論理学の歴史資料 2014.12.08 ver.2014.12.09a

12.09. 12時頃に編集: quantifer の和訳を量化子に統一.「世界をまるごと理解できるだろうか」を掲載,その他,誤字などを訂正.

質問票への回答のための資料

  1. 数学が嫌いなのにどうして文学部に移るまでは数学的分野を専門にしていたのですか?
  2. 今回の授業で掛け算を用いて「かつ「を表すところが、よくわかりませんでした。来週、できれば教えてください。
  3. 数式が出てくると威圧感を覚えます。(論理を)この様に表すのは核心をついた理解しやすいものなのですか?
  4.  

前回のパズルの答え:昨年度の講義資料から(「問2の答え」という所)

前回の資料から

アリストテレス論理学の困難性

アリストテレス論理学は、実に長い間、西洋では思考の基本様態、あるいは、それに近いものとして考えられていた。しかし、それを、本当の推論に適用しようとすると、実は、シロギズムの説明でみたように、実にややこしい。

実は、それだけでなくて、普通の日常生活で使う文章を、たとえ、S be P を基本とする英語の場合でも、アリストテレス論理学の形式で表現しようとすると、色々と困難にぶつかる。特に、それは、人と人との関係性、ものとものとの関係性などの「関係」を表現しようとすると、大変に不自然な表現になることがわかる。

たとえば、下のジャズ Everybody loves my baby. の歌詞の赤字の部分を、S be P で記述してみよう。

歌詞:http://www.youtube.com/watch?v=V42uJKhoe2I

I'm as happy as a King,
Feelin' good n' everything
I'm just like a bird in Spring,
Got to let it out.
It's my sweetie, can't you guess?
Wild about her, I'll confess!
Does she love me?
Oh my, yes!

That's just why I shout:

Everybody loves my baby,
But my baby don't love nobody but me.
Nobody but me.
Everybody wants my baby,
But my baby don't want nobody but me
That's plain to see.

以下略

つまり、次の二つの文章を S be P にする。

  1. Everybody loves my baby.
  2. My baby don't love nobody but me.

(but が消えて、カンマがピリオドになっているが、こういうものは論理的内容には影響を与えないと考える。)

1.Everybody loves my baby,
2.But my baby don't love nobody but me.

の1は、尾崎の「花なきものなり」を、"non-flower plants"としたテクニックを使って、

all persons are "my baby"-lovers.

と書ける。

2は、内容的には、次の二つの文章と同じ。

2.1. my baby don't love anybody who is not me.

2.2. my baby loves me

2.2 は、1と同じテクニックを使って、

my baby is a me-lover.

2.1 は全称否定にすればよさそうなので、

my baby is non-P

だろうと推測できる。元の英文と比べて考えると

my baby is non-((anyone who is not me)-lover).

となる。ちょっと言い方を変えて

my baby is non-((non-me)-lover).

この様に、A loves B などのような、二者の関係をアリストテレス論理学で表そうとすると非常に不自然なことになることが多い。

その直観的理由としては、アリストテレス論理学が、個を出発点として、その terminus による分類で世界を記述しようとするからである。

このことを、たとえば、20世紀初頭に、哲学が記号論理学ベースの英米系哲学と、ハイデガーなどの実存主義を中心とする大陸哲学に分かれていく、その二つの枝のルーツともいえる新カント派の哲学者、エルンスト・カッシーラーは、その著書「実体概念と関数概念」で、もともとが動物学のような分類科学をモデルにしてアリストテレス論理学が作られているからだと書いた。

これに対して、全く違う観点、動物学のような分類学ではなくて、数学をモデルにして論理学を再構成した人たちがいた。それがラッセルたち初期の記号論理学者。

ここでは、ラッセルをさらに遡り、その源流の一つとなった、アメリカの哲学者パースの論理学と、さらに、その元になった、イギリスの論理学者ブールの論理学を見ていく。

Charles Sanders Peirce の論理学

パースの論理学には、三つのポイントがあった。それは

  1. 述語の導入。
  2. quantifier の導入(量化子)
  3. 論理の代数化(ブールの継承)

まず、この第1のものから見よう。

述語の導入

A loves B

のような二つのもの関係を記述するとき、

A is a lover of B

でなくて、

A loves B

と書ければ随分楽。

他の例

A benefits B

A is a benefactor of B

パースは、このような二つのもの関係を記述するとき、

i loves j

i benefits j

を、数学の記号を使って、それぞれ

 bij

と書いた。

今ならば 

L(i,j)

B(i,j)

と書く。

パースの原文を見てみる。

ここで少し脱線(しかし、学問の仕方の例としては重要な脱線)。

この例の lover, benefactor は何から来ている?

benefactor : 日本語では

どうもしっくりこない。で、こういうときは、Google Books で検索する。

特に、こういう例は、キリスト教から来ていることが多いので、古い文献を見た方がよいが、Google Books はそれに最適。

現在では、通常の図書館では持てないような19世紀のドイツ文献などが平気でサーチされてしまう。
#ただし、京大文学研究科図書館クラスになると、Google Books にない図書を沢山所有しています。
#京大は世界の主要大学のなかでは新参者。京大よりずっと古いヨーロッパなどの大学図書館や、その他の図書館・史料館には何があるやら…

lover benefactor

で書籍をサーチすると、ビンゴ!!

トマス・アクィナス「神学大全」 Summa Theologica より (vol.3,part2.sec.2)

Twelfth Ariticle の内容は

Whether a Man Ought to Love More His Benefactor Than One He Has Benefited?

「人は施したるものより、施しを受けしものを、より愛すべきや?」

http://books.google.co.jp/books?id=A7Cf9Bt1DWsC&pg=PA1297&dq=benefactor+lover&hl=en&sa=X&ei=22eVUvDaLcb5kAXe54DIBg&ved=0CEQQ6AEwBA#v=onepage&q&f=false

つまり、この辺りの、パースの例は、男女関係ではなく、トマス・アクィナスの論理的問答集「神学大全」における「施し」「恩」についての論理的・哲学的・神学的議論を意識していた可能性が高い。

(脱線終わり)

この様な述語の記号(述語記号)を導入すると、たとえば、

「全ての者は、誰かを愛しており、また、その者に施しをなす」

あるいは

「全ての者は、誰かを愛しており、また、その者に恩をなす」

が、

3

と書ける。

では、このΠとか∑は何か?

これが quanifier 量化子と呼ばれるもので、これがパースの、もう一つの大発明。

量化子(quantifier)の導入

 (フレーゲと)パースが行った述語の導入は、数学の関数 

  f(i,j)

や数列

  aij

のような記法にならったもの。

  パースは、さらに数学の記法を論理学に応用した。

3

3

の部分は、  lij  と  bij  の掛け算を意味している。

これは、1を真、0を偽と考えて、

1×1=1

1×0=0

0×1=0

0×0=0

となるが、これは

真かつ真 は 真

真かつ偽 は 偽

偽かつ真 は 偽

偽かつ偽 は 偽

という「かつ」の真偽の規則と一致する。

+の方は

1+1=2

1+0=1

0+1=1

0+0=0

となるが、2は1以上なので、1とみなすと、

1+1=1

1+0=1

0+1=1

0+0=0

となり、これは

真または真 は 真

真または偽 は 真

偽または真 は 真

偽または偽 は 偽

という、数学でつかわれる「または」と一致する。

さらに、マイナスを否定とみなして、

-0=1

-1=0

と定義すると、ドモルガンの法則などが成り立つ。

-(A + B) =(-A)×(-B)

-(A×B) =(-A)+(-B)

このように演算を定義した0と1の代数はブール代数と呼ばれるものの一つの例で、イギリスの数学者ジョージ・ブールが発明した。

 パースは、このブールの考えをさらに発展させて量化子を論理学に導入した。

たとえば、前に考えた例

  Everybody loves my baby.

を考えてみよう。これは、

  All persons love my baby.

のことである。そこで、数学の変数(あるいは添え字) i  が人間、つまり、persons を表すとする。すると、この文章は、

  All i  love my baby.

になる。さらにパースの述語記号を使い、my baby を j  と書くと、これは、

  All i lij

と書ける。

ところが、もし、人(persons)にすべて通し番号がついているとすると、 i や  j  は、0, 1, 2, 3…という数字だと思ってもよい。

もし、my baby の番号が5番だとすると、これは、

  All i li5

と書ける。

ところが、これは

  l05 かつ l15 かつ l25 かつ l35 かつ l45 かつ l55 かつ l65 …

つまり、ブール代数の記法では、

  l05 × l15 × l25 × l35 × l45 × l55 × l65 …

つまり、

  l05 l15 l25 l35 l45 l55 l65 …

のことである。

  数学では、こういう数列の積を

  Πi li5  

と書く。これがパースのΠの意味であり、それは、「すべての i に対して、li5 である」を意味している。  

 同じように、以上の説明の「かつ」、つまり、ブール代数の掛け算を、ブール代数の足し算、つまり、「または」に置き換えると、

 l05 または l15 または l25 または l35 または l45 または l55 または l65 …

つまり、ブール代数の記法では、

  l05 + l15 + l25 + l35 + l45 + l55 + l65 …

となるが、これは数学の記号を使うと、

  ∑i li5  

になる。これがパースの∑の意味で、それは、「ある i に対して、li5 である」を意味している。 つまり、「誰かが my baby を愛している」「ある人が存在して、その人は my baby を愛している」となる。

 以上の説明から、

3

を直接的に日本語に訳してみると、

 すべての人 i に対して、ある人 j が存在して、i は j を愛していて、かつ、i は j に施しをする

と読める。つまり、

   全ての者は、誰かを愛しており、また、その者に恩をなす

と読める。

  そこで、これを使って、「my baby が愛しているのは私だけ」を表現してみよう。

まず、7 が私の番号だとする、そうすると、この文章は、

 全ての者(person) i  は、my baby がその者 i  を愛しているならば、実は、 i  は私だ!

となる。

 i はXXだ

は、等号を使うと、

 i =XX

と書けるし、これは数学風だから、OKとして、

  全ての者(person) i  は、my baby がその者 i  を愛しているならば、実は、 i  は私だ!

は、

  全ての者(person) i  は、my baby がその者 i  を愛しているならば、i  = 7

となる。(7が「私」の番号!)

 「ならば」は、まだブール代数の値で定義していないが、これは伝統的に、

 A ならば B = -A または B

と定義することになっている。

 そうすると

真ならば真 は 真

真ならば偽 は 偽

偽ならば真 は 真

偽ならば偽 は 真

となる。

 この内、3番目以外は納得できるだろうが、3番目を納得するのは難しい。

これを認めると、間違った前提から、どんな命題(主張)でも結論してよいことになる。

これは論理学が常識と大きく隔たる処で、古来、その意味が繰り返し議論されているが、

今でも解決できていない問題である。

 以上の「規約」のもとで、but my baby loves only me 7、つまり、

  全ての者(person) i  は、my baby がその者 i  を愛しているならば、実は、 i  は私だ!

は、  

  Πi (-l5i+ (i = 7))  

となる。つまり、数回前に行ったパズルの答えをパースの論理学でかけば、

 

  Πi li5   Πi (-l5i+ (i = 7))  

となる。これを英語風にかけば、

 (For any person i. i loves my baby ) and

 (For any person i. "my baby loves i" implies "i is me")

となる。

 また、any person でなくて、anything にしたければ、次のようにする:

 (For anything i." i is a person" implies "i loves my baby") and

 (For anything i. "i is a person and my baby loves i " implies "i is me")

ここから今回の資料

述語論理学:パースの論理学の現代版

西田の「論理学」(論理主義)は「述語的」と銘打たれていたが,パースの論理学や,それに関連した論理学から

進歩した現代の論理学の代表は,述語論理学.より正確には第一階述語論理学という.

これを簡単に説明してアリストテレス論理学との相違を説明する.同じ用語が大変違うものを表しているので混乱しないように注意!

導入のための説明

述語論理学の構成要素は,次の6つ.ただし,6や5は,どちらか一方だけで済ます場合もある.

  1. 項 term
  2. 述語(記号)
  3. 論理記号
  4. 論理式
  5. 推論(演繹)の体系
  6. 意味論

1.項

アリストテレス論理学の固有名辞に対応するもの.ただし,terminus は考えず,その中にある丁度一つの
個体を表していると考える.

形式的には,次のように定義する.

1.1.個体変数 x, y, z, x1, y1, .... は項である.パースの i, j, k に対応.

1.2.個体定数 c1, c 2,.... は項である.パースの 7 などに対応.

2.述語(記号)

アリストテレス論理学の名辞で, A be B のBに対応するもの.ただし,A1, A2,..., An be B のように
タプル(対)A1, A2,..., An を主部にし,また,A1, A2,... も個体名辞に限られている.

形式的には,次のように定義する.

2.1.述語記号 P1,P2,.... が与えられているとする.

2.2.各述語記号 Pi には,ある非負整数 n が定められている,それを「引数(ひきすう)の数」という.

3.論理記号

∀,∃,∧,∨,¬,→の五つが標準.ただし,∀と∧と¬があれば,他の論理記号は定義できるなど,
色々と冗長性がある.

パースの論理の説明で用いた,Π,∑,AB,A+B,-A,-A+B が∀,∃,∧,∨,¬,→に対応する.

4.論理式

いわゆる命題に当たるもの.形式的には,次の様に定義する.

4.1.Pが述語記号で,その引数の数が n であり,t1,....,tn がn 個の項ならば,P(t1,....,tn) は論理式である.

4.2.F, G が論理式ならば,F∧G,F∨G,F→G の三つはいずれも論理式である.

4.3.Fが論理式ならば,¬F は論理式である.

4.4.Fが論理式で x が個体変数ならば,∀x.F,∃x.Fの二つはいずれも論理式である.

注. 細かいことをいうと,F∧Gなどの外側に (F∧G)のように括弧をつけていく必要がある.記号論理学の講義ではないし面倒なので無視!

命題の表現方法

∀,∃,∧,∨,¬,→ は,パースの論理学の説明からすると,それぞれ,すべての…対して,存在する,かつ,または,ない(否定),ならば,に対応する.

これとパースの表記方法をもとに,記号論理学,述語論理で,どうやって命題を表すか簡単に説明する.

アリストテレス論理学で,ソクラテスという対象,個体を表す項を考えて,それを So,人間の全体を表す項を考えて,それをHu とすると,

「ソクラテスは人間である」が,

So be Hu

と書けた.数理論理学では,これを,So という terminus,つまり,柵つきの個

ではなくて,柵なしの個

だと考えて,それを表す個体変数 so を考え,さらに,引数の数が1の述語記号 Hum を考えて,(Hum にしたのは項 Hu と区別するため,それ以外の意味はない),

「ソクラテスは人間である」を,

Hum(so)

と書く.つまり,Hum(x) は,x is a human を意味する.

また,「人は皆死ぬものなり」は,「死すもの」の項 Mo を考えれば,

Hu be Mo

だが,これは記号論理学では,パースの方法に従うと,

∀x.(Hum(x) →Mor(x))

と書ける.ただし,Mor は,Mo に対応する述語記号,つまり,Mor(x) は x is mortal を表す.

   for all x, if x is a human, then x is mortal.

   すべてのもの x に対して,「もし,x が人間ならば, x は死ぬものである」が成り立つ

ということである.

5.推論の体系

詳しいことは省くが,三段論法のように,前提から結論を導く方法を,形式的・機械的なルールで記述できるようになっている.

たとえば,「ソクラテスは人である」 の表現 Hum(so) と,「すべての人間は死ぬ」の表現 ∀x.(Hum(x) → Mor(x)) から,「ソクラテスは死ぬ」の表現 Mor(so) を導くには,次のようにする.

  1. ∀x.(Hum(x) → Mor(x)) を仮定
  2. 1行目の仮定の xを so だと考えると Hum(so) → Mor(so) が正しい
  3. Hum(so) を仮定
  4. 2行目の結論 Hum(so) → Mor(so) と仮定の3から Mor(so) が正しい

これで,Mor(so) 「ソクラテスは死ぬ」という結論が導かれたことになる.この演繹(証明)で使われた「推論の法則」は,

の二つ.どちらも,論理記号に対応させられている自然言語の意味∀:「すべての…である」と,→:「ならば」からすると自然にわかる.

こういう規則が,各論理記号に対して決まっていて,上の三段論法の「証明」のようなものをコンピュータで自動的に作りだしたり,人間が書いたものが正しい証明になっているかどうかをソフトにチェックさせたりができるほどに機械的な規則が決まっている.

この講義では,これ以上はやりません.詳しくは,慶応大学哲学科の岡田先生の資料を見てください.

6.意味論

省略.興味がある人は,これもこちらを参考に.

数理論理学革命により得られたものと失われたもの

得られたもの

  1. 表現力
  2. 数学的に精密な推論の体系

注1.アリストテレス論理学の表現力とOPAC

アリストテレス論理学では表現できず,述語論理学ならば表現できるものがある,という風に説明されることがあるが,実はこれは間違い.みなさんが図書館の本を探すときに使うデータベースOPACは Relational Database というものでできているが,それの基礎理論である Datalog というものを使うと,アリストテレス論理学が述語論理学と同じ記述能力をもつことが簡単に示せる.これは次回説明.これに最初に気がついたのは,パース,ラッセル,カッシーラなどの哲学者であるらしい.

注2.ただし…

注1でリマークしたのは,表現力のこと.基礎理論の構築には,やはり項だけでは無理で,述語論理の意味での述語が必要ということはラッセルが指摘している.

失われたもの

実はアリストテレス論理学にはあり,記号論理学では消えたものがある.それが形而上学.そして,その部分はITが必要としているものだった.

なぜ,このように失われたのか,失われても記号論理学はアリストテレス論理学を「駆逐」できたのか?

この疑問への解答を,最初に見たラッセルのインタビューを元に考える.以下,次回…