ったような無反射ガラスの使用が必須となる。しかし、無反射という名称ながら、実際には、かなり光源を反射する。特に出張して撮影する場合、撮影場所を選べない場合もあり、その場所の天井に照明器具があると、それが無反射ガラスに写りこんでしまう。林の群馬大田辺文庫の史料撮影の場合は、群馬大が協力的なのと、他の撮影者とかち合うことがないため、かなり自由にさせてもらえて、書庫の電気を切れば、この映り込みの問題はなくなる。
そうすると今度は自前の光源を用意する必要がでてくる。LEDランプが登場したお蔭で出張撮影の際に、たとえば、左右計2個の照明器具を持っていっても荷物の大きな重量増加をもたらすことが減っている。画像を人間が目視するだけならば、ホームセンターなどで売っているLEDスタンド2機を購入して、こういう問題を解決することは比較的容易である。
しかし、後で実習するSMART-GSによる手書き文字の画像検索の精度を上げるために、たとえば田辺元史料の原稿用紙に書かれたテキストの原稿用紙の罫線だけを除去してモノクロに変換してもらう、という様な作業を、業者に依頼すると「撮影の際に史料上の光にムラがあり出来ません」という回答を得ることがある。出力が低いLEDランプは廉価であるために、これを多数並べたデスク・ライトなどが売られており、これは点ではなく面で発光するように見えるために、ムラが少なく見えるのだが、この様な場合には「ムラ」が生じている可能性が高い。(これは試したことが、まだない。)
この様に、「史料撮影の光源を何にするか」という問題は、未だに解決できていない、大きな問題点である。ただし、もし、前回のOCRの実習で使ったオーバーヘッドスキャナーの精度が上がれば、スキャナー自体が光源であるため、上記の問題は、すべて解決されてしまう。
とは言いながら、スキャナーが発する光が史料を痛めることがないか、という未知数の問題も残されている。
上で示した、林の京都学派研究における史料撮影では、群馬県前橋まで出張して撮影するために持ち運びやすい・軽量である、などの条件を考慮して、グラスファイバー製のイタリア製高級写真撮影用三脚を使っている(店頭展示品で値引されていながら10万円ほどしたもの)。しかし、研究室などで撮影する場合には、撮影台という、ヨドバシカメラなどで売っている
http://www.yodobashi.com/ec/product/000000110144000562/index.html?gad1=&gad2=g&gad3=&gad4=56278881131&gad5=10521445259500096873&gad6=1o3&xfr=pla&gclid=CjwKEAjw65GqBRCj3fLFwK2SpWoSJABa3E3ch9y8Pj_sIkeQabSxTUnd9yuRypf_fQf90kBlGDqf7BoCvqLw_wcB
とか
http://www.biccamera.com/bicbic/jsp/w/catalog/detail.jsp?JAN_CODE=4988115188027&source=googleps&gclid=CjwKEAjw65GqBRCj3fLFwK2SpWoSJABa3E3clbwHRq0VxThl2FTaSbr2EAsfE4zIwd_Ukp3FKV1_KRoCkgPw_wcB
を使う。光源や台がついておらず机に固定するタイプもあり、その方が安いので、林はそちらを使っている(光源は別途持っているから)。
ただ、原稿用紙などの大判のものでは、この様な撮影台・コピー台ではカメラの固定位置を十分高くできないために、結局三脚を使うこともある。三脚の欠点としては、固定が firm でなく全体が転倒して史料を傷つける心配があることがある(実際には、転倒は一度も経験したことはないが)。
また、手帳などの冊子の形をしたものの撮影では、台の高さをどするかというような問題がある。京都学派アーカイブの、この資料は
http://www.kyoto-gakuha.info/tanabesamples/04_008.jpg
プロに依頼して撮影してもらった田辺元の日記(手帳)である。
真ん中に影が見えるが、台が左右に分かれていて手帳の背が、
その間の溝に入ることで手帳を無理なくガラスで平たく台に押さえつける
ための工夫がされている。ある会社が自社の方法をWEBページで
紹介しているが
http://www.kms.gol.com/tigai/tigaiE.htm
の「原本も極力いためず撮影できる当社改造型ブックホルダー」という項目を読むとわかるように、各社でそれぞれ工夫しているらしい。林が以前見せてもらったマイクロフィルム撮影の現場では、クランクで左右の高さが調節できる台を使っていた。これはページを繰っていくと、見開きの左右の高さが変わっていくためである。つまり、左右の台の高さを変えないと、左右のページの高さが同一にならず、ガラスで押さえたときに、 資料に無理がかかる。林の場合は群馬で撮影するので、 旅行の途中で雑誌を買っていって、それを分解して左が側の下に必要な 枚数の雑誌のページを置いて右と同じ高さにし、ページが進んで左が 高く、右が低くなったら、雑誌のページを少し抜き取ったら、場合に よっては、それを右のページの下に敷いたりして高さを調整したりしている。
また、資料は古いので撮影していると、台が汚れることが多い。その場合に備えてビニール・シートなどを敷き、また、刷毛などでシートを清掃しながら撮影するという工夫も必要である。