ハリントンの第2章は、ユクスキュルとドリーシュの二人、実際には、ほとんどユクスキュルについての説明。特に、彼の Umwelt と functional circle (この図既出)の概念を中心に話を進めている。これを、いままでの脱魔術化の話と関連づけてみていく。(この最後の部分はハリントンの本にはないところ。ハリントンの本のテーマは、結局は、政治的ホリズムに常に収束しているので。)
いままで、ユキュスキュルと書いていたが、Forvo でのドイツ人の発音を聞いてみると、どちらかというと、ウキュスクル(ちなみに、Ue は Ü に同じ)に聞こえるので、それに近い、標準的表記のユクスキュルに変更。
Jakob von Uexküll, Wikipedia: 独 英 日
バルト三国のひとつエストニアの「ドイツ人」、いわゆる、バルト・ドイツ人。
つまり、バルト海地方をデンマーク人などとともに植民地的に支配していたドイツ語を話す人たちの末裔で、男爵の家柄。おそらくは、ドイツ騎士団の末裔と思われる。(参照)
しかし、第一次世界大戦で、彼の家族の地位と財産は、ロシア革命とワイマール共和国という、「左の勢力」により崩壊する。ちなみに、第一次世界大戦以前は、エストニアはロシア帝国の支配を受けていたが、ドイツ騎士団の末裔たちとロシア皇帝の関係は政治的には良好でギブアンドテイクで、エスニックなエストニア人たちの上に共同で君臨するという関係であった。
この背景が、ユクスキュルの思想に大きな影響を落としている。
基本的には、彼は反民主主義。特に、科学の世界では、「多数派がヘゲモニーをとる」という考え方は中世的だと思っていたという。つまり、科学の世界では、正しい天才が、すべてを支配するという意味。また、一時、マテリアリストになるが、基本的には、幼少のころから神秘主義的で、機械論的世界観を強く嫌った。どれほどかは、後で説明するが、アインシュタインの相対性理論などは、目の敵にするとういう位の人。基本的には脱魔術化が開始される以前の時代に自分のアイデンティティに置く人。それが彼の世界観、特に Umwelt の生物学と連動していることは、以後明らかになる。そして、ユクスキュルは、その生物学を通しての影響力を通して、ドイツ社会での政治についても発言している。
ユクスキュルが彼自身の Umwelt 研究所を持つことになったハンブルグ大学の科学・数学・技術史センターの Torsten Rüting 講師 による、ユクスキュルとハンブルグ大 Umwelt 研究所についてのPPT資料。これを使って、ユクスキュルの生涯と彼の Umwelt 概念の概要を説明。ただし、ちょっと、再魔術化関連のことで補足が必要。つまり、この資料は、ユクスキュルの思想が再魔術化だというハリントンの視点は含んでいない。この特殊講義のポイントは、そこなので補足が必要。(ということは、ユクスキュルの生物学は、再魔術化というような文化史的観点以外の純粋に生物学的観点からも重要ということ。2005年に岩波文庫に収録されている。
以下補足資料:
以上の説明で明白だろうが、Umwelt と subject との関係は、インタラクティブで双方向的であり、脱魔術化された世界の一方向的観測と大きく違っている。この意味で、すくなくとも非脱魔術化である。しかし、使われている用語が、非常に機械的なものであることも事実。それは妖精や精霊がいる世界とは異なるように見える。
しかし、ユクスキュルは、自分の思想を脱魔術化以前の意識と結びつけて理解していたことが知られている。これを彼はあまり公には語らなかったようだが、親友チェンバレンへの手紙のなかで、次の様なことを言っている。ハリントン pp.46-7。二重に訳すと意味が乱れるといけないので、英語のまま引用:
... Einstein makes about a conceptual space without center or coordinates... they do not interestme at all either, since this space, the more it distances itself from concrete space, ...
Concrete space is alone real. ...
...The higher reality that reigns (支配する) there remians for us unknowable, whether we now call it "Nature" or "God".
... I am afraid that if I publicly proclaim this perspectieve, that theywill treat me a la Galileo, and either lock me up in a madhouse or else ridicule me as an arch-reactionary (超反動者).
However I must just once say my piece. Perhaps no one will understand me anyway. Nevertheless, it remains a fact: "Epur non si muove." 参照 I do not move around the sun, but rather the sun rises and sets in my arch of sky. The same thing occurs in a hundred thousand other arches of sky.
ガリレオへの引用、特に有名な、それでも地球は動く、を否定にして使っている所を、脱魔術化された世界の一方向的観測の状況と比べれば、言いたいことは明らかだろう。
ユクスキュルは、このような Umwelt を、それぞれの subject の周りに想定し、それらは、ダニの機械的と言いたくなる function circle のように、種に特有の設計図 Bauplan で動いていると考えた。そして、それら全体が、また、あつまって、インタラクティブに動いており、それらも、また、神の見えざる手のような Bauplan で動いているとした。
そして、人間の Bauplan の中にだけは、神のような永遠性を持つものが含まれているとした。
ユクスキュルの Umwelt の概念、functional circle (Funktionskreis) は、現在からみれば、特にサイエンスやテクノロジーを逸脱するものには見えない。
ユクスキュルの「ダニ」の Umwelt の説明は、現代の我々には、むしろ、自律ロボットや、自動制御の機械の動きを思い起こさせる。この当時と、現代の違いは、subject、 主観、主体の役目をするコンピュータ CPUという「機械」の存在、そして、知覚の代わりをできるセンサーと、精度の高い駆動機械。
実際、ユクスキュルの Funtionskreis (前に見たもの、Wikipedia記事)
この内、コンピュータはセンサーや駆動機械でも使われている。つまり、コンピュータという、「刺激 cue に反応し、思考さえする機械」という生命めいた機械の登場が、 Umwelt 概念による生物学という、近代科学を保ちながら、「コペルニクス以前」「ガリレオ以前」の consciousness への回帰に望みをつなぐ、というユクスキュルの戦略を、むしろ、情報工学的、制御工学的なものに見せている。
これは、工学が、つまり、ユクスキュルのとっては、機械という近現代の悪夢の象徴であったものを作り出す活動だったものが、ユクスキュル的になっていることを意味している。ただし、それはユクスキュルの議論の「機能=function」の側面だけを切り出したもの。ユクスキュルが、それを通して目指した、古い価値観、世界観への回帰ではない。
つまり、今日、説明するように、ユクスキュルは、Funktionskreis の中心の Innenwelt 内的世界に座る subject に、生命を見出し、その生命がもつ、設計図 Bauplan の中に「目的論的価値」を見出そうとした。さらには、人間の場合には、そこに、永遠なものや神聖なものを見出そうとしたのだが、現代では、彼の死の2年後の1946年に発表された電子部品からなる Giant Brain ENIAC の末裔が、その位置を占めている。つまり、現代のIT技術や制御技術は、ユクスキュルが彼の Funktionskreis に見出そうとした「生命」や「魂」は、電子機械で代用できることを証明してしまった。
もし、ユクスキュルが、現代に蘇って、この歴史的事実を見たら、どのような感想をもっただろうか?
ユクスキュルの生物学は、再魔術化なのだろうか、それとも「脱魔術化された魔術」なのだろうか?
この例のように、現在、再魔術化と呼ばれているものの多くは(おそらく、ほとんどは)、実は、「脱魔術化された魔術」、つまり、「完全に脱魔術化されているのだが、その機能面にだけ注目すれば、魔術化されたものの機能と同じような機能を持つもの」だと林は考える。
魔術化されたものがあり、脱魔術化されたものがあり、それらが、没交渉ならば、魔術化されたもの、あるいは、(最初から)魔術的なものは、細々とではあっても保全される。しかし、再魔術化を、上の様に理解すると、その「保全されていた魔術的世界」さえ、分離して保全することができなくなり、合理化、つまり、脱魔術化されてしまう。つまり、再魔術化は、実は、「脱魔術化の徹底」でもある。
コンピュータを中心とするIT技術は、そういう、「再魔術化=脱魔術化の徹底」に大きく貢献してきた。現代のテクノロジーで、この「再魔術化」に貢献しているものに、現代の生命科学、つまり、遺伝子工学がある。
その遺伝子工学の先駆者の一人で、「クローン技術の創始者」(これは言い過ぎだと思う)という評価を得ることがあることもあるドリーシュについて、ユクスキュルとの関連を見る。
ユクスキュルはナチ時代以前のドイツ生命科学における「再魔術化」、あるいは、「反脱魔術化」の旗頭であったが、同じ傾向を持った人は、他にも少なくなかった。その一人で、ユクスキュルも、その研究を高く評価していたのが、「世界最初のクローンを作った人」(←これ間違いです)という評価もある、生物学者ドリーシュ。
この人は以前説明したように、ウニの卵子が二つの細胞に分裂したときに切り離すと、二つの少し小さな個体に育つことを発見した人。
普通の意味の機械は、二つにわけると、もう元の機械としては機能しない。もし、生命を物理機械と同じもので、ニュートン力学や化学で説明できるというのならば、なぜ、この様なことが起きるのか説明できなくてはならない。この生物の発生は、生命機械論では説明できないことであり、それ故に「生気」のようなものが存在するはずだ、とドリーシュやユクスキュルは主張した。
ユクスキュルの Umwelt は、生命の観察から導き出された解釈だが、ドリーシュの方は、実験だったので、さらに科学的な雰囲気をまとっていただけに、新生気論者にとっては、その主張の非常に強い根拠となった。ただし、現在の我々は、それが完全に「メカニカル」なプロセスで可能であることを知っている。
ドリーシュは、彼の実験の後、ウニ以外の生物でも同じことを試みたが、すべて失敗し、その哲学的な背景を研究し始めた。そして、やがて、生物学者としての道を放棄し、哲学者になり、コロン大学やライプチヒ大学などで教え、哲学者としても国際的に高く評価されることとなった。
しかし、ユクスキュルはドリーシュが哲学的になるに従い、彼と距離を置くようになったという。ユクスキュルは、自分が太陽の周りを回るのではない、太陽が自分の周りを回るのだ、と言っても(上記、チェンバレンへの手紙)、この人は基本的には自然科学者だったといえる。ただし、その自然科学の中に、脱魔術化以前の「心性」が宿ることができる、それを科学の中で回復できると信じた人だったのだろう。
ユクスキュルは、高齢になるまで、独立研究者というべき位置にあり、大学教授(正確には名誉教授らしい)になったのは60歳の時である。この間、貴族出身の彼は世界大戦で多くの富を失ったものの、十分な財産は持っていたようで、イタリアのカプリ島のビラなどで暮らしている。そして、その間に、多くの一般向けの書籍などを書き、生物学というよりは、ドイツ語圏の文化全体に直接影響力を持った。おそらく、これらの印税などが、彼の生活を支えた所が少なくないのだろう。
もちろん、彼の著作の多くは生物学関係のものだったが、彼は、その Umwelt 理論を、生と死の問題や(生命が死ぬと、その Bauplan は、宇宙の Bauplan の一部に帰っていく)、社会の機械化の問題などにも向けられた。そして、そのかなりの部分が、実は、Umwelt 理論による政治論であった。つまり、宇宙の Bauplan の存在を主張するということは、当然ながら、国家の Bauplan も考えることになる。そして、生命と国家のアナロジーを使い、頭脳にあたるエリート集団と、そのエリート集団による統治の合理性を説いた。特に保守系雑誌 Deutsche Rundschau (German Review)の特別号として書かれた 1920 年の、Staatsbiologie 国家生物学、の影響は大きかったという。
また、その論はユダヤ人問題にもおよび、彼はユダヤ人を、より「近代合理的で機械的」とみなしていた。しかし、友人にユダヤ人も少なくなく、また、ユダヤ人の迫害には反対していた。彼は、ドイツ人やイギリス人のようなゲルマン系の人種が優秀性は信じていたようだが、それにより低い位置に置かれる人々を抹殺するというように考える人ではなかっという。
たとえば、ナチ政府がユダヤ人や社会主義者などを大学から法的に追放した際には、ナチ政府の法相ハンス・フランクを含む聴衆のまで、古き良き自由な大学の体制をナチスが壊したことへの非難を含意する演説をし、途中で、フランクが、もう十分聞いた、と話を止めさせようとしたのを無視して講演を続けたという。
ユクスキュルは1944年にはイタリア、カプリ島のビラに住んでおり、そこで病没した。亡くなった時、カプリ島は米軍に占領されておりハリントンによると、その際、著名な生物学者への敬意として、米軍は葬儀のための牧師を探してくれたが、その時、カプリ島にいた唯一の聖職者は、ウィーンから亡命したユダヤ教の若いラビ一人だけで、彼の葬儀は、このラビにより旧約聖書の詩篇を使って行われたという。
ユクスキュルという人はバルト海地方という、ある意味では、ドイツ本国より、ドイツの古い伝統的社会を守ることが容易だった地域の、支配階層としてのドイツ人の世界観、生活感、歴史観を持った科学者だった。その古い時代の精神を、新しい自然科学観の中に宿らせることが可能な理論である Umwelt 理論を考えだし、その理論を武器に、脱魔術化された「近代的精神」である、機械論、民主主義などに、「古い精神+新しい自然科学」の立場から闘いを挑んだ人。その意味では「近代化された古い精神」ともいえるが、ナチのような「古い精神の近代化」ではなかった。あくまで、本当の伝統的精神を持ち、その上に自然科学が載っている、そういう精神だったのだろう。そのことが、彼のユダヤ人への態度に垣間見えるように思える。貴族である彼は、農奴のような、自分に使えるべき人たちを慈しむべきであり、根絶やしにしてしまうという近代的発想を持つことはなかったのだろう。しかし、彼の死後、彼の再魔術化は、上の工学者たちの資料やサイトでみたように、コンピュータの登場を受けて、むしろ「脱魔術化の徹底」のためのテクノロジーの基本アーキテクチャとして機能するようになった。
このドイツ生物学の「再魔術化」、特に、ユクスキュルの「再魔術化」に見た、「脱魔術化の徹底」という皮肉な結果は、先に紹介した、このドイツ生物学の歴史と時間的に、ほぼ並行して、やはり、ドイツ語圏で起きた「数学の基礎付け研究」にも見て取れる。
先に説明したように(講義資料20140519の 「ゲーデルの歴史観」)、論理学者クルト・ゲーデルは、ルネサンス以後、すべての思想潮流が左に流れたが、唯一、数学だけは、むしろ、近代になって右傾化したと主張した。そして、その右傾化とは、1870年代のドイツ数学界に登場したカントールの無限集合論のことであった。
この講義では、ゲーデルが論じた「左傾化」がウェーバーなどの脱魔術化に極めて似通った概念であることから、これを数学の(基礎の)脱魔術化、数学の近代化と理解し、その結果「右傾化」を「数学の再魔術化」と理解した。
実際、この時代の近代合理性を重んじる数学者たち、たとえば、ベルリン大学教授のユダヤ人で、若き日は、親族が営む金融業を手伝い、働くことなく生きることができる財を築い後、自由人としてベルリンの学界で活躍した、レオパルト・クロネッカーなどは、この無限集合論を「哲学の様なもの」として排斥しようとした。他にも、マイヤーという当時の著名な数学者が、このカントール的な手法を使ったダーヴィット・ヒルベルトの代数学を、集合論を使うので科学的でない(ただし、科学=Wissenschaft)という意見がある、と権威ある総合報告論文で書いたという事実がある。また、数学者ゴルダンは、このヒルベルトの代数学の証明を「数学ではない、神学だ」と批判したとことで有名(ただし、すぐに意見を変えて、「神学も時に有用だ」といったという。ヒルベルト、ゴルダン、双方の親友のクラインの回想)
ゲーデルは、哲学的な人であり、ある意味でユクスキュルに近い立場にいた人。彼はドイツ系でハプスブルグ帝国の臣民だったが、チェコの植民者であった。第一次世界大戦が、彼に与えた影響は、ユクスキュルの場合ほど辛いものではなかったし、ユクスキュルより40才も若い、非貴族の平民(父は繊維関係の仕事に従事。裕福だった)の彼は王制へのノスタルジーはなかったようだが、それ以外の面では、色々と重なるところがある。
しかし、彼が「右傾化」と見た、集合論は、実は、公理的集合論という、工学化したユクスキュルの Funktionskreis と同じような運命をたどっている。つまり、最初、集合論は哲学の一部分であるアリストテレス論理学の、類の理論の数学化として登場した。(この本を参照。和訳計画あり) しかし、その中に矛盾が発見されて、数学基礎論論争という、数学史上まれにみる台理論闘争に発展し、最後は、学界闘争にまで発展した。しかし、公理的集合論という、類の理論とともにアリストテレス論理学の基幹部分である、シロギズムの理論(2回生用後期講義で話しているもの)を数学化した記号論理学を使って、集合論を「形式的理論」というコンピュータ処理さえできる機械的なものにしたもので、数学が再構築できることが広く知られるようになり、この問題は沈静化した。
つまり、実はゲーデルが「数学の右傾化」と呼んだものは、「哲学の一部であった論理学を左傾化である公理的集合論を哲学から切り離して数学の一部に取り込むこと」だったのである。これは、ユクスキュルの魂の場としての Funktionskreis が、制御工学の入門講義の一部になってしまっているのに似ていないだろうか?これも「脱魔術化の徹底」としての「再魔術化」の一例なのである。
次回から、社会学者、G.リッツァーの再魔術化論。