数学基礎論三つの神話

このページの文章は、数学セミナー1999年6月号、2〜5ページに掲載された、私の記事をOCRで取り込んだものです。この記事の掲載に同意してくださった数学セミナー編集部に感謝します。

オリジナルとの違い:

  1. 東京農工大の前田博信先生のご指摘により、ドイツ語の綴りの誤りを修正してあります。
  2. オリジナルは、タルスキのコメントが、英訳時に追加されたものであるという書き方をしておりました。これも前田先生のご指摘でドイツ語の論文のときからすでにあることがわかり、そのように書き換えました。


 数学基礎論というと,ゲーデルの不完全性定理や形
式主義・直観主義論争を思い浮かべる方が多いことで
しょう.ゲーデルの定理に象徴される20世紀前半の
数学基礎論の時代は,科学史の中でももっとも魅力的
な話題の一つです.つい先日も,米国のTIME誌が
「今世紀でもっとも影響力のあった20人の科学者・思
想家」の中に,ゲーデルとチューリングを選んでいま
した.


 私は,この数学基礎論の時代の本を書くために,こ
の6年ほど文献調査をしているのですが,常識と思っ
て信じていた“歴史的事実"が間違っていて驚くとい
う経験を何度もしました.他の方に尋ねてみても同じ
ような間違いをしています.それで,どれくらいの数
の専門家が誤解しているものか興味が涌き,誤解が多
そうな歴史的事実を4つ選び,logic-m1という国内の
論理学のメーリングリストでアンケートをとってみま
した.その結果は,やはり,粗忽者は私だけではなか
ったのです.これはそのアンケートの報告です.


 アンケートの設問は次の4つで,全部,私自身が誤
解していたことばかりです.この4つの設問に,
 (a) そう思っていた,
 (b)そう思っていなかった,
 (C) その他,
の3つから答えてもらいました.


 問1.ヒルベルトは彼の有名な“数学の問題"の第
2問題として自然数論の無矛盾性をあげた.
 問2.タルスキは真理概念の定義不可能性定理を,
ゲーデルの不完全性定理より早く,そして,独立に得
ていた.
 間3.ゲーデルは,1931年の有名な不完全性定理の
論文で,我々が現在PAとよんでいる第1階算術の
(第1)不完全性を証明した.
 間4.ゲーデルは彼自身の第2不完全性定理にもか
かわらず,ヒルベルトの有限の立場による算術あるい
は数学の無矛盾性証明の可能性を信じていた.それは
1931年の論文の最後のコメントから明らかである.


 アンケートに協力してくださった方たちは16名で,
皆,論理学(数学基礎論)あるいはその関係分野で研究
老として活動されているか,あるいは,以前,活動な
さった経験がある方たちですから,専門家あるいは準
専門家と呼べる方たちばかりです.


 その回答の内訳は,表1のようになりました.答え
が割れているのがお分かりでしょう.そして,“正解"
はというと,全部(b)なのです.ご覧のように,その
他という答を除けば,問3以外は,誤解の方が正解よ
り多いという結果です.問3は半分以上の方が正解で
すから,これは私が粗忽であっただけのようですが,
他の3つは「神話」と呼んでもよさそうです.

  問1 問2 問3 問4
(a) 7 8 3 7
(b) 5 4 9 6
(c) 4 4 4 3

では、その3つの神話の真相を説明することにしましょう。

「ヒルベルト第2問題」の神話

 まず,神話その1.つまり,設問1ですが,ヒルベル
トが1900年にバリの第2回国際数学者会議で講演し
た“数学の問題"は岩波書店の『数学辞典』にも載って
います.数学辞典では,ヒルベルトの第2問題は“算
術の無矛盾性"になっていますが,現代的言葉遣いで
は,算術は自然数論の形式的理論,しかも多くの場合
は第1階の自然数論のことです.ですから,これを読
んで私は20年以上もの間,第1階自然数論のことだ
と信じて疑わなかったのです.

 しかし,実はヒルベルトが1900年に提唱したのは,
自然数論ではなく実数論の無矛盾性証明だったのです.
ヒルベルトの第2間題のタイトルは,“Die Wider-
spruchslosigkeit der arithmetischen Axiome"なので,
直訳すると“算術の公理の無矛盾性"なのですが,こ
の論文に限らず,ヒルベルトは算術を“代数系"くら
いの意味に使っているのです.ですからヒルベルトの
“算術"が何なのかは,文脈で判断するしかありませ
ん.そして,この論文の場合,算術の正体は,完備ア
ルキメデス順序体です.これを間違えていたのは,私
だけでなく,一松信先生訳の『ヒルベルトの問題』(共
立出版)でも,“(算術とは,周知の計算規則に)連続体
の公理を追加したものに他ならない"という文章が
“連続体の公理を取り除いたものである"となってお
り,解説でも自然数論であるかのように書いてあるも
のがあります.正確なことで有名な一松先生でも間違
ってしまうというトリッキーな話です.

 この1900年には,第1階自然数論というものが存
在していませんでした.それどころか,形式的理論と
呼べるようなものも,フレーゲの理論を例外として存
在していなかったのです.そのフレーゲの理論も,第
1階自然数論とは随分違うもので,一種の集合論のよ
うなものです.この当時の基礎論の風景は,我々が今
知っているものとは随分違うものだったのです.

 そして,ヒルベルトのいう実数論の無矛盾性という
のも,完備アルキメデス順序体の(特定の)形式系の無
矛盾性を証明せよというようなハッキリした問題では
なく,幾何学のモデルを実数体を使って証明したから,
次は実数体の無矛盾性を証明しようというくらいのも
ので,1900年には明確な指針は示されていません.

 しかし,ヒルベルトは次の1904年の国際数学者会
議では,後のヒルベルト計画を彷彿させる講演をして
います.しかし,この講演でも形式的理論の正確な定
義はなく,無矛盾性を証明される理論と証明する理論
の分け目もはっきりしません.そして,ポアンカレに
“帰納法で帰納法の無矛盾性を証明する循環論法だ"
と批判されてしまうのです.

 第1階自然数論やヒルベルト計画のような現代の
我々にも親しみ深い概念が確立されるのは,実にそれ
から20年近くも後のことです.しかし,この話を始
めると長くなるので,私が現在執筆中の解説[1]を見
ていただくことにして,話を先に進めましょう.

タルスキ定義不可能性定理」の神話

 次は問2です.広く流布している普通の誤解(?)で
は,タルスキの論文はポーランド語でゲーデルの論文
より早く発表されていた,となっています.これは事
実です.しかし,そのポーランド語の論文には定義不
可能性定理はなかったのです.

 タルスキの論文[2]の
脚注によると,n+1階の算術で,n階の算術の真理
概念の定義ができることは1929年に得られ,1930年
にポーランドで発表されているが,同じ階数では定義
不可能という定義不可能性定理とその証明は,ゲーデ
ルの1931年の論文を見た後で追加された,という事
情がわかります.ただし,ゲーデルと同じよう'な感触
は持っていたようで,247ぺ一ジの脚注にそれが見え
ます.

 お恥ずかしいことに,私の著書[3]にも,この間違
いがあります(p.103).読者の方にはこの場をかりて
ひらにお詫びいたします.自分が何でそう思うように
なったか,昔読んだ本を読み返してみると,竹内外史
先生の「ロジシャン小伝」のタルスキの項にある「上
述の論文はゲーデルの論文のあとで出版されたのでゲ
ーデルの亜流という批評が一時あったが,じつは彼は
もともと論文をゲーデルより先にポーランド語で書い
ていて,右の論文はその翻訳なのである」という文章
に行きつきました.ロジシャン小伝の初出は何を隠そ
う『数学セミナー』なのですが,今では[4]に収録さ
れており.,すでに私の指摘を入れて訂正されています.

 同じ間違いは,他の本にもありますが,影響力の大
きさから考えて元ネタはおそらく竹内先生の本でしょ
う.一説によるとタルスキの学生のモストフスキーも
そう言っていたとのことです.そうなるともっと調査
が必要ですが,私は証拠を発見できませんでした.も
し,ご存知の方がありましたら,ご一報ください.

 次の問3は正解の方が多いので神話とは呼べません.
ここでもブチブチと嫌みな小言をたれようと楽しみに
していたのですが,私の粗忽性を証明するというトホ
ホな結果になってしまいました.面白くないので,こ
れの説明はやめておきます.

「ゲーデルのコメント」の神話

 最後の神話は問4です.問4の正解は(b)と書きま
したが,これには異論も多いでしょう.これは議論を
始めると終わらなくなってしまうような話題です.ゲ
ーデルのコメントというのは,次のものです.「(第2
不完全性定理は)ヒルベルトの形式主義的な観点とま
ったく矛盾しないことをはっきりと注意しておこう.
ヒルベルトの観点は,有限的方法によって実行された
無矛盾性証明の存在を前提としているだけであり,P
では表現できないような有限的証明が存在するという
ことも考えられるからである」.Pはゲーデルが不完
全であることを示した形式的理論です.

 この設問を聞いた理由は,このコメントを引用して,
「不完全性定理を発見したゲーデル自身が,ヒルベル
ト計画の可能性を否定していない.これにみられるよ
うに,それはまだ可能なのであって,この問題はいま
だに大問題として研究が進められている」という風に
印象づける解説書が多々みられるからです.しかし,
これは現代の大方の研究老の感覚から大きく外れてい
るとしか思えません.

 この設問に答えるには,ゲーデルが1930年当時ど
う思っていたか,そして,それは以後どのように変わ
ったか,ということをゲーデルが書いた文献などから
読み取らなくてはなりません.幸い,ゲーデル全集が
III巻まで出版されていますし,綿密な考証に基づい
た伝記もでています.それらを検討して見ると,次の
ようなことがわかります.

 (1)ゲーデルは,1930年には,ヒルべルトの有限
の立場の証明がラッセルのプリンキピアで必ず形式化
できるということに確信をもっていなかった.そのた
め不完全性定理の論文に慎重なコメントを書いた.
 (2) しかし,遅くとも1933年までには,その意見
は大きくかわり,ヒルベルト計画は不可能であると確
信するようになる(全集III1933o).また,第1,2不
完全性定理によりヒルベルト計画の認識論的な意味は
ほとんどなくなってしまった,という意見を表明する
ようになる(全集III1933o,1938a).しかし,哲学的
な意味を離れると,より明瞭なものに数学を還元する
ということは,それ自体が数学的に非常に重要な問題
であるとし,ゲンツェンの無矛盾性証明を,そのよう
な仕事として評価する.(全集III,1938a)
 (3) そして,この姿勢が終生つづいた.(全集II
1972)

 以上のことは,ゲーデルの研究家の間では定着した
意見だと思います.実際,この意見のほとんどは,ゲ
ーデル研究の第一人者のドーソン教授やゲーデル全集
の編集責任者のフェファーマシ教授の受け売りなので
す.
 注意しないといけないのは,ゲーデルは自分の定理
により,無矛盾性証明の不可能性が厳密に証明できた
とは決して言っていないことです.ゲーデルは,終生
一貫して自分は数学の体系は(それが無矛盾ならば)そ
れ自身の無矛盾性を証明できないことを厳密に証明し
たが,それが即,有限の立場で無矛盾性が証明できな
いということの厳密な証明であるとは言えない,とい
う立場を貫きます.
 これは,1931年のコメントが,終生保持されたとも
言えるのですが,実は,ゲーデルはその後に“しかし
ながら"と続けるのです.たとえば,全集II巻にある,
有名なゲーデルの高階原始汎関数による算術の無矛盾
性証明の論文の1972年版では,“しかしながら,この
驚くべき事実(ヒルベルト計画の不可能性)はゲンツェ
ンによって数論の無矛盾性証明に使われたε。までの
帰納法を検討することにより,非常に明確(abundant-
ly cIear)となっている"と続けています.それに続い
て,ε。までの帰納法が“直接的に明らか"(immediate-
1yevident)とは言えないことを議論し,その事実が逆
に数論の無矛盾性証明がすでに有限の立場を越えてい
ることを示すのだと結論します.そして,そのために
自分は高階原始汎関数という抽象概念を導入すること
により有限の立場を拡張して無矛盾性を示すのだと続
けるのです.
 ゲンツェンの証明は,“the無矛盾性証明"ではあり
ませんから,それを分析しても最終的結論にはなりま
せん.ですから,これは数学的演緯ではなく自然科学
で行うような推論なのです.そして,それによってヒ
ルベルトの意味での無矛盾性証明の不可能性が明らか
になったとするのです.ゲーデルは,集合も物質と同
じように存在するというプラトニズムの哲学を主張し
たことで知られていますが,ここにも,数学を単なる
演緯の学問ではなく自然科学的にとらえるおおらかで,
むしろ現代的でさえある態度がでているように思いま
す.
 今でもゲンツェンの方法の拡張は研究されており,
ごく最近革命的な進歩が達成されつつあるようです.
しかし,研究している方に聞いたところでは,本来の
ヒルベルトの観点からの研究ではなく,純粋数学の一
つとして研究しているとのことでした.私は,この研
究は,むしろ有限離散数学に大きなインパクトを持つ
のではないかと期待しています.しかしいずれにせよ,
ヒルベルト計画ではないのです.今となっては,本来
のヒルベルト計画の立場で研究を続けているという人
は,おそらく世界中にひとりもいないのでしょう.
 数学を自然科学の一つとみる立場から,私は,有限
の立場にかわる誰もが納得する明断な証明方法が出現
する可能性は,つねに留保しておくべきだと思ってい
ます.ゲーデルも同じようなことを言っています.し
かし,一頃世を騒がせた低温核融合実験が決定的な科
学的反証ではなく,忘れ去られることにより否定され
たように,ヒルベルト計画を標棲する研究老が実質的
に絶えてしまったというこの事実は,ヒルベルトの意
味での無矛盾性証明の可能性を巡る論争に決着がつい
たことの何よりの証拠ではないでしょうか.
 最後に,ゲーデルと数学基礎論史のホームページを
開設しました.この原稿のもととなったアンケートの
詳細,ブルノとウィーンでの調査で撮ってきた写真,
ゲーデル本の書評,[1]の原稿の訳読者の募集などが
あります.どうかご覧ください.
 http:〃pascal.seg.kobe-u.acjp/~hayashi/
参考文献
 [1]林晋『不完全性定理』(仮題),内容:不完全性定
理の論文の訳と解説,執筆中(岩波書店より出版予定).
 [2]Tarski,A:Logic, Semantics, Metamathematics,
0xford at the C1arendon Press収録のThe concept of
truth in formalized languages,p.154,p.247,p.277-8.
 [3]林晋『ゲーデルの謎を解く』,岩波書店.
 [4]竹内外史『[新版]ゲーデル』,日本評論杜.
         (はやしすすむ/神戸大学工学部)

付録:新入生のための用語集

数学基礎論:数学の基礎を論ずる数学の一分野.哲学的で
数学では異色の存在.1920年代に形式主義と直観主義と
いう学派が死闘を繰り広げたので有名.最後はその死闘が
学界政治闘争にまで発展した過激な学問だが,今は大人し
い数理論理学の一部と見るのが普通.この闘争の時代の数
学基礎論は,20世紀科学のなかでも一番面白いものの一つ
だったが,今は世界的に見ても数学基礎論をやっている人
は少ない.数学基礎論学者と呼ばれる人も,本当は数理論
理学者がほとんど.わずかに残る本物の数学基礎論学者た
ちは,今ではインターネットで死闘を繰り広げている.

ゲーデル:オーストリア・ハンガリー帝国ブルン(現チェ
コ領ブルノ)生まれで,後に米国に帰化した数学者,論理学
者.1930年から1940年代の最初までに,不完全性定理な
ど,当時の大問題の半分くらいを一人で解いてしまった大
天才.ホフスタッターの快著,『ゲーデル,エッシャー,バ
ッハ』(白揚社)で,一躍ヒーローとなる.

チューリング:イギリスの応用数学者,論理学者.計算機
のモデルであるチューリング機械を計算機が発明される前
に発明.ヒトラーの暗号エニグマ(謎)の解読に協力.計算
機の開発,人工知能の提案,形態発生の研究でもしられる.
若くして青酸カリで死亡.事故説,自殺説,謀略説とあり,
その死はエニグマ.

形式的理論:文章や証明を数式のように記号列で表す人工
言語のシステム.普通,文章の文法的正しさや証明の推論
の正しさをチューリング機械で判定できるものをいう.

ヒルベルト:20世紀数学の潮流を作った大数学者.数学
の安全性を,もうこれ以上確かなものはないという“有限
の立場"というもので証明しようとしたが,その夢はゲー
デルの定理の前にはかなく消えた.

無矛盾性:ある理論から,Aという結論と,Aでないとい
う相反する二つの結論がでるとき,矛盾するという.矛盾
していないことを無矛盾という.

算1階算術:+,*,=,1という自然数についての言葉
からできた第1階の形式的理論.自然数論ともいう.第1
階とは,形式言語に集合を表現する言葉が入っていないこ
とをいう.

PA:Peano Arithmetic(ペアノ算術)の略.数学的帰納法を
含む第1階算術.

不完全性定理:1931年に発表されたゲーデルの定理.PA
を含む無矛盾な形式的理論には,必ず,証明も否定もでき
ない命題がある.これが第1不完全性定理.PAを含むい
かなる無矛盾な理論の無矛盾性も,その理論自身では証明
できない.これが第2不完全性定理.この二つの定理で,
数学基礎論の論争の時代が終わった.結果は,喧嘩両成敗.
詳細は,[1],[3]をご覧ください.

タルスキ:形式的理論における真理概念を研究したことで
有名なポーランド生まれの論理学者.

ゲンツェン:基本定理という数理論理学の美しい定理を発
見し,PAの無矛盾性を有限の立場を最小限度だけ拡張し
て証明した論理学者.ヒルベルトの弟子.

竹内外史:ゲンツェンの仕事を引き継いで発展させた日本
が生んだ最大の論理学者.