2011年度京大全学共通講義 ゲーデルと数学の近代資料 2012.01.13 から抜粋
岩波新書「ゲーデルと数学の近代」を教科書として使う予定だった後期講義。芸術のモダニズムと数学の近代の関連(英国の数学史家グレイのテーゼ)や、林の数学の近代化論を論じた。
#全学共通なので、前半はモダン・アートの話などを強調してエンターテイメント性をもたせたが、後半は社会学理論などがでてきて、理系の1回生には難しかったらしい。
#それでも大変に良い手ごたえだった。
……
ここから、数学基礎論論争の話。
- ゲーデルの不完全性定理へ…
- というと、巷に溢れるゲーデル本の話の様に聞こえる。
- しかし、ここからの話は同じ時代の同じ歴史を語りながら、それらとは大きく異なる。
- その多くは、現在は専門家(19-20世紀をやっている数学史研究者)の間では共有されている理解。
- ただし、一般には世界的に言っても殆ど知られていない。数学の哲学をやっている、という哲学者でさえ、殆ど知らない。
- 世界でもそう。日本は基本的に信じられないくらい遅れている・外れていると思うと良い。日本で、数学史をやっている人は、大変に多い。しかし、ほとんどは実質リタイアした数学者が老後の余技でやっている。林は「ゲートボール数学史」と呼んでいる。本当に専門家として「メジャーリーグ数学史」をやっている人は、おそらく日本で数名から十数名。)。
- これは、脱線。しかし、ここでもう少し脱線。数名の人の為にはおそらく大変重要な「脱線」:
- これは哲学者・哲学の問題。多くの数理哲学者の数学観は20世紀半ばころの数学観で止まったまま。
- 数学用のITの進化と普及により起きて、数学の最先端では、もうすっかり浸透している(日本は遅れているらしい)、数学の計算への揺り戻し(再クロネッカー化?)を数理哲学者は、殆ど無視しているというような声が、数理哲学者の間からさえでている。これがこの数年でのこと。事実としては数十年前からおきている。その間、哲学者は『寝ていた』ことになる。これは数理哲学が「科学哲学」という名前の「科学」になってしまった影響が大きい。自己完結したテーマを持ってしまった。もちろん、これは哲学の堕落といえる。ようやく、そういうことへの批判の書籍などが出版され始めている。(昨日読んだ、アメリカ数学会の雑誌の書評にCMUのAvigadのそういう書評があった。)
- ここからの話のソースは、林の研究。
- まだ、ちゃんと発表していない。
- 一番、詳しいのは、岩波文庫「ゲーデル 不完全性定理」の解説や、それに関連した論文・論説(林のサイトに大半は置いてある)。また、英文では、すこしだけ、ここに出している。
- 実は、専門的な英文論文が「裏」にある。
- 本当は、そちらが表であるべきだが、まだ、書きかけのまま、3年ほど塩漬け状態!
- 理由は二つ:
- 結論が書けなくなった。
- 凄く細密で厳密な書誌学的研究(それでヒルベルトについての通説を崩した)。
- その数学的背景まで分析:機械学習の原理を使った新しい論理学により説明。
- しかし、「歴史観が…」。歴史の「ストーリー」がない!
- 歴史観を壊したが、その代替物がない!!
- で、書けなくなった。
- 他の研究が面白くなった。
- 上の方↑で色々「高級な」理由をつけていますが、実は、こちらの方が大きい。(^^;)
- 京都学派の研究を始めてしまい(たとえば、*,*)。それに自分で作ったITツールを使ってやっていたら、これが面白くて仕方がない…
- 50年間、誰も読めなかった文書を読む。
- そういう史料の写真をとる。予算を取ってきて専門家に撮影してもらう。
- デジタル・アーカイブを作る。
- こういう、「雑用」や、それを通して通説を崩すことが面白くて仕方がない。←本質的に実験系・歴史系のセンス。(^_^)
- 他の人は知らないが、自分はよく知っている。わかったことは、もう面白くない…
- ので、つい研究の方に走って、旧いものを書かなくなる。
- が!この研究を通して、新カント派など19-20世紀ドイツ思想史への視点を得て、結論を書ける目処がつきつつある。→ 新しい歴史観。それの一部が、この講義の「ゲーデルの歴史観」
- すぐにはできない。新カント派の思想史研究が、ほとんどなされていないので、これを理解すること自体が新しい研究になってしまうので。
- 英文論文の原稿、本当に読みたい人にはあげます。
- とは、いうものの、まずは、通俗史観とその批判から。
通俗的説明(一昔前の世界の通説、今も日本の通説?)批判も混ぜつつ
- ラッセルのパラドックスを受けて、数学の基礎付けの研究がより広汎かつ徹底的に行なわれるようになった(始まった、とさえ書く人もいる)。
- そして、それは三つの学派からなっていた:
- 論理主義:ラッセル、デーデキント、フレーゲ
- 直観主義:ブラウワー、ポアンカレ、クロネッカー
- 形式主義:ヒルベルト
- 論理主義:いままで話したこと。
- 無限集合=論理学の類、として、数学をすべてペアノ、フレーゲたちの新論理学(記号論理学)に還元する。
- ラッセル・パラドックスで挫折。
- 新方向へ。それがプリンキピア・マテマティカという書物に纏められたもの。しかし、実質的に形式主義に包含される。
- ある意味では、現在の数学の哲学的基礎の主流。[集合=類とみればの話)
- 直観主義:クロネッカーの線上に生まれた(とされる)思想群
- 正確に言うと「数学における直観主義」を標榜したブラウワーが勝手にクロネッカーを取り込んだだけ。
- 有限性重視・無限忌避という点では近いが、クロネッカーとブラウワーは水と油のようなところもある。
- 数学は人間(数学者)の直観、より正確に言うと、カント哲学でいう時間直観の中だけにある(べきだ)。
- 人間は有限なので、無限集合というのは、それを定義する有限的な定義と同一視される。無限集合、それ自体、などというものは認められない。
- その思想を推し進めると、すべての命題Aに対して、「AまたはAでない」とする、アリストテレス論理学の排中律、という原理も認められなくなる。
- こういう情況をイメージして欲しい。
- 人がディスプレーを見ている。インターネットか何かのストリーム(ネット・テレビ、ラジオ、Ustream のように際限なく配信されるデータ、その配信そのもの、のことを専門用語でストリームという)により、ディスプレー上に、非負整数が5秒置きに表示される。最初は、2930だった。次は、、2929だった。その次は、2928だった。ひとつずつ小さくなるのかな、と思っていたら、その次は、27638719731187181だった!
- このストリームが、決して途切れない(無限)であるとして、「その内に、1000000がある」という命題をAとする。AまたはAでない、と人間にいえるのだろうか?
- ブラウワーの答はノー!
- あるときは良いければ、ないときにそれを知る術がないから。
- ストリームは、その表示のルールは人間には知らされてない。もしかしたら、ブラウン運動とか宇宙線とかを観測して、それで値を決めているかもしれない。
- この様な制限下で、数学を再校正しようとした。
- 実は、結構できてしまう!ただし、それが十分にわかったのは、ブラウワーの没後(1972年に没)。
- 形式主義:数学は形式的体系である。それはラッセルが言うような論理を形式ルールとして、人工的に決めたもので内容はない。内容がある数学的思考はブラウワーがいうもの、あるいは、それより更に狭い、クロネッカーが言うようなもので、記号についての有限的直観だけである。そして、数学を基礎付けるということは、人工的に作った無限集合の形式的体系の無矛盾性(ラッセルのパラドックスのような矛盾)を、内容的数学により証明することである。
- 形式数学:
- ラッセル(&ホワイトヘッド)のプリンキピア・マテマティカの論理体系を整理しなおした述語論理学の計算系 (predicate calculus)というものを、ドイツの大数学者ダーフィット・ヒルベルトが主に1920年代に彼の助手や学生達の助けを借りて作った。それの上に、無限集合の持つべき性質を形式的な文章にあたる論理式(多くの人が見たことがあるもので一番近いものはプログラム)で記述し、それを演繹の出発点である公理としたもの。公理的集合論と呼ばれる。その基礎付けには、同時まだ20代で天才の誉れ高いフォン・ノイマンも関わった。ZF,BNGとか呼ばれる体系がそれ。
- この証明プロジェクトを、ヒルベルトのプロジェクト(普通にはヒルベルト・プログラム、ヒルベルト計画)という。
- このプロジェクト形式の数学研究自体が、ドイツの大学における近代化の一つの象徴。(数学のポジションに助手がついたのは、ヒルベルトや、彼と共にゲッチンゲン数学教室黄金時代を気付いたクラインの助手たちが最初。)
- 内容的数学: Die inhaltliche Mathematik
- ドイツ語なので、せめて英語の解説を:(プリンストン大学哲学のJ.P.バーゲス教授の解説から。
- 日: 英 : 独
- 形式的:formal:fomale
- 内容的:real: inhaltlich
- 日本では1970年位までは数理論理学の専門家がよく「内容的」という言葉を使っていた。(林も属していた前原昭二ゼミ)。今は、あまり使われない。こういう問題が意識されなくなっている。
- 英語では、real のほかに直訳の contentual という形容詞が良くつかわれる。例えば、
- ヒルベルトは、その著作・講演では、
普通は、こういう説明の後に(あるいは同時に)、それぞれの数学的仔細などを説明するが、ここでは今までの「近代への視座、用語」とゲーデルの歴史観を使って説明してみよう。
まず、ゲーデルの歴史観の詳しい説明をする。これは最初の方の講義で大雑把に説明していたもの。
ゲーデルの歴史観
一般名詞としては、「ゲーデルの歴史観」と呼んでいる歴史観は、ゲーデル全集第3巻 pp.374-387,、未発表エッセイと講義、の The modern development of the foundations of mathematics in the light of philosophyというタイトルの講演草稿で表明されている論理学者クルト・ゲーデルの世界観・歴史観。同時に、林が使う専門用語としては、それを林が、いままで説明してきた社会学のコンセプトにより定式化しなおしたもの。
ゲーデルという人が、今まで説明している数学史のなかで、どういう位置にいる人かは、その数学史の説明の中で、ただし、一番最後の方で説明することになる。ゲーデルが、その歴史を、彼の論理学・数学における最大の業績「不完全性定理」により実質的に終らせてしまったから、こんなことになってしまう。数学の基礎を巡る哲学の歴史は、ゲーデル後にも色々あるが、実質的に波風立たずという情況。江戸時代の太平のようになっている。
この文書はアメリカ哲学会で予定されていた講演のコンセプトらしいが、確定的なことは分かっていない。タイトルは編集者がつけたと思われる。ゲーデルの死後に発見された Vortrag, Konzept (講演、コンセプト)とラベルされた、アメリカ哲学会からの封筒に入っていたもので、ドイツ語速記の原稿。20世紀初頭のオーストリアではギムナジウムでは速記を教えることになっていたので、このころの哲学者、数学者などは速記ができた。他の例としては哲学者のカルナップの「日記」(ほとんどライフログらしい)がある。全集では、ドイツ語への翻刻と、それの英訳が、左ページドイツ語、右ページ英語という形式で掲載されている。
そのドイツ語翻刻の先頭はこう始まる: Ich moechte hier versuchen, die Entwicklung der mathematischen Grundlagenforschung seit etwa der Jahrhundertwende in philosophischen Begriffen zu beschreiben und in ein allgemeines Schema von moeglichen philosophischen Weltanschauungen einzuordnen.
林の和訳:私はここで、世紀の変わり目(19世紀から20世紀への変わり目のこと)のころからの数学の基礎付け研究の発展について、それを哲学の概念を用いて記述し、また、それを可能な(複数の)哲学的世界観についての一つの普遍的図式(das Schema, スキーマ, 型、形式、略図)で整理してみたいと思います。
この、可能な(複数の)哲学的世界観についての一つの普遍的図式、ein allgemeines Schema von moeglichen philosophischen Weltanschauungen というのがゲーデルの歴史観。それは概略を説明すると、次のようになる:
- さまざまな世界観は、それが形而上学あるいは宗教から、どれだけ離脱(Abkehr)しているかにより分類すると、実り多いと思われる。そのような分類方法を用いると、世界観が二つのグループに分類されてしまうことが直ぐにわかる。懐疑主義、唯物論、実証主義のグループと、唯心論(Spiritualismus)、観念論、神学のグループである。そして、それぞれのグループの中でも離脱の度外の大きさというものがあり、例えば、懐疑主義は唯物論よりさらに形而上学から離れており、観念論は弱められた神学といえる。
- よく知られているように、ルネサンス以後、哲学は、右から左へと、発展(Entwicklung)した。もちろん、例外もあるし、この様に単純にはいえないのだが、概略としては、哲学は形而上学から離脱する方向に進んだのである。特に物理学においては、この傾向は、現代においてピークに達し、例えば客観的観測可能性(Erkenntnis der objectvierbaren Schverhalte)の否定などはそれである。この結果、われわれは物理学の意味として予測可能性(Beobachtungsresultate vorauszusagen)のみに甘んじなくてはならない。それがすべての理論的学問(theoresticshen Wissenschaft)の目的(Ende)なのである。(ただし、この予測可能性は、プラクティカルな目的(praktische Zwecke)、たとえば、テレビジョンを作るとか、原爆を作るとかには全く十分なのであるが)。
- その様ななかで、唯一数学のみにおいては、そのような考え方(Auffassung der Mathematik)が起きなかったことは奇跡と言わねばならない(Es muesste ein Wunder sein)。数学は本来アプリオリな学問であり、その故に、ルネサンス以後の支配的時代精神(Zeitgeist)に抗して、常に右方向への傾向を維持したのである。それゆえにジョン・スチュアート・ミルの数学の経験論などは支持を得ることができなかったのである。実際、数学はむしろ、物質(Materie)から離れ、その基礎を追求する、より高い抽象化(zu immer hoeheren Abstraktionen weg)の方向に進んだのである。
- そして、世紀の変わり目のころ、ついに時は到った(hatte auch ihre Stunde geschlagen)。いわれるところの集合論のパラドックスが発見され、懐疑論者たちが、それを大げさに騒ぎ立てた。私が「いわれるところの」(angeblich, そう思われているという意味。英語の alledged)とか、「おおげさに」(uebertrieben)とかいうのは、実際には、矛盾は数学の中ではなく、数学と哲学の境界で起きたのであり(nicht in der Mathematik sondern an ihrer aeussersten Grenze zur Philosophie)、また、それが完璧に誰もが納得する形で解決されたからである。
- しかしながら、こういう議論は、時代精神(Zeitgeist)に抗するには役立たず、数学者の多数が、数学が真理のシステム(ein System von Wahrheiten)という信念を放棄し、数学を恣意的な仮定からの推論の体系と看做すようになったのである。
- <中略>
- この様なニヒリスティックな結論(nihilistischen Folgerungen)は時代精神にピッタリはまっていたのであるが、ここで数学の持つ特性のためにリアクションが起きた。つまり、時代精神も、そして、数学本来の精神をも同時に満たそうという、奇妙な配合種(merkewuerdige Zwitterding)としてのヒルベルト形式主義である。
- <中略>ここで、ヒルベルト形式主義の技術的説明とそれを否定したゲーデルの不完全性定理の説明が入り、特に、第一不完全性定理を、数学の精神(右)を時代精神(左)で満たそうとした試みと説明し、それは不可能だと断じている。そして、その後で第二不完全性定理について語り、そして、次のように結論する:
- ヒルベルトの唯物論と古典的数学の諸相の組み合わせは、この様に不可能なのである。
……