2024年度数学史講義資料5:1890年以後

1890年から1893年[Hilbert1893]

林の新説では、[Hilbert1890]の Theorem I、つまり、現代の体上の有限基底定理は、Leipzig の整数上の有限基底定理、つまり、Theorem II の証明への Gordan の批判を受けてのものではないかと考える。

つまり、若き日の Hilbert は、Gordan の批判が余程気になったのではないかということだ。それを示唆するノートが、彼の数学ノートブックには幾つかある(例えば、こちらの2.1.8)。そして、それと同じく、Gordan の神学事件での批判に答えたものと考えられているので、論文[Hilbert1893]である。

これは不変式論というより代数幾何学と言った方が良いような方法で、Gordan 問題の別証明を与えたもので、[Hilbert1890]とは、全く雰囲気の違う論文である。この方法だと、不変式の有限基を計算できるアルゴリズムの存在が保証される。[Sturmfels2008]の4.6は、Hilbert's algorithm という題名で、このアルゴリズムの記述になっている。

しかし、そのアルゴリズムが実際のプログラムになったとか、計算が行われたという様な話は聞いたことがない。おそらく規模が大きすぎて、実際に実行することは現在ではまだ無理なのだろう。その内、おそらくAIの助けも得て行われることになるのだろうが、何時のことになるのだろうか。

Hilbert は、この仕事を最後に不変式論の研究から去ってしまう。Hilbert は、あまり知られていない細かい仕事も多く行っているが、そういうものを除けば、彼の次のターゲットは、代数的整数論であった。そして、幾何学基礎論、物理学、物理学研究の準備であるかの様な、今は知られておらず、Göttingen の数学研究所に埋もれるように保管されている多数の偏微分方程式論講義録、など彼の数学は多岐にわたることになる。

その全容は、まだ十分に解明できてはいない。今回の不変式論史の定説の崩壊と新説の構築を通して、そう思わざるを得ない。みなさんの中から、いつか、そういうことを研究する人がでてくることを期待したい。

Hilbert が去った後: Weyl, Mamford,...

通俗数学史では、Hilbert が不変式論の世界に彗星の様に登場し、重要な問題のすべてを解いてしまい、彼がこれも彗星の様に不変式論から遠ざかっていった後、この分野は死んでしまった、とされることが多い。

一次の隆盛からは程遠い状況にいたったのは確かである。あるいは、死んだと言ってもよいかもしれない。しかし、[Kung&Rota1984]に面白いフレーズがある。彼らは不変式論は不死鳥の様なもので、その灰の中から何度も生き返るのだとしたのである。

実際、それは何度か生き返り現在も研究が続いている。最初の再生は、講義資料1の補足資料で紹介した、representation theory の立場から不変式論を見る、Hermann Weyl[Weyl ey1939]の理論であった。しかし、これは直ぐ、また死んでしまったと言われることが多い。ひとつには、この[Weyl ey1939]という専門書があまりに難しかったことがあるのかもしれない。

そして、その次の再生といわれるのが、David Mumford による幾何学的不変式論[Mumford1965]である。講義資料1で引用した Kung と Rota の19世紀的言語の使用宣言とパリ流数学ファッションへの皮肉の後には、次の様な文が続いていた。

One could, for example, rephrase the results in the language of representations of GL(2) over certain tensor spaces, or as the study of moduli parameterizing certain algebraic varieties.

"the language of representations of GL(2)" というのが Weyl の理論のことで、"the study of moduli parameterizing certain algebraic varieties" というのが Mumford の理論のことである。

とは言いながら、これらの再生の間に何もないわけではない。たとえば、[Gordan1899]や[Grace&Youg1903]は、Hilbert が去った後の灰燼に例えるには、あまりに不似合いな優れた数学的作品である。 そして、[Sturmfels2008]に代表される様に、現代では computer algebra との関連で不変式論を研究している人も少なくない。しっかり、生きているのである。

講義の終わりに

林は京都学派の思想史的研究も行うが、その内で、現役時代の主な研究対象は、田辺元という人であった。この人は第二次世界大戦の戦争責任も問われる人で、また、人気の高い西田幾多郎の後継者ながら論敵でもあり、敵役風に扱われることが多く、あまり研究されていなかった人である。

そのため、研究を始めた時、周辺からは田辺を研究して左の方から攻撃されないかとか、哲学者からは、何んであんな人を研究するのか、と言われたが、知られていなかった史料の発見により、研究が思いがけない方向に進み、幸いなことに日本哲学史の研究者の方たちから評価され、何より、それが私の数学思想史で見つからず困っていたミッシングリンクの発見につながった。

実は、歴史研究は、有名な人、勝った人、成功した人の研究より、知られてない人、負けた人、失敗した人の研究の方が面白いことが多い。今回は、その逆で有名で勝利し大成功した人の話であったが、 キーとなったのは、やはり「忘れられた証明」であった。

歴史家として研究をしていて意外なものを偶然見つけることほど面白い事はないと思う。最初は、お断りしようと思っていた講義をお引き受けして、今回も、また、そういう楽しい思いができてご依頼に大変感謝している。

最後に。急速なITの進歩で、歴史学は新たな段階に入っている。今こそ史料ベースの歴史学、特に近現代史研究の好機である。歴史が好きな人は、数学や理系の学問だけでなく、若いころの私の様に趣味で良いから、この歴史学の世界を是非一度自分自身で覗いてみて欲しい。林の様に楽しい思いをできるかもしれない。

講義資料5の終