論理学の歴史資料 2014.12.22

2014.12.24に日付の間違いなど訂正

質問票で,論理式の所が全くわからない,そこは解らなくても大丈夫だろうか,という人が数名.

すこし数学的過ぎたようなので,説明を書き直しました.

ただ,数学的てわからないという人がいるということも,この講義で「論理学」というものを考えるときの重要なポイントになります.

それは,「なぜ,わからない,あるいは,分かりにくいのか」という問題です.

前回の資料から(数理論理学の部分をなるべく易しく書き直した

バートランド・ラッセルの perfection の世界

今までの林の話に違和感を覚えた人はいないだろうか?

林は,前回の質問票への答で,自分が最初,理系を目指した理由を「世界を掌に置きたい」というエモーションだったと説明し,それをラッセルが,インタビューの中で言っていた,彼が40才の頃まで数理論理学に求めた,eternal, timeless, a sort of perfection の世界,と関連づけた.

しかし,今までの記号論理学,そして,それとアリストテレス論理学の表現能力の比較の解説で出て来た話は,Everybody loves my baby.... とか,OPACの話に過ぎない.

何故,ラッセルは,そんなものをキリスト教的宗教の代替物にすることが出来たのだろうか?

実は,ここに大きな秘密がある.

先ほど示した様に,実は,関係,述語ベースの論理学と,古代以来のアリストテレス論理学の距離は,思いがけないほど近い,という事実.

しかし,ラッセルが宗教の代替物と感じたのは,その部分ではない.

彼が宗教の代替物と感じたのは,論理学だけから数学を基礎づける可能性

もっと具体的に言えば,自然素,整数,有理数,実数,複素数などの数を,論理学だけをもとに再創造する可能性.

30歳の頃のラッセル(ラッセルの生誕と没:1872-1970)は,これを成し遂げたと信じていた.

その時の様子は,彼の自伝に詳しい.毎日が,数学というプラトンがイデアの世界に比した世界を,自分が論理学という「すべての学問に先立つ基礎的学問」のみを使い再創造するという知的恍惚感で満たされていた.

ところが,ある日,ラッセルはとんでもないものを発見してしまい,彼の perfection の世界は光り輝く夢の世界から悪夢に暗転する.

それは,「ラッセルのパラドックス」として有名な集合論の矛盾.つまり,ラッセルの論理学は矛盾していた.

数学を記述し再構築するための言語としての数理論理学

今までの話では,記号論理学,述語論理学を,哲学の一部であったアリストテレス論理学の視点から見て説明を加えてきた.

ところが,ラッセルの記号論理学のもともとの目的は,そういう「アリストテレス論理学の代替物,あるいは,進化形を作ること」ではなかった.

それの目的は,「数学を基礎づけること」であった.

19世紀には,数多くの「新しい数」や「新しい空間」が発明されるなど,数式の学問だった数学に様々な新概念が導入された.これらの技術革新とともに,実数や無限小などの,近世以来使われ続けていた数学の概念の基礎を,よりクリアにする必要性が生まれた.たとえば,実数,特に無理数とは何なのか,そもそもそれは存在するのか,そういうことについて議論が行われた.ラッセルがしようとしたことは,この数学という学問の基礎付けを once and for all で解決してしまうことだった.

ラッセルは,一度,それを成し遂げたと信じ,宗教的とさえ言ってよい陶酔に浸ったが,数年後,それは一挙に悪夢に暗転する.そして,長い苦闘が始まり,その努力は,彼の代表作,Principia Mathematica 3巻に結実する.その第3巻が出版されたのが,彼が40歳の時だった.そしてのインタビューでの彼の答えからすれば,その後,彼は,それに宗教的意味を与えなくなる.そして,その後に残されたものが,現代の記号論理学であった.しばらく,このラッセルのストーリーの話.

そのストーリーは,歴史上もっとも華やかだったともいわれる1900年の万国博覧会に沸く,パリの暑い夏に始まった.

この時代の万博は,ベルエポックと呼ばれる西欧列強の反映の時代における,西欧の経済力・科学技術力のショーケースだった.そして,万博のアトラクションとしてオリンピックや,様々な学術分野の国際会議が開催された.そんな国際会議の一つが,第1回国際哲学会議であった.それに参加した28歳の若きラッセルは,ある衝撃的なものに出会う.それがパースの論理学を継承・発展させていた,イタリア,トリノ大学の数学者ペアノの論理学だった.

その出会いを,ラッセルの自伝にみる:

https://books.google.co.jp/books?id=uIKMAgAAQBAJ&lpg=PA135&dq=the%20congress%20turning%20point%20my%20intellectual%20life%20autobiography&pg=PA135#v=onepage&q&f=false

The time was one of intellectual intoxication.それは陶酔の時であった.という表現に注目.これこそが,彼に宗教的感情の代替物を与えたものだった.

彼が成し遂げたことは,1903年に出版された The Principles of Mathematics で,次のように説明されている.

ラッセルが主張したのは,数学のすべての概念,自然数とか,実数とか,複素数とか,幾何学空間,微分積分,あるいは,それらより遥かに高度な専門的概念がすべて記号論理学の言葉だけで定義できて,しかも,それらについての定理が,すべて,わずか20個の前提(公理)から論理推論だけで証明できるということ.

つまり,数学を完全に書ききることを可能にする言語と真理の素のようなものを, わずかなページ数で書ききることができるということ.

ある種の人たちは,これを「世界を掌の上においた」ように感じる.林も若いころには持っていた,世界を全部記述したい,全部理解したい,という emotion.

そして,ラッセルは,それを自分が実現できたと信じた.

ラッセルが,全数学を乗せた掌を,現代的に書けば,

  1. 前回やった述語論理学.
  2. ある対象 x が類であるという事を意味する述語. Class(x)
  3. ある対象 a が類 b に属するという意味の述語. Belong(a,b)
  4.  
  5. Equal(a,b)という,a と b が同じものという意味の述語.つまり,a=bのことで,普通は a=b と書く.
  6. これら三つの述語についての論理規則.

で済む.ただし,類(Class)というのは,ラッセルの用語で,現代の集合 Set と同じ意味.

特に5の内で重要だったのが,内包の公理と呼ばれるもので,

 F[x] が論理式ならば,

   ∃a.(Class(a)∧∀x (F[x] <-> Belong(x,a)))

と書かれるもの.ただし, A<->B とは, A->B ∧ B->A を省略して書いたもので,要するに,AとBが同値,つまり,同じ意味を持つということ.

これを日本語で書けば,

 ある類 a があって,それは,F[x] という条件を満たすもの全部からできている.

ということである.これは論理式を意味のある文章を数学的に買いたものだと思うと,文章で表せるものは通称名辞としてよいと言っているのと同じ.

しかし,言葉で表したものが必ずあるとは限らない.例えば,日本の大統領,は「日本の大統領というものはいません」という文章が正しい文章であるように,言葉としては意味があるが,どちらも実体が存在しない特称名辞.

しかし,名辞であることを無視して,集合だと考えたらどうか?

類,つまり,英語で Class は,名辞の外延のことである.そして,名辞の外延とは,名辞が表している「柵」の中に入っている対象全部の集合のことである.

通称名辞の外延は複数個の要素を持つ.

特称名辞の外延は,丁度,一つの要素をもつ集合.

だから,特称名辞としての「日本の大統領」は,実際に,日本の大統領であるAさんがいて,Aさんのみからなる集合を考えるのだった.

しかし,実際には「日本の大統領」であるAさんという人間はいない!つまり,この名辞の外延は空集合.

と,考えれば,たとえ「日本の大統領」というような実体がない名辞でも,外延という集合,あるいは,類は必ず存在していると思ってよさそうだ.

つまり,実体がない名辞は外延が空集合の名辞だと思えばよい.

少し考えてみると,これ,高校の数学Aで学習する「条件で集合を定義する方法」と同じであることがわかる.

「条件で集合を定義する方法」とは,

{x|x=2n(nは自然数), 2≤x≤20} 

や 

{x|xは2以上20以下の2の倍数}

のことである.

定義に使う条件をFと書くと,この集合の定義の方法は,

 {x | F}

であることがわかる.また,二つの例のように,Fには x という変数が入っている.

このことを強調して,Fを F[x] と書くことがある.そうすると,これは

 {x | F[x]}

と書ける.そして,これ集合は,F[x]がまともな条件ならば,いつでも何かを定義していると思って良いだろう.

たとえば,「日本の大統領」という名辞の外延は,

 {x|x は日本人である,かつ,xは自国の大統領である}

という何の問題もない条件F[x]で定義できる.

つまり,

 {x | F[x]}

は条件F[x]を満たす x があろうがなかろうが,何個あろうが関係なく集合を定義しているといえそうである.

すくなくとも F[x] が,=, Class, ∈ の三つだけを述語として作られた論理式ならば, {x | F[x]}はいつもで集合を定義していると言えるというのがラッセルの公理,

   ∃a.(Class(a)∧∀x (F[x] <-> Belong(x,a)))

の意味なのである.

そして,ラッセルは,この公理が保証する eternal で timeless な類,集合という存在のみから全数学を再構築することに成功した.

自然数の作り方

たとえば自然数の1を作ってみよう.

ラッセルは,自然数1を, 特称名辞のように,対象が一つしか入ってない類すべての類として定義した.つまり,

{a| a は類で,その要素は丁度一つである}

となる.しかし,「一つ」には,すでに1が使われているので,これでは1の定義にならない.

そこで,類aに対象がちょうど一つしかないということを,

と言い換える.これには1という概念は使われいない.これを論理式で書くと,

となる.これを,「かつ」を表す論理記号∧を使って,一つの論理式にまとめると,

∃x.(x∈a)∧∀x.∀y.(x∈a∧y∈a→x=y)

と書ける.

だから,数1というのは,

{a| Class(a)∧∃x.(x∈a)∧∀x.∀y.(x∈a∧y∈a→x=y)}

という類として定義できる.

注.この類をOneと書くと,s が入っている対象がひとつの類であることが,s∈One と書ける.

同じ様なテクニックで,2は入っている対象の数数が丁度二つの類を全部集めた類として,3は三つ入っている類全部の類のように定義できる.たとえば,2は

{a| Class(a)∧∃x.∃y(x∈a∧y∈a∧¬x=y∧∀z..(z∈a→(x=z∨y=z))}

と定義する.

大変,手間はかかるが,このようにして,整数,有理数,実数,複素数などすべての数を作っていくことができるのである.

そして,数の世界を創造すると,それを利用した幾何の空間も創造すうことができる.(座標を使う)

そしてラッセルが,The Principles of Mathematics § 4に書いたように,これから生まれてくるだろう数学の概念も,この仕組みだけを使って作れるだろうという,確かな手ごたえがあった.

それは,まさに, a certain kind of perfection だったのである.

しかし,perfect 過ぎた??

しかし,ラッセルは,この空にも上る様な時期のすぐ後,経験したことがないようなショックを受けることとなる.

それは,ラッセルのパラドックスとして知られるものの発見.自伝の該当部分を見てみよう.

https://books.google.co.jp/books?id=uIKMAgAAQBAJ&lpg=PA135&dq=the%20congress%20turning%20point%20my%20intellectual%20life%20autobiography&hl=ja&pg=PA138#v=onepage&q&f=false

ここで,intelectual set-back とラッセルが,控え目に書いているものがそれ.

これをちょっと,説明していみよう.

まず,

  R={x|¬ x∈x }

という類を考える.

そうすると,実は

 ¬R∈R  ⇔  R∈R

となり,これは矛盾となる.

何故か?

R∈Rならば,Rの定義{x|¬ x∈x }から,論理式¬ x∈x の x に R を代入しても正しいはずである.

つまり,

¬R∈R.

逆に,これを仮定すると, R の定義{x|¬ x∈x }の条件¬ x∈x をRが満たすことになるので,

R∈R

のはずである.

もし,R∈R が正しければ,¬R∈Rとなって矛盾.

もし,¬R∈R が正しければ,R∈Rとなって矛盾.

つまり,R∈R は真でも矛盾,偽でも矛盾.

つまりは,数学(ラッセルの論理学から生み出した数学)は,矛盾している!

これをラッセルのパラドックスという.

これが記号の為に分からない人は,次のように考えればよい.

グレリングのパラドックス

本のカタログは,本の情報の集合体(集合)だと見なせる.

ある出版社が,カタログにそれ自身が掲載されていないようなカタログだけを集めたカタログRを作ることにした.

このカタログR自身の情報は,このカタログRに掲載すべきか?

もし,そのカタログRにR自身が掲載されていたら,「カタログにそれ自身が掲載されていないようなカタログだけを集めたカタログ」という条件に反する.

だから,カタログRにR自身の情報は掲載してはいけない.

だから掲載しないことにすると,Rは「カタログにそれ自身が掲載されていないようなカタログ」になってしまうので,編集方針からしてRを掲載しないといけない.

しかし,そうすると,…

嘘つきのパラドックス

これは,嘘つきのパラドックスと呼ばれるものと類似したものである.この嘘つきのパラドックスとは,

あるカードに次のように書いてあった.このカードに書いてあることは嘘か本当か?

 

Principia Mathematica

ラッセルは,このパラドックスを何か手違いで,少し考えれば何とかなると思ったらしいが,結局は解決できなかった.

彼は,ジグザグ理論と呼ばれるものなど,ラッセルのパラドックスを回避する方法を様々に試みた挙句,彼の論理に, Type というものを導入して制限し,矛盾がでないようし,そこで改めて数学を再構築してみせた.

それが,1910-1913のラッセルと,彼の同僚ホワイトヘッドの Principia Mathematica 3巻.1872年生のラッセルは,1913年に40歳.40歳ころまで数学に宗教的なものの代替物としての意味を感じていたというのは,この Principia Mathematica の完成までを意味していると思われる.

つまり,ラッセルが,eternal, a kind of perfection, timeless なものを求めたのは,論理学による数学の概念の再構成と,証明の記号論理学による形式化(標準化,機械化)にであった.

もし,この企てが,ラッセルのパラドックスに出会わず,問題なく達成されていたならば,アメリカの歴史ライター William Romeyn Everdell が,その著書 The First Moderns: Profiles in the Origins of Twentieth Century Thought, 1997 で指摘したようにギリシャ以来の西洋数学の哲学依存を断ち切れるはずであった.

しかし,この本の体系では,論理学とは言いづらいような,数学的対象の存在を最初から仮定する必要があった.

包括の公理を使うと,1,2,3… のような自然数にあたるものを,他のものの助けを一切借りずに作り出せることは,すでに説明した.それは数学から直観のようなものを締め出せるということを意味していた.

これは自然数の様な数学的対象を,集合として定義するということで,それは「論理だけから数学を定義できる」ということでもあった.

しかし,Principia Mathematica では,包括の公理が制限されているために,最初から,自然数全体にあたる集合(類)の存在を仮定せざるを得なかった.これは,実質,自然数の存在を公理として受け入れざるを得なかったということである.

つまり,数学を論理学に還元しようとする試みは失敗した.

Principia Mathematica には,そのほか,様々に,直観的にアクセプトできる論理の原理を超えた数学独自の公理を使う必要もあった(選択公理と呼ばれるものなど).さらには,論理学の公理も,今まで説明してきたものとは,かなりかけ離れた,技術的に複雑な公理が必要だった.つまり,Principa Mathematica の理論の構築は,「霧に包まれつつ山頂に到着しても,山頂も靄(もや)に包まれて眺望が良くない」というような状況だった.

しかし,それでも,兎に角,山頂から眺望することは可能だった.つまり,数学を記号論理学と数で記述することが可能となった.この業績はプラクティカルには非常に重要で,これがさらに公理的集合論というものにも繋がっていき,現代の数学のオフィシャルな意味での基礎になった.これによって歴史上初めて,数学が哲学から完全に独立することが可能となったのである.

つまり,西洋数学は伝統的に,「数とは何か」という様な哲学的問題と深く関連付けて考えられていた.(これに反して,アジアの数学では,そんなことは殆ど気にも留めないという感じだった.)そのため,ニコラウス・クザーヌス,デカルト,ライプニッツ,そして,ラッセルのように,数学と哲学,あるいは,クザーヌスのように神学も同時に研究するという人は,普通の存在だった.実は,これは20世紀初頭,大体,1920年代ころまでは,普通の状況だった.ところが,Principia Mathematicaや,それを受けての公理的集合論により,急速に数学の非哲学化が始まり,1931年のゲーデルの不完全性定理を契機に,数学者が哲学に興味を持つケースが急速に減っていった.これは,数学の近代化であり,ラッセルの研究は,その意味で大変大きな意味を持っていた.

ラッセルの挫折

しかし,数学のためには,その近代化の基礎となるという意味で,大変に重要な業績となった Principia Mathematica だが,それは The Principles of Mathematics 執筆の際の「霧に包まれつつ山頂に登頂すると,一斉に視界が広がり,360度,すべての方角が地平線までクッキリと見渡せる」という,ある種,宗教的な感情を与えてくれるものではなかった.ラッセルは, Principia Mathematica 執筆の期間,精神的に参っていたようで,自殺したいという感情まで覚えていた(ラッセル自伝より).

つまり,人間の自然な論理的直観に近かった The Principles of Mathematics における「数学の論理学への還元」は,ラッセルに宗教的陶酔 (intellectual intoxication)さえもらたしたが,プラクティカルには,より重要な Principia Mathematica の執筆は,ラッセルにとって,つらい仕事,業務のようなものであったと言える.ラッセル自伝 p155の,下から2番目のパラグラフが,この事情を雄弁に物語っている.それは,very severe intellectual work であり,それを遂行した後も,my intellect never quite recovered from the strain とラッセルが書くような種類のものだった.

最初に見たラッセルのインタビューで40歳ころまでは,数学に一種の宗教的なものの代替物を求めたと言っていた.つまり,40歳,Principia Mathematica の完成とともに,彼は,その希望を完全に捨て,彼が自伝p.155に

This is part, thoughby no means the whole, of the reason for the change in the nature of my work.

と書いたように,彼は数理哲学を離れ,有名な「幸福論」などの様な,人間性についての哲学の方向に仕事の向きを変える.そして,後に,それにより,ノーベル文学賞を得る.

哲学などすべての知的学問の基礎にあると信じられていた論理学(アリストテレス論理学)を少しだけ改造したラッセルの論理学で,全数学が再構成できたらラッセルが言うように,それは素晴らしい perfect で eternal な世界だったろう.

それは,彼が自伝で語ったように,視界を阻む霧が一瞬の間に消え去り,遠くの風景も一望で見渡す,啓蒙と光の世界だったに違いない.しかし,現実は,その逆で,むしろ,アリストテレス論理学でさえ,不用意に名辞を作りだすと矛盾してしまうことが実証されたのである.

このストーリーをもとに,次は記号論理学が捨てたアリストテレス論理学のある特徴の話に移る.

アリストテレス論理学と形而上学

ラッセルに,プラトン的な perfection をもたらす筈だったものは,プラトンが重視した数学だったことに注意して欲しい.数学は目的を持たず,時間もなく,美しく凍りついている.(「数学は目的をもたいない」ということの意味は,それ自身が目的であるということ.)

しかし,アリストテレス論理学のもともとのモデルは動物学のような生物学だった.それは,動いていて,蠢き,生まれ,成長し,やがて滅びるものの世界だった.

プラトンのイデア論に,その源を持つものの,アリストテレスは,プラトンの哲学に移り行く現実世界の現実性の風を入れたと言える.

しかし,アリストテレスは,それを形而上学,つまり,哲学原理として語った.それが,アリストテレスの四原因説と呼ばれるもの.

これはアリストテレスの研究者として有名な中畑先生の話によると,本来はアリストテレスの論理学と呼ばれるものの一部ではなく,別の学問だった.

しかし,中世を経て近世にいたり,論理学が整備されていくと,この形而上学が論理学の中に取り込まれるようになった.

たとえば,アリストテレス論理学の最も標準的な教科書とされるポール・ロワイヤル論理学』(Logique de Port-Royal)には,論理学の存在論的・形而上学的側面のついての章(第3部,第18章)が設けられていた.

以下,この章を手がかりに,伝統論理学と記号論理学の比較と,現代のITにおける伝統論理学的側面について説明していく.

まずは,この教科書の説明から.

伝統論理学・アリストテレス論理学と四原因説