ゲーデルと数学の近代資料 2011.11.11
2.モダニズム:芸術・建築における「近代」
3.近代化:産業・経済・社会に「近代」をみる社会学者たち
- 20世紀初頭に、「ついに」!美術さえもがモダ二ティ(近代)に突入し、それより早く数学はモダニティに突入したと思われる。
- そして、数学は近代の社会変化から強い影響を受けつつも、逆にそれを支えるために変化していく(コーシーの解析学教程、デーデキントの切断)。
- 量子力学、一般相対性理論などを考えれば、近代化された数学(例えば、関数解析、群論、多様体論)が、これらの近代的科学を支えたといえる。
- 工学でも、その様な事例は数多い。特に情報科学、特にソフト部門を数学の末裔と考えれば、現代の情報社会は数学でもっている。
- グーグルの創業者、ペイジとブリンは応用数学者として理解されることが多い。特に前者はグラフ理論に興味を持ち、それがグーグル検索につながったという。
- 数学は近代化の原動力の重要な一つであった。
- しかし、ここにパラドクスがある。
- 実は、数学は、全くの純粋性を目指す方向において、その変化からの要請に応えるという「ある意味でパラドキシカルな」形で近代に突入した。
- この見方こそが、講義のタイトルの前半、「ゲーデル」の意味。
- ゲーデルは単なる数学者ではなく、これをある意味で「見通していた」哲学者でもある。
- 状況がパラドキシカルな故に、数学基礎論の解説書で繰り返される「クロネッカーという哲学に拘る老数学者が、カントールという現代数学の象徴というべき新進数学者をいじめ、哀れなカントールは発狂した」という捏造されたストーリーが生み出され、受け入れられたと思われる。
- どのようにパラドキシカルか、ゲーデルがそれをどう語ったか、林が、それをどのように社会学理論で理論化しようといるかは、講義がもう少し進んだところで話すが、実はすでに第一回目で少し話してある。しかし、多分、それは全く理解できなかったと思うし、少し聞いてわかるようなことではないので、もう一度、今繰り返しておく。
- 今回も不完全な説明により、十分には理解できないはずだが、今まで話してきたことから、少し理解が前進するはずだ。本当の所がわかるのは、少なくとも19-20世紀の数学の近代化を説明した後だろう。
- 以下、その理解のために使う社会学、特に理論社会学、解釈社会学などと呼ばれる、社会学の分野の理論の入門的説明。ちゃんとやるとかなり難しい。
- 数学が大きく変った時代に、社会に何が起きていたのか。社会学者たちが、それをどう理解していたかを簡単に説明する。使う理論は次の3人の社会学者のもの:
- マックス・ウェーバー:社会的行動の合理性の分類理論、それに基づく近代化理論
- アンソニー・ギデンズ:近代性の理論、特に「脱埋め込み」概念による近代性の特徴づけ
- ジョージ・リッツァー:マクドナルド社をアイコンとして用いるウェーバーの形式合理性概念に基づく現代、特にアメリカ社会の特徴づけ。
- リッツァーの著書 『マクドナルド化する社会』(和訳早稲田大学出版部, 1999年) は、歴史上もっとも売れた社会学書という評価がある。
- 最近では「近代化の反対方向」の現象として理解されている「再魔術化」について書いている。
- この「再魔術化」は、1980年代ころから議論され始めた概念で、様々な分野で様々な意味を持つ。
- ITとネットが普及した現在では、これは日常的に見られるようになった現象で、これを無視して社会を論じられなくなりつつある。
- 現在、ギデンズとともに最も影響力が強い社会学者と目されているウルリッヒ・ベックの最近著は、
- 飽くまで「簡単な説明」であることに注意。実は、それほど簡単な話ではない。一番の基礎にあるマックス・ウェーバーの百年近く前の合理性理論にしても難解。実は、それが一番難解。
未だにその解明研究は、文献学的手法を含め様々になされていて(結構、日本で多い)、それ自体が深く難解(折原、矢野など)。
- 難解なのは、ウェーバーの病死による理論の未完、その系統の理論の最初のであっために思考対象が広範かつ根源的、という二つの理由があると思われる。
- 理論は、最初のものが最も複雑で難しい状況でなされているというのはよくあること。ゲーデルの不完全性定理の証明などもそう。現代では、その本質を、applicative system における不動点定理と、否定的オペレータという、抽象的ながら簡単な言葉で説明できる。(林の「ゲーデルの謎を解く」という古い本では、ドラえもんの機械風の機械で、不完全性定理やラッセルパラドックスが説明してあるが、この機械(本当の名前は8パーツマシン)は、このapplicative system をマンガ風に定式化したもの。)
- 三つの理論の難易度は、新しいものほど簡単。そこで、話を理解しやすくするために、現代からアプローチする。つまり、まずは、ジョージ・リッツァーの「社会のマクドナルド化」の理論から始める。その後、リッツァー社会学の背景であるウェーバーの近代化理論、合理性分類理論、官僚制の理論を説明し、それらの補足説明としてギデンズ社会学から幾つか話を引用する。
マクドナルド化する社会
- 参考文献
- 社会のマクドナルド化とは?
- 文教大学の学生さんによるまとめ
- マクドナルドは実際に我々が日常的に体験するものだけに、その意味が把握しやすい。そのためマクドナルド化という概念は大変広く受け入れられた。
- しかし、「制御」、特にによる機械などの人間でないものによる人間の置き換えなどの、新論点があり、また、職階制度によるピラミッド的構造を持つ組織という重要な要件が逆に削られているなどの相違があるものの、基本的には、「リッツァーのマクドナルド化」とは、20世紀初頭に活躍した社会学者マックス・ウェーバーの官僚制理論における官僚組織の特徴の説明と重なる。
(これは効率追求のために、ピラミッド構造のフラット化が起きためだろう。)
- そして、それはウェーバー社会学における社会的行動の分類理論でいう形式合理性という概念を用い、形式合理性の増加、として理解できる。
- マクドナルド化理論はウェーバーの形式合理性の理論に基づいている。(他の合理性も引用されるが、形式合理性を中心にして議論されている。)
- では、ウェーバーの社会行動・合理性の理論、官僚制の理論とは?
マックス・ウェーバーの「近代化の社会学」
- 20世紀初頭に活躍した、社会学者マックス・ウェーバーは、その時代を、それ以前の時代と隔絶した特殊な特徴を持つ時代と認識した。それが近代。
- それらの特徴の内で、最大のものは、簡単に言うと、近代資本主義。
- ウェーバーの思想の背景にはマルクスとニーチェがある。しかし、両者にウェーバーは「共感」するが同意はしない。批判しつつ影響をうけている。
- マルクス主義全盛の戦後日本では、経済学者大塚久雄の大塚史観のもと、マルクス主義の対抗軸、ソ連に対するアメリカ的なものとしてみなされ、ウェーバーは近代主義者とされた。
- つまり、ウェーバーは近代化を推し進めるべきだという論点にたつ思想家とみなされてた。(大塚もそうだとされている。しかし、読んでみると必ずしもそうでもない。)
- ところが1980年代ころから理解の仕方がかわり、マルクス、ニーチェの影響が強調されはじめて、近代化を宿命として受け入れるが、それに諸手を挙げて賛同し推し進める立場に立ってはいないと理解されるようになった。
- ウェーバーというと、形式合理性、目的合理性、プロ倫、官僚制、鉄の檻、etc...など数々の用語や名言がある。これらを使ってウェーバーの近代性についての問と理解(解釈)をまとめると次の様になる:
- ウェーバーの「近代」に対する基本的問い:西欧近代資本主義は世界を圧倒的に支配している(20世紀初頭の話)。それは何故か?西欧がルネサンスを経て台頭するまでは中国の方がはるかに資本主義が発達していたのに?西欧を変え、今(20世紀初頭)も我々を支配している「近代」というものは何なのか?
- ウェーバーの「答え」(近代性の理解) 注意: 多分に林の解釈が入っている。
- 西欧近代資本主義を生んだものは実は金銭の儲けを避ける宗教、プロテスタント・カルヴァン派の宗教観だった。カルヴァン派の非合理なまでに献身的勤勉を求める予定説の教理が一時の休息も許さない勤勉観を生み、それが近代資本主義につながった。むしろ現世的な意味で合理的だった中国社会は、欧州より進んだ資本主義をもちながら、その「合理性」故に近代資本主義を生み出せなかった。(著書、プロ倫(プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神))
- そのようにして生まれた近代資本主義であるが、次第に宗教の力は薄れ、勤勉な生産という、その「帰結」のみが一人歩きを始める。それが近代という時代。(プロ倫)
- その近代の特徴は無価値・無人格的な効率や目的の遂行を旧来の価値の代替物として追求することである。
- 国家や企業において、それを成し遂げるための社会的装置としての近代的官僚制がある。
- その近代官僚制というシステムや近代資本主義一般が持つ特徴は、合理性であり、特に、形式合理性、目的合理性と呼ばれる種類の合理性である。
- 官僚制的システムの蔓延は、社会が無価値・形式化の方向に進むことを意味する。しかし、そうなっても、この合理的システムは、その合理性故に自立して働き続け、それは化石燃料の最後の一滴が尽きるまで停止しない。それは人類を捉えて(捕らえて)離さない鉄の檻なのである。
- 以上が、大雑把なウェーバー社会学の説明。しかし、難しい...そこで、
- 大胆に極く簡単にまとめてしまうと...
- 近代とは生産と生産の拡大と効率化をその第一目標とする時代であり、一言で言えば近代資本主義の時代である。その背景にあって、それを生産に駆り立てているのは形式合理性、目的合理性の追及というエートスである。このエートスはもともとプロテスタントの宗教から生まれたが、今は(20世紀初頭)、世俗化し宗教から切り離されて自立している。この近代資本主義という怪物は、自己再生産的に自立している故に、その「食料」である化石燃料の最後の一滴がつきるまで停止することはない。我々人類は、この「近代=資本主義」という、鋼鉄の檻に閉じ込められていて脱出する術はない。
- 用語解説
(誤解されるのを承知の上での簡単な説明)
- 「エートス」: A B 要するに集団が意識的に共有している、行動様式、思考様式。
- 形式合理性:マクドナルドの接客のルール(1.店に入ってきたら、大きな声で、いらっしゃいませ!と言う。2.カウンターに客が来たら、まずニッコリ笑い、3.次ぎに「店内でお召し上がりですか?お持ち帰りですか?」と聞く。4....)のように行動が、予め決められた形式的に明瞭なルールに従って行われる時、その行動を形式合理的という。
- 目的合理性:行為を行う時の目的と手段を考えると、手段の方に重きを置く行動様式を目的合理的という。この場合の「目的」(ウェーバーのドイツ語では Zweck)は、価値ではなくて、行為をする人(たち)が人為的に立てた物。だから、目的を達成できる有効な手段がない場合には、その影響を総合的に判断しつつ、当初の目的を修正するということもあり得る。(目的でなく価値だったら、まず変わらない。)
ただし、目的は常に立てられていて、なるべく変えない。
- 注: ウェーバーの目的合理性概念には様々な解釈があり、これは林が考えた物。他の多くの解釈と違うのは、目的と価値を対比させるところ。
- 注意:ウェーバーは、近代資本主義を一方的に批判したのではない。その合理性を同時にポジティブにも捉えている。また、ヨーロッパ中心の世界に意義を唱えたのではなく、それは当然の事実として議論している。それの理由をそれから距離を取りつつ求めているだけ。
- ウェーバーの合理性理論と形式合理性・目的合理性
- ウェーバーは、その未完の著「経済と社会」( Wirtschaft und Gesellschaft (amazon), 和訳無し、英訳あり)で、人間の社会的行動の分類を行った。何も考えずに行う「衝動的行動」、前例にならうだけの「歴史的行動」などに並び、人間の様々な合理性を分類した。
- そのときにウェーバーが取った方法の特徴は、二項対立を用いる事だった。例えば、これが「形式合理性」「これが目的合理性」という風な。それだけでそれ自身を説明する方法はとならい。必ず、その反対概念を出し、その両端の強弱として、合理性の概念を説明した。たとえば形式、目的の対立概念は、
- 形式合理性←→実質合理性
- formale Rationalität ←→ materiale Rationalität
- 形式合理性の方はルールに重きを置く、その結果何が起きるかよりはルールに従うことの方が、各行動に置いては重視される。「確かに、それは人間の感情にからするとおかしいが、でも法律がこうなっているのだから」という態度。
- 実質合理性はルールより、結果に対する人間や社会の判断を重視する。「確かに法律ではそうなっているけれど、人の情というものがあれば、法律の方がおかしいと思うだろう。杓子定規に法律を適用するのは間違いだ」という態度。
- 前者だと法律がまずい場合は、まず、法律を変える。後者だと、法律が変わっていなくても「運用」で上手く対応する。
- 目的合理性←→価値合理性
- Zweckrationalität←→Wertrationalität
- 価値合理性は「価値」に重きを置く。価値は滅多に変わらない。宗教的信念とか、道徳・倫理観など。「確かに内部告発すると、僕はクビになるかも知れません。下手したら暗殺されるかも知れません。しかし、とえそうでも、これは僕の根本的価値観からしてどうしても譲れない事です。内部告発の結果がどうなろうとも、私は自分の価値観に忠実であることを選びます」という態度。
- 目的はそれ以外の何かの要因により決定されていて、絶対的ではない。むしろ効率的・有効に行為をなすことができる手段がある、それを持っていると思えば、目的を変えることもいとわない。「A大学医学部に入りたいと思うけれど、僕の成績を見ると数学が駄目で、英語が良い。これだと難しそうだから、英語が凄く重視されるB大文学部にしよう。ここならば僕の能力が発揮出来る。別に医学部に入ると言うのが、価値ではないのだし」という態度。
アンソニー・ギデンズの「近代化の社会学」
- ウェーバーの近代化論は、近代の重要な特性を多く言い当てていて非常に役に立つ。しかし、近代という時代を形式合理性という言葉、目的合理性という言葉だけで、特徴づけるとすこし近代の像がぼんやりしてしまう。ひとつにはウェーバーの理論があまりに理論・理論していた事が、その原因と思われる。
- これに対して、イギリスの社会学者、ギデンズは、社会学の理論を元にしつつも、幾つかの上手いフレーズや用語で、近代というものを特徴づけている
- 時間・空間論
- 機械時計の発明と普及により流れるものだった時間に座標が入った。これが社会の変化のきっかけのひとつ。
- 一望性と計画性。予定表: 計算可能性、予測可能性、コントロールを可能にするもの。
- 脱埋め込み:林は、近代を特徴づけるとき、これが一番良い、少なくとも、数学の近代の場合は、これが一番わかりやすと思っている。
- 社会学者 ギデンズ(Anthony Giddens, 1938-)は、著書 「近代とはいかなる時代か?―モダニティの帰結」で 「近代」「近代性」(modernity)の特徴を幾つかあげた:「脱埋め込み」、「存在論的不安」、「専門家システム」等. その内、脱埋め込み disembedding が、特に基本的であり、また、形式合理化に対応している。
- 脱埋め込み(disembedding)とは、特定の時間・空間の一点。つまり、時と場所の特殊性に囚われないようにする事
- 抽象芸術。 海、空、山でなく、色、線、点、面、触感、さらにはコンセプトにテーマを移したモダンアートは、まさに脱埋め込みの典型であったといえる。
- 経済ではグローバリゼーション
- 当たり前になった海外旅行(国内旅行より安い海外旅行)。輸入・輸出に依存する経済(食品・衣料は中国製、PCはベトナム製)。
- マクドナルドは地域性に依存せず、どこに行っても、同じマクドナルド。コカコーラはどこに行っても、同じコカコーラ。ローソンはどこに行ってもローソン。
- 社会のマクドナルド化、経済など社会のすべての面のWEB化など。