名誉教授懇談会で講話
新ブログに新しい投稿をしました。
名誉教授懇談会で講話
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2019年12月1日(日曜日)2019年11月25日(月曜日)2019年10月18日(金曜日)2019年10月18日より新しいブログを開始しました。2019年10月18日より、本ブログへの投稿を実質やめて、shayashiyasugi.com に林晋のブログを移転しました。 当面は、新ブログに投稿したら、このブログでも投稿をしましたという投稿をしリンクを張ります。 古いブログは当面は維持しますが、近いうちに新ドメインにwebページとして保管する予定です。 2018年11月14日(水曜日)「西谷啓治と田辺元」校正一回目終雑誌「哲学研究」に投稿した論文「西谷啓治と田辺元」の校正の一回目が終わる。 この校正をやっていて、困ったのが、この投稿の前の幾つかの投稿で、 最初は、「文末追記」などとして、書く予定だったが、 理由は、新発見が、未だに生煮えだから。 まず、間違いないとは思うが、その確認作業が もう少し検討した上で、西田哲学会か、日本哲学史研究、 それまでは結論は封印!!! ということで、ここに書いていることが、 2018年11月8日(木曜日)数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(4)満原さんからの、ドイツ語の間違いの指摘で、先週金2で修正したのを これもやはり間違いが多いのだが、一応、最新版を再掲示: 画像翻刻テキスト$46$ ハ否定ノApscheidung ,Trennung , Entgegen@@zig. 数学基礎論が種の論理の誕生を先導した(3)二つ前の投稿の翻刻のドイツ語の綴りなどが、かなり間違えていると、 $46$ Apscheidung → Abscheidung この部分の担当の澤崎君がドイツ語をやったことがない人なので、 2018年5月29日(火曜日)アローの一般不可能性定理経済学に「アローの一般不可能性定理」というものがあり、これがゲーデルの不完全性定理や、 何が、この定理を有名にしているかと言うと、「アローの定理は民主主義は不可能であることを示す」と理解されているからである。 この議論、前々から、実に馬鹿げていると思っていたのだが、それを経済学の社会選考理論などを知らない人たちにも理解してもらえる良い議論はないものかと、以前から思っていたのだが、それを考えつけたようなので、一応書いておく。 アローの定理が、民主主義の不可能性を証明しているという、この主張は、全く馬鹿げた主張で、単に、経済学者ケニース・アローが、「非独裁性」と名付けた条件が、一人歩きしているだけのことなのである。 簡単に言ってしまうと、アローが言っていることは、トーナメント制のゲームだと、誰かひとりがチャンピオンになる。そういうのとまったく同じ理屈なのである。 アローは、「独裁者」を、「その人が選ぶ社会的なオーダーが、その人が属す社会の多数派の選ぶオーダーと同じ(正確には、その人が選んだオーダーが、必ず、多数派が選ぶオーダーになること)になる、そういう人」として定義した。 おそらく、アローは、半ば冗談で、そういう命名をしたのではないかと、僕は思うが、これは実に馬鹿げた定義だ。 独裁者というのは、その権力により、自分の判断を他者に押し付けることができる人のことだが、実は、 つまり、アローが使ったモデルでは、「独裁者」について語ることが、もともと無理なのである。 しかし、なぜが、アローが、「独裁」という言葉を使ってしまったために、誤解が起きているだけなのである。 以前から、これは、不完全性定理などに比べ、無理がある限界論だなと、感じていたアローの定理が アローの定理の前提条件の中で、「ある人の意見が、必ず、社会の多数派の意見に反映されている」 しかし、実際には、このアローの定理の「独裁者」の定義に無理がある。そういうことに過ぎない。 例えば、アローが使った数理モデルを反映する、ある現実の社会で、ある人物の意見が、 しかし、そういう社会で、ある個人が、社会全体の選考(たとえば、選挙)を予測、あるいは、 これはアローの数理モデルに何も矛盾しない。そうするとアローの定理が意味していることは、 この被告人を、「独裁者」と呼びたい人がどれだけいるだろうか? 2018年3月29日(木曜日)西田哲学館訪問28日は、かほく市の西田哲学館を訪問。西田新史料の翻刻会議、今年度の最終回。 代表が浅見哲学館館長の科研費の研究が、かほく市のプロジェクトと並行して走っているが、 兎に角、記憶力とか判断力が衰えてきていて(というか、記憶力は以前から怪しいが 西田哲学館は、立派な研究棟ができていて、そこで会議。満原さん、吉野さんの二人の研究員が 宇野気は、京都より少し寒く、それでも桜が良く咲いていた。金沢駅の人出は、閉口するレベル… 帰宅したら、庭の桜が満開に近く、花桃や、山ツツジなどが、かなり開花してきていた。 で、夜中になって、何の気なしに、姉小路の飯田さんをググってみたら、ミシュラン三ツ星になっていた。 いい店にいくと、緊張感がありすぎることがあるが、飯田さんのお店だけは、これが全くない。 前回、お願いしたときには、中庭に、見かけが太々しい猫がいて、焼き魚(鰻、ただし、 女将さんに聞いたら、カラスだか、他の猫だかに(どちらか、忘れた)、追いまわされて、 こういう野良猫が中庭で、ニャーニャー鳴いているのは、センセイも僕も大好きで、 まさか、ミュシュランも、野良猫のために星を増やしたわけではないだろうが。 2018年2月28日(水曜日)「ゲーデルの謎を解く」の新版?「ゲーデルの謎を解く」の改訂版の話が浮上。 少し前から、あれが出た平成5年とは、社会におけるITの位置が、根本的に変わったので、 例えば、当時はファミコンでしか説明できなかったことが、 万能チューリングマシンの万能性は、スマホが電話にも、電卓にも、ラジオにも、テレビにも、 面白そうだと思い、書き換えの検討を開始したが、 このころは、まだ、龍谷の理工学部のころで、純粋の理系学者だったのだが、 大幅書き換えを考えていたが、どうも、大半は、少しだけの手直しで、 しかし、ファミコンのところは全面書き換えだな。 変身機械をどうするかは、難しい所。 面白いことに、分かり易いと思って書いたのだろうが、 これがおそらくは、IT慣れした人が増えたためではないか、 そういう人をターゲットに書けば、色々と面白い話をかけるはず。 ただ、この本、どう見ても、文字数が少ない。その割には高い。(^^;) 2018年2月22日(木曜日)〇〇の者と〇〇の人(その2)昨日書く筈だったが、今日、続きを書いている。 ○○者というのは、○○という学問をすることを仕事とする人。 ○○の人というのは、○○という学問をしたい人。 これは、大きく異なる。 数学史上、著名な数学者中の数学者と言いたくなるフェルマー、そして、少し毛色が違うが、ビィエタ。 この二人は、数学者ではなくて、法律を職業として、そして、数学の人だった。 フェルマーも、ビィエタも、実は本業は法律なのである。 さらに言えば、メービウス、ガウス、リーマンなども、皆、天文台の学者であり、数学者ではなく、数学の人! で、こういうことがあるので、数学を行うことと、数学者というものを分離して考えようというのが、 ○○の人は、○○について、本当に知りたいだけなので、○○の職業人が囚われがちな、 こんな事を考えていたら、以前、科学史の院生に、「林先生のアイデンティティが分からない」と、 要するに、僕があまりに色々なことをやるので、どの○○の、○○者か、分からない、という発言だったと、 ところが、○○の人、という観点からは、これは全く的外れで、僕が、色々やっている学問は、 今でも思い出すが。「来年の特殊講義は、京都学派です」と言ったときに、今はグーグルで働いている、 しかし、それが、数学基礎論史の疑問を解決してくれたわけで、僕が、数学史学者ではなくて、 京大文に転職したときに、僕のような情報工学の人間が、人文学の学部に転職して、吉と出るか、 2018年1月27日(土曜日)デザイン思考、パナソニック、松下幸之助日経のニュースを見ていて、パナソニックが、シリコンバレーにデザイン思考の「工場」を作ったという記事を見つける。 調べてみたら、2016年頃から、日本国内でデザイン思考が流行っているらしい。 それに、この記事の「プロジェクト発足に先駆けて「米スタンフォード大学のd.schoolを経営会議のメンバーで訪問した」(宮部専務執行役員)。」という所などを 実は、パナソニックにとっては、デザイン思考の最大のお手本は足下にある。 松下幸之助の二股ソケット、これこそデザイン思考そのものだ。 2018年1月14日(日曜日)食糧は十分!!RIETI(経済産業研究所)のAIの社会影響プロジェクトの研究を行っていた際に、 世界には、まだ、電気も水も食料も十分でない生活をしている人が沢山いる。 そういう人たちのことを無視して、AIがどうのこうのと言っても無意味ではないのか? もし、世界の食料生産を世界人口で割った時に、それが飢餓のラインを下回っていたとしたら、 http://www.hungerfree.net/hunger/food_world/ なんと、素晴らしいことか!! しかし、そういう時代に、どうして、飢餓が存在するのか??? そう考えると、IT/AIに可能性が見いだせる。 そうあって欲しい… 2017年12月30日(土曜日)”ものづくり”という呪縛今朝(29日朝)、昨日注文した照明スタンドがもう入荷したとビデオ近畿から電話。迅速!! 昨日、夕飯を作りながらNHKラジオを聞いていたら、池上彰さんの番組で、東大名誉教授の政治学者御厨貴さんなどの数名が座談会風に議論していた。 その中で、「今、儲けているのは、ものづくりの企業ではない」という発言がありながら、「基本はものづくりだから」という発言に、 思うに、「日本の失われた○○年」の原因のかなり大きなものの一つに、「ものづくり神話」がある。 太平洋戦争末期でも、かなりの人たち、特に少年期の若者たちが、本当に神風が吹くと思っていたらしい。 2017年12月15日(金曜日)常識の差現代史の小野沢さんとは、研究室が向いであることもあり、良く立ち話をする。 まあ、そういうことはさて置き。トランプはオバマが生んだとか、 ITの社会インパクトについての評価は、大きく分かれるが、 で、その中で、少し驚いた、あるいは、実は、僕が無知過ぎた、 小野沢さんの様な人にとっては、ラストベルトが、栄えていた頃、 (ここから続きを21日に書いている) しかし、このこと、というか、アメリカの自動車産業の それを知って、初めて、NUMMIが、日本の工場の アメリカ人に幾ら教えても、やはりトヨタ生産方式のようなものは、 そんなに優遇されていれば、向上心は生まれないだろう。 しかし、もし、小野沢さんの「常識」を知っていれば、 常識の差というものは怖い… 2017年2月25日(土曜日)みんなで翻刻またまた久しぶりに、ブログを書いている。 今日と明日は入試監督で、そのストレスが書かせている面がある。 それで思い出すのが、確か3年前の入試監督の日のこと。文学部では、色々な研究所の人たちが、入試監督の手助けをしてくださるのだが、この年は、それが宇治の防災研だった。 その助っ人の一人が、防災研地震予知研究センターの加納さんで、彼が「SMART-GSを作っている方ですよね」と切り出したのには驚いた。 なんでも江戸期以前の古文書から、地震の情報を引き出すという研究分野があるという話で、それにSMART-GSを使えないかということだった。 東北の震災から間もないころであったし、何より歴史学が人命を救うかもしれないというのが良い。 あの悲惨な津波の半年ほど前だったか、確かアメリカ(もしかしたらカナダ?)のドキュメンタリで、北米の北西部を高さ10メートル超えの大津波が襲った跡が、上流の河岸の地層の発掘で判明し、今は、学校などでも避難訓練をしているというのを見た。 東北の津波の映像を見ながら、この番組を思い出し、もしかして、日本でも、あの番組で紹介されていたのと同じことができたのではないかと思っていたら、貞観地震というのが記録されていて、それと殆ど同じ地域が被害にあったことが段々と報道されるようになり、「ああ、またか、この国は…」と暗澹たる思いをした。 そういうなかで、こういう話があり、大変興味を持ち協力を約束した。もしかしたら、歴史が人命を救うかもしれないのである。素晴らしいことだ。 その後、京大古地震研究会を主宰している理学研究科の中西さんが、研究室に尋ねて来てくれて、地震学には現代地震学、古地震学という分類があること、地質学を使う考古学的古地震学は、情報が得られるタイムスパンが何百万年になる一方で精度が100年単位くらいになる。一方でスパンが1000年単位に減るものの古文書による古地震学は精度が数時間になり、現代地震は精度が秒単位だがスパンが100年単位となる、というような話や、南海地震があると土佐の地盤が一端下がるため高潮が増える、それが数十年かけて戻るということも、高潮被害についての古文書記録を見ていくとわかる。だから、「地震」というキーワードがある文書だけ読めているだけでは足りないというような、非常に興味深い話を教えてもらえた。 その話は、まさに、我々情報屋がビッグデータやIoTの様な世界でのヘテロな情報の質と量のトレードオフにもっている感覚に似ていた。そういうのをどう上手く組みあわせて有用な情報を引き出すか。それが問題なのである。 これは、まさに情報技術を適用するにうってつけの分野だと思い、非常に強い関心を持ち、まだ、学位論文のテーマを決めかねていた院生の橋本君に、こんな重要な分野がある、将来的にきっと重要なものとなる、などと話した。 橋本君は、僕が彼を京大古地震研究会に送り込んだようなことを言うが、これは間違いで、そんなことをした覚えはない。単に、重要な分野の存在を伝えただけで、後は、橋本君の自由意志で進んだこと。 いずれにせよ、橋本君は、以後、京大古地震研究会に参加するようになり、今や、その主要メンバーの一人。 そして、その後の橋本君の様々な頑張りが実を結び、加納さんと僕の「入試監督での邂逅」は、「みんなで翻刻」という大きな成果を生みつつある。 この成果は、1月にプレス・リリースされたのだが、何故か、入試一日目の土曜日の京都新聞夕刊1面に掲載されていて(これが電子版)、それで入試監督と重なり、思い出して、このブログを書いている。 現在まで、くずし字古文書の crowd-sourced transcription、つまり、みんなでやる翻刻は、成功したものがない。現代の印刷物でも、青空文庫ぐらいだろう。 まだ、公開して間もないので、まだまだ予断を許さないが、みんなで翻刻は、その最初の成功例になりそうだ。 今の所の成功のポイントは、橋本君の発案の「学習ベース」のクラウド翻刻にしたこと。つまり、くずし字解読のスキル上達ができる「みんなと交流できるまなびの場」であることが、成功しつつある理由だろう。 これは、橋本君が研究協力者、加納さんが分担者で、僕が代表の科研費基盤B「古文書のWEBを目指して」での成果だが、僕は代表として、お金の管理をして、後は、時々、橋本君に指導教員としてコメントする程度で(「みんなで翻刻」は橋本君の学位論文で大きな部分を占める)、橋本君、加納さん、中西さんの研究成果。 名前の発案者は中西さんだそうだが、設計やコーディング、改造は、橋本君ひとりでやっているが、これは京大古地震研究会なしでは考えられないものなので、古地震研究会を始めた中西さんや、加納さんの貢献は大きい。とくに、加納さんは自身が、WEBベースの古地震研究サイトを作っていて、みんなで翻刻も、そちらのサイトでのサービスらしい。 ただし、京大古地震研究会のサイトは、僕が代表の東大地震研の共同利用のプロジェクトの成果です。とはいっても、これもプロジェクトメンバーの加納さんの活躍がすべて。僕は資金集め以外は威張れない。(^^;) 2016年9月19日(月曜日)Markus Rehmパラリンピックが、突然、NHKなどで大きく取り上げられるようになったので、あれあれ、と思ってみていた。 で、NHKスペシャルで、この人の事を取り上げたのが分かったので、NHK オンデマンドで見たら、何故か、 脳の働きまで変えて、飛んでいる! 踏切の方法が全く違うらしいので、Rehm と「健常者」のジャンプが同一のものとして扱われるのは、 どういう条件下であり、人力だけで、どれだけ遠くに跳べるか? そういう競技があっても良い。その時、「健常者」も、例えば水泳で疑問視されたスイムスーツとか、 そういう条件下で、「健常者」と、Markus Rehm が競う姿が見れたら素晴らしいだろう。 2016年7月19日(火曜日)失敗しなきゃ、始まらない雑誌としては、唯一、良く買うアエラの7月18日号の特集のタイトルが「失敗しなきゃ、始まらない」だった。 大体、僕がいつも言っている事に近い話ばかりなので、楽しく読む。 アエラは働く若い女性をターゲットにしている雑誌らしい。創刊当時から良く買っていたのだが、長らく女性がターゲットであることを知らずにいて、連れ合いに指摘されて驚いたのが、もう10年近く前か?分かってみると、確かに女性をターゲットにした記事が多いので、納得した。 この特集の「失敗こそ最大の財産」というメッセージは、実は「お父さん」たちに聞いて欲しいのだが、ダメなのかなー。 やはり、女性に期待をかけるしかなさそう。 2016年6月18日(土曜日)北軽井沢のひぐらし今日は、本当に久しぶりで北軽井沢大学村を訪問。群馬大学田辺記念館の撮影をさせて頂く。 帰りに田辺記念館の管理人をされている茂木さんのご厚意で、僕の連れ合いの実家の八杉山荘を訪問。 多分、10数年振りだが、心配していたよりは、状況は良かった。 岳父が健在のころ、四人で八杉山荘の母屋から満月を仰ぎ見た時をおもいだす。 日暮らしが鳴いていた。山科のひぐらしとは歌い方が違うような… 2016年6月8日(水曜日)西田幾多郎「哲学の廊下」解体保存この5か月ほど、一番力と時間をつぎ込んでいた西田幾多郎とその家族が大正元年から11年まで住んだ家の一部解体保存の仕事が、今日で一応の目途がたった。 最初は、1,2社にでも書いていただけたら、それが将来の展示につながれば、と思って計画したプレスリリースなのだが、驚くほどの反響で、新聞や通信社だけでなく、TVも毎日放送、京都放送、NHK京都と取材があった。 どうもみなさん西田や京都学派に興味があるらしい。若い女性の記者さんが西田旧宅の内部をみて、こんなところに住みたい、もったいない、と言っていたのが印象的だった。こういう人がもっと増えてくれればよいのだが。でも寒いですよーー。 それから、どうも二階外廊下を、僕が勝手に「哲学の廊下」と名付けたのが、面白がられたみたい。 この名前は、初めて内部に入り、廊下を行き来してみたときに突然浮かんだもの。 僕も考えに詰まると部屋の中をうろうろしながら考えるのだが、僕の家は、それほど大きくないので、歩きにくい。しかし、この廊下、歩いてみると、長さと幅が、考えながら歩くのに、実に具合がよかった。 で、「わー、こんな廊下があると考えるときに歩きやすいな。哲学の廊下だ!」と思った次第。 興味がある方は、http://www.shayashi.jp/nishidakitaroukyutaku/を見てください。 しかし、今日は、早朝から、講義が終わる6時まで、本当に忙しく、この5か月を象徴するような日だった。そのため4時半からの講義に少し遅れてしまった。今日は、僕が弁士になって しかし、福井工大の市川さんにも言ったのだが、実は、まだ、中間点。保存したものを展示できるようにして初めて仕事が完成する。 これは資金の問題もあり簡単にはできない… がんばります! おお、今日から、また、ブログが書けるぞ! 2016年5月29日(日曜日)ホトトギス忍音土曜の夕方ごろ用事を終えて家に帰ってきたら山から不如帰忍音。 この4か月(5か月かも)ほど、最も時間を割いていたことに、 2016年1月15日(金曜日)復帰!前回の投稿から、2ヶ月位のブランク。 最大の原因は、体調不良だが、その最大の原因が、意外なことに歯にあることが、 これにより、日本の保険システムがもつ、矛盾点を明瞭に認識できた。NISTEPに残留していてたら、 今は、どうなのだろう?霞ヶ関も、かなり変わって来たという印象を経産省の「稼ぐ力」の担当者にお会いしてから、 2015年11月13日(金曜日)RIETIプロジェクトと学習院西田史料調査2金曜日に京都学派資料の科研費で鎌倉、西田幾多郎旧宅、学習院寸心荘へ。その後、また、RIETI(そこからは、RIETIの予算)。 寸心荘は、大正・昭和時代の家で、質素なものだが、子供の時代を思い出す懐かしい感じ。(僕は江戸期に作られて大正・昭和に手を入れたと思われる、商家として建てられた家で育った。) 管理をされている学習院の岡野先生にお世話になる。 こんなに間が空いたのは多分ブログを書き始めてから最初。 この間、石川県の西田幾多郎記念哲学館や金沢市のふるさと偉人館を訪問したりして、 この間、講義のために西田哲学の勉強もせねばならず、まあ、そのために講義に これは、毎年の様に、この時期に一度は起きる症状の特別強いやつで、 科研費申請の時期が終わり、少し時間に余裕が出て来ているが、まだまだ、 2015年3月28日(土曜日)また間違えて書いてしまった…もうすぐに新学期が始まるので、準備のためにKULASISのシラバスを見ながら、講義の構想を練っていたら、また、人文社会科学を人文社会学と書いてしまっているのを発見(前期、月曜日5の特殊講義「ITと哲学の相即」) 僕は人文科学という言葉が嫌いで、必ず人文学というようにしているが、これが社会科学と合わさると、さすがに人文社会学ではおかしいので、仕方がないので人文社会科学と書くことにしているのだが、良く無意識に「科」を取ってしまう。これは今まで何度もやってしまった間違いだが、今回もやっていた… シラバスを既に読んでいる学生さんたち、単なるケアレスミスですので、誤解の無い様に願います。 2014年10月9日(木曜日)丸山君が白眉センター助教に溝口君に続き、また、研究室での目出度い話。 オックスフォードに留学している丸山君が白眉研究員に採用され、 僕が受け入れ教員なので、少し前から聞いていたが、今日見たら 溝口君たちのプロジェクトがグッドデザインに!僕の専修の重要メンバーである学振研究員の溝口君が主催する「思い出サルベージ」が、 思い出サルベージこそは「デザイン・シンキング」の典型的な成功例だと思っているが、 で、そういうことを京大デザイン・スクールの中小路さんに話したら興味を示していた。 こういう若い人たちが、さらなる高みを自然に目指す、そういう日本になって欲しい。 2014年9月6日(土曜日)「20世紀現代数学とゲーデル」、序章、一章完成!!!前回書いたような経緯で、数年前に引き受けた岩波新書の序章と1章が完成!!! ここまで出来ると、後はテクニカルな問題が主になる。つまり、漸く、何をどう描くかが決まったということ。 しかし、ここまで20世紀の代数幾何学・数論の歴史と、集合論・論理学の歴史が重なるとは思わなかった。実に驚きだ。 フェレイロスの「思惟の迷宮(Labyrinth of Thought)」の翻訳プロジェクトと合わせて、これが日本の、もう維持できなくなった歴史観を変えてくれたらなー、と思う。 しかし、マックス・シェーラーが東北大学の教員として赴任する直前に書いたように、この国の人々は、実に保守的だ。良い意味の保守ではなく、単に、現状を維持したいとう言う意味の、姑息に保守的なのである。 しかしそれでも、僕等のような老人は退場していき、新しい世界が訪れる。それを信じよう… 2014年6月20日(金曜日)自立ロボットと Umweltついに、京大も後期から全科目授業評価をすることになった。別に悪いことではない。 僕は自分の授業はすべて全力投球している自信があるし、神戸大時代にエンターテイメントを目指してやった全学授業(250名位かな…質問票で後ろの人がうるさいので静かにさせてくださいとあった、そのうるさい声が僕には聞こえない位の広い部屋でやっていた)で、自分でも「あり得ない!」と思うほどの高い評価を貰ってから、あまり授業評価は信じない。そのころの全学授業は、TVの番組をモデルにしていた。 その様な状況で「受ける」のは、今の京大の状況ではどうでもよい。少数の学生しかいないが、こちらが考えさせられる質問が、高い確率で帰ってくる、今の状況での、質問票による学生たちとのインタラクションの充実の方が遥か意味があるし、そういう優秀な学生を持つことができない殆どの大学教員の方たちには申しわけないとは思うものの、この幸運を手放すつもりはない。 同僚たちはサバティカルを取るが、僕は賢い学生たちに話を聞いてもらえる権利を手放すなど短期間でも信じられない。授業があるお蔭で僕の学問はコンスタントに進む。実に有り難い。 で、前置きが長くなったが、月曜日の特殊講義が、自分でも滅茶苦茶面白いフェーズに突入してきた。Uexküll の Umwelt 概念が、ハイデガーの Sein und Zeit に関係があることは知っていたものの、これが現在の、計測やシステムとここまでピッタリ合うとは思わなかった。Uexküll は、アン・ハリントンの本によると、チェンバレンへの手紙で「太陽は自分の周りを廻る。それが subject としての自分の信念だ」という意味のことを言っているが、これを工学的に言い替えると「自律ロボットを制御するプログラムは、主観的アプロ―チを採らざるを得ない。利用できるセンサー・データは、自分の周り(Umwelt)に貼りついているセンサーしか前提できないだろう。それだけの外界データ、センサーデータだけで、ロボットを制御するとしたら、Uexküll の Umwelt 概念、Funkitionskreise の概念に依拠するしかないだろう」ということになる。やはり、工学は好きだな。現実が、理想を超えていくから! 2014年6月7日(土曜日)”リアリスト”はユートピアン今日、金3の演習で、沼田君がEdward Hallett Carrの有名な著作を紹介してくれたが、 カーは、僕ならば、イデオロギーと呼ぶだろうものを、ユートピア、ユートピアンと カーの意味の「リアリスト」は、僕には、この世ではあり得ない、あってはいけないユートピアを 本当のリアリストは、そういうものではない。 2013年9月27日(金曜日)来年度特殊講義予定来年度の特集講義の計画 ver.2013.10.02 1.前期月曜日5の特殊講義 2.後期水曜日5の特殊講義 2012年8月25日(土曜日)なんじゃこりゃ???!?この投稿、次の投稿で修正 Wikipedia のこの項目で、 ゲーデル研究者で京都大学教授の林晋は、東のゲーデルへの言及に「東浩紀の知的誠実さ、 そして、そもそもの知的能力を疑わせられる」とtwitterで激しく批判している。 とあったけど、僕は Twitter 使わないのだけれど…. ゲーデル研究者で京都大学教授の林晋は、これを書いた人の知的誠実さ知的能力を疑うと自身の この本、以前買ったが、ちゃんと読まなかったので批判することはない。 ただ、最近書いた中沢多様体哲学批判では、そんな感じの批判をしています。 僕は大変嫌味な人間ですが(嫌味を言うのが生きがい 2012年5月6日(日曜日)京都学派のデータ何とか回復…できたかな?京都学派研究用のHDDの情報は何とか回復。どうもバッファか何かを持っていて、そこへの書き込みが間に合わないらしい。まだ1年たってないHDDなのに…. 修繕に出そうかと思ったが値段をみたら手間に合わないような気がして新しいものにかえることにした。今度はメーカーを変えよう。 しかし、壊れたディスクと、データの移転先のディスクの比較ができない。やろうとすると、読み出しの際にデータが失われるか、バッファへの書き込みが間に合わないらしい。量は膨大だし、うまく行っていると信じるしかなさそう。 数年間の年月と(この間、何度前橋までかよったか)、ウン百万円の予算をつぎ込んで作ったデータが1万円代のHDDの故障のためにとんだのではどうしようもない。もっとこまめにバックアップしなければ… しかし、これのせいで、連休中の仕事の予定がかなりくるった。近藤先生の内海忠司日記のサーチ実験ができず… 思い出サルベージプロジェクト6月6日水5の情報歴史社会学で、日本社会情報学会の東北震災支援 溝口君は、この活動を大黒さんという社会学者の視点を利用して、後期ルーマンのメディア論で理解しようとしているが、ルーマン・大黒・溝口の視点は、シェーラー、田辺、ハイデガーの社会哲学、技術論や、J. Dewey のmedia論などと、非常に深い関係がありそうだ。特に、ルーマンの形式とメディアの関係などが、月5の特殊講義「形式と実質の思想史」の内容に見事に連動する。実に、おもしろい! 溝口君と思い出サルベージについて色々と議論したときの覚書:
2012年3月12日(月曜日)『具体的』=直観的=実質的二つ前の田辺の引用での「具体的」の使い方をみると、それが直観的というか、 演繹は否定的媒介とはことなる。否定的媒介は、たとえば、失敗により、 2012年2月19日(日曜日)来年度の追加アイテム(2)存在とは「もの」とは? 「ものづくり歴史観」「ものづくり論」の観念性・狭小性。 形而上学的なものが存在かどうか。 ゲームができないならば、Wordはできるか?アイコンの認識は? アイコンと数や円、点、を比べてみよ。 数学的にテンソルが行列式の発展(2)「ここが佐藤の論文,Voigtの本ではどう説明されているかチェック。 どうも行列式の研究からテンソル計算が生まれたということはなさそう。 数学史的には関係ないらしい。しかし、佐藤、田辺がどうおもっていたかは別。 しかし、おそらくは、「発展」は「拡張」の意味。 数学的にテンソルが行列式の発展(1)全集6のp.321。「数学的にテンソルが行列式の発展としてかんがえられる意味をもつのも ここが佐藤の論文,Voigtの本ではどう説明されているかチェック。 これ以外の部分の意味:「それが運動の無限なる重畳を却って静止の緊張に nの方向のテンソルの力が対立の大きさを表すから、それが横の「次元」、そして、 2012年2月14日(火曜日)勤務時間総務掛長のWさんに教えてもらったこと。忘れるから、ここに書いておこう。ブログは本来、こうつかうべきものだな。 僕らの勤務時間は昔は8時間だったが、今は7時間45分になっている! 給料計算しなおし! 2012年1月27日(金曜日)歴史学が消える?超長期のデジタルデータを保存する千年メモリの研究について質問され、 僕は oplog が達成されたら、歴史学はやりやすくなると思っていた。しかし、同僚の小野沢さんと、 歴史学というのは、消えてしまう時々の事実が、記録、たとえば、公文書、メモ、通信記録、 一方に史料が物語る事実があり、一方で、歴史家の推理や解釈がある。 この時、史料の数が、それほど多くないからこそ、それに整合する歴史を 最近、オウムの平田容疑者が出頭してきて、その後、彼の映像を、 これはGoogleやFacebookのさまざまなプロダクツについて 少なくとも一人の人間として、過去が何年たっても現在と同じような明瞭さで見えるとしたら、 死と言うものが大変すばらしい「発明」であることは、年をとってからヒシヒシと実感できる 冗談はさておき。 大方の過去の記憶が消滅するから、人間は過去を耐えることができるのであり、 過去の全ての情報が、丸侭残ってしまったら、それは混沌とした現在と何も違わない。 では、その時、少しでも「理性的」であるには、どうするか。 現在のWEB社会で行なわれている、ビッグデータで世界を動かす しかし、それで一人の人間が圧倒的な現実を耐えられるとは思えないが… 2011年11月30日(水曜日)2011年10月26日(水曜日)消費以前、社会学で「羽入・折原論争」というのがあって、ある意味で日本社会を象徴するような、 その時のことを時々反芻し、それがその後の僕の執筆の態度にも影響をしている。それまでは「一般向け」の良い本を書きたいと思っていたが、 で、そういう読者の設定の理由として、なんとなく「そうでない読者は、僕の本を消費する。 ところが、突然、それが分かった。多分、岩波「思想」1月号の結局は削除してしまった中沢新一批判の部分を書くために で、結論として、「AがBを消費する」とき、Aはそれによっては本質的に変わることがないという特性がある。 しかし、文化やテキストを消費する人は、一回ごとのエピソードで自分が変わることなど考えてはいない。 これが消費される本か、消費されない本かの違い。つまり、消費者とは、怠け者だといえる。 そういう意味で消費されるものはあるべきだ。むしろ、大勢は消費されるべきものだ。素人と玄人の人口比を考えれば、それは当然のことだ。 だから、僕は売れる本は書きたくない。もちろん、しょうもなく世俗的な僕はお金は欲しい。しかし、そうでない要素も持っている僕は、 ということで僕の意味での「消費」が漸く自分で理解できたいう話….. ウン? ところで、全然関係ないのですが、sourceforge.jp のユーザ活動順位が月間7位、週間4位になってしまった。 2011年7月9日(土曜日)sano君6月のエントリーがゼロでした。 今日は、佐野君の就職祝いの宴会。 が、それは年寄りからみた世界。 2011年4月24日(日曜日)Omnipresent WebSMART-GS0.8のコーディングの最も面倒なところが終わり一息と思ったら、 社会学の学会が組織したボランティア運動で宮城県と福島県の県境あたり 溝口君に必要な画像が更新されて消えてしまうことはないだろうかと 村上さん経由のおねがいというのもあるだろうが、Google とはいうものの、木曜日夜にプログラミングの峠を越えてホッとしたので、 で、一般的にも意味があるとも思うし、水5の講義の内容とも関連するので、 溝口さんが言っていたGoogleの古い写真というのが、Google Earth の航空写真 1946年のサンフランシスコの画像まであるのですから、多分、基本的には永久に しかし、street view の画像については、この機能はないようです。現在は震 こういう画像は非常に貴重なものではないかと思います。ユービキタスという言 広島では原爆以前の町並みを記憶などに頼って復元するという活動が Googleに働きかけて、Street Viewを過去の光景のアーカイブにするというのは 被災した人たちがとりあえず今必要なのは、Google Earth のほうですか、 村上さんの話では、Google BooksがGoogleの収支をかなり圧迫し これは新日鉄ソリューションズの大力さんの もし、omnipresent web が実現されたら、未来の歴史家は、僕のように その探検旅行にSMART-GSの子孫が使われていたらホントうれしい 2010年9月26日(日曜日)新学期明日から新学期の講義開始。京大文学部でも15週の講義確保とかで後期開始以前に後期授業が始まる。これを額面どおりにやると、現在の行事が増え、祭日が増えた大学のアカデミック・カレンダーには非常な無理が生じる。根本を変えることができず、小手先の変化しかしない社会の矛盾がここにもでている。こんな社会が後どれだけ持つだろうか… 先週は Google 名誉会長の村上さんに集中講義をしていただいた。村上節に学生たちは圧倒されたか、予想以上におとなしくてガッカリ。もっと議論をして欲しかったのだが、まともに村上さんに反論できない。どうも、低学年の学生が多かったようだ。村上さんと日本社会の現状を嘆くことしきり。村上さんは、日本は opt-in 社会(「余計なことはなにもするな」の社会)、アメリカは opt-out 社会(「とりあえず何でもやれ」の社会)と説明していたが、学生達は、これにも反応しない。若い日本人まで opt-in に固まっているような…. Google Books や YouTube に拘わる、色々な逸話を聞けたが、一番、驚いたのが、委員会だか何かで、小説家のような文筆で生きている人たち、それも著名な人たち(ただし、みな僕より年長、つまり、年寄りばかり)が「そもそも図書館があるから我々の本が売れないのだ」と、Google Books どころか国会図書館さえ攻撃し始めたという話。現代日本では団塊の世代を中心とする年寄りが、もっとも selfish で、public というものを全く考えない。後藤田の予言があたったということ。村上さん自身が団塊なのだが、他の人と全然違う。こういう団塊世代が多ければ現在の日本の状況は無かったのではないかと思うことしきり。 明日、月曜日は日経編集委員の松岡さんの講演会。これも日本社会の根幹に拘わる話。こういうことが、いずれも「情報」に拘わっている。 2010年9月6日(月曜日)札幌で考えた事2:越境の仕方一つ前の投稿で書いたように哲学と歴史は随分と違う。僕は今は歴史家モードだし、基本的に歴史が好きだ。しかし、本当に見たいことは、現在の厳密な歴史学の域は超えている。だから、歴史社会学と称している。僕は日ごろ、postmodern 思潮を批判しているが、この部分では、実は postmodern 思潮に極めて問題意識が近い。それは以前から判っていたが、何かが決定的に違うとも思っていた。しかしどう違うかうまく表現できないでいたが、札幌で哲学と歴史の違いなど考えつつ、漸く言葉にできるようになった。 中沢新一さんの著書について書くために、仲正昌樹さんという金沢大学の哲学者のポストモダンの総括「集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス) 」という本を読んでいたのだが、その中に「中沢は、既存専門分野の枠をわざと外す様な形の仕事をした。その手本として ethnomethodology 系のアメリカの研究者があぅた」という意味の記述があった。僕も若いころは、既存学問のメインストリームが嫌で、それに反旗を翻すかのような alternative な構成的数学とか直観主義数学とかに惹かれたのだが、それを研究してみてわかった事は、結局、ブラウワーのような思想は一種の「オイデイプス・コンプレックス」に過ぎないということ。「強度」があるのは、明らかにヒルベルトのような「プロイセンの家長」的もので、ブラウワー的なものも、すでにその中に包含されている。確かに、ブラウワーが付け加えた重要な認識はあり、それを無視したヒルベルトは、ワイルが指摘したように、その点で非難されるべきだが、ブラウワーの「勘違い」や「思い上がり」を考慮に入れれば、ヒルベルトに軍配を揚げたくなる。 僕の「種の論理」研究と、中沢さんの「フィロソフィア・ヤポニカ」は実は限りなく近いのだが、その違いは何か?何を「多様体哲学」論文で批判すべきか? それは、方法論の部分。僕は自分にも、学生にも、ストイックすぎても、既存分野の中で意味がある仕事のみをするように。と、厳命している。これが学生には強すぎるプレッシャーになる場合もあるようだが、妥協はできない。では、なぜ、そうまでして妥協しないかというと、それが「糸の切れた凧」になることを避けるためのおそらく最善の技術・戦略だからだ。何も知らない人からみたら「保守主義」に見えるのだが、実は、postmodern 論者などより遥かに飛んでおり、その弊害を避けるために、わざわざ自ら、自分に碇をくくりつけているのである。それが、「既存分野で意味がある仕事しかするな」ということの意味。本当に力がある仕事ならば、古い分野の手法を使っても表現できる。もちろん、本当に崩れ去った古い分野では、さすがに無理なのだが、そういう酷いのは滅多に無いように思う。また、たとえあったとしても、救い難い「専門分野」を、文系の教育を受けたことがなく、いかなる分野にも真の紐帯を幸いにも持たない僕としては、簡単に切って捨てることができる。そこまで酷いのには、京大文では、まだお目にかかったことがないし。 おそらく中沢さんなどのポストモダンの人は、父としての専門分野に縛られている。それを否定せざるを得ないという意味で、実は縛られている。文系の正統の教育さえ受けたことが無い、素人中の素人の僕などは、そのしがらみが一切ないから反発もしない。中戸川さんから、博士論文の主査だった澤口さんの話を嫌と言うほど聞かされた。僕が知る人の内、最もこだわりがない人の一人である彼でさえ、そうなのである。ところが、僕には「無知」という強力な武器があり、そういうことから一切自由だ(なんせ、田辺元の公理主義という訳語を調べるまでは、田辺元と中村元を同一人物と混同していたほどの人文オンチ!(^^;))。そして、そういう無知な人間の目には、postmodern とかブラウワーとかは、実は極端なオイディプス・コンプレックスに陥り、「父を意識しすぎた人たち」に見えるのである。 僕は無知である故に、既存分野を方法として勝手に使うことができる。どの分野でも、使えさえすれば勝手に使う。そういう場合、その分野を利用するには、その分野のプロトコルに忠実である方が良い。それで、その分野から庇護を受けて、その力を使える。あまりに自由な思考は根無し草であり、実は何も見えなくなる。「ものが見える」というのは、実は「思考枠」を自分が既に持っており、それに制約されるということを常に伴うからだ。そういう意味での解釈というバイアスは絶対に避けることができないのである。それを理解しないで、一切から自由になろうなどとすると、自由どころか「自由であるべきだ」という脅迫観念に縛られて自由を無したり、凧の糸がきれて錐もみ状態になる。しかし、それは大変に危険なことだ。だから、「糸の切れた凧」にならないように、既存分野のプロトコルに意識的に忠実になる。それは「糸」に過ぎないから、邪魔だと思ったらいつでも切って、他の糸に結びなおせる。僕はその様にアカデミックな専門領域に戦略的に拘っている。しかし、それは実は全く信じてはいない。道具として使っているだけだから。 このように考えれば、何故、僕より飛んでいるはずの中沢さんが、実は、遥かに僕より人文学の伝統に「反発」という関係で縛り付けられているかが理解できる。おそらく、「多様体の論理」「多様体論理」批判論文の後者の部分は、この問題を論じればよいのだろう。 2010年7月12日(月曜日)語りえぬものこそ語らねばならない今日届いた新書の幾つかを読む。高橋昌一郎さんの近刊の「分析哲学者の発言」を見て、今更ながらに感じた。何故、僕は技術的には親和性が高いはずの「分析哲学系」の思想が嫌いか?おそらく、最大の理由は「語りえぬものには沈黙を守るべきだ」という態度だろう。 ソフトウェア工学とかIT人材育成とか、そういう仕事をしていると「出来ないことを行う」でなくては何の意味もないことがわかる。これの意味は本当は「完全無欠の理想状況は出来ないことは端から判っていることを、少しでもましにする」という意味だ。ハイデガーたちは「科学が語りえぬものだけ」を語り始めたが、それはソフトウェア工学とか人工知能・自然言語理解という『哲学的工学』において「プラクティカルな形而上学」として機能した。技術者が使うソフトではなくて、「社会の中で使われるソフト」を作ろう、その作り方を知ろうとしたことがある人ならば、少々気の効いたソフトウェア構築法より、「ソフトウェアには被投性がある。その投げ込まれ方の理解がソフトウェア構築には重要だ」という「抽象論」の方が、どれだけ本当に役に立つか理解できるだろう。「被投性」という気取って奇妙な専門用語が使われているのが理解を妨げるが、そうならば「ゴール」のような小説仕立てで伝えればよい。実際には、小説まで書かなくても、態度で伝わる。工学においての現場の徒弟的コミュニケーションは実に重要だ。これが出来ない「知恵」は技術としては「役立たず」になる。 こういうコミュニケーションをしてまで「伝えたい、しかし、語りえぬ、不完全でしかし現に世界を変える知恵」の存在と、それを確かに次の世代が古い世代の行動から「読み取る」という意味での「コミュニケーション」が可能であることを知っていれば、「語りえぬことは沈黙しなければならない」というテーゼがいかに硬直しているかが理解できる。 このことを考えるときにいつも思い出す話:ある人が街灯の下で何かを探している。近づいて尋ねてみた「何を探しているんですか?」「いや、500円玉をそこの暗がりで落としてしまいましてね。」「???どうして、落としたとこでなくて、ここで探しているんでしょうか?」「え?!だって、あそこは暗いじゃないですか」 2010年5月23日(日曜日)群馬大調査メモHartmann: Grundzuege der Metaphysik der Erkenntnis の書き込みは量は多い.大部をかなり徹底的に読んでいる.田辺としては珍しい方だろうか? Hartmann の本の現物と目録の対応があまり良くない.他にも間違いは多いかもしれない.一応,全部見ていくべきだろう. 日本語の書き込みに面白いものがある.高坂の「西田哲学・田辺哲学」の自分の「」への言及に, 2010年3月27日(土曜日)科学の特殊性科学が何故特殊かと問うのは無意味.我々が現在科学と呼ぶものは如何に特殊かという問いが正しい.そのグループに現実の例が落ちて吸い込まれていく.その「生産性」を見た社会(学問)が,それに落ちるように社会(学問)を変えていく.役に立った形式技法としてのUMLなどは典型.形式技法が役立ったのではなく,形式技法が役立つ場を求めて姿と位置を変えた.そして,それに合わせてエンタープライズさえも姿を変える. では,科学の特殊性とは?「手戻り」の無さ,少なさ.自然科学者には「科学的なものには手戻り」がないと思っているかのような人が沢山いる.だからシステム開発もそうだという誤解が広がったのだろう(waterfall の神話).これは,実際のシステム構築をしたことがある人間には信じられない態度だが,「科学者」から見たら合理的態度だろう.つまり,科学とは「手戻りがすくなく,知のシステムを累積的に発展させることが可能な分野」という性格を持つ.これがあると,複利計算で指数関数的「増加」が見込めるので,急速な「進歩」が可能となる. ただし,それだけならば一部の宗教なども入るかもしれないので,他に実用性とか実証性とかが入るだろう.しかし,その最大の特徴は,おそらくこれ.だから,「進歩」という言葉が当たり前になった.どうして進歩,進化しないといけないのか.過去の時代の人に合って,そういう語り方をしたら唖然とされるだけだろう.しかし,今の時代では,科学者でない人にさえ,これを言えば唖然とされる.これに科学,そして,それより「科学的であること」という神話の特質のかなりの部分が見える. 2010年3月8日(月曜日)[無題]買ってはみたものの,気が重くて開けなかった哲学者須原さんの本を開く.この人とは龍谷時代に数回あって話したことがある.本も書いていて,そこそこの哲学者だったらしいが,ずっと非常勤でやっていた人なので,勝手に,老後の不安と無関係ではないだろうなどと考えていたが,全然違ったらしい.明るい感じの人というかアッケラカンというか,そういう人だったが,そのままだったらしい.ご家族もあり,息子さんがあとがきを書いていた.ご家族もアッケラカン.明るいので,何か安心.本当に思想上の問題として計画してやったのだろう.それならば,須原さんの勝手だ.まずは,よかった.(^^) 学生支援プロジェクトというので,担当しているPD,ODの研究員の諸君も,想像するよりは身なりもよければ,かなりよい生活もしているらしい.以前,スイス人の友人がずっとグラントだけでプラプラしていて,一乗寺あたりの古民家で不便を楽しみながらすんでいるのを見て,経済が悪いといっても,ヨーロッパは豊かだなと思っていたが,どうやら日本もそれに近づいているのかも.この程度の豊かさをキープできたら悪くないだろう.確かに景気がわるく不安定な生活を強いられている人が多いようだが,それでも今は日本の歴史の中でもっとも豊かな時代であることは確かだろう.(バブルのはころは豊かとはいえなかった.あれは成金にすぎない.) 2010年2月16日(火曜日)京都学派の末裔昨日届いていた梅原猛「隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫) (文庫)」をぱらぱらと読む. なるほど...確かに面白い.現代のアカデミックな歴史家ならばやらないような議論が各所にあるが兎に角力強い.amazon の読者が4をつけた意味がわかる.議論の妥当性は別として背景から赤外線のように照射してくる力のようなものがある.その原因は?京都学派を調べているものとしては,特に「はじめに」の書き出しが面白い.「この本を読むにさいして,読者はたった一つのことを要求されるのである.それは,ものごとを常識でなく,理性でもって判断することである」.梅原さんの「学問」は,これに尽きるのだろう.この「理性」は明らかにKant哲学などの意味での Vernunftだ.ようするに,田辺が社会・政治に対して哲学をもって行おうとしたことを,梅原さんは日本古代史に対して行おうとしたわけだ.違いは田辺が過剰と思われるほどに高踏的であり意図的に難解に書いたのではないかと思われるような文章を紡いだのに対して(この場合,「書いた」といわず,「紡いだ」といいたくなる.一つ一つの表現の繊維が複雑に入り組み,どれがどれにどのように絡み合っているか容易には解くことができないような文章*1),梅原が最初から大衆読者を向いていること.梅原は和辻を連想させる.戦後京大文学部のアカデミズムから忌避された梅原は「ポピュラー的」だ.その議論のスタイル,目的は明らかに京都学派のものだが,むしろ,それが忌避を招いたのかと思ってしまう. いずれにせよ,読む前は,大先達に失礼ながら「あやしげな奴」などと思っていたが,思っていたものと違い,すがすがしさのある文章に,田辺へのものと同じ程度,あるいはそれ以上に共感を覚える.特に自分の論考が歴史学的精密さに欠けることを認めた後,それに続く一節「そういう個々のミスを指摘していただくのも大いに結構であるが,願わくば,それと共に,この本の根底にある理論そのものを問題としてほしいのである.一旦,こういう仮説が提出されたからには,もはや,古い常識と通説へ帰ることは出来ないと思う.この仮説の否定は,この仮説以上の理論的整合性をもった他の仮説の創造によってのみ可能なのである...<中略>日本の古代学の発展の刺激にならんことを」には,大変共感する. ただし,実はこの見解は間違いで,史学においては理論なくして「否定」は可能である.「否定」をなんと取るかによるが,理論を立てた本人の足をすくい,立っていられないような痛手を与え,本人自らが退場したくなる,そういう,実も蓋もない史料・事実というのは実際にはいくらでもある.こういうものを「否定」といえば,史学にはそういう否定は日常的にある.僕はこの「否定」を引き起こす史料・史実を地雷と呼んでいる.本当に地雷は怖い.何の前触れも無く,突然爆発するのだから歴史家の心は休まらない.まあ自分がゾンビならば別なのだが(^^;),大方の学者はそうではないものだ. 田辺は,すべてのものに意味を見出そうとして躓く.(一番ぶっ飛んだのは,「社会における土地占有が相対性理論における光にあたるという議論.兎に角,自分のいる時代の歴史的事柄にも意味を見出さないといられない人が田辺だったが,そういう人,今も多いですね.)すべてのものに意味を見出そうとすること,それは地雷原と知りつつ,そこに分け入り走り回るような行為だ.だから僕らのような慎重な(*2)学者はそういうことはしない.命(学者生命)は惜しい.田辺は最初極めて慎重だったが,立場上か,西田の後を襲ったころから,これが酷くなる. 梅原さんは最初から地雷原を闊歩という感じ.この点は,やはり梅原さんは歴史学者としての思考の経験がなく,あくまで戦前の京都学派的に「理性のみに頼る」という方法にこだわりすぎていると僕には思える.先日とどいた昭和6年からの岩波講座哲学の第1回配本,西田幾多郎「歴史」に眼を通したときも同じ違和感を覚えた.ランケについても議論しているが,その全体はアウグスティヌス的時間論のような抽象論に基づいていて,歴史学というものが持つ(西田は明らかに歴史「学」も問題にしている)政治性,社会性などに一切議論が及ばない.そういう所が,田辺は嫌で種の論理など考えたのだろうが,その田辺の議論の仕方が,再び「理性のみの」「論理的」な議論になっていて,20−21世紀人として,当然のように下世話な僕などは,最初に読んだときに大いに驚き,かなり研究をすすめて,田辺の文章に慣れ親しんだ,今でも違和感バリバリなのだが,梅原さんの文章はそれと同じものを僕に感じさせる. 戦後,おそらく京大文学部は戦前の京都学派を忌避する動きをしたはずだ.これは同僚に聞いてみたが,言葉を濁された.(^^;) それも梅原忌避の一原因か? まあ,危ないから,これはこの程度にしておこう.田辺研究だけでも十分「危ない」のだから... で,一つだけ面白い話.(面白い世間話大好きです.これを禁じられたら生きていけない..)京大文学部100年史に出身者の一人として梅原さんの文章が載っていて,それによると京都学派以後,自分で考えるという京都大哲学の伝統はなくなった,哲学史に堕しているというような意味のことが書いてあった.これを読んだとき,なんと今の哲学の同僚達は寛容なのだろうと思ったのですが,面白い話が好きな林は,そこで「一説」をひねり出しました.「これはきっと梅原猛博士の生霊を封じ込めるため,あるいは,ガス抜きするための梅原法隆寺に違いない!」.もちろん,この説を考え付いた時の僕の顔は,こんな風 歴史をやっていると,こういう風に,大きな意味を持ちそうなことが,実も蓋もない偶然のために起きているということに多く出くわす.ある人が,昭和20年8月6日に広島にいたことに,普遍的・論理的「意味」を見出すことは不可能だ.しかし,そのことは,その人にとって,とてつもなく大きな意味をもつ.歴史的事実・歴史性というのは,そういうもので,逆説的ながら,それこそが一種の超越性であり.... なんだか京都学派みたいになってきましたところで,終わりにしよう.最後のデモ・ビデオ作らねば! そうです.これも現実逃避でした. *1:ただし,田辺の初期の科学哲学関係の論文や本は読みやすい.論旨や議論が単純なのである.ただし,初期と中期以後で殆ど同じことを言いながら,後者の文章は奇妙に難解だったりするので,単に文体の問題もあるのだろう. *2:慎重:つつしみ深く考え深いこと.凡庸ともいう. 2010年2月8日(月曜日)石田さんへの返答:人文学と科学SMART-GS を出展予定の「文化とコンピューティング」国際会議の関係で,主催者の石田さん(京大,情報)とのメールのやり取りの中で, というものが,とにかく,次のもの: 石田先生 <中略> 現代日本では人文学が「遊び」のように扱われて,何か しかし,これは文系の素養が殆どなくなってしまった 国家・社会のために重要な人文学研究は沢山あります. 私は,こういう学問は,現代日本では「社会のための工学」 この様な状況で,人文学の研究者が不必要な劣等感・罪悪感を持つこ いずれにせよ,お父様の様な方もあるのかもしれませんが, 痛めつけられている,また,十分な人材の集積を形成できない, ですから,お父様のような考えを持つ方が増えていることは もっとも,数理社会学などの面白い学問があるように, 現代日本では,「文系=おもしろい文章を書くこと」と思っている 本物の人文学は自然科学には還元できませんし, 18−19世紀のドイツ思想界では,自然科学(特に心理学・物理学)・ この部分は,容易に議論ができるような話ではありません. しかし,どのような尺度で考えても,「自然科学的な人文学」 私達の HCP や SMART-GS は,この「自然化」とは全く違う方向を ですから,人文学で行う学問の本質には関わらない これは,Winograd さんが,社会的存在でありえない(ありえなかった) 丁度,今,田辺元研究->新カント派研究の延長上で, 石田先生への返答であることは書きますが,石田先生からの
2010年1月31日(日曜日)人文学と科学昨日までアドバイザーを引き受けているJSTさきがけの「合宿」だった.2年目に入り,面白い成果がかなり出始めているし, もう一つため息がでたのが,人文学と工学・理学の間の高い壁.ひとつは,若い人たちに出る資金の差. ひとつには院を拡張しすぎたという自業自得の面があるが,一方で以前,僕が所属していた情報の世界 要するに情報系に国の予算が落ちている割りに,人材がいなかったのである.僕程度でも,しょっちゅう, もう一つが,理系・工学系の先生方が人文学を理解できていないという事.領域の性格上,情報の中では 数学基礎論史の関係で「成し遂げた!人文系でも大したものだろう」と思っていた僕の研究程度のことなど, 僕は元が「理系・工学系」だから,「人文学を理系・工学系の人が分かっていない」と平気でいうが, 明治20年代の医学者ペルツが言った「日本人は科学を世界中どこに据え付けても同じものを生産 これを何としたいと「繊毛の一掻き」を続けてきたが,正直のところ最近諦めが出てきている... まあ,そうは言っても,やはり「一掻き」を続けるのだろうけど.(^^) #1月のポストはこれだけか!道理で一回で一月分ほども書いてしまったような... 2009年12月20日(日曜日)分かりにくいシラバス金曜日に学生たちと雑談をした際に来年度の2回生用講義のシラバスへの意見を聞いたら, まあ,私が何を理解しようとしているかが本当の意味で私自身に分かるときは,私が知りたいと思っている 今回は漸く16,7世紀頃から見えてきた流れの重要なエポックの話,あるいは海流的な流れを このグローバルな連関は文章ではなかなな書けない.講義するのもむずかしい.明治のお抱え医学者ベルツの こういう分かりにくさがあるので,8テーマの内,2つ理解できれば十分とした.単なる講義として受 この辺りが体系的に綺麗なコースを作れた(それが分かり易いかどうかは別として)理工系を教 学内でシラバスの平準化など進んでいるが,その関係の話を見聞きすると,理工系や社会科学 自分の長年の専門分野を教えるなら,そういう位置を保つのは簡単だが(というより何もしなくても これがC言語,オートマトンやら数学の講義になると準備さえしておけば,軽い軽い.何を教えればよいか, 幸いそのレベルのことができて,何とか最後の段階では纏めることができた,というか,新たな研究 つまり講義をするのが綱渡りのようなものであるわけが,一方,研究というのは,いつもこんなものだ. 2009年10月12日(月曜日)124 queries. 0.271 sec. |