論理学の歴史資料 2011.11.14
10月17日資料
10月24日資料
- 質問への回答1 記号論理学、数理論理学、形式論理学;数学基礎論、ロジック。 これらの語の関係は?
- 論理とベルツ: ベルツが「論理学は...」と言った訳ではない。明治期の論理学導入の変遷と、ベルツの帝国大学退官時の講演(演説)でのベルツの日本社会への見方、明治政府の外国人学者への態度に変遷、とを重ねあわせ、それに林が明治社会の意識の変化を見ているということ(明治文化史・思想史。こういう分野でよくとられる手法)。
- 荒井花子 アーヴィン・ベルツ夫人
- MPから: ベルツは花子が好き、花子は日本が好き、よって、ベルツは花子が好き。(三段論法!エッ???)
- ライオンはシマウマが好き、シマウマは草が好き、よって、ライオンは草が好き。ライオンは草食動物です!!(エッ???)
- ソクラテスは人間である、人間は動物である、よって、ソクラテスは動物である。(これは三段論法!!!)
- 命題
WIKIPEDIA から
- 伝統論理学: アリストテレス論理学において命題は、主題の叙述するものを肯定または否定する、特定の種類の文である。アリストテレス的命題は「全ての人間は死ぬ」「ソクラテスは人間である」というような形を取る。
- 良く考えると、ソクラテスは人間である、人間は動物である、は違う種類の文。
- 数理論理学: 数理論理学において命題(あるいは論理式 ("propositional formula", "statement forms"))は量化子を含むことのない言明であり、それはまた原子論理式と五つの論理結合子(選言、連言、否定、含意、双条件)およびグループ化記号のみから構成される整論理式の合成である ←大体OK.しかし、述語論理学の枠組みから見た特殊な見方とも言える。
- WIKIPEDIAの説明のアカデミックな妥当性は別として、これが大きくことなる事に注意:伝統論理学では「特定の種類の文」(非人工、歴史・文化・社会が創り出したもの)、数理論理学では「整論理式の合成(されたもの)[訳が悪いらしい]」、つまり「式」。整論理式の定義は「論理学において所定の形式文法から生成される文字列 」。つまり、記号の列(人工)。
- 三段論法 WIKIPEDIA: ここに「特定の種類の文」のコンパクトな説明がある。AEIOの種類をもうけ、これらの関係や組み立て方の様式(格)。それらが従う演繹の規則などを論じるのが伝統論理学の中心部分。 此を細かくやるとこんなことになってしまう!Types of syllogism (三段論法)
- 以上の話が、尾崎行雄の著書の大筋となっている。(第3-10章)
- さて、「ベルツは花子が...」は三段論法?
- ちょっと息抜き(?)のパズル: Everybody Loves My Baby, but My Baby Don't Love Nobody but Me => I am my baby. ????
- 質問への回答2 演繹と帰納
WIKIPEDIA
- 演繹法とは記号論理学によって記述できる論法の事を指す。上の「演繹」から。
- B. Russell: Theory of Knowledge: It is customary to distinguish two kinds of inference, Deduction and Induction. Deduction is obviously of great practical importance, since it embraces the whole of mathematics. But it may be questioned whether it is, in any strict sense, a form of inference at all. A pure deduction consists merely of saying the same thing in another way.
- "embraces the whole of mathematics"の意味は?
- The Principles of Mathematics, 1903, p.5:By the help of ten principles of deductrion and ten other premisses of a general logical nature(e.g. "implication is a relation"), all mathematics can be strictly and formally deduced: and all the enties that occur in mathematics can be defined in terms of those that occur in the above twenty premisses. In thsi statement, Mathematics includes not only Arithmetic, and Analysis, but also Geometry, Euclidean and non-Euclidean, rational Dynamics, and an indefinite number of other studies still unborn or in their infancy. The fact that all Mathematics is Symbolic Logic is one of the greatest discoveries of our age: ...
- 10個の演繹原理と論理一般に関する(含意は関係である)というようなもう10個の原理により、全ての数学が厳密にかつ形式的に演繹可能であり、数学において現れる全ての存在が、先に述べた20個の前提に現れる養護によって定義可能なのである。この主張において、数学と言っているのは、算術や解析学だけでなく、幾何学(ユークリッドが非ユークリッドかを問わない)、理論力学、そして、まだ生まれてもいない、或いは、まだその幼少期と言って良い段階にある無数の数学理論のすべての事なのである。全ての数学が記号論理学であるという事実は、我々の時代の最も偉大な発見の一つなのである...
11月07日資料
- MPから:
- 伝統論理学はより記号論理学より自然言語に近いのか?自然言語を論理の形式になおすとき、より容易か、問題が起きにくいのか、という質問。
- 個が先にないと類、種差1、種差2、....、個のような記述はできないのではないか?それならが順番が逆ではないか、という質問。
- 類から種、個と定義されるという説明だったが、アリストテレス論理学では個が中心(第一基体)なのではないか?
- フレーゲの述語論理学と西田の述語的論理学を比較している人がいた。これはまともなのか?この両者の述語は全く別のものと考えてよいか?
- 伝統論理学の限界と記号論理学の革新:新しい述語概念と限量子。
- しかし、それは数学を手本としていた。
- 述語は関数(真理関数)、或いは、関係。名辞ではない。
- 伝統論理学の基本的命題は、二つの名辞A,Bを考え、AはBである、より正確には「AはBに述語づけられる」、という形を取る。これのバリエーションとして、AはBでない、などのAEIOがあると思えば良い。要するに、名辞Aの外延A*と名辞Bの外延B*の包含の関係のあり方を主語Aの側から見た時の4パターンを表すものが命題。
- 数理論理学では、これと根本的に異なる見方をする。たとえば、主語は二つ以上あってよい、というより、主語という概念が無い。また通称名辞(一般名詞)にあたるものはなくなり、その内包としての一引数述語が、それの代替物になる。そして、特称名辞(固有名詞)は「項」と呼ばれて述語と完全に分離される。(ただし、高階論理と呼ばれるものではこの区別があいまいになる。集合論では完全に曖昧。フレーゲの論理学は2階と呼ばれるもので述語がある意味で項となる。しかし、述語の引数にはなれない。)
- 限量子は、ΣやΠなどの変数付きの和、積。パースによる(1883年の Johns Hopkins Studies of Logic の附録)。
- つまり、自然言語を通さず、数式で世界を記述するのが数理論理学。しかも、その「世界」は全く変化しないものでないといけない。例えば数学の世界のように。
- 一方、アリストテレス論理学(正確には存在論)には、動因、目的因などの概念があり、変化が内在していた。
- 注:コンピュータの世界では変化こそが常態であり本質。
11月14日資料
- 新しい述語とは何であったか?
- それは関係 relationであった。たとえば、x loves y のようなもの。
- 伝統論理学では命題「ベルツ loves 花子」を無理やり、クラス(類)の包含関係に書き変えて「ベルツ is a 花子-lover」とした。
- 実は、それは4つある伝統論理学での命題の作り方の一つであるAタイプに過ぎず、伝統論理学では、その他にE,I,Oと言う、三つタイプの命題を考えた。
- 命題の4タイプ:クラス S, P に対して、その包含関係を、主語 S を中心にして考えると次の4パターンが考えられる。それが命題の4パターン(参考 Wikipedia,配付資料):
- A: S are P (通常の英語では, S が固有名詞か否かで S is a P か All S are P になる)
- E: No S are P
- I: Some S are P
- O: Some S are not P
- 記号論理学では、それを、関係、あるいは、真理関数の考え方で、基礎概念だとみなす。この様にすると、クラスの包含関係に縛られず、また、Sを中心にして考えるという制限もなくなる。
- そして、逆に、シロギズムを、こういう「多種多様な関係の法則性」、あるいは「多種多様な関係の代数規則」としてみなす。
- だから、例えば、「x loves y, y loves z → x loves z という法則は loves という関係について正しいか?」というような問題を立てることが出来る。
- そして、これが成り立つ関係、ツマリ、「P(x,y), P(y,z)→P(x,z)」という法則(条件)が成り立つ関係を、この法則を満たすある特殊な種類、として分別できる:
- 現代数学、現代論理学では、この法則が成り立つ関係を transitive、推移的という。
- このように「述語の一般化としての関係」を三段論法の理論の枠組みから解放し、「関係の一般的理論」の一部と見なし、さらには三段論法をその特殊ケースと見なすという、逆転を最初に行ったのは、de Morgan(ドモルガン), On the Syllogism IV and on the Logic of Relations, Cambridge Philosophical Transactions, x (1864), pp.331-58、である。(W.Kneale &M. Kneale, p427参照)
- この論文で、de Moran は、transitive 推移的関係を考え、transitive という用語も使った。
- 現在、symmetrical というものは、convertible と呼ばれた。
- また、こういう関係の理論を、de Morgan (など)は、logic of relatives、親戚の論理?、と考えたらしい。典型は、x is an ancestor of y, とか、x is a lover of a master of y, x is an l of every m of y などなど(例は、すべて, W.Kneale &M. Kneale, p428より)
- この背景には、論理の代数化、もっと広くは、代数の一般化という19世紀イギリス、ドイツを中心とした、現代の抽象代数学の先駆となった学術運動があった。
- たとえば、ケーリー、ハミルトンの法則の、ハミルトンは4元数という(3次元空間+時間)を表す複素数を拡張した数を考えた(これが後に線形代数のベクトル概念になる)。
- そして、もう一つの重要な拡張として、G.ブールのブール代数があった。これが記号論理学の重要な出発点となる:
- 配布資料:George Boole, Tha Mathematical Analysis of Logic, 1847.
- 一般的述語や限量子の考えはなかったが、代数で AEIO の分類などのシロギズムの理論の再構築ができた。これが代数的・数学的方法の「ちから」を見せつけたと考えられる。そして、それは数学のさらに大きな枠組みに論理を解放したともいえる。たとえば、∑、Πのアナロジーによるパースの1883年の限量子も、この方向のものと考えられる
次回、限量子の話。Everybody Loves My Baby, but My Baby Don't Love Nobody but Me