京都大学大学院文学研究科・現代文化学専攻[京都大学文学部・現代文化学系]、情報・史料学専修は、2005年4月に船出した、まだ、新しい研究・教育グループです。専任の教員は私、林晋、一名の小さなグループですが、関連専修からのサポートのみならず、学内他学部・学外から優秀な非常勤講師を迎えて、初年度より十分に充実した教育・研究体制を提供することができています。また、来年度からは、他専修、他学部から、それぞれの分野で日本を代表する研究者による共通講義を多数提供していただけることになっています。
私は、数理論理学者として出発し、学位取得後は計算機科学に転進し、その後、数学史、ソフトウェア工学に研究領域を広げてきました。しかし、私と「文学」を結ぶ線は、数学史以外には見当たらないので、私の転職については驚いている人が多いようです。
どうして、林が、このポストについたか、つけたかについては、内井惣七先生がひっぱて来たのではないかとか、林のために、京大文学部がそういうポストを作ったのではないかとか(そう思ってもらえるのは光栄なのですが、何より、私は、そんな風に扱ってもらえるほど偉くありませんし、現実の国立大学法人は、「日曜劇場、京都吉田山なんとか殺人事件」などに出てくる大学と違い、そういうことが容易にできる環境にはおかれていません)、色々と憶測が飛び交っているようですが、この「転職の経緯」については、京大文学部以文会の機関誌、「以文」に書きましたので、ここでは、これ以上触れないことにして、なぜ、林が文学研究科にいるのか、また、何をしようとしているのか、また、2005年10月の現在、何をしているのか、を説明してみようと思います。(それでもやっぱり転職の経緯に興味がある人のために、「以文」原稿の古いバージョン。)
まず、最初に明瞭しておくべき事実が一つあります。これは文学部・文学研究科がどんなものかを知っている人たちにとっては当たり前のことでしょうが、日本の文学部は、文学のための学部ではなく、その実態は「人文学部」です。つまり、英語でいう humanity をやるところなのです。Cambridge, Harvard, Stanford, Heidelberg, Sorbonneなどの世界の有力大学のホームページを見ますと、School of Letters, Faculty of Letters という組織は見つけることができません。実際、"Faculty Letters" で Google により search すると、トップにでている大学の大半は、日本の大学です。Cambridge, Harvard などの海外の大学の一部には(特にアメリカの大学には)、School of Humanities とか、School of Humanities and Social Sciences などというものがあり、これが一番、日本の文学部に近い組織といえるでしょう。
京大文学部も、事情は同じで、こちらの研究室のリストを見れば一目両全のように、それは「文学」と、哲学、思想史、倫理学、歴史学、社会学、美学、考古学、心理学、宗教学、言語学、地理学等々の純粋な意味での文学ではない研究分野の集合体なのです。そして、数の上では、非文学の研究者の方が多いのです。歴代の京大文学部の教官・教員の内で、一番有名な人といえば、西田幾多郎でしょうが、西田は哲学者であり、文学者ではありません。桑原武夫のような、真性の文学者は当然のことながら在籍していたわけですが、文学部だからといって文学だけやっているわけではないのです。つまり、当たり前のことですが、林は決して、文学部で狭い意味での文学をやろうとうわけではないのです。
では、情報学や数学史の研究者である林は「人文学部」で何をしようとしているのでしょうか?
もちろん、数学史は、人文学部にピッタリとフィットします。海外でも数学史は主に哲学科で研究されています。特に、林が現在研究している数学基礎論史は、フォン・ノイマン、チューリング、ゲーデルという計算機科学や人工知能の関係でよく名前を耳する人たちが活躍した数学と論理学、哲学の境界分野の発展史であり、そのため、思想史として研究すると面白い分野です。ですから、数学基礎論史は、現在でも分析哲学系の哲学者の主要な研究テーマのひとつになっています。今年度の私の講義「形式化の問題」でも、計らずも哲学専修の出口先生の講義のテーマが「スコーレムの有限主義」で、途中までは、二人が、ほどんど同じころのテーマを並行して講義しているという現象がおきました。二人の歴史に対するスタンスが異なるので、両方受講した学生さんには色々と考える良い機会になったようです。また、この講義の準備中に、ヒルベルトの数学ノートから面白い史料を発見し、日付のない数学ノートの記述年代を同定するために、文献学的な手法を使い始め、それについて文献学的手法を使っている仏教学や歴史学の同僚に示唆を求め、また、数学ノートにでてきたラテン語の読み方は科学史の同僚に教えてもらうなど、この数学史研究を行うには、京大文学部以外には、日本には適切な場所が無さそうな位です。
この数学史研究は、フォン・ノイマンの「心の師」であり、チューリングにも大きな影響を与えた D. ヒルベルトについてのもので、フォン・ノイマンやチューリングの源流をさぐる、つまり、情報学のルーツを探るという意味合いが色濃くあります。実際、今年の夏のヒルベルト数学ノートの研究で、ヒルベルトが驚くほど現代的な「計算観」を持っており、それは、むしろ、チューリング、チャーチなどより現代的で現実的であったこと、それがゲーデルの不完全性定理により「否定」されたヒルベルト計画の根底的動機としてあったことなどが分かってきており、情報学史の様相が、ますます強まっています(まあ、情報学者としての私の歴史研究のモチベーションの多くは、そこから来ていたので、本人としては「ねっ♪。やっぱりそうだったでしょう。(^^)」という感じですが)。
しかし、実は、この情報学史としての私の数学基礎論史研究の根底には、単に現在の情報科学の源流を探るという以上の動機があります。まだ、そこまで研究を進められないでいるものの、この研究の根底には、ウェーバー社会学の意味での近代化や近代合理性の典型的ケースであるヒルベルト計画の分析を通して、情報学の根底に潜むヨーロッパ的思想のエートスを探ろうという意図があるのです。単に情報学の源流の様子が分かっただけでは、あまり面白くないのです。この源流からは、多くの流れが、色々な異なった方向に向けて流れ出ているのです。その多くの流れの共通する源流を見ることにより、それが現代にどういう影響を及ぼしているか、現在の情報技術や、それ以外の科学技術、さらには人文・社会学の諸分野や、現代社会の思考法一般に、どういう影響を及ぼしているのか、それを見たいのです。そして、それを通して、過去ではなく、現在を考えたいのです。これが出来ないことには、この研究は「自分のこと」として実を結ばす、それでないと、私のような「即物的・現実的な人」とっては面白くないのです。(^^)
この「意図」こそが、情報・史料学専修で、私がやりたいと思っていること、現にやっていることの中心テーマなのです。「この意図」といっても、よく分からん、という人が多いと思いますが、私も、まだ、一言では説明できないテーマで、多分、一生かかっても、一言で説明できるようにはならないテーマだろうと思います。だから、「この意図」とか、「そのテーマ」とかの曖昧な言葉で表現しておきます。そして、それを段々と明瞭にしていく、そういう手法でしか、こういうことは研究できないのです(ただ、名前だけは早くつけるべきなのですが、まだ、そこまでも到達できていません)。
ちょっと脱線、ただし、重要な脱線:ウェーバーが、「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」(プロ倫)で、「資本主義の精神」を明確に定義しないで、そして、定義していないことを明瞭に認識した上で論を進めたのは有名な話ですが、私のこの「曖昧なままで進める」という手法は、それと同じやり方です。そして、このやり方は、実は、現在のソフトウェア工学の要求分析・定義、仕様分析・定義の諸方法、特にアジャイルと呼ばれる方法群のシステム開発法と、そっくりなのです。また、数学における公理論の公理の形成過程も、これと同じ方法を使います。数学では、公理が選択された後の議論の方が長いので、つい公理形成過程を見落としてしまいますが、実は、ヒルベルト公理論のような現代的な公理的手法では、(哲学者 K. ポッパーが言ったように)どれが「正しい公理系」であるかを見出すために公理的方法があるという側面が強く、これは丁度、「資本主義の精神」の「正しい公理系」、つまり、その正しい定義を、公理系ばかりを考えるのではなく、先に部分的な公理からの体系構築や、最終的に選択された公理に適合すべき実例(例:プロ倫のフランクリン)の考察を先に行うことにより、体系(や定義)を段々と作り上げるという方法と同じなのです。ソフトウェア工学の TDD (test driven development)とか、ハーバーマスのコミュニケーション合理性とか、こういう物をよくご存知ならば、すべて「こういう手法」だなと納得できると思います。そして、こういう「手法」の研究自体が情報・史料学専修での重要な研究テーマです。脱線終。
「そのテーマ」は、大きくとらえれば、近代とは何なのか、我々は、その近代とどう対峙すべきなのか、という社会学や哲学などで考察される問題になります。しかし、それでは情報学の専修でやっているという意味は、あまり、ありません。情報・史料学で、こういう研究を行う意義は、いわゆる「情報化」というものが、近代の象徴であり、また、近代化の非常に重要な原動力であり、それを考えることにより近代・近代化を考えることが容易であり(「プロ倫」のフランクリンの役をさせるわけです)、また、逆に、そういう大きな枠組み、「大きなストーリー」を通してのみ、情報化の社会における真の意義を理解できると、林が考えているからです。
こういう「大きなストーリー」、あるいは、パースペクティブ抜きで、「情報と社会」という問題を考察すると、往々にして、次の10年には、どんな情報技術が登場するかとか、社会に役に立つ情報システムとして、今何が必要かとか、そういう研究になってしまいます。これも、非常に重要な研究で、林はそういう研究が日本の大学では、少なすぎるとさえ思っていますが、どちらかというと文学部でやる研究ではなく、情報学部の社会情報などと呼ばれる部門や、経済学部、経営学部で行うべき研究でしょう。林が情報・史料学で目指すものは、それとは、大きくことなるのです。
と、まあ。こういう風な動機でもって、研究を進めています。相当に社会学とか哲学に近い、いずれにせよ人文学的なアプローチであることはわかっていただけたのではないかと思います。大学に進むときに、担任に、数学にいくのか、哲学にいくのか、と聞かれたことがある林としては、大きな輪を描いて、いつの間にか、本来の位置にもどったのかな、という気もしているところです。(^^)
で、こういうことが分かれば、公式の専修案内に書いてある一見、支離滅裂、トンでも本のごとき分野の羅列は、極く自然なものであると理解してもらえると思います。とは、いうものの、欧米では、常識になりつつある、ソフトウェア工学と社会科学の関係は、日本では、まだまだ、目新しいものなので、そういう関係の具体例を、2,3書いて、この「専修案内」を終わることにします:
M. ウェーバーには、未完の合理性理論がありますが、現在のソフトウェア工学における「検証」や「要求定義」の問題を、このウェーバー合理論の terminology を使って説明すると、非常にすっきりとした説明ができます。いささか単純化されたポストモダン風の言い方をすれば、「大きな物語」という、単一の価値が存在する環境ならば、ソフトウェアの正しさは、その価値に照らして判断できるので、その判定は原理的には論理だけで行えるものが、「大きな物語」が喪失し、共通の価値基盤が無くなった世界では、極端に言えば、各ソフトウェア・プロジェクトごとに「価値」の体系が生み出されるのです。
では、その価値はどうやって生み出すのか?昔は、ソフトウェア技術者の能力といえば、高速で小さく信頼性のある高機能のプログラムを、すばやく書けることだったのですが、現在では、プログラムを書くということが、ツールや方法論やOSなどの「環境」の進歩により、格段にやさしくなり、また、ハードウェアが、あまりに高速になったために、ソフトウェア開発、特に受注ソフト、カスタム・ソフト、と呼ばれる、銀行とか企業、行政のシステムの開発では、むしろ、どういうシステムを作るのか、そのシステムは、どんな「価値」のために作られるのか、つまり、発注者は何を欲しているのか(これは大抵の発注者はわかっていません)を、分析して作り上げること、つまり、ウェーバーが「資本主義の精神」という言葉の意味を「明らかにし」、「定義」していったように、そのソフトウェア・システムが体現すべき「価値」を定義していくこと、それがソフトウェア・プロジェクトの核になりつつあるのです。
ですから、ソフトウェア工学の本などを読むと、科学技術についての「常識」からすると驚くようなことが書いてあることがあります。例えば、アメリカの著名なソフトウェア・コンサルタント、A. コーバーンは、ソフトフェア開発という人間行動を哲学者 L. ヴィトゲンシュタインの言語ゲームを使って説明しています。工学に哲学がでてくる。それも「現場」のソフトウェア・コンサルタントが、それを使って、現実的に有効な開発技法を説明しようとする。しかも、それが、奇をてらっただけの「未来を開拓する技術」などでなく、地に足のついた、今すぐ役にたつ知識であるということは、ソフトウェア工学の大変な特徴といえます。
この感じが、どうしても納得できない人は、ソフトウェア工学、特に、カスタム・ソフトウェア関係のソフトウェア工学は経営学に近いのだ思うと納得してもらえるかもしれません。現在のソフトウェア開発法の花形分野が「ビジネス」であることもあり、経営学とソフトウェア工学はERPなどを通して親近性のある分野なのです。こういう分野は経営情報などの名前で呼ばれています。そして、それだけでなく、ソフトウェア開発というものが、人間のチームによるプロジェクトであり、そのマネージメントを必要とするという意味で一種の経営なのです。だから、日本発の経営学である野中経営学に触発された Scrum というソフトウェア開発法もあるのです。
また、ある企業のためにソフトウェアを作るための第一歩は、その企業が行うべき「本当の業務」は何かということを理解することです。そして、そのためには、丁度、文化人類学者が、アマゾンの村落に棲みこんで、その文化の構造を明らかにしようとするように、企業の現場にソフトウェア技術者などが「棲みこんで」、企業の「価値」とか、「目的」を割り出すということが、ソフトウェア工学の手法のひとつとして行われているのです。このような活動(技術)は、ethnography (民族誌学)と呼ばれ、これを社会科学の訓練を受けてないソフトウェア工学者がやるにはどうすればよいかというようなことが研究されています。
以上のように、現代のソフトウェア工学は、ますます、人文・社会学的な様相を深めています。そして、そのソフトウェア工学が、19世紀より発展した論理学ベースの数学の基礎、いわゆる、数学基礎論と密接に関連いしていることは良く知られたことで(林の過去の研究の多くは、そういう分野の研究とみなされています)、それ故に、人文・社会学、特に合理性の研究、ソフトウェア工学、論理学、数学基礎論史(特に公理論など)を統合的に研究することは、極めて自然なことです。そして、それが林が、新しい人文情報学として、京都大学文学研究科、現代文化学専攻、情報・史料学専修で研究していきたいことなのです。