Welcome susumuhayashi 

2019年12月1日(日曜日)

名誉教授懇談会で講話

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時53分04秒 記事編集

新ブログに新しい投稿をしました。
名誉教授懇談会で講話


2019年11月25日(月曜日)

「スティーブ・ジョブズの遺言」執筆ノート(1)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時02分31秒 記事編集

新ブログに新しい投稿をしました:
「スティーブ・ジョブズの遺言」執筆ノート(1)


2019年10月18日(金曜日)

2019年10月18日より新しいブログを開始しました。

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時04分45秒 記事編集

2019年10月18日より、本ブログへの投稿を実質やめて、shayashiyasugi.com に林晋のブログを移転しました。
移転後の最初の投稿はこちら:「情報学者の人文科学研究 その2」初稿

当面は、新ブログに投稿したら、このブログでも投稿をしましたという投稿をしリンクを張ります。

古いブログは当面は維持しますが、近いうちに新ドメインにwebページとして保管する予定です。


2018年11月14日(水曜日)

「西谷啓治と田辺元」校正一回目終

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時36分55秒 記事編集

雑誌「哲学研究」に投稿した論文「西谷啓治と田辺元」の校正の一回目が終わる。
と、書きながら、二回目があるかどうかは知らない。あって欲しいところ。

この校正をやっていて、困ったのが、この投稿の前の幾つかの投稿で、
報告した、最近見つかった歴史資料について、書くかどうか。

最初は、「文末追記」などとして、書く予定だったが、
結局やめた。

理由は、新発見が、未だに生煮えだから。

まず、間違いないとは思うが、その確認作業が
終わっていない。その意味では、完全にオープンの状態。

もう少し検討した上で、西田哲学会か、日本哲学史研究、
あるいは、思想、あたりに投稿か?

それまでは結論は封印!!!

ということで、ここに書いていることが、
学問的厳密性を求めることでおきる
「封印」の非即時性を緩和する試み。


2018年11月8日(木曜日)

数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(4)

満原さんからの、ドイツ語の間違いの指摘で、先週金2で修正したのを
覚えていた単語まで間違えているので、問い合わせてみたら、
ファイルの送付ミスで、ファイルが古かったことが判明。

これもやはり間違いが多いのだが、一応、最新版を再掲示:

画像

翻刻テキスト

$46$ ハ否定ノApscheidung ,Trennung , Entgegen@@zig.
$47$ Enta:usserungノ故ニ
$48$ A:usserlichkeitトシテノR
$49$ ヲ
$52$ Inha:reng
$53$ (Z)
$51$ トS….zein
$50$ ®トノ綜合必然ナルナリ.
$54$ 重ンジZモRトノ媒介ニ於テ考フ故ニ種ノ論理ハ
$55$ 個ノ論理ヤ類ノ論理ト異リ実間?ノ論理ヲ重ンズ
$56$ コレニヨッテノミ個ト共同社会トガ現実的トナル.生ニハ
$57$ (ウムラウトを文字として認識)
$58$ 実@性A:userlichkeitナシ直接態ナル故内外一如
$59$ 連続ナクスハ?ナリBergsonヲ見ヨ.社会ヲ考フルニ之ヲ要ス
$60$ R-Zニヨッテノミ個ト種ト同時ニ成立ス. 此Dialektikノ
$61$ Progress , Beweglichkeit ハpraktisch ニノミ動即静的
$62$ ニノミ?成立ス. (2018/10/19この少しあとまで)PhilosophieガSystemヲナクス所ナルナリ
$63$ dialektiche Logikタル所トナルナリ. 数学ノGrundlagen_
$64$ forschung.ガ自己映写ノNonpra:dikatibita:tヲ
$65$ 免レヌ如クantinomischノdialektischナリ. Kantト異ル?(考ル?)
$66$ 意味ニテMetaphisik否定セラレDialektikガ
$67$ Logikトナリphilosophie der Praxisトナル. 故ニ
$68$ GeistノMetaphisik ノAヲ存在スルabsol.Geistトノ
$69$ 提示?タルHegelト異ルKant的@@@@@@.
$70$ Sein-Nichts-Werden
$73$ モ
$72$   B
$71$ E-A-Bナリ.
$79$ Sein-Nichts-W
$74$ ハ
$75$ モ
$76$ B-E-A
$77$ E-A-Bナリ
$78$ Welt
$80$ Nichtsハ否定外@ナル故Eナリ. Sein直接態トシテBナリ
$81$ トシテ出ルモノハ
$82$ BAナリ.故ニソレカラDaseinガals ahi…シ
$83$ S-M-PナリPガアル有トシテアル間ハBナリ之ヲNichts
$84$ ニシテAトスルハMystikナリ場所ノ哲学ナリ、類ト
$85$ シテ存在スル間ハBナリソレガ否定態トシテAタルノミ、EモBニ
$86$ 対セズ却テ之ヲ媒介トシテ@スルヿニヨリ生レテ?類的個トナル


数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(3)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時11分50秒 記事編集

二つ前の投稿の翻刻のドイツ語の綴りなどが、かなり間違えていると、
西田幾多郎新資料プロジェクトの研究員の満原さん(日本哲学史)から、
指摘をもらう。満原さんからのメモ:

$46$ Apscheidung → Abscheidung
$46$ Entgegen@@zig →
Entgegensetzig?(こんなドイツ語あると思えませんが、Entgegensa:tzigならありうるかもです)
$52$ Inha:reng → Inha:renz
$58$ A:userlichkeit → A:usserlichkeit
$63$ dialektiche → dialektische
$64$ Nonpra:dikatibita:t → Nonpra:dikabilita:t
$65$ antinomischノ → antinomisch,
$66$ Metaphisik → Metaphysik
$68$ Metaphisik → Metaphysik
$82$ als ahi … → abscheiden(?)

この部分の担当の澤崎君がドイツ語をやったことがない人なので、
これは仕方がない。いつもは、ドイツ語ができる人で、演習中に
直すのだが、この部分は内容の方に意識が行って、綴りは、
殆ど無視してしまっていた。ただ、Nonpra:dikabilita:t
は、もしかしたら、僕が間違えたのかも。(^^;)


2018年5月29日(火曜日)

アローの一般不可能性定理

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時14分24秒 記事編集

経済学に「アローの一般不可能性定理」というものがあり、これがゲーデルの不完全性定理や、
ハイゼンベルクの不確定性原理などの、何かが本質的にできない、ということを主張する定理の一つ
として有名である。

何が、この定理を有名にしているかと言うと、「アローの定理は民主主義は不可能であることを示す」と理解されているからである。

この議論、前々から、実に馬鹿げていると思っていたのだが、それを経済学の社会選考理論などを知らない人たちにも理解してもらえる良い議論はないものかと、以前から思っていたのだが、それを考えつけたようなので、一応書いておく。

アローの定理が、民主主義の不可能性を証明しているという、この主張は、全く馬鹿げた主張で、単に、経済学者ケニース・アローが、「非独裁性」と名付けた条件が、一人歩きしているだけのことなのである。

簡単に言ってしまうと、アローが言っていることは、トーナメント制のゲームだと、誰かひとりがチャンピオンになる。そういうのとまったく同じ理屈なのである。

アローは、「独裁者」を、「その人が選ぶ社会的なオーダーが、その人が属す社会の多数派の選ぶオーダーと同じ(正確には、その人が選んだオーダーが、必ず、多数派が選ぶオーダーになること)になる、そういう人」として定義した。

おそらく、アローは、半ば冗談で、そういう命名をしたのではないかと、僕は思うが、これは実に馬鹿げた定義だ。

独裁者というのは、その権力により、自分の判断を他者に押し付けることができる人のことだが、実は、
アローの一般不可能性定理が証明される社会選考論の数理モデルには、そういう「他者に押し付ける」という
「権力」という行為が全く反映されていない。

つまり、アローが使ったモデルでは、「独裁者」について語ることが、もともと無理なのである。

しかし、なぜが、アローが、「独裁」という言葉を使ってしまったために、誤解が起きているだけなのである。

以前から、これは、不完全性定理などに比べ、無理がある限界論だなと、感じていたアローの定理が
民主主義の不可能性を証明するという主張の無意味さを、難しい数理の話は抜きにして、
説明できることはないかと考えていたのだが、それをできそうなので、このブログの投稿を書いている。

アローの定理の前提条件の中で、「ある人の意見が、必ず、社会の多数派の意見に反映されている」
という、「ある人」を独裁者と呼び、その様な独裁者は存在しない、という「非独裁者性」が民主主義の
前提条件の一つだ、と解釈すれば、アローの定理が、民主主義の不可能性を示す定理だといえる。

しかし、実際には、このアローの定理の「独裁者」の定義に無理がある。そういうことに過ぎない。

例えば、アローが使った数理モデルを反映する、ある現実の社会で、ある人物の意見が、
社会が行う選考、たとえば、選挙結果を完全に予測していたとしよう。アローの定理は、
実は、そういう人間が一人はいるという定理なのである。

しかし、そういう社会で、ある個人が、社会全体の選考(たとえば、選挙)を予測、あるいは、
強制している様に見えたら、その人物を「独裁者候補生」として、危険視して、たとえば、
投獄するとか、死刑にするとか、そういう制度がある社会を夢想することは可能である。

これはアローの数理モデルに何も矛盾しない。そうするとアローの定理が意味していることは、
そういう法的システムを持つ社会、国家では、気の毒なことに、どのように頑張っても、
この制度のために、投獄されるとか、死刑になるとか、そういう「罰」を受けてしまう人が、
少なくとも一人いる、という定理になる。

この被告人を、「独裁者」と呼びたい人がどれだけいるだろうか?


2018年3月29日(木曜日)

西田哲学館訪問

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時01分24秒 記事編集

28日は、かほく市の西田哲学館を訪問。西田新史料の翻刻会議、今年度の最終回。

代表が浅見哲学館館長の科研費の研究が、かほく市のプロジェクトと並行して走っているが、
その分担者の一人として工繊大の秋富さんが来ていて、久しぶりに話す。驚いたのは、
このプロジェクトに参加している、石川工業高専の鈴木教授が挨拶をしてくださって、
以前、北大の中戸川さんを通して、電話で話したとこのこと。元は産業図書に勤務されていた
とかで、確か、そういう方の紹介があったような記憶が朧げに…

兎に角、記憶力とか判断力が衰えてきていて(というか、記憶力は以前から怪しいが :hammer:)、
今日も、最寄りの東西線の駅で、滑り込んできた反対方向の列車に、何時もの癖で飛び込んでしまい、
危うく、会議に間に合わないのは回避したものの、無理矢理乗ったので、予約した指定席などは、
全部、パーになるかと思ったが、宇野気駅の方やサンダーバードの車掌さんなど、
JR西日本の方たちの大変に親身な対応の、お陰で、数百円のマイナスで何とかなった。深謝!!!

西田哲学館は、立派な研究棟ができていて、そこで会議。満原さん、吉野さんの二人の研究員が
積極的に発言してくれて、心強い限り。来年度も、上手く行きそう。

宇野気は、京都より少し寒く、それでも桜が良く咲いていた。金沢駅の人出は、閉口するレベル…

帰宅したら、庭の桜が満開に近く、花桃や、山ツツジなどが、かなり開花してきていた。

で、夜中になって、何の気なしに、姉小路の飯田さんをググってみたら、ミシュラン三ツ星になっていた。

いい店にいくと、緊張感がありすぎることがあるが、飯田さんのお店だけは、これが全くない。
開店当初で、まだ、無名の時に、共通の知人に紹介してもらって、それから、年に、
多くても二度ほどながら、寄せてもらっている。飯田さんと女将さんの人柄が本当に良くて、
緊張感なしに、最高の食事ができるので、大変、好きなお店だ。

前回、お願いしたときには、中庭に、見かけが太々しい猫がいて、焼き魚(鰻、ただし、
並の鰻ではない)を焼く煙のせいか、「食べたいよー!!ニャーニャー」と泣き続けていた。

女将さんに聞いたら、カラスだか、他の猫だかに(どちらか、忘れた)、追いまわされて、
お店の中庭の木の上で切羽詰まっているところを、飯田さんが助けて、それから、飯田さんに大変
なついているのだとか。

こういう野良猫が中庭で、ニャーニャー鳴いているのは、センセイも僕も大好きで、
「飯田さんらしいなーー」と思って、嬉しかったのだが、でも、これって、もしかして、
これを理由にミシュランの星が一つ減らないかと心配していた。でも、星が減っても、
それが飯田さんの勲章だね。などと思っていたら、逆にあがった!!

まさか、ミュシュランも、野良猫のために星を増やしたわけではないだろうが。 :-D


2018年2月28日(水曜日)

「ゲーデルの謎を解く」の新版?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時45分14秒 記事編集

「ゲーデルの謎を解く」の改訂版の話が浮上。

少し前から、あれが出た平成5年とは、社会におけるITの位置が、根本的に変わったので、
今、書くとしたら、前より良いものを、ずっと楽に書けるのでは、と思っていた。

例えば、当時はファミコンでしか説明できなかったことが、
今はスマホで説明できる。

万能チューリングマシンの万能性は、スマホが電話にも、電卓にも、ラジオにも、テレビにも、
そして、コンパスやGPS、最近では気圧計にまで「化ける」という、生活実感で説明できる。
#この話し、単にたとえ話ではなくて、HCIの観点から、理論化できる可能性さえある。
#つまり、人間の視覚、聴覚、触覚が、これこれだと前提し、それとインタラクションする、
#センサーとアクチュエータ(スピーカや画面も含む)が、どれだけの機能あれば、万能HCIと
#言えるかなどという議論ができるはず。実にカント的な話!!

面白そうだと思い、書き換えの検討を開始したが、
もう25年も前の話なので、こんなものを書いていたのか、
と他人が書いたもののように読む。

このころは、まだ、龍谷の理工学部のころで、純粋の理系学者だったのだが、
自画自賛になるが、案外良い文章を書いていて、自分で驚く。もしかしたら、
人文学者になった今の方が文章は下手かも。(^^;)

大幅書き換えを考えていたが、どうも、大半は、少しだけの手直しで、
そのまま使えそうだ。

しかし、ファミコンのところは全面書き換えだな。

変身機械をどうするかは、難しい所。

面白いことに、分かり易いと思って書いたのだろうが、
変身機械でかえって分からなくなった、と言う様な
読者が当初は多く、正直、がっかりしたのだが、
最近になって、これが面白い、分かり易いという人が
増えている様な気がする(もう、新品は売られていないので、
多分、古本で読んでいるのだろう。最近は、オークションなど
で古本が買いやすいから。)

これがおそらくは、IT慣れした人が増えたためではないか、
と思っている。

そういう人をターゲットに書けば、色々と面白い話をかけるはず。

ただ、この本、どう見ても、文字数が少ない。その割には高い。(^^;)


2018年2月22日(木曜日)

〇〇の者と〇〇の人(その2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時29分53秒 記事編集

昨日書く筈だったが、今日、続きを書いている。

○○者というのは、○○という学問をすることを仕事とする人。

○○の人というのは、○○という学問をしたい人。

これは、大きく異なる。

数学史上、著名な数学者中の数学者と言いたくなるフェルマー、そして、少し毛色が違うが、ビィエタ。

この二人は、数学者ではなくて、法律を職業として、そして、数学の人だった。

フェルマーも、ビィエタも、実は本業は法律なのである。

さらに言えば、メービウス、ガウス、リーマンなども、皆、天文台の学者であり、数学者ではなく、数学の人!

で、こういうことがあるので、数学を行うことと、数学者というものを分離して考えようというのが、
僕の最近の考え方。

○○の人は、○○について、本当に知りたいだけなので、○○の職業人が囚われがちな、
○○の「商習慣」から自由でいられる。その故に、才能があれば○○者より、はるかに
本質的な仕事ができる。

こんな事を考えていたら、以前、科学史の院生に、「林先生のアイデンティティが分からない」と、
批判的に言われて、意味が解らず、戸惑ってしまったことを思い出した。

要するに、僕があまりに色々なことをやるので、どの○○の、○○者か、分からない、という発言だったと、
漸く理解。

ところが、○○の人、という観点からは、これは全く的外れで、僕が、色々やっている学問は、
殆ど、全部、「近代化とは何か?自分が関わって来たことを、近代化の文脈で理解すると、
どう理解できるのか?」という、個人的な疑問に突き動かされて行なっていることを理解!
つまり、自画自賛になるが、僕の学問ほど、一貫した学問は、あまりないことになる。 ;-)

今でも思い出すが。「来年の特殊講義は、京都学派です」と言ったときに、今はグーグルで働いている、
清水君が、本当にのけぞって、数十センチ後退した。 :-D

しかし、それが、数学基礎論史の疑問を解決してくれたわけで、僕が、数学史学者ではなくて、
数学史の人だったから、この様なことが出来たのだという気がする。

京大文に転職したときに、僕のような情報工学の人間が、人文学の学部に転職して、吉と出るか、
凶と出るか、分からないという意味の事を、京大文の同窓会の雑誌「以文」に書いたが、
有難いことに、吉と出た様だ。 :-)


2018年1月27日(土曜日)

デザイン思考、パナソニック、松下幸之助

日経のニュースを見ていて、パナソニックが、シリコンバレーにデザイン思考の「工場」を作ったという記事を見つける。

調べてみたら、2016年頃から、日本国内でデザイン思考が流行っているらしい。
以前、「デザイン思考だ。d.schoolだ」と喚いていたものとしては、嬉しいような気もするが、
もう遅すぎないか、今からやると却ってマイナス面がでないかと心配になる。
アメリカで、「もうデザイン思考ではないだろう」という様な記事が書かれるようになったのは、
かなり前なのだから。もう一つジャンプした方が多分いい…

それに、この記事の「プロジェクト発足に先駆けて「米スタンフォード大学のd.schoolを経営会議のメンバーで訪問した」(宮部専務執行役員)。」という所などを
読むと、正直、ため息がでる。デザイン思考の持つ雰囲気は、こういうのにもっとも反するものだ。
デザイン思考を説明するのは難しい。あれは体で会得するしかない。
だから、d.school なのだが、パナソニック(β?)の経営会議の人たちは理解できただろうか。

実は、パナソニックにとっては、デザイン思考の最大のお手本は足下にある。

松下幸之助の二股ソケット、これこそデザイン思考そのものだ。


2018年1月14日(日曜日)

食糧は十分!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時39分52秒 記事編集

RIETI(経済産業研究所)のAIの社会影響プロジェクトの研究を行っていた際に、
大きな違和感を感じたのが、AIの社会影響を論じる人が、僕を含めて先進国の
状況しか考えていないこと。

世界には、まだ、電気も水も食料も十分でない生活をしている人が沢山いる。

そういう人たちのことを無視して、AIがどうのこうのと言っても無意味ではないのか?

もし、世界の食料生産を世界人口で割った時に、それが飢餓のラインを下回っていたとしたら、
AI議論など問題外だろうと思っていたのだが、今日、それを始めてサーチしてみて驚く!!!

http://www.hungerfree.net/hunger/food_world/
によると、食料の生産高は、現在の総ての地球人口を潤すに十分らしい!!!

なんと、素晴らしいことか!!

しかし、そういう時代に、どうして、飢餓が存在するのか???

そう考えると、IT/AIに可能性が見いだせる。

そうあって欲しい…


2017年12月30日(土曜日)

”ものづくり”という呪縛

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時08分56秒 記事編集

今朝(29日朝)、昨日注文した照明スタンドがもう入荷したとビデオ近畿から電話。迅速!!
しかしながら、大学で閉まっているので、来年取りに行く。1月5日からの営業。この照明で上手くいってくれ!!

昨日、夕飯を作りながらNHKラジオを聞いていたら、池上彰さんの番組で、東大名誉教授の政治学者御厨貴さんなどの数名が座談会風に議論していた。

その中で、「今、儲けているのは、ものづくりの企業ではない」という発言がありながら、「基本はものづくりだから」という発言に、
座談会のメンバーの誰からも反論がない。一人のメンバー(NHKの解説員?)から、ニューヨーク中心地(多分、タイムズスクエア)の
広告が、以前は日本企業のそれに占められていたのが、韓国や中国の企業にとって代わられ、僅かに東芝を残すのみだったが、それも
消えることになっているという発言あり。この人たち、わかっていて、大衆に合わせるために、こういう生ぬるい議論をしているのか、
それとも、本当に、そういう生ぬるい立場を信じ切っているのか……

思うに、「日本の失われた○○年」の原因のかなり大きなものの一つに、「ものづくり神話」がある。
この言葉のために、「ものづくり日本」という言葉のために、日本は変わることができなかった。

太平洋戦争末期でも、かなりの人たち、特に少年期の若者たちが、本当に神風が吹くと思っていたらしい。
それと同じ構造が、今の時代にもある。もう、この大好きな国を見限るしかないのだろうか……


2017年12月15日(金曜日)

常識の差

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時55分32秒 記事編集

現代史の小野沢さんとは、研究室が向いであることもあり、良く立ち話をする。
この人は、本当に優秀な人で、特に博士論文でもある「幻の同盟」()を、
読んだときには、「私は歴史家です」とは二度と言うまい、と落ち込んだ程。
ここまでやるか!?でも、やってる… ウーム。僕は歴史家と言い張って良いのだろうか……

まあ、そういうことはさて置き。トランプはオバマが生んだとか、
色々と二人の研究室前の廊下で立ち話することがあるのだが、
今日は、なかなかシビアだった臨時教授会の「毒消し」の意味もあり、
教授会閉会の後、暫く、二人のオフィスの前の廊下で立ち話。

ITの社会インパクトについての評価は、大きく分かれるが、
トランプ大統領の実現など、様々なことについて話す。
そして、多くの事は同意見。

で、その中で、少し驚いた、あるいは、実は、僕が無知過ぎた、
こととして、ラストベルトの労働者の話しがある。

小野沢さんの様な人にとっては、ラストベルトが、栄えていた頃、
労働組合の力が高まり、マフィア化さえしていたというのは、
常識らしい。

(ここから続きを21日に書いている)

しかし、このこと、というか、アメリカの自動車産業の
組合のメンバーである労働者が、例えばレイオフをされても、
それまでと同じ収入を保証されているほど優遇されていることを、
僕が知ったのはリーマンショック後、デトロイトが崩壊した時の
ことだ。

それを知って、初めて、NUMMIが、日本の工場の
様なパーフォーマンスを叩き出せなかった理由が分かったような気がした。

アメリカ人に幾ら教えても、やはりトヨタ生産方式のようなものは、
日本人の素質、精神がないと実行できないのだ、という風な
論調に違和感を持ちながらも、数字としては、その通りだという
ことなので反論できないでいたが、これで一挙に疑問が氷解した。

そんなに優遇されていれば、向上心は生まれないだろう。
そんな風に、デトロイトの崩壊の後に、漸く僕は日米の差を
納得した。

しかし、もし、小野沢さんの「常識」を知っていれば、
NISTEPの客員研究官時代に書いたものや、調査・研究の
結論も、大きく変わっていたかもしれない。

常識の差というものは怖い…


2017年2月25日(土曜日)

みんなで翻刻

カテゴリー: - susumuhayashi @ 18時10分42秒 記事編集

またまた久しぶりに、ブログを書いている。

今日と明日は入試監督で、そのストレスが書かせている面がある。 ;-)
#続きを書いているのは、もう試験が終わった26日の深夜

それで思い出すのが、確か3年前の入試監督の日のこと。文学部では、色々な研究所の人たちが、入試監督の手助けをしてくださるのだが、この年は、それが宇治の防災研だった。

その助っ人の一人が、防災研地震予知研究センターの加納さんで、彼が「SMART-GSを作っている方ですよね」と切り出したのには驚いた。

なんでも江戸期以前の古文書から、地震の情報を引き出すという研究分野があるという話で、それにSMART-GSを使えないかということだった。

東北の震災から間もないころであったし、何より歴史学が人命を救うかもしれないというのが良い。
#実は歴史学は国境線を決定したり、戦争責任を決定したり、凄くプラクティカルな学問。

あの悲惨な津波の半年ほど前だったか、確かアメリカ(もしかしたらカナダ?)のドキュメンタリで、北米の北西部を高さ10メートル超えの大津波が襲った跡が、上流の河岸の地層の発掘で判明し、今は、学校などでも避難訓練をしているというのを見た。

東北の津波の映像を見ながら、この番組を思い出し、もしかして、日本でも、あの番組で紹介されていたのと同じことができたのではないかと思っていたら、貞観地震というのが記録されていて、それと殆ど同じ地域が被害にあったことが段々と報道されるようになり、「ああ、またか、この国は…」と暗澹たる思いをした。

そういうなかで、こういう話があり、大変興味を持ち協力を約束した。もしかしたら、歴史が人命を救うかもしれないのである。素晴らしいことだ。

その後、京大古地震研究会を主宰している理学研究科の中西さんが、研究室に尋ねて来てくれて、地震学には現代地震学、古地震学という分類があること、地質学を使う考古学的古地震学は、情報が得られるタイムスパンが何百万年になる一方で精度が100年単位くらいになる。一方でスパンが1000年単位に減るものの古文書による古地震学は精度が数時間になり、現代地震は精度が秒単位だがスパンが100年単位となる、というような話や、南海地震があると土佐の地盤が一端下がるため高潮が増える、それが数十年かけて戻るということも、高潮被害についての古文書記録を見ていくとわかる。だから、「地震」というキーワードがある文書だけ読めているだけでは足りないというような、非常に興味深い話を教えてもらえた。

その話は、まさに、我々情報屋がビッグデータやIoTの様な世界でのヘテロな情報の質と量のトレードオフにもっている感覚に似ていた。そういうのをどう上手く組みあわせて有用な情報を引き出すか。それが問題なのである。

これは、まさに情報技術を適用するにうってつけの分野だと思い、非常に強い関心を持ち、まだ、学位論文のテーマを決めかねていた院生の橋本君に、こんな重要な分野がある、将来的にきっと重要なものとなる、などと話した。

橋本君は、僕が彼を京大古地震研究会に送り込んだようなことを言うが、これは間違いで、そんなことをした覚えはない。単に、重要な分野の存在を伝えただけで、後は、橋本君の自由意志で進んだこと。

いずれにせよ、橋本君は、以後、京大古地震研究会に参加するようになり、今や、その主要メンバーの一人。

そして、その後の橋本君の様々な頑張りが実を結び、加納さんと僕の「入試監督での邂逅」は、「みんなで翻刻」という大きな成果を生みつつある。

この成果は、1月にプレス・リリースされたのだが、何故か、入試一日目の土曜日の京都新聞夕刊1面に掲載されていて(これが電子版)、それで入試監督と重なり、思い出して、このブログを書いている。

現在まで、くずし字古文書の crowd-sourced transcription、つまり、みんなでやる翻刻は、成功したものがない。現代の印刷物でも、青空文庫ぐらいだろう。

まだ、公開して間もないので、まだまだ予断を許さないが、みんなで翻刻は、その最初の成功例になりそうだ。

今の所の成功のポイントは、橋本君の発案の「学習ベース」のクラウド翻刻にしたこと。つまり、くずし字解読のスキル上達ができる「みんなと交流できるまなびの場」であることが、成功しつつある理由だろう。

これは、橋本君が研究協力者、加納さんが分担者で、僕が代表の科研費基盤B「古文書のWEBを目指して」での成果だが、僕は代表として、お金の管理をして、後は、時々、橋本君に指導教員としてコメントする程度で(「みんなで翻刻」は橋本君の学位論文で大きな部分を占める)、橋本君、加納さん、中西さんの研究成果。

名前の発案者は中西さんだそうだが、設計やコーディング、改造は、橋本君ひとりでやっているが、これは京大古地震研究会なしでは考えられないものなので、古地震研究会を始めた中西さんや、加納さんの貢献は大きい。とくに、加納さんは自身が、WEBベースの古地震研究サイトを作っていて、みんなで翻刻も、そちらのサイトでのサービスらしい。

ただし、京大古地震研究会のサイトは、僕が代表の東大地震研の共同利用のプロジェクトの成果です。とはいっても、これもプロジェクトメンバーの加納さんの活躍がすべて。僕は資金集め以外は威張れない。(^^;)


2016年9月19日(月曜日)

Markus Rehm

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時46分33秒 記事編集

パラリンピックが、突然、NHKなどで大きく取り上げられるようになったので、あれあれ、と思ってみていた。
義足などによりサイボーグ化した人が、その努力と知恵により、所謂「健常者」というものより高い能力を獲得するという
話はかなり前から知っていたので、講義で、「近い将来、高い能力を得るために自ら手脚を切断する人がでる」などと
言って、案の定、男子学生から、それはあり得ないという反発、女子学生からは、賛同を得たりしていたのだが、
このRehm という人のことは知らなかった。

で、NHKスペシャルで、この人の事を取り上げたのが分かったので、NHK オンデマンドで見たら、何故か、
取り上げられいない。幸い、YouTube で番組を見ることができて驚愕&感激!

脳の働きまで変えて、飛んでいる!

踏切の方法が全く違うらしいので、Rehm と「健常者」のジャンプが同一のものとして扱われるのは、
確かに、unfair だが、この人の記録が無視されるのは、さらに unfair と言える。

どういう条件下であり、人力だけで、どれだけ遠くに跳べるか?

そういう競技があっても良い。その時、「健常者」も、例えば水泳で疑問視されたスイムスーツとか、
あるいは、さらにフィンとか、そういうものを使っていいとしたらどうか?

そういう条件下で、「健常者」と、Markus Rehm が競う姿が見れたら素晴らしいだろう。


2016年7月19日(火曜日)

失敗しなきゃ、始まらない

雑誌としては、唯一、良く買うアエラの7月18日号の特集のタイトルが「失敗しなきゃ、始まらない」だった。

大体、僕がいつも言っている事に近い話ばかりなので、楽しく読む。

アエラは働く若い女性をターゲットにしている雑誌らしい。創刊当時から良く買っていたのだが、長らく女性がターゲットであることを知らずにいて、連れ合いに指摘されて驚いたのが、もう10年近く前か?分かってみると、確かに女性をターゲットにした記事が多いので、納得した。

この特集の「失敗こそ最大の財産」というメッセージは、実は「お父さん」たちに聞いて欲しいのだが、ダメなのかなー。

やはり、女性に期待をかけるしかなさそう。


2016年6月18日(土曜日)

北軽井沢のひぐらし

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時33分00秒 記事編集

今日は、本当に久しぶりで北軽井沢大学村を訪問。群馬大学田辺記念館の撮影をさせて頂く。

帰りに田辺記念館の管理人をされている茂木さんのご厚意で、僕の連れ合いの実家の八杉山荘を訪問。

多分、10数年振りだが、心配していたよりは、状況は良かった。

岳父が健在のころ、四人で八杉山荘の母屋から満月を仰ぎ見た時をおもいだす。

日暮らしが鳴いていた。山科のひぐらしとは歌い方が違うような…


2016年6月8日(水曜日)

西田幾多郎「哲学の廊下」解体保存

カテゴリー: - susumuhayashi @ 18時22分19秒 記事編集

この5か月ほど、一番力と時間をつぎ込んでいた西田幾多郎とその家族が大正元年から11年まで住んだ家の一部解体保存の仕事が、今日で一応の目途がたった。
所有者のプライバシー保護のため、これについては一切具体的なものを公開しなかったが、解体して博物館に持ち込み、プレスリリースも終わり、今日から解禁。

最初は、1,2社にでも書いていただけたら、それが将来の展示につながれば、と思って計画したプレスリリースなのだが、驚くほどの反響で、新聞や通信社だけでなく、TVも毎日放送、京都放送、NHK京都と取材があった。

どうもみなさん西田や京都学派に興味があるらしい。若い女性の記者さんが西田旧宅の内部をみて、こんなところに住みたい、もったいない、と言っていたのが印象的だった。こういう人がもっと増えてくれればよいのだが。でも寒いですよーー。

それから、どうも二階外廊下を、僕が勝手に「哲学の廊下」と名付けたのが、面白がられたみたい。

この名前は、初めて内部に入り、廊下を行き来してみたときに突然浮かんだもの。

僕も考えに詰まると部屋の中をうろうろしながら考えるのだが、僕の家は、それほど大きくないので、歩きにくい。しかし、この廊下、歩いてみると、長さと幅が、考えながら歩くのに、実に具合がよかった。

で、「わー、こんな廊下があると考えるときに歩きやすいな。哲学の廊下だ!」と思った次第。

興味がある方は、http://www.shayashi.jp/nishidakitaroukyutaku/を見てください。

しかし、今日は、早朝から、講義が終わる6時まで、本当に忙しく、この5か月を象徴するような日だった。そのため4時半からの講義に少し遅れてしまった。今日は、僕が弁士になって ;-)、無声映画のSFの名品メトロポリスを見せる日だったので、映画を見る時間が10分ほど短くなり、学生さんたちは不満だったかも… ごめん!

しかし、福井工大の市川さんにも言ったのだが、実は、まだ、中間点。保存したものを展示できるようにして初めて仕事が完成する。

これは資金の問題もあり簡単にはできない…

がんばります!

おお、今日から、また、ブログが書けるぞ! :-D


2016年5月29日(日曜日)

ホトトギス忍音

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時08分30秒 記事編集

土曜の夕方ごろ用事を終えて家に帰ってきたら山から不如帰忍音。
例年は夜中に窓を開けていて聞くのだが、本当は、
夕方から鳴いているんだな。

この4か月(5か月かも)ほど、最も時間を割いていたことに、
一応、今日で目途が立つ。


2016年1月15日(金曜日)

復帰!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時04分45秒 記事編集

前回の投稿から、2ヶ月位のブランク。

最大の原因は、体調不良だが、その最大の原因が、意外なことに歯にあることが、
かかりつけの耳鼻科の先生(名医です。林以上にユニークですが(^^;):石川耳鼻科、東山区、京都)の
お蔭で分かり、これも日本のシステム外といえる保険診療が、あまり効かない歯科のクリニックを見つけて(この人も
凄いみたい。まだ、診てもらって浅いので、断定はできないが)、そちらに通い、今までの不調の原因の、
かなりの部分を解消できそう。

これにより、日本の保険システムがもつ、矛盾点を明瞭に認識できた。NISTEPに残留していてたら、
これで一つレポートが書けそうな話。ただ、そうなると厚生労働省との兼ね合いが難しいかも…
#こういう気遣いが必要なことが、日本の統治機構の最大の弱点!!!

今は、どうなのだろう?霞ヶ関も、かなり変わって来たという印象を経産省の「稼ぐ力」の担当者にお会いしてから、
感じているが、このセンスが、もし霞ヶ関全体に広がっていれば良いのだが…
#10年弱前の僕が知っている「官僚」は、皆、ネクタイをしていた。でも、稼ぐ力の人たちは、
#皆、ノーネクタイだった。この変化が、本質的ならば良いのだが…
#霞が関の最大の矛盾点は、奇妙なまでの等質性だから。
#規格外も、良いものだとおもえれば、認めて欲しい!!


2015年11月13日(金曜日)

RIETIプロジェクトと学習院西田史料調査2

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時33分32秒 記事編集

金曜日に京都学派資料の科研費で鎌倉、西田幾多郎旧宅、学習院寸心荘へ。その後、また、RIETI(そこからは、RIETIの予算)。
なぜか、また、このパターン。

寸心荘は、大正・昭和時代の家で、質素なものだが、子供の時代を思い出す懐かしい感じ。(僕は江戸期に作られて大正・昭和に手を入れたと思われる、商家として建てられた家で育った。)

管理をされている学習院の岡野先生にお世話になる。

と始まる投稿を書いていたのが、多分、「金曜日」である9月25日の数日後。
結局、この投稿は完成せず、このブログの投稿は2ヶ月ほど無しになってしまった。

こんなに間が空いたのは多分ブログを書き始めてから最初。
最大の理由は、おそらく、あまりに多くの
ことにコミットし過ぎて、デッドラインが集中してしまった
ことだが、これに兄が急逝したのに休講をしたくなくて(と言っても、
葬儀と重なる日時の講義は休講にせざるを得なかった)、1日しか忌引きを取らず、
JRで故郷の尾道と京都の間を何往復かしたこと。これで、すべての
スケジュールが大幅に崩れた。
#甥や姪の話では、今は、多くの会社で忌引きは配偶者の場合でも1日だけ
#とのこと。京大は昔のまま。労働環境の厳しさを感じる。

この間、石川県の西田幾多郎記念哲学館や金沢市のふるさと偉人館を訪問したりして、
燈影舎にお電話して、京都哲学選書の写真を使わせていただけることを確認したり、
多くの京都学派史料関係の情報を収集し、京都学派新アーカイブを開設するために、
十分なデータや写真など集めることができたのだが、その原稿を書けないでいる。

この間、講義のために西田哲学の勉強もせねばならず、まあ、そのために講義に
したともいえるのだが、色々と重なってかなり厳しい状況となってしまい、
数日前には強烈な眩暈で1,2時間、立てない状況となる。月曜日の深夜に
起きたのだが、影響で月曜日の二つの定例ミーティングはキャンセルし、
5時限目の講義だけなんとか済ませた。

これは、毎年の様に、この時期に一度は起きる症状の特別強いやつで、
お医者さんの話では副交感神経が上手く機能していないためらしい。
ストレスや疲労などから来るらしく、例年は、温度変化というストレスから、
天井が回って見えるような症状がでるのだが、すぐに治ることが多い。
しかし、今年のは立とうとしても平衡感覚が機能せず、立てないという
いままでない強い症状だったので、おそらくは非常に強いストレスが
かかっているのだろうと推測。田辺が「認識論的」な哲学から、
「社会形而上学的」な哲学に抜けていく契機として、身体論を
あげることが多いが、こういう時に、ハイデガー Ontologie的に、あるいは
西田的に認識することと、今の様に「ストレスから来た副交感神経の異常」
と理解して、さらに「最近、忙しすぎてストレスがかかりすぎている。
仕事をキャンセルするしかない」と判断することと、どちらが田辺などの
言葉でいう「抽象的」かというと、僕は、実は、前者の方ではないかと
思う。西田は自分を捨てて認識する、行動するというようなことを強調し、
これの重要性は明らかなのだが、どうも、それが西田の場合は、「哲学者であることの
実践」でとどまっている、田辺の場合は、それを超えようとするのだが、
やはり、「哲学者であることの実践」からは抜け出ていないと言う気がする。
この点で、戸坂などの方にシンパシーを感じるのだが、まあ、これは僕が
哲学者ではないのだから当たり前ではある。

科研費申請の時期が終わり、少し時間に余裕が出て来ているが、まだまだ、
色々と仕事が山積。若いころと違い、朝から晩まで、休まずに仕事というのが
出来なくなっているのがつらいが、なんとかやらねば…


2015年3月28日(土曜日)

また間違えて書いてしまった…

もうすぐに新学期が始まるので、準備のためにKULASISのシラバスを見ながら、講義の構想を練っていたら、また、人文社会科学を人文社会学と書いてしまっているのを発見(前期、月曜日5の特殊講義「ITと哲学の相即」)

僕は人文科学という言葉が嫌いで、必ず人文学というようにしているが、これが社会科学と合わさると、さすがに人文社会学ではおかしいので、仕方がないので人文社会科学と書くことにしているのだが、良く無意識に「科」を取ってしまう。これは今まで何度もやってしまった間違いだが、今回もやっていた…

シラバスを既に読んでいる学生さんたち、単なるケアレスミスですので、誤解の無い様に願います。


2014年10月9日(木曜日)

丸山君が白眉センター助教に

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時55分52秒 記事編集

溝口君に続き、また、研究室での目出度い話。

オックスフォードに留学している丸山君が白眉研究員に採用され、
4月から同センター助教となる。基本的には研究しているのが仕事で
5年も継続できるのだから、こんないいポジションはなかなかない。
その間に文系の学位も文学研究科で取得予定。

僕が受け入れ教員なので、少し前から聞いていたが、今日見たら
発表されていたので、公開!


溝口君たちのプロジェクトがグッドデザインに!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時21分44秒 記事編集

僕の専修の重要メンバーである学振研究員の溝口君が主催する「思い出サルベージ」が、
グッドデザイン賞を受賞。おめでとう!!

思い出サルベージこそは「デザイン・シンキング」の典型的な成功例だと思っているが、
それを自分で作り出してしまう溝口君には驚嘆する他ない。

で、そういうことを京大デザイン・スクールの中小路さんに話したら興味を示していた。
彼女の講義か何かで講演して欲しいとのこと。溝口君、一考お願いします。

こういう若い人たちが、さらなる高みを自然に目指す、そういう日本になって欲しい。


2014年9月6日(土曜日)

「20世紀現代数学とゲーデル」、序章、一章完成!!!

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時31分44秒 記事編集

前回書いたような経緯で、数年前に引き受けた岩波新書の序章と1章が完成!!!

ここまで出来ると、後はテクニカルな問題が主になる。つまり、漸く、何をどう描くかが決まったということ。

しかし、ここまで20世紀の代数幾何学・数論の歴史と、集合論・論理学の歴史が重なるとは思わなかった。実に驚きだ。

フェレイロスの「思惟の迷宮(Labyrinth of Thought)」の翻訳プロジェクトと合わせて、これが日本の、もう維持できなくなった歴史観を変えてくれたらなー、と思う。

しかし、マックス・シェーラーが東北大学の教員として赴任する直前に書いたように、この国の人々は、実に保守的だ。良い意味の保守ではなく、単に、現状を維持したいとう言う意味の、姑息に保守的なのである。

しかしそれでも、僕等のような老人は退場していき、新しい世界が訪れる。それを信じよう…


2014年6月20日(金曜日)

自立ロボットと Umwelt

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時56分20秒 記事編集

ついに、京大も後期から全科目授業評価をすることになった。別に悪いことではない。

僕は自分の授業はすべて全力投球している自信があるし、神戸大時代にエンターテイメントを目指してやった全学授業(250名位かな…質問票で後ろの人がうるさいので静かにさせてくださいとあった、そのうるさい声が僕には聞こえない位の広い部屋でやっていた)で、自分でも「あり得ない!」と思うほどの高い評価を貰ってから、あまり授業評価は信じない。そのころの全学授業は、TVの番組をモデルにしていた。

その様な状況で「受ける」のは、今の京大の状況ではどうでもよい。少数の学生しかいないが、こちらが考えさせられる質問が、高い確率で帰ってくる、今の状況での、質問票による学生たちとのインタラクションの充実の方が遥か意味があるし、そういう優秀な学生を持つことができない殆どの大学教員の方たちには申しわけないとは思うものの、この幸運を手放すつもりはない。

同僚たちはサバティカルを取るが、僕は賢い学生たちに話を聞いてもらえる権利を手放すなど短期間でも信じられない。授業があるお蔭で僕の学問はコンスタントに進む。実に有り難い。

で、前置きが長くなったが、月曜日の特殊講義が、自分でも滅茶苦茶面白いフェーズに突入してきた。Uexküll の Umwelt 概念が、ハイデガーの Sein und Zeit に関係があることは知っていたものの、これが現在の、計測やシステムとここまでピッタリ合うとは思わなかった。Uexküll は、アン・ハリントンの本によると、チェンバレンへの手紙で「太陽は自分の周りを廻る。それが subject としての自分の信念だ」という意味のことを言っているが、これを工学的に言い替えると「自律ロボットを制御するプログラムは、主観的アプロ―チを採らざるを得ない。利用できるセンサー・データは、自分の周り(Umwelt)に貼りついているセンサーしか前提できないだろう。それだけの外界データ、センサーデータだけで、ロボットを制御するとしたら、Uexküll の Umwelt 概念、Funkitionskreise の概念に依拠するしかないだろう」ということになる。やはり、工学は好きだな。現実が、理想を超えていくから!


2014年6月7日(土曜日)

”リアリスト”はユートピアン

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時01分56秒 記事編集

今日、金3の演習で、沼田君がEdward Hallett Carrの有名な著作を紹介してくれたが、
改めて、リアリストとイデアリストの対立について考える…

カーは、僕ならば、イデオロギーと呼ぶだろうものを、ユートピア、ユートピアンと
呼ぶ。また、彼は、「リアリスト」を、あまりに極端な「リアリスト」の意味に使う。

カーの意味の「リアリスト」は、僕には、この世ではあり得ない、あってはいけないユートピアを
求め、その不存在に失望した、ユートピアンの裏返しとしての「リアリスト」に見える。
実は、そういう「リアリスト」は、隠れイデアリストなのである。

本当のリアリストは、そういうものではない。


2013年9月27日(金曜日)

来年度特殊講義予定

来年度の特集講義の計画 ver.2013.10.02

1.前期月曜日5の特殊講義
1.1.題名:再魔術化の概念
1.2.内容:1980年代以後に、歴史学、社会学で様々な形で登場した再魔術化の概念を概観し、その再検討と分析を行う。手法は、歴史社会学、および、社会哲学。
1.3.検討対象(増やす)
   Morris Berman history, sociology (social criticism?)
   Anne Harrington history of science
   George Ritzer sociology
   Alan Bryman Organisational and Social Research
など。
  直接、再魔術化と言っていないものも検討。Bryman は、それ。
  日本的経営。感情労働。WEB上の die Materie としての Scheler の
  Wissenssoziologie 的意味での集合知。
1.4.理論化:
ウェーバーのスケール的概念構成からすれば、2分的な、魔術 v.s. 脱魔術
  では世界は説明できないことは自明。しかし、ウェーバーは時間軸の未来を見ることが
  なく、しかも、脱魔術化が最高潮にかかる時代の人で、まずは、その分析が
  急務だったのだから、これが強調されないのは自然。
  しかし、それはウェーバー理論とは全く矛盾しない。
1.5.「再」の意味:
  これは広く言われていることだが、再は、もとに戻ることではない。
  田辺などの言い方での「否定」。肯定的変化。
1.6.ゲーデルの「左右と中央」論を、これに適用すると、現代的数学は、
  最初から再魔術化されていたことになるのか?この問題を解明。
  リーマンとワイルの Perle。クライン。
1.7.ハイデガーの位置: ハイデガー哲学は再魔術化か否か。
  京都学派の哲学者たちの位置は?西谷、田辺、西田、その他の人たち。
1.8.情報と再魔術化: なぜ情報技術は再魔術化を引き起こすのか。
   ハイデガー、ビノグラード。ハイデガーAIも調べる。

2.後期水曜日5の特殊講義
2.1.題名:田辺元と西谷啓治:ある思想の系譜
2.2.内容:
 西田と田辺、西田と西谷が比較議論されることは多い。しかし、田辺と西谷という
 テーマは、殆んど取り上げられることがなかったようの思われる。しかし、この
 二人は、ドイツに留学して同じハイデガーに師事し、その後、ハイデガー哲学との
 対峙が、その哲学の重要な柱となった人たちであるばかりか、西谷の回想からすると、
 西谷の子供たちが、子供がいなった田辺の家で遊ぶなど、個人的にも非常に近い
 関係にあったといえる。この近さは、その夫人同士の人間的近さの故らしいが、
 田辺のS19年の北軽井沢への疎開の際の京都から北軽井沢までの鉄道旅行の際、
 田辺と西谷が二人で間断なく哲学の議論を続けていたという逸話が記録されて
 いるように、その関係は個人的関係を超えたものがあったと考えられる。
  一方で、西谷の田辺への言及には、師に対する敬意とともに、明らかに「冷やか」な
 ものが感ぜられる。「田辺先生には、結局、これは解らぬ」というような西谷の
 田辺への視線が感ぜられるのである。それは田辺哲学の本質を見事の見切っていた、
 田辺に最も近かった、しかも、ハイデガーにも身近に接した宗教的哲学者の視線であり、
 その西谷の態度は、彼のニヒリズム論と密接に関連している。この両者の
 関係を、史料ベースの思想史の手法で解明する。
  西谷の「回互構造」は田辺の「切断構造」に形態的に非常に近い。
 また、西谷ニヒリズム論の「世界」概念も、田辺の図式「世界」論に近い。
 しかし、田辺と西谷の思想の根本的相違は、田辺の世界は、時間がハイデガーの
 時間であっても、西谷には、それはニヒリズムである点。西谷はハイデガーの
 存在と時間の思想さえ、ニヒリズムとする、というより、それこそがニヒリズムの
 頂点とするわけだから、ある意味では当然。
2.3.史料分析:田辺、西谷、書簡。西谷→田辺は下村文書。逆はないか?
 大谷大?特に西谷のドイツ時代と、戦後。
2.4.前置:この話の前置きとして、田辺の切断論の発生史を、新カント派と 
 その没落の思想史の中で説明。なぜ、田辺は、ハイデガーを微積分の哲学を使って
 批判したのか。その歴史的背景。そして、これが西谷の「世界」の概念の理解を
 通せば、田辺への冷やか視線に深く結びつく、ことの説明。


2012年8月25日(土曜日)

なんじゃこりゃ???!?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時06分55秒 記事編集

この投稿、次の投稿で修正

Wikipedia のこの項目で、

ゲーデル研究者で京都大学教授の林晋は、東のゲーデルへの言及に「東浩紀の知的誠実さ、
そして、そもそもの知的能力を疑わせられる」とtwitterで激しく批判している。

とあったけど、僕は Twitter 使わないのだけれど….

ゲーデル研究者で京都大学教授の林晋は、これを書いた人の知的誠実さ知的能力を疑うと自身の
ブログでやんわり批判している、とか。 ;-)

この本、以前買ったが、ちゃんと読まなかったので批判することはない。
でも、東さんの別の著書をちゃんと読んで、昔の講義資料で批判して、
それをWEBに置いていたことはあります。
#著作権が問題にならない限り、僕は全部公開してしまいます。
#制限かけるの面倒くさいので。それを読んだ人が書いたのかな?

ただ、最近書いた中沢多様体哲学批判では、そんな感じの批判をしています。
#ただし、中沢さんの正しいところは評価しています。

僕は大変嫌味な人間ですが(嫌味を言うのが生きがい :hammer:)
正しいところは誰でも評価します。


2012年5月6日(日曜日)

京都学派のデータ何とか回復…できたかな?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 16時11分58秒 記事編集

京都学派研究用のHDDの情報は何とか回復。どうもバッファか何かを持っていて、そこへの書き込みが間に合わないらしい。まだ1年たってないHDDなのに…. 修繕に出そうかと思ったが値段をみたら手間に合わないような気がして新しいものにかえることにした。今度はメーカーを変えよう。

しかし、壊れたディスクと、データの移転先のディスクの比較ができない。やろうとすると、読み出しの際にデータが失われるか、バッファへの書き込みが間に合わないらしい。量は膨大だし、うまく行っていると信じるしかなさそう。

数年間の年月と(この間、何度前橋までかよったか)、ウン百万円の予算をつぎ込んで作ったデータが1万円代のHDDの故障のためにとんだのではどうしようもない。もっとこまめにバックアップしなければ…

しかし、これのせいで、連休中の仕事の予定がかなりくるった。近藤先生の内海忠司日記のサーチ実験ができず…


思い出サルベージプロジェクト

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時49分30秒 記事編集

6月6日水5の情報歴史社会学で、日本社会情報学会の東北震災支援
思い出サルベージプロジェクト
の活動を紹介をしていただけることになりました。プリゼンターは人間・環境学研究科吉田研究室の溝口佑爾さんです。

溝口君は、この活動を大黒さんという社会学者の視点を利用して、後期ルーマンのメディア論で理解しようとしているが、ルーマン・大黒・溝口の視点は、シェーラー、田辺、ハイデガーの社会哲学、技術論や、J. Dewey のmedia論などと、非常に深い関係がありそうだ。特に、ルーマンの形式とメディアの関係などが、月5の特殊講義「形式と実質の思想史」の内容に見事に連動する。実に、おもしろい!

溝口君と思い出サルベージについて色々と議論したときの覚書:

  1. 写真を残すというアイデアは、どこかのフィルム会社の人のアイデアらしい。
  2. しかし、各地にある同様のプロジェクトの発足は、それぞれの地域で異なりに別々に始まっている。主体もバラバラ。被災者がリードした所も、支援者がリードしたところもある。
  3. 写真も一種のメディア。家族の集合写真が親密圏のメディアとなる?
  4. 日本社会情報学会のチームは、こういう支援をすることは全く想定せずに被災地(山元町)に入った。そこで被災者の人たちの声によりプロジェクトが始まった。
  5. 写真をそうまでして残すというエートスか、海外の人には理解されないことがある。
  6. アメリカの人には、ハリケーンカトリーナの時には、こういうことがなかったといわれた。

2012年3月12日(月曜日)

『具体的』=直観的=実質的

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時10分33秒 記事編集

二つ前の田辺の引用での「具体的」の使い方をみると、それが直観的というか、
演繹を経ずに直接にわかるものと読める。

演繹は否定的媒介とはことなる。否定的媒介は、たとえば、失敗により、
ある肯定的事実が「腑に落ちる」こと。これが直観。ブラウワーの
直観ではない。これは実は形式であり演繹。西田の純粋経験などと
同じで、形式が支配する現代へのアンチテーゼであるが、体系性を
得るために、それ自体が形式となっている。うーんと、西田は
体系的でないかも。個人の資質ですね。田辺は過剰に体系的であって、
また、歴史に翻弄されたために(歴史に「否定」(的に媒介)されたということ)、
体系的でなくなって「しまって」いるところがある。
#ハイデガーとかドゥルーズなどは、それを断ち切りたくて、
#ああいう文体になるのかも?しかし、それも結局形式になる。
#形式に抱きついて、しっかり抱え込み、ロデオをするしか、
#形式を超える道はないはず。うん?これギデンズだな。 :-D


2012年2月19日(日曜日)

来年度の追加アイテム(2)

存在とは「もの」とは?

「ものづくり歴史観」「ものづくり論」の観念性・狭小性。

形而上学的なものが存在かどうか。
ゲームを行う時、このアバターは実はCGが生成した
画素のパターンで…と考えるかどうか。それでゲームが
できるかどうか。DeNAのモバゲーのCMを見せる。
http://www.youtube.com/watch?v=rf5MpFxZyKY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=yVHd0LT5zjU
http://www.youtube.com/watch?v=I6UXRZPBl8o&feature=related

ゲームができないならば、Wordはできるか?アイコンの認識は?
ものとは?世界観とは?

アイコンと数や円、点、を比べてみよ。


数学的にテンソルが行列式の発展(2)

カテゴリー: - susumuhayashi @ 12時26分51秒 記事編集

「ここが佐藤の論文,Voigtの本ではどう説明されているかチェック。
行列式のシグマ使い方から、テンソルのそれができたのか?
形式的には確かに行列式は、特殊例(0,N)−型テンソルでそれでよい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tensor
しかし、発展といっているので、これは田辺の数学史の認識の問題になる。調べる!」
という点について。

どうも行列式の研究からテンソル計算が生まれたということはなさそう。
ルーツの一つは不変式論とか代数形式(ヒルベルト!)らしい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tensor#History
Die Entwicklung des Tensorkalküls, Karin Reich:
http://books.google.co.jp/books?id=O6lixBzbc0gC&redir_esc=y
大学にない!
しかし、Google Books!!
http://books.google.co.jp/books?hl=ja&lr=&id=O6lixBzbc0gC&oi=fnd&pg=PA11&dq=Die+Entstehung+des+Tensorkalk%C3%BCls&ots=z4o8wcWlw9&sig=J57YrpH6tJwbgSfJ3Ga4V1uqO2o#v=onepage&q=Die%20Entstehung%20des%20Tensorkalk%C3%BCls&f=false

数学史的には関係ないらしい。しかし、佐藤、田辺がどうおもっていたかは別。

しかし、おそらくは、「発展」は「拡張」の意味。


数学的にテンソルが行列式の発展(1)

全集6のp.321。「数学的にテンソルが行列式の発展としてかんがえられる意味をもつのも
この構造に由ってその根拠をある程度まで理解し得られはしないか。
「ある程度まで」に注意!テンソルになると外延。
「とにかくテンソルの2次元的伸展凝収の力的緊張は、変化運動の一次元的ヴェクトル構造に対し
明瞭に区別せられなければならぬ。是に由りそれが運動の無限なる重畳を却って静止の緊張に
湛え(たたえ)、極微的に運動の沸き立ち張り合う根源たるのである」という文章がくる。

ここが佐藤の論文,Voigtの本ではどう説明されているかチェック。
行列式のシグマ使い方から、テンソルのそれができたのか?
形式的には確かに行列式は、特殊例(0,N)−型テンソルでそれでよい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tensor
しかし、発展といっているので、これは田辺の数学史の認識の問題になる。調べる!!

これ以外の部分の意味:「それが運動の無限なる重畳を却って静止の緊張に
湛え(たたえ)」というところから応力テンソルをイメージしていることがわかる。
物理学の本来(古い)意味のテンソルは、外から力がかかっている
剛体の内部の微細な平面を通る任意のベクトルmに沿う伸展あるいは凝収の力(テンション)がテンソル。
この平面をその法線 n で表すので、それを記述するときに二つのベルトルn,mが必要となる。
C.f. 山本、中村、解析力学I、pp.76-78。二つのvectorに対して力が決まるので、
応力テンソルは(0,2)-tensor、2階共変テンソル。
要するに2つの covariant vectors のテンソル積。それでくテンソルの2次元的伸展凝収の力的緊張
と書いたのだろう。
C.f. 山本、中村、解析力学I、pp.70-71および
http://en.wikipedia.org/wiki/Stress_(mechanics)#Equilibrium_equations_and_symmetry_of_the_stress_tensor

nの方向のテンソルの力が対立の大きさを表すから、それが横の「次元」、そして、
mが対立が起きる場所(面)を表すから、これが縦の「次元」。そういう (横、縦)-型
テンソル場を考えるということ。テンソル・バンドル?
http://en.wikipedia.org/wiki/Tensor_bundle


2012年2月14日(火曜日)

勤務時間

カテゴリー: - susumuhayashi @ 11時50分22秒 記事編集

総務掛長のWさんに教えてもらったこと。忘れるから、ここに書いておこう。ブログは本来、こうつかうべきものだな。 :-D

僕らの勤務時間は昔は8時間だったが、今は7時間45分になっている!
非常勤の研究員の人たちの勤務時間は、それ以内で計画しないと
いけない。そのため普通は7時間でやることが多い。(ここを間違えていた!!!)
7時間45分を越えると、0.25のオマケ(?)がつく。

給料計算しなおし!


2012年1月27日(金曜日)

歴史学が消える?

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時36分56秒 記事編集

超長期のデジタルデータを保存する千年メモリの研究について質問され、
それ以来、omnipresent log (あらゆる場所のあらゆる時間のログをとるという意味で、
僕の造語。以下 oplog)が実現された時代以後の歴史学、あるいは、歴史、がどうなるのか、
そのことが頭を離れない。これは学問の問題ではなく、人間の社会・文化、人間存在
そのものを根本的に変えてしまうものかもしれないからだ。

僕は oplog が達成されたら、歴史学はやりやすくなると思っていた。しかし、同僚の小野沢さんと、
それについて議論して認識が変わった。oplogは歴史(学)という現在の概念を崩壊させる可能性も
ある。何でもスエズ運河を巡るエジプトと米英の間の紛争、スエズ紛争、については、時単位で
人々の行動が残っているのだそうだ。しかし、それを見ても歴史が描けないのだそうだ。

歴史学というのは、消えてしまう時々の事実が、記録、たとえば、公文書、メモ、通信記録、
日記、当事者の記憶とその証言、などにより、その一部が、ほんの一部が残されているとき、
それを通して、過去を再構成することだ。これは(再)構成であり、実際には、多くの部分は、
歴史家の創作である。別な言い方をすると解釈なのである。

一方に史料が物語る事実があり、一方で、歴史家の推理や解釈がある。
最初の方に忠実であることに重点を置けば歴史学となるし、後の方に
重点を置き、少々の矛盾、大きな矛盾が、史料との間に生じても、
面白さの方をとる、つまり、物語であることを重視すれば、歴史小説とか、
梅原猛日本学になる。

この時、史料の数が、それほど多くないからこそ、それに整合する歴史を
物語れるのであるが、その数が、途方もなく巨大だったら、そういうものを
作れるだろうか?これはデータマイニングのような、ビッグデータの話になって
しまうのである。

最近、オウムの平田容疑者が出頭してきて、その後、彼の映像を、
駅の監視カメラの記録から抽出したものを報道していた。それらの
映像は、平田容疑者が出頭する前に撮影されたものなのだから、
平田容疑者は駅構内の群集の一人に過ぎなかったのである。それが
記録されていて、必要ならば、それを抽出できるということは、僕についても
同じことができるわけだ。

これはGoogleやFacebookのさまざまなプロダクツについて
よく言われる問題と同じなのだが、それは主に現在のWEBの広がりの中で
語られることが多い。こういう透過性、一望性により、WEBは世界の経済と社会を
変えたわけだが、もう一次元増えて過去まで一望できてしまうと何が起きるのだろうか。

少なくとも一人の人間として、過去が何年たっても現在と同じような明瞭さで見えるとしたら、
これほど辛いことはないのではないか?昭和20年8月6日の広島の情景は、それを経験した人、
それを翌日経験した人の誰もが忘れたいものらしい。
昭和20年8月6日の広島の情景が、永遠にそのまま残るとしたら、
人間はそれに耐えられるだろうか。2012年3月11日に稼動していた監視カメラ、報道のカメラ、
アマチュアのカメラ、ケータイのカメラ、は、すでにこの問題を引起しているはずだ。それが
一見ないようにみえているのは、報道や、個人が、それを隠しているからだろう。
インド洋の津波の場合には、流される人々の映像がかなりあった。それが全くといって
ないというのはおかしい。要するに隠しているのだろう。しかし、それをもし全く隠さなかったら
耐え切れなくなって生き続けることができなくなる人が沢山いるはずだ。

死と言うものが大変すばらしい「発明」であることは、年をとってからヒシヒシと実感できる
ようになった。人は死ぬから、その後の世代が可能となる。誰も死ななければ、世界は混雑
し過ぎるから誕生というものが不可能となる。死があるから生がある(ムムッ!田辺に乗り移られたか!)。

冗談はさておき。

大方の過去の記憶が消滅するから、人間は過去を耐えることができるのであり、
また、大方の過去の事実が消滅するから歴史と言うものは可能なのだろう。

過去の全ての情報が、丸侭残ってしまったら、それは混沌とした現在と何も違わない。
つまり歴史学が持つ「理性的」な側面は維持できなくなるのだろう。

では、その時、少しでも「理性的」であるには、どうするか。

現在のWEB社会で行なわれている、ビッグデータで世界を動かす
という方法、キャッチコピーで言えば、集合知、データマイニング、
データ同化などの言葉が表していること、もっと、簡単に言ってしまえば、
「統計的」推論を使うことなのかもしれない。

しかし、それで一人の人間が圧倒的な現実を耐えられるとは思えないが…


2011年11月30日(水曜日)

忙しすぎる…

カテゴリー: - susumuhayashi @ 22時23分53秒 記事編集

演習資料をUPしてハタと気がついたら11月の今日が最終日で、全くブログを書いていない。忙しすぎたんだんな…


2011年10月26日(水曜日)

消費

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時04分50秒 記事編集

以前、社会学で「羽入・折原論争」というのがあって、ある意味で日本社会を象徴するような、
がっかりするような事態が起きたのだが、そのとき、このサイト「羽入・折原論争」の作成者の北大の橋本さんに、
お願いして、その中でコメントをしていた学者でない人を紹介してもらい、メールで議論をさせてもらったことがある。
議論は羽入・折原のそれと同じく、全く噛み合わず、「砂を噛むような」という使い古されて陳腐なはずの言葉がピッタリ嵌る状況を経験した。

その時のことを時々反芻し、それがその後の僕の執筆の態度にも影響をしている。それまでは「一般向け」の良い本を書きたいと思っていたが、
それからは、それがこの国では不毛だと思うようになった。それで、岩波文庫の「不完全性定理」(の解説)を書くときなど、
京大で教えている院生や、学部生の優秀な人たち、そして、お医者さんとか、別分野の学者さんを読者として想定して書いた。
#僕もその人種の一人だが「一般向け」の本は大好きだ。ただ、楽しめるもののほとんどが、
#そのオリジナルが海外の言葉で書かれているのが悲しいが…

で、そういう読者の設定の理由として、なんとなく「そうでない読者は、僕の本を消費する。
たとえ印税が沢山入っても、その代償に消費される本を書くのは嫌だ」と思ったことがあるのだが、
でも、その肝心の「消費」の意味が、自分でも分かっていなかった。

ところが、突然、それが分かった。多分、岩波「思想」1月号の結局は削除してしまった中沢新一批判の部分を書くために
中沢さんのテキストの分析を真面目にやったとこと、そして、卒論を書いているS君と、ハーレクイーンのような「消費される小説」
について議論したことなどがそれの原因なのだろう。

で、結論として、「AがBを消費する」とき、Aはそれによっては本質的に変わることがないという特性がある。
要するに消費者というのは、自分が本質的に変わることを嫌がる人である。哲学や数学、あるいは、
思想の古典などの「難解」と呼ばれるテキストと格闘し、それこそ何年も格闘し、それを「理解」したと思ったときには、
大抵の場合、自分自身が大きく変わっている。「理解」という言葉は、自分は円の中心にあり、動かず、変わらず、
何か外にあるものを摂取するかのようなニュアンスが少なくとも現代日本語ではつきまとうが、実は「本当の理解」
というのは自分がその「理解の対象」と融合し、あるいは、絡め取られることでもある。
外国語が自然にわかるようになるという経験をした人には、この意味がわかるだろう。
この様に変化する。そうでなくては、新しい自分の段階は得られないのだから、
たとえば、学者としては、消費としての「理解」は理解というに値しないものとなる。
学者の言う理解とは、それ以前ものを壊し否定することだから。

しかし、文化やテキストを消費する人は、一回ごとのエピソードで自分が変わることなど考えてはいない。
癒されました、とか、感動しました、とかいうのは、実は自分の本質は何も変わっていないという意見表明だ。
本当に変わったら言葉はでない。変化に圧倒されて言葉を出すことなど無理になる。
圧倒的に美しい自然を目にしたときのようにただ黙って見つめているしかなくなる。

これが消費される本か、消費されない本かの違い。つまり、消費者とは、怠け者だといえる。
しかし、ハーレクイーンならば、消費者は怠け者でないといけない。そのために、つまり、楽しむために、消費するために、その本は書かれているのだから。
ハーレクイーンを読んで「地下生活者の手記」を読むようなセンセーションを受けたのではかなわない。
以前、亡くなった森さんがおもしろいことを書かれていて、学生が感動するような講義をせよという人が多いが、
もし、全部の講義が感動ものだったら、学生は一日に幾つも講義を聴くのだから疲れて大変だろう、というのである。
なんと、真っ当な意見だろうと感動しつつ、大笑いした。

そういう意味で消費されるものはあるべきだ。むしろ、大勢は消費されるべきものだ。素人と玄人の人口比を考えれば、それは当然のことだ。
ただ、今は、玄人がなにもかもえらいのだという、僕らの学生のころまであった、いまとは逆向きの非現実的な支配的意見への反発として、
単に、それの裏返しが起きている。戦前の天皇陛下は神だ、の裏返しとしての、消費者は神だ、というのと同じ。
これらは方向が逆なだけで、実は同じ思想。僕は、こういうのが一番嫌だ。

だから、僕は売れる本は書きたくない。もちろん、しょうもなく世俗的な僕はお金は欲しい。しかし、そうでない要素も持っている僕は、
自分の感情に素直になると、印税より気持ちよさを取る。「僕の本が、現在の日本で、売れに売れたら、それは恥だ」と思うし、
そのまま発言して同僚に訝れたりする。もちろん、自分と同じ考えの人が増えて売れに売れたのならば、
もう、その時点で死んでもいいぐらいにうれしい。デモ、死ねません。センセイの世話をせねば。 :-)

ということで僕の意味での「消費」が漸く自分で理解できたいう話….. ウン?
学生諸君、以上の「理解」についての議論から、この「自分の意味での消費が漸く自分で理解できた」という文の意味を説明せよ!レポートの提出は….
#冗談です

ところで、全然関係ないのですが、sourceforge.jp のユーザ活動順位が月間7位、週間4位になってしまった。
どうなっているのだろう。玄人の学者が、こういうのをやるのは珍しいということかな…
#エートっ。この文をテキスト分析すると….


2011年7月9日(土曜日)

sano君

カテゴリー: - susumuhayashi @ 01時59分08秒 記事編集

6月のエントリーがゼロでした。
ただし、サボっているのではないぞ、学生諸君!
プログラミングとかハイデガーの勉強とか、水5の講義の準備とか、そちらが忙しかっただけ。
月により活動に偏りがある。

今日は、佐野君の就職祝いの宴会。
久しぶりにめでたい!!
もっと文系に光を当てないとこの国は滅ぶ。
#もう滅びかけているけど…

が、それは年寄りからみた世界。
若者の世界は我々のあずかり知らぬ所で動く。
それを潰さず応援・支援したい!
#ゾンビは早く排除したいが、一体どれだけの
#ゾンビがいるのか?人口の半分より多いかも..
#老人社会だからな…と鏡に映る自分の
#眉毛の白髪をみつつ思う。


2011年4月24日(日曜日)

Omnipresent Web

SMART-GS0.8のコーディングの最も面倒なところが終わり一息と思ったら、
岩波から原稿の状況の問い合わせが来た。(このブログ見てるんですね。
千葉さん。(^^;))

社会学の学会が組織したボランティア運動で宮城県と福島県の県境あたり
に行っているらしい溝口君が水曜のPlato’s Ghostの講読にでてきたので、
みんなで色々と話をきく。Google Earth だか、 Map だか、Street View だか、
どれか忘れたが(アラカンで記憶力減退)、Google の地理画像情報が
随分役に立っているらしい。家が流されて、それを探すとか、被災証明か
なにかのための証明用にとか、必要な Google の画像を印刷して渡すと、
泣いて喜ばれるという。パーソン・ファインダーといい、今回の
大震災は Google がどういう存在なのかを如実に示している。

溝口君に必要な画像が更新されて消えてしまうことはないだろうかと
聞かれて、Googleはミッションで動いているから、
メールで必要性を知らせれば対応してもらえるのでは、とsuggest。
彼は昨夏の村上さん(当時まだGoogleジャパン名誉会長)の集中講義
を聞いていたので、直ぐに納得していた。

村上さん経由のおねがいというのもあるだろうが、Google
は通常の意味の「会社」というよりはイエズス会に近いの
だから(だから日本に上陸すると「弾圧」される)、現場で被災者支援
をしている人が同志として頼むのが一番自然だし、わかってもらえる
だろう。

とはいうものの、木曜日夜にプログラミングの峠を越えてホッとしたので、
さっき自分でも調べ、いろいろとわかったので、溝口君にメールで
知らせる。しかし、今頃は被災地で僕の長ーいメールを読む暇はないかも。

で、一般的にも意味があるとも思うし、水5の講義の内容とも関連するので、
ちょっとそれを採録:
++++++++++++++++++++++++++
林@京大文です。すでにGoogleから返事をもらっているかもしれませんが、
ちょっと調べてみたので連絡しておきます。

溝口さんが言っていたGoogleの古い写真というのが、Google Earth の航空写真
ならば、震災と関係なく Google Earth 6 以後の time slider 機能として古い
写真が表示されるようです。
http://earth.google.com/support/bin/answer.py?hl=ja&answer=148094
http://www.google.co.jp/intl/ja/earth/explore/showcase/historical.html

1946年のサンフランシスコの画像まであるのですから、多分、基本的には永久に
保存されるのでしょう。

しかし、street view の画像については、この機能はないようです。現在は震
災前の「古い」写真を見ることができます。たとえば、
http://maps.google.com/maps?f=q&source=s_q&hl=en&geocode=&q=%E5%8D%97%E7%9B%B8%E9%A6%AC&aq=&sll=39.639538,-98.173828&sspn=53.508562,91.230469&ie=UTF8&hq=&hnear=Minamisoma,+Fukushima+Prefecture,+Japan&ll=38.124588,140.936004&spn=0.003507,0.005568&z=18&layer=c&cbll=38.124588,140.936004&panoid=_q9s9gOFOjxY-rHW6FpYCA&cbp=12,292.83,,0,11.01

こういう画像は非常に貴重なものではないかと思います。ユービキタスという言
葉がありますが、これは神はあらゆる場所に存在するという意味ですが、さらに
オムニプレズントという言葉があり、これは神があらゆる場所とあらゆる時間に
いることをいいます。ストリートビューにもタイムスライダーがつくとオムニプ
レズント・ウェブへ一歩近づくことになりますから、おそらくGoogleはやりたいで
しょうね。

広島では原爆以前の町並みを記憶などに頼って復元するという活動が
あります(わりと最近始まったものです。被爆者は過去は思い出したくないので.
..)。そういうものに使えるようになるわけで、実際、2009年のオーストラリア
の山火事によるMarysvilleの焼失
http://www.smh.com.au/news/national/marysville-almost-destroyed-in-victorian-bushfires/2009/02/08/1234027832317.html
に関連して、こういうものがありました:
http://www.facebook.com/group.php?gid=69249521398

Googleに働きかけて、Street Viewを過去の光景のアーカイブにするというのは
ありえますね。ただ、Grid上でやるという方法もあります。いまでも、腕に自身
がある人ならば、Street View の画像を落としまくる、Street View をクロール
するクローラを、すぐに作れるはずです。

被災した人たちがとりあえず今必要なのは、Google Earth のほうですか、
Street View の方ですか?
++++++++++++++++++++++++

村上さんの話では、Google BooksがGoogleの収支をかなり圧迫し
ているらしく(だから、かわいそうに清水君の給料は低いらしい(^^;)。
まあ、それを知っていて入ったのだからしょうがないよね。
元気でやってますか?(^^))、それからすると、Street View
の古い画像を保持することはどうか?

これは新日鉄ソリューションズの大力さんの
言い方を借りれば「装置産業」なのでGoogle Booksより簡単なはず。
つまり、人件費を比較的喰わない。Google Books は最大の人件費喰い
のはずであり、それに比べれば過去画像など大きな問題ではないはず
(古い画像は解像度が低く容量が小さいし)。

もし、omnipresent web が実現されたら、未来の歴史家は、僕のように
群馬大や京大文学部の田辺文庫の古紙の虫になるのではなくて、
メールやブログの記録、street view, tweets, life log の
記録を探し回るのだろう。それは今僕がやってる作業より、
はるかに膨大な作業であると同時に、まるでタイムマシンに乗って
過去に遡るようなワクワクする体験に違いない。
#うらやましーーー!!!

その探検旅行にSMART-GSの子孫が使われていたらホントうれしい
のだが。(^^)


2010年9月26日(日曜日)

新学期

カテゴリー: - susumuhayashi @ 23時24分54秒 記事編集

明日から新学期の講義開始。京大文学部でも15週の講義確保とかで後期開始以前に後期授業が始まる。これを額面どおりにやると、現在の行事が増え、祭日が増えた大学のアカデミック・カレンダーには非常な無理が生じる。根本を変えることができず、小手先の変化しかしない社会の矛盾がここにもでている。こんな社会が後どれだけ持つだろうか…

先週は Google 名誉会長の村上さんに集中講義をしていただいた。村上節に学生たちは圧倒されたか、予想以上におとなしくてガッカリ。もっと議論をして欲しかったのだが、まともに村上さんに反論できない。どうも、低学年の学生が多かったようだ。村上さんと日本社会の現状を嘆くことしきり。村上さんは、日本は opt-in 社会(「余計なことはなにもするな」の社会)、アメリカは opt-out 社会(「とりあえず何でもやれ」の社会)と説明していたが、学生達は、これにも反応しない。若い日本人まで opt-in に固まっているような….

Google Books や YouTube に拘わる、色々な逸話を聞けたが、一番、驚いたのが、委員会だか何かで、小説家のような文筆で生きている人たち、それも著名な人たち(ただし、みな僕より年長、つまり、年寄りばかり)が「そもそも図書館があるから我々の本が売れないのだ」と、Google Books どころか国会図書館さえ攻撃し始めたという話。現代日本では団塊の世代を中心とする年寄りが、もっとも selfish で、public というものを全く考えない。後藤田の予言があたったということ。村上さん自身が団塊なのだが、他の人と全然違う。こういう団塊世代が多ければ現在の日本の状況は無かったのではないかと思うことしきり。

明日、月曜日は日経編集委員の松岡さんの講演会。これも日本社会の根幹に拘わる話。こういうことが、いずれも「情報」に拘わっている。


2010年9月6日(月曜日)

札幌で考えた事2:越境の仕方

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時29分28秒 記事編集

一つ前の投稿で書いたように哲学と歴史は随分と違う。僕は今は歴史家モードだし、基本的に歴史が好きだ。しかし、本当に見たいことは、現在の厳密な歴史学の域は超えている。だから、歴史社会学と称している。僕は日ごろ、postmodern 思潮を批判しているが、この部分では、実は postmodern 思潮に極めて問題意識が近い。それは以前から判っていたが、何かが決定的に違うとも思っていた。しかしどう違うかうまく表現できないでいたが、札幌で哲学と歴史の違いなど考えつつ、漸く言葉にできるようになった。

中沢新一さんの著書について書くために、仲正昌樹さんという金沢大学の哲学者のポストモダンの総括「集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス) 」という本を読んでいたのだが、その中に「中沢は、既存専門分野の枠をわざと外す様な形の仕事をした。その手本として ethnomethodology 系のアメリカの研究者があぅた」という意味の記述があった。僕も若いころは、既存学問のメインストリームが嫌で、それに反旗を翻すかのような alternative な構成的数学とか直観主義数学とかに惹かれたのだが、それを研究してみてわかった事は、結局、ブラウワーのような思想は一種の「オイデイプス・コンプレックス」に過ぎないということ。「強度」があるのは、明らかにヒルベルトのような「プロイセンの家長」的もので、ブラウワー的なものも、すでにその中に包含されている。確かに、ブラウワーが付け加えた重要な認識はあり、それを無視したヒルベルトは、ワイルが指摘したように、その点で非難されるべきだが、ブラウワーの「勘違い」や「思い上がり」を考慮に入れれば、ヒルベルトに軍配を揚げたくなる。

僕の「種の論理」研究と、中沢さんの「フィロソフィア・ヤポニカ」は実は限りなく近いのだが、その違いは何か?何を「多様体哲学」論文で批判すべきか?

それは、方法論の部分。僕は自分にも、学生にも、ストイックすぎても、既存分野の中で意味がある仕事のみをするように。と、厳命している。これが学生には強すぎるプレッシャーになる場合もあるようだが、妥協はできない。では、なぜ、そうまでして妥協しないかというと、それが「糸の切れた凧」になることを避けるためのおそらく最善の技術・戦略だからだ。何も知らない人からみたら「保守主義」に見えるのだが、実は、postmodern 論者などより遥かに飛んでおり、その弊害を避けるために、わざわざ自ら、自分に碇をくくりつけているのである。それが、「既存分野で意味がある仕事しかするな」ということの意味。本当に力がある仕事ならば、古い分野の手法を使っても表現できる。もちろん、本当に崩れ去った古い分野では、さすがに無理なのだが、そういう酷いのは滅多に無いように思う。また、たとえあったとしても、救い難い「専門分野」を、文系の教育を受けたことがなく、いかなる分野にも真の紐帯を幸いにも持たない僕としては、簡単に切って捨てることができる。そこまで酷いのには、京大文では、まだお目にかかったことがないし。

おそらく中沢さんなどのポストモダンの人は、父としての専門分野に縛られている。それを否定せざるを得ないという意味で、実は縛られている。文系の正統の教育さえ受けたことが無い、素人中の素人の僕などは、そのしがらみが一切ないから反発もしない。中戸川さんから、博士論文の主査だった澤口さんの話を嫌と言うほど聞かされた。僕が知る人の内、最もこだわりがない人の一人である彼でさえ、そうなのである。ところが、僕には「無知」という強力な武器があり、そういうことから一切自由だ(なんせ、田辺元の公理主義という訳語を調べるまでは、田辺元と中村元を同一人物と混同していたほどの人文オンチ!(^^;))。そして、そういう無知な人間の目には、postmodern とかブラウワーとかは、実は極端なオイディプス・コンプレックスに陥り、「父を意識しすぎた人たち」に見えるのである。

僕は無知である故に、既存分野を方法として勝手に使うことができる。どの分野でも、使えさえすれば勝手に使う。そういう場合、その分野を利用するには、その分野のプロトコルに忠実である方が良い。それで、その分野から庇護を受けて、その力を使える。あまりに自由な思考は根無し草であり、実は何も見えなくなる。「ものが見える」というのは、実は「思考枠」を自分が既に持っており、それに制約されるということを常に伴うからだ。そういう意味での解釈というバイアスは絶対に避けることができないのである。それを理解しないで、一切から自由になろうなどとすると、自由どころか「自由であるべきだ」という脅迫観念に縛られて自由を無したり、凧の糸がきれて錐もみ状態になる。しかし、それは大変に危険なことだ。だから、「糸の切れた凧」にならないように、既存分野のプロトコルに意識的に忠実になる。それは「糸」に過ぎないから、邪魔だと思ったらいつでも切って、他の糸に結びなおせる。僕はその様にアカデミックな専門領域に戦略的に拘っている。しかし、それは実は全く信じてはいない。道具として使っているだけだから。

このように考えれば、何故、僕より飛んでいるはずの中沢さんが、実は、遥かに僕より人文学の伝統に「反発」という関係で縛り付けられているかが理解できる。おそらく、「多様体の論理」「多様体論理」批判論文の後者の部分は、この問題を論じればよいのだろう。


2010年7月12日(月曜日)

語りえぬものこそ語らねばならない

カテゴリー: - susumuhayashi @ 03時13分24秒 記事編集

今日届いた新書の幾つかを読む。高橋昌一郎さんの近刊の「分析哲学者の発言」を見て、今更ながらに感じた。何故、僕は技術的には親和性が高いはずの「分析哲学系」の思想が嫌いか?おそらく、最大の理由は「語りえぬものには沈黙を守るべきだ」という態度だろう。

ソフトウェア工学とかIT人材育成とか、そういう仕事をしていると「出来ないことを行う」でなくては何の意味もないことがわかる。これの意味は本当は「完全無欠の理想状況は出来ないことは端から判っていることを、少しでもましにする」という意味だ。ハイデガーたちは「科学が語りえぬものだけ」を語り始めたが、それはソフトウェア工学とか人工知能・自然言語理解という『哲学的工学』において「プラクティカルな形而上学」として機能した。技術者が使うソフトではなくて、「社会の中で使われるソフト」を作ろう、その作り方を知ろうとしたことがある人ならば、少々気の効いたソフトウェア構築法より、「ソフトウェアには被投性がある。その投げ込まれ方の理解がソフトウェア構築には重要だ」という「抽象論」の方が、どれだけ本当に役に立つか理解できるだろう。「被投性」という気取って奇妙な専門用語が使われているのが理解を妨げるが、そうならば「ゴール」のような小説仕立てで伝えればよい。実際には、小説まで書かなくても、態度で伝わる。工学においての現場の徒弟的コミュニケーションは実に重要だ。これが出来ない「知恵」は技術としては「役立たず」になる。

こういうコミュニケーションをしてまで「伝えたい、しかし、語りえぬ、不完全でしかし現に世界を変える知恵」の存在と、それを確かに次の世代が古い世代の行動から「読み取る」という意味での「コミュニケーション」が可能であることを知っていれば、「語りえぬことは沈黙しなければならない」というテーゼがいかに硬直しているかが理解できる。

このことを考えるときにいつも思い出す話:ある人が街灯の下で何かを探している。近づいて尋ねてみた「何を探しているんですか?」「いや、500円玉をそこの暗がりで落としてしまいましてね。」「???どうして、落としたとこでなくて、ここで探しているんでしょうか?」「え?!だって、あそこは暗いじゃないですか」


2010年5月23日(日曜日)

群馬大調査メモ

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時32分26秒 記事編集

Hartmann: Grundzuege der Metaphysik der Erkenntnis の書き込みは量は多い.大部をかなり徹底的に読んでいる.田辺としては珍しい方だろうか?
しかし,特に特定のものに触発されたということはなさそう.どちらかというと,×コメント, falsch! コメントが多い.田辺にすれば遅くとも種の論理
のころには Hartmann など超えているという意識があったか?下村は,12巻の解説で,「しかし,新カント派ではこの科学批判・認識論に哲学の課題を制限し,又をそれを特色とするものだったが,先生の場合は,最初から,その制限を越えて形而上学に到らんとするものであった」(pp.403-404)と書いている.新カント派の社会主義,特にコーエンの道徳論や Jewish study を考えれば,前半の議論は半分ほどは「不十分な間違い」といえるが,後半の視点は,このことの傍証に使えるか?

Hartmann の本の現物と目録の対応があまり良くない.他にも間違いは多いかもしれない.一応,全部見ていくべきだろう.

日本語の書き込みに面白いものがある.高坂の「西田哲学・田辺哲学」の自分の「」への言及に,
「宗教ならぬ宗教」という意味の書き込みを繰り返す.


2010年3月27日(土曜日)

科学の特殊性

カテゴリー: - susumuhayashi @ 17時02分16秒 記事編集

科学が何故特殊かと問うのは無意味.我々が現在科学と呼ぶものは如何に特殊かという問いが正しい.そのグループに現実の例が落ちて吸い込まれていく.その「生産性」を見た社会(学問)が,それに落ちるように社会(学問)を変えていく.役に立った形式技法としてのUMLなどは典型.形式技法が役立ったのではなく,形式技法が役立つ場を求めて姿と位置を変えた.そして,それに合わせてエンタープライズさえも姿を変える.

では,科学の特殊性とは?「手戻り」の無さ,少なさ.自然科学者には「科学的なものには手戻り」がないと思っているかのような人が沢山いる.だからシステム開発もそうだという誤解が広がったのだろう(waterfall の神話).これは,実際のシステム構築をしたことがある人間には信じられない態度だが,「科学者」から見たら合理的態度だろう.つまり,科学とは「手戻りがすくなく,知のシステムを累積的に発展させることが可能な分野」という性格を持つ.これがあると,複利計算で指数関数的「増加」が見込めるので,急速な「進歩」が可能となる.

ただし,それだけならば一部の宗教なども入るかもしれないので,他に実用性とか実証性とかが入るだろう.しかし,その最大の特徴は,おそらくこれ.だから,「進歩」という言葉が当たり前になった.どうして進歩,進化しないといけないのか.過去の時代の人に合って,そういう語り方をしたら唖然とされるだけだろう.しかし,今の時代では,科学者でない人にさえ,これを言えば唖然とされる.これに科学,そして,それより「科学的であること」という神話の特質のかなりの部分が見える.


2010年3月8日(月曜日)

[無題]

カテゴリー: - susumuhayashi @ 00時35分20秒 記事編集

買ってはみたものの,気が重くて開けなかった哲学者須原さんの本を開く.この人とは龍谷時代に数回あって話したことがある.本も書いていて,そこそこの哲学者だったらしいが,ずっと非常勤でやっていた人なので,勝手に,老後の不安と無関係ではないだろうなどと考えていたが,全然違ったらしい.明るい感じの人というかアッケラカンというか,そういう人だったが,そのままだったらしい.ご家族もあり,息子さんがあとがきを書いていた.ご家族もアッケラカン.明るいので,何か安心.本当に思想上の問題として計画してやったのだろう.それならば,須原さんの勝手だ.まずは,よかった.(^^)

学生支援プロジェクトというので,担当しているPD,ODの研究員の諸君も,想像するよりは身なりもよければ,かなりよい生活もしているらしい.以前,スイス人の友人がずっとグラントだけでプラプラしていて,一乗寺あたりの古民家で不便を楽しみながらすんでいるのを見て,経済が悪いといっても,ヨーロッパは豊かだなと思っていたが,どうやら日本もそれに近づいているのかも.この程度の豊かさをキープできたら悪くないだろう.確かに景気がわるく不安定な生活を強いられている人が多いようだが,それでも今は日本の歴史の中でもっとも豊かな時代であることは確かだろう.(バブルのはころは豊かとはいえなかった.あれは成金にすぎない.)


2010年2月16日(火曜日)

京都学派の末裔

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時45分04秒 記事編集

昨日届いていた梅原猛「隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫) (文庫)」をぱらぱらと読む.

なるほど...確かに面白い.現代のアカデミックな歴史家ならばやらないような議論が各所にあるが兎に角力強い.amazon の読者が4をつけた意味がわかる.議論の妥当性は別として背景から赤外線のように照射してくる力のようなものがある.その原因は?京都学派を調べているものとしては,特に「はじめに」の書き出しが面白い.「この本を読むにさいして,読者はたった一つのことを要求されるのである.それは,ものごとを常識でなく,理性でもって判断することである」.梅原さんの「学問」は,これに尽きるのだろう.この「理性」は明らかにKant哲学などの意味での Vernunftだ.ようするに,田辺が社会・政治に対して哲学をもって行おうとしたことを,梅原さんは日本古代史に対して行おうとしたわけだ.違いは田辺が過剰と思われるほどに高踏的であり意図的に難解に書いたのではないかと思われるような文章を紡いだのに対して(この場合,「書いた」といわず,「紡いだ」といいたくなる.一つ一つの表現の繊維が複雑に入り組み,どれがどれにどのように絡み合っているか容易には解くことができないような文章*1),梅原が最初から大衆読者を向いていること.梅原は和辻を連想させる.戦後京大文学部のアカデミズムから忌避された梅原は「ポピュラー的」だ.その議論のスタイル,目的は明らかに京都学派のものだが,むしろ,それが忌避を招いたのかと思ってしまう.

いずれにせよ,読む前は,大先達に失礼ながら「あやしげな奴」などと思っていたが,思っていたものと違い,すがすがしさのある文章に,田辺へのものと同じ程度,あるいはそれ以上に共感を覚える.特に自分の論考が歴史学的精密さに欠けることを認めた後,それに続く一節「そういう個々のミスを指摘していただくのも大いに結構であるが,願わくば,それと共に,この本の根底にある理論そのものを問題としてほしいのである.一旦,こういう仮説が提出されたからには,もはや,古い常識と通説へ帰ることは出来ないと思う.この仮説の否定は,この仮説以上の理論的整合性をもった他の仮説の創造によってのみ可能なのである...<中略>日本の古代学の発展の刺激にならんことを」には,大変共感する.

ただし,実はこの見解は間違いで,史学においては理論なくして「否定」は可能である.「否定」をなんと取るかによるが,理論を立てた本人の足をすくい,立っていられないような痛手を与え,本人自らが退場したくなる,そういう,実も蓋もない史料・事実というのは実際にはいくらでもある.こういうものを「否定」といえば,史学にはそういう否定は日常的にある.僕はこの「否定」を引き起こす史料・史実を地雷と呼んでいる.本当に地雷は怖い.何の前触れも無く,突然爆発するのだから歴史家の心は休まらない.まあ自分がゾンビならば別なのだが(^^;),大方の学者はそうではないものだ.

田辺は,すべてのものに意味を見出そうとして躓く.(一番ぶっ飛んだのは,「社会における土地占有が相対性理論における光にあたるという議論.兎に角,自分のいる時代の歴史的事柄にも意味を見出さないといられない人が田辺だったが,そういう人,今も多いですね.)すべてのものに意味を見出そうとすること,それは地雷原と知りつつ,そこに分け入り走り回るような行為だ.だから僕らのような慎重な(*2)学者はそういうことはしない.命(学者生命)は惜しい.田辺は最初極めて慎重だったが,立場上か,西田の後を襲ったころから,これが酷くなる.

梅原さんは最初から地雷原を闊歩という感じ.この点は,やはり梅原さんは歴史学者としての思考の経験がなく,あくまで戦前の京都学派的に「理性のみに頼る」という方法にこだわりすぎていると僕には思える.先日とどいた昭和6年からの岩波講座哲学の第1回配本,西田幾多郎「歴史」に眼を通したときも同じ違和感を覚えた.ランケについても議論しているが,その全体はアウグスティヌス的時間論のような抽象論に基づいていて,歴史学というものが持つ(西田は明らかに歴史「学」も問題にしている)政治性,社会性などに一切議論が及ばない.そういう所が,田辺は嫌で種の論理など考えたのだろうが,その田辺の議論の仕方が,再び「理性のみの」「論理的」な議論になっていて,20−21世紀人として,当然のように下世話な僕などは,最初に読んだときに大いに驚き,かなり研究をすすめて,田辺の文章に慣れ親しんだ,今でも違和感バリバリなのだが,梅原さんの文章はそれと同じものを僕に感じさせる.

戦後,おそらく京大文学部は戦前の京都学派を忌避する動きをしたはずだ.これは同僚に聞いてみたが,言葉を濁された.(^^;) それも梅原忌避の一原因か?

まあ,危ないから,これはこの程度にしておこう.田辺研究だけでも十分「危ない」のだから...

で,一つだけ面白い話.(面白い世間話大好きです.これを禁じられたら生きていけない..)京大文学部100年史に出身者の一人として梅原さんの文章が載っていて,それによると京都学派以後,自分で考えるという京都大哲学の伝統はなくなった,哲学史に堕しているというような意味のことが書いてあった.これを読んだとき,なんと今の哲学の同僚達は寛容なのだろうと思ったのですが,面白い話が好きな林は,そこで「一説」をひねり出しました.「これはきっと梅原猛博士の生霊を封じ込めるため,あるいは,ガス抜きするための梅原法隆寺に違いない!」.もちろん,この説を考え付いた時の僕の顔は,こんな風 :-D:-D:-D:-D にニヤニヤだったわけですが, 後で真相を聞いて:-o:-oという感じ...なんでも,哲学から推薦した方(これも著名な方)が何かの理由で原稿執筆を辞退され,編集をまかされていたT先生(どちらかというと社会科学系の人で哲学は専門外) が,困ってしまって,有名な梅原さんに頼んでしまったというだけのことだったらしい.普通の大学や大学部局だと,勝手なことをやったとか言って大喧嘩になりそうだが(以前,そういう所にいました.(^^;)),京大文学部は互いになるべく干渉しないし,物事を根に持つ人が僕が知っているほかの場所にくらべて驚くほど少ない.で,事なきを得ているらしい.というか,僕みたいのが目ざとく見つけて一人で喜んだり,残念がったりしているだけらしい.

歴史をやっていると,こういう風に,大きな意味を持ちそうなことが,実も蓋もない偶然のために起きているということに多く出くわす.ある人が,昭和20年8月6日に広島にいたことに,普遍的・論理的「意味」を見出すことは不可能だ.しかし,そのことは,その人にとって,とてつもなく大きな意味をもつ.歴史的事実・歴史性というのは,そういうもので,逆説的ながら,それこそが一種の超越性であり.... なんだか京都学派みたいになってきましたところで,終わりにしよう.最後のデモ・ビデオ作らねば!  そうです.これも現実逃避でした.:-D:hammer:

*1:ただし,田辺の初期の科学哲学関係の論文や本は読みやすい.論旨や議論が単純なのである.ただし,初期と中期以後で殆ど同じことを言いながら,後者の文章は奇妙に難解だったりするので,単に文体の問題もあるのだろう.

*2:慎重:つつしみ深く考え深いこと.凡庸ともいう.


2010年2月8日(月曜日)

石田さんへの返答:人文学と科学

カテゴリー: - susumuhayashi @ 17時47分38秒 記事編集

SMART-GS を出展予定の「文化とコンピューティング」国際会議の関係で,主催者の石田さん(京大,情報)とのメールのやり取りの中で,
僕と現代史の永井先生,仏教学の宮崎先生の連名で書いた人工知能学会誌の紹介記事(解説論文)が,「問題解決のプロセスのモデル化」
かどうかという議論が始まり(Dreyfus-Winograd の反AI論を知っている人には,なぜ,僕が,この石田さんの言葉に引っかかってしまった
かお分かりでしょう.「問題解決」「モデル」二つの言葉とも,容易に許容はできません.プロセスは一般名詞ならばよいけれど,ソフトウェア・
プロセスとかに絡められると,簡単は「yes」といいがたいところです),「人文学者の多くは,そういうモデル化をしたがっているのではないか」という
石田さんのメールに,それは間違いだと反論したら,実は,それは石田さんのお父様(専門は思想史とか)のことを言っていたことわかり,
現在の日本の状況なども踏まえて,詳しく説明するしかないな,かつ,今,調べている19世紀ドイツでの反心理主義,反物理主義,歴史主義
などの,Naturwissenschaften と Geisteswissenschaften の葛藤の問題とも関係するし,まあ,最近,このブログで書いていたことと,
深く関係するので,長ーーーい,お返事を書いたのが,下のもの.僕は,こういう長いの書く癖があり,もらった人は迷惑だろうな,とは思うのだけれど,
まあ,喜んでくれる人もたまにはいるし,書かないと「腱鞘膨るる業」;-)となるので,つい書いてしまいました.:-D

というものが,とにかく,次のもの:
#送ったそのものでなく,文章が変だったところを,少し修正していある.
#不思議にブログになると間違いが見え易くなる.印刷と同じか?

石田先生

<中略>

現代日本では人文学が「遊び」のように扱われて,何か
理系や社会学系にくられべ一段低いような扱いを受けているので,
理系的に見せるという努力を人文学者がしてしまうという
傾向がかなりあるように思います.少なくとも,
そうしないと,理系の人たちが研究費をコントロールして
いるので,お金がなかなか来ないようです.

しかし,これは文系の素養が殆どなくなってしまった
理系の先生方の ignorance から来るものと私は思っています.
社会情報系の石田先生ならば,これらのことはお分かりでは
ないかと思いますが.

国家・社会のために重要な人文学研究は沢山あります.
私は哲学研究や文学なども,50年,100年を単位に
して考えれば,そのようなものだと思っていますが,
理系の方でも分かり易い例は歴史学のもので,例えば,
「南京虐殺はどの規模で,どのようにあったか」
「竹島(独島)は日本のものか」「チベットは歴史
的に中国の属領か.あるいはその歴史的関係は」
などの問題には,史料に基づく歴史学(私の専門がこれ)の研究が,
大きな影響を与えます.

私は,こういう学問は,現代日本では「社会のための工学」
でなく,「楽しい科学」に,「堕している」ことが珍しくない
(これは工学部時代の自分への反省も込めて),
工学部等での大方の研究より,遥かに国家・社会のために
重要だと思っていますが,そういう議論は残念ながら,
なかなか賛同してもらえません.

この様な状況で,人文学の研究者が不必要な劣等感・罪悪感を持つこ
とがあることに,文学部に転職して気がつきました.
XXXさんが「誰もやらないことを調べている」と言われる
のも,幾分は,そういう感情によるものでしょう.しかし,
これは私は大きな間違いだと思っています.研究者が,そういう
感情を持つのは勝手ですが,国家・社会が,そのようなイメージを
持つことは,その国家・社会の「力」の衰退に結びつきます.
それは戦後日本の歴史が何よりも良く示しているところでしょう.

いずれにせよ,お父様の様な方もあるのかもしれませんが,
世の中がどうであれ,それは世の中の方が間違いであるという
誇りをもてるだけの研究をしている人が多い(国内では知られて
なくても,海外のアカデミアからの評価が高い人が相当いるのです),
京大文学部では,人文学を人文科学と呼ぶことさえ間違いだと
いう意見の方が大勢だと思います.京大文学部を「アカデミズム最後の牙城」
と呼び,「もう自分達は持ちこたえられない.せめて京大文学部
だけは頑張って欲しい」といわれたことがあると,著名な
仏教学者の徳永先生が仰っていたこともありました.

痛めつけられている,また,十分な人材の集積を形成できない,
他の人文系の学部・部局では,なかなか
そのような誇りはもてないでしょう.たとえ,良い研究を個人で
していても,周囲の堀を完全に埋められてしまった状況で,
孤立無援に持ちこたえることには超人的な精神力が必用で,
普通は,まあ...,出来ません.

ですから,お父様のような考えを持つ方が増えていることは
理解できますが,同時に,京大文学部は,まだ,それを「間違い」
だと言い切れるだけのものを持っていると思っています.

もっとも,数理社会学などの面白い学問があるように,
人文学におけるモデル化やシミュレーションの可能性を
全く否定するつもりはありません.大規模な社会システムの
性格など,そういう方法でしか研究しにくい,自然科学的
性格が,社会科学だけでなく,純粋な人文学の中にさえあることは
確かです.しかし,それは飽くまで人文学の辺境に位置するもの
であるというのが私の見解です.

現代日本では,「文系=おもしろい文章を書くこと」と思っている
人さえいますし,文系は遅れていて自然科学に近づけなくては
ならないと思っている人も多いようですが,私は,
そういう考え方は誤りであり,そういう風潮を跳ね返さないと,
真の人文学の伝統が滅びてしまう,そして,それは日本という社会・
国家の将来にとって,大きな損失になる,と考えています.

本物の人文学は自然科学には還元できませんし,
また,自然科学的に行うことさえ不可能です.私は,それを
ソフトウェア工学の社会的側面の研究の中で学びました.ソフトウェア
の「仕様」「正しさ」の基準は,最後は人文学的思考,特に
社会学的な思考に還元せざるをえなくなり,それで形式的技法の
研究を放棄し,社会学的要素が強いアプローチ,UML,
agile methods などの研究にシフトしました.私の論拠は,
社会学,特に Max Weber の合理性理論でしたが,後に,
渕一博さんについて調査した際に,Winograd さんの本の存在
を偶然知って,よく似た論点であることを知り,それ以後,
Winograd さんの論法も使うようになりました.
#私はAIはそれまでは殆ど知らなかったのです.(^^;)

18−19世紀のドイツ思想界では,自然科学(特に心理学・物理学)・
工学に対する哲学の位置づけが問われ,大きな葛藤が起きたことが
知られていますが(今,私が丁度調べていること),その結論が,
私が上に書いたようなことで,それを主張した一人がハイデガーであり,
また,それに影響を受けたのが Hubert Dreyfus であり,
Dreyfus の反AI論に影響を受けたのが,Winograd さんであるわけです.

この部分は,容易に議論ができるような話ではありません.
世界に先駆けて,大学に工学部を作って「しまった」とも
言われる日本という特殊な「先進工業国」において,しかも,
目先の短期的利益にばかり眼を奪われ,実は,自分達が
(心ならずもであっても)それに依拠している西欧の学問の
伝統からの乖離をますます加速化している日本という国では,
これについての議論はさらに難しいと思います.

しかし,どのような尺度で考えても,「自然科学的な人文学」
というのは異端であり,「暗黒の未来」
ではありえても,「輝かしい未来」ではないと,
多くの人文学者が考えているということは
ご理解いただきたいと思います.

私達の HCP や SMART-GS は,この「自然化」とは全く違う方向を
目指していて,人文学の本質はそのままに保ち,しかし,
史料の閲覧,検索,情報の伝達・交換などにともなう
「物理的・社会的障害」を取り除く道具を作ろう,
グーテンベルクの印刷技術と同じような仕方で人文学に
影響を与えるものを作ろう,ということなのです.

ですから,人文学で行う学問の本質には関わらない
作業(画像文字検索「良く似たインクの染みをできるだけ多く集める」
「史料のさまざまな箇所をリンクし,アノテーションをつける」など)を
モデル化して,そのモデルに基づいて,人文学者のタスクを
軽減するツールを開発することはあっても,それは人文学研究の
本質部分のモデル化,つまり,「人文学のモデル化」では全くないのです.
#しかし,印刷技術が世界を変えた様に,こういう「下世話」なものが
#実際には世界を変える最大の要素になることも確かです.

これは,Winograd さんが,社会的存在でありえない(ありえなかった)
AIによる「総体としての真の自然言語理解」の可能性を否定しつつも,
特殊専門分野においてはAIの可能性を認めたという,その考え方に非常に
近いものです.

丁度,今,田辺元研究->新カント派研究の延長上で,
調べ,考えていることにぴったり嵌る話でしたので,
お返事という枠を外れて長く書いてしまいました.
これは,私のブログに貼る予定です.そうしたいという
こともあり,長く書いたわけです.(^^)

石田先生への返答であることは書きますが,石田先生からの
メール部分などは,削りますのでどうか悪しからずご了承
ください.


2010年1月31日(日曜日)

人文学と科学

カテゴリー: - susumuhayashi @ 15時05分47秒 記事編集

昨日までアドバイザーを引き受けているJSTさきがけの「合宿」だった.2年目に入り,面白い成果がかなり出始めているし,
領域代表の中島さんや他のアドバイザーから,我々が意図していなかったほどに各研究間の相乗効果の可能性が
出てきているという意見がでていた.それと研究員の人たちが場を仕切ってしまい「アドバイザーが発言する間がない」
という意見が出るほど議論があったこと.アドバイザーは僕を含め前時代の人間なのだから,こうでないといけない.
若い人はおとなしすぎるとおもっていたが,珍しく若い人が元気なグループで大変うれしい.

とは,いうものの疲れた...:-?

もう一つため息がでたのが,人文学と工学・理学の間の高い壁.ひとつは,若い人たちに出る資金の差.
さきがけでは3年程度で一人数千万円の研究費がでる.最近,情報でも増えてきた就職できない研究者
の場合は,それで自分の給与を払うこともできるという米国風の制度になっている.一方で人文学には
そういうものがない.僕の学生を含め京大文学研究科には優秀な院生が沢山いるが,彼らは学位をとっ
ても就職ができない,学者としての将来が非常に困難だ,という理由で研究者になる道を諦める人が
大変多い.これは以前所属していた情報系ではなかったことなので,この実態を京大文学部転職後に
知ったときには,大変ショックだった.

ひとつには院を拡張しすぎたという自業自得の面があるが,一方で以前,僕が所属していた情報の世界
ではポストがダブつきすぎて,神戸大クラスでも公募をしてもまともな人が来ない,ということがあった.
僕も龍谷や神大にいたときは,東京やら京都などの有力大学から,再三,移らないかと勧められていた.
一度は東京の大学の公募に応募して欲しいという誘いに「パートナーが京都の大学に勤めているので,
京都を離れるのはいやです」と言ったら,「みんな単身赴任しているじゃないですか!!!」と電話口で
先方の方に怒鳴られたことさえあった.(^^;)
#そういわれて,みまわしてみたら,確かに,自分のまわりは単身赴任者がうようよしていました...

要するに情報系に国の予算が落ちている割りに,人材がいなかったのである.僕程度でも,しょっちゅう,
あちこちから声がかかるほど,ひたすら人材不足だったわけだ.(もっとも最近はどうか知らない.
特に若手は状況が変わってきているらしい.)このダブつき感と比べて,これだけ良い人材が揃いながら,
どうして彼や彼女らには職がないのか!というのが今の職場に転職してからの常なる思いだったが,
最近,僕自身の学生がDに進む学年になり,彼らが心の底から悩んでいるのを見て,一方で,さきがけの元気な
若手研究者を見ると,この落差に,本当にため息がでる.理論系やソフト系の人だと,さきがけの大型
の予算額は研究の邪魔にさえなるという声もある.こういうのを少し人文にもまわして欲しい.そうでない
と数十年後に日本の国力が相当に落ちるだろう.(もう,すでに相当落ちているけれど,さらに...)

もう一つが,理系・工学系の先生方が人文学を理解できていないという事.領域の性格上,情報の中では
いわゆる文系に理解がある人たちが集まっているはずだが,それはせいぜい社会科学系までで,
歴史などの人文系への理解は,なまじ,ご本人たちが「文系」を少し勉強をしているだけに,逆に誤解が
強い面もありそうだ.僕自身が,文学研究科に転職するまで,自己流でありながらも歴史学をやっていて,
かなり分かっていたつもりだったのが,転職して,その最中に入ってみると,全く分かっていなかった
としょげたことがあるので,それと同じようなものを感じる.

数学基礎論史の関係で「成し遂げた!人文系でも大したものだろう」と思っていた僕の研究程度のことなど,
日々起きるのが本物の人文学であって,そういうものは普通に本屋で手に取れる書物位では分からないの
だとわかったのは,やはり,自分のもの程度の研究が教授会の博士論文審査で毎回でてくるのは当たり前,
それより遥かに凄いことをやっている同僚が周りに沢山いる,ということが日々の生活を通してわかり,また,
同僚の講義などを聞かせてもらったり,議論したり,そういうことを数年重ねた後のことだった.

僕は元が「理系・工学系」だから,「人文学を理系・工学系の人が分かっていない」と平気でいうが,
人文系の同僚たちは,仲間内では言うこともかなりあるが,滅多に外に向けては発言しない.
これは,奇妙に文系に厳しく,理系に甘い,現代日本社会の風潮を警戒してのことなのだろうか.
多分,それをやると,とんでもない攻撃を受けるのだろう.
#停年退職されてしまった小林道夫先生などは例外だったが.

明治20年代の医学者ペルツが言った「日本人は科学を世界中どこに据え付けても同じものを生産
できる機械だと思っている.しかし,それは間違いで,本当は樹木のようなものた.根から育てないかぎり,
それが,次々と成果を生むことはない」という警句が今の日本にも適用できるということは,気が滅入ることだ
(「根」とは精神,文化).

これを何としたいと「繊毛の一掻き」を続けてきたが,正直のところ最近諦めが出てきている...

まあ,そうは言っても,やはり「一掻き」を続けるのだろうけど.(^^)

#1月のポストはこれだけか!道理で一回で一月分ほども書いてしまったような...;-)


2009年12月20日(日曜日)

分かりにくいシラバス

カテゴリー: - susumuhayashi @ 14時46分36秒 記事編集

金曜日に学生たちと雑談をした際に来年度の2回生用講義のシラバスへの意見を聞いたら,
まだ分かりにくいという意見がかなりあった.専修の学生たちは,私の遣りたいことは理解して
いてくれるようだが,外から見ると何をやっているかわからないので敬遠されるというのが
学生たちの以前からの意見で,今回は,それを相当意識して書いたのだが,まだ分かりにくい
らしい.

まあ,私が何を理解しようとしているかが本当の意味で私自身に分かるときは,私が知りたいと思っている
ことはほぼ解明できたということだろうから,それが2回生に容易に分かるわけはない.同じようなことを
やっている人が「共感」あるいは「反感」として理解してくれる以外に,これを「理解」できるとは思えない.

今回は漸く16,7世紀頃から見えてきた流れの重要なエポックの話,あるいは海流的な流れを
8テーマ選んで並べたのだが,それぞれのテーマは学生は「聞きたい」と言ってくれるが,
全体がどう関連するかが分からないという.学生たちにシラバス案を見せた後で,そこを考慮して,
その部分は講義で聞いて理解して欲しいと書き添えた.

このグローバルな連関は文章ではなかなな書けない.講義するのもむずかしい.明治のお抱え医学者ベルツ
言い方(岩波文庫「ベルツの日記(上)」明治34年11月22日)に,講堂では学びえず,学者との
交際によってのみ学びえる精神,たいていの場合に,それを得るために一生を費やす精神,
というのがあるが,それに近い.ベルツが言ったのは,私が伝えたいものよりさらに根底にあるも
のなので違うのだが,しかし,それに近い.(これが文章で有る程度伝わるようになったら,私の
学問も一応完成に近づいたということになるのだろう.完成できるわけはないが)

こういう分かりにくさがあるので,8テーマの内,2つ理解できれば十分とした.単なる講義として受
けるには,それで十分だろう.そうでないと2回生にはテーマが重過ぎる.8テーマもあれば,どこ
かに爪が引っかかる可能性が高い.それを期待している.爪を引っ掛け,よじ登ってもらうしかない.

この辺りが体系的に綺麗なコースを作れた(それが分かり易いかどうかは別として)理工系を教
えていたときの講義と随分勝手が違う.標準化は無理だ.だから,来年は良いが,その後はどうす
るか.これが問題だろう.

学内でシラバスの平準化など進んでいるが,その関係の話を見聞きすると,理工系や社会科学
系(経済学・法学など)の人には,このような問題が分からないはずだろうなと思う.私自身,歴史
の研究はしていながら,人文系教員になるまで,この問題は想像もしてなかった.理工系の時は,
技術者養成が適当なミッションである大学にいたこともあり,「標準化推進派」だった
が,京大文学部に転職して,ようやくそれが社会的役割に適合しない教育機関が存在することが
わかって大いに驚いたものだ.それまでは,そんなのは単なる我侭,怠け癖だと思っていたわけだが,
今は,それこそが必要かつ合理的なものであり,また,「なまける・なまけない」という,つまらない
問題に限定しても,実は,こちらの方が,余程難しいと思っている.自分が学生より学者として高みに
いる以外に講義の場で教師としての立場(いわゆる面子)を維持できない.つまり,教師として認めて
もらえないのだから,こんなシンドイことはないからだ.

自分の長年の専門分野を教えるなら,そういう位置を保つのは簡単だが(というより何もしなくても
良い),分野を動かす場合は,本当に冷や汗もの,それどころか,胃潰瘍になりそうな感じだ.
今年の種の論理の講義の最初のころは,そんな状態だった.こちらは素人なのに日本哲学史の
ドクターの学生さんたちが聞いているのだから.

これがC言語,オートマトンやら数学の講義になると準備さえしておけば,軽い軽い.何を教えればよいか,
ほぼ決まっているので,良い講義はできないが,間違えはしないで済むので,努力さえすれば,
講義準備ができる.ところが,哲学素人の私が田辺についての講義するとなると,まともな講義の
準備をするのが研究成果を出すのと同じ様な困難を孕んでいたわけで,実は,始めるまで,それ
に気が付かなかった.(何と迂闊!

幸いそのレベルのことができて,何とか最後の段階では纏めることができた,というか,新たな研究
の道に繋がったので,大変よかったのだが,種の論理の展開時に田辺が Brouwer の spread から
着想を得てなかったら,果たしてどうなっていたか・・・

つまり講義をするのが綱渡りのようなものであるわけが,一方,研究というのは,いつもこんなものだ.
要するに京大文学部では教育と研究が同じレベルの困難を含んでいる.研究の場合,今まで何とか,それで乗り切って
来ているので,結構,平然と清水の舞台から飛び降りるのだが,毎回,何故か枝に引っかかって一命
を取り留める,どころか引っかかったら,前に有難いお札がぶら下がっているのが普通なので,観音様
を信じて飛び降りるということを何時もやっていたわけだが,教育でこれをやるのは初めてで,相当にしんど
かった.2度目は止めておいたほうがよいさえと思うが,昔の学者は,これを毎年やっていたわけだから,
凄いものだと思う.
#だから,こそ「無条件の権威」という「理不尽」が必要だったのだろう.今,それは使えない.
#自分への外的期待値を下げるか,それは崩さず,どんなに困難な状況でも乗り切るかなのだろう.


2009年10月12日(月曜日)

テスト

カテゴリー: - susumuhayashi @ 02時55分02秒 記事編集

ブログを開設.
最初のテスト!


124 queries. 0.271 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress

XOOPS Cube PROJECT